外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

九十七回忌

2018-01-11 17:57:45 | 早稲田大学
大隈さんの九十七回忌の法要が佐賀で行われました。
大隈重信しのび法要 九十七回忌、早大OBなど参列 佐賀市 - 西日本新聞

慶応では創設者 福沢諭吉さんを先生と呼ぶそうですが、早稲田では昔から大隈さんと "さん付け "
この距離感が早稲田らしいところだと思います。

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私が幼年期を過ごした富山県滑川市。
今年は大雪で大変そうです。

その滑川市に住んでいた頃、地域の最大の楽しみは、櫟原神社(いちはらじんじゃ)のお祭りでした。
各地域から大人のお神輿と子供のお神輿が出て、それは大変な盛り上がりでした。
また、当時は傷痍軍人の姿もありました。

普段も神社の境内は子供たちの格好の遊び場。
ただ、子供心に 不思議に思う地球儀が 境内の片隅にあったのです。
地球儀の上に鷲がとまっているような造り。

「あれは一体 何だったのだろうか」とネットで検索していたら、画像がみつかりました。
平和塔というプレートが付いていくいます。

この画像を眺めていて、どこかで似たものを見たという気がしてきました。
そして思い当たったのが日本ニュースのオープニングでした。
日本ニュースとは、太平洋戦争を直前に控えた1940年(昭和15年)から1951年(昭和26年)まで制作されていたもの。
テレビがなかった戦時中、「日本ニュース」は毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。
戦争完遂を目的にした国策映画です
"日本ニュース第216號" を YouTube で見る

あくまでも想像ですが、櫟原神社の塔が平和塔と名付けられたのは戦後のことで、当初は軍事力を前面に出して国威高揚を目指していた時代に造られたオブジェなのだろうなと。
とにもかくにも、平和塔という名称と鷲の組み合わせは 正直なところ しっくりしません。

終戦後、GHQからの命令もあって、たとえば秋葉原にあった広瀬中佐像など、軍人の銅像が各地で取り壊されました。

もっとも、個人的には、歴史を伝えるモニュメントは、それが負の側面を伝えるものであっても 安易に廃棄すべきではないと思うのです。
きちんと時代背景を考証した上で後世の人々に継承し、その評価に委ねることが大切なのではないかと。

その意味で、日本ニュースは NHKのウェブサイトで閲覧できるのは価値のあることです。
厳しい情報統制の下で大戦争に突入し、破滅的な結果に陥った後に 必死に立ち上がろうと努力した日本人の歩みを、日本ニュースの映像でご覧になってみてください。
ニュース映像|NHK 戦争証言アーカイブス

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