東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

松本泰生「東京の階段」

2010年03月08日 | 読書

東京のガイド本はたくさんでているが、地域ごとに名所・名跡などを網羅的に案内するものが伝統的に多いようである。他方、特定の分野にこだわったガイド本もあり、なかなかユニークなものも多い。このような中で知っているものを私的体験を交えて紹介する。

まず、『坂』に関しては、山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)が
以前の記事のように坂巡りの必携本である。

『階段』という意外な分野があることを、松本泰生「東京の階段」(日本文芸社)で知った。副題が、都市の「異空間」の楽しみ方、となっている。

階段は、坂の親戚、変形バージョンみたいなものであるが、この本を書店で見たとき、その発想がおもしろいと思った。階段でこれだけまとめたものはこれしかないような気がする。

坂が階段になっているものも多い。この本は写真がカラーで大きいので、めくりながら、かつて訪ねた坂名のついた階段を思い出した。

飯倉の雁木坂、我善坊谷の三念坂(三年坂)、赤坂の丹後坂、市谷柳町の宝竜寺坂、抜弁天近くの梯子坂、西片の曙坂、茗荷谷の庚申坂、関口の胸突坂、目白台の日無坂、西日暮里の地蔵坂、湯島の実盛坂、関口台の七丁目坂、市谷仲之町の念仏坂、音羽の鼠坂、本郷の炭団坂、田端の不動坂、目黒の別所坂(最上部のみ階段)、谷中銀座の夕やけだんだん、市谷の浄瑠璃坂近くの芥坂など。いずれもよい坂である。

小日向の八幡坂、目白台の小布施坂、牛込神楽坂の袖摺坂、本郷一丁目の新坂などがないようで、坂好みからするとちょっと残念であるが、坂名の有無に関わらず魅力ある階段を多く紹介する目的から仕方がないのであろう。

名のない階段の内で、市谷柳町の試衛館跡の階段、念仏坂の反対側の市谷台町から下る階段、本郷の菊坂わきの階段、荒木町の階段などを坂巡りの途中で通って覚えているものの、知らないところがほとんどである。

坂の中でわたしの体験上こころひかれるのは、車が通らないような狭く細い坂で、むかしながらの雰囲気をわずかにでも残したところである。高輪の洞坂、偏奇館跡近くの道源寺坂・我善坊谷坂、狸穴の鼠坂、小日向の鷺坂などである。上記の坂名のある階段もこれと同じ特徴があるものが多く、同じようにこころひかれる。行ったことのない階段にもそのような雰囲気のあるところが多いに違いない。本書の写真の効果であろうか、興味をそそられて訪れてみたい名のない階段が多く、これから街歩きの楽しみの一つになりそうな予感がする。

なくなった階段として荷風の偏奇館跡そばの階段が紹介されているが、これが
消失前の偏奇館跡を知らない者にとってはもっともよかった。三枚の写真が載っているが、階段が古びていて寂れた感じでむかしの雰囲気がよくあらわれた貴重なものである。この写真の風景を見ていると、消失の事実を知ったときの以前の感情がふたたび湧いてくるようである。

ところで、この階段と消失前の偏奇館跡との位置関係がよくわからない。筆者の松本氏が管理する
Site Y.M.建築・都市徘徊に同じ写真とともに六本木1丁目地区の鳥瞰CGがのっているが、これによれば、階段は全体としてほぼ北向きに上下し、この階段の少し南に偏奇館跡があったとある。しかし、どの辺から下る階段なのか、いつ頃できたのか不明である。手持ちの資料だけではわからなかった。いずれまた調べてみたい。

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仙石山

2010年03月08日 | 散策

日比谷線神谷町駅の近くに桜田通りから西側へ虎ノ門5丁目方面に上る無名の坂がある。ここをまっすぐ上っていくと、広場のようなところにでる。三角状の変則的な四差路であるが、ここを直進しようとしたとき、その正面、広場の一角に小さな石碑が建っているのを見つけた。一年程前、愛宕山の辺りを散策した後のことである。

石碑には「仙石山 町會 防護團」「昭和十三年四月建之」と刻まれていた。

永井荷風は昭和2年(1927)秋に関根歌を壺中庵(こちゅうあん)と名づけた小家に囲ったが、そこが仙石山のふもとであった。

「断腸亭日乗」昭和2年10月21日にある「壺中庵記」に「西窪八幡宮の鳥居前、仙石山のふもとに、・・・、独り我善坊ケ谷の細道づたひ、仙石山の石径をたどりて、この庵に忍び来れば、・・・」とある。これから仙石山のおよその位置はわかるが、地図などにはまったくなく、かねてから疑問に思っていたところ、現地でそのしるしを見つけたのでうれしかった。わたしの街歩きにおける数少ない発見の一つである。この辺に住む人にとっては何ということでもないであろうが。

 「偶然のよろこびは期待した喜びにまさることは、わたしばかりではなく誰も皆そうであろう。」

荷風が砂町の南端で元八幡宮の古祠を枯蘆の中に偶然たずね当てたことを綴った「元八まん」の冒頭である。ささやかながらわたしもそうであった。まさしく誰も皆そうなのである。

ところで、防護団とは何だろうか。ネット検索によれば、防護団は昭和4,5年(1929,30)頃から軍部の指導により民間防空団体として各地に結成されたものらしく、昭和13年(1938)に消防団、防護団の統一が決定され、次の年に統一されて警防団となった(消防団の歴史参照)。要するに、戦前に戦争に備えてつくられた地域の防空団体らしい。仙石山の石碑は警防団に変わる直前に建てられたのであろう。

仙石山の由来は何かと思って、goo地図の江戸切絵図を見ると、神谷丁のとなりに仙石讃岐守の屋敷がある。この屋敷があって一帯が台地であったことによるのであろう。この地図には、仙石讃岐守の屋敷近くに八幡社普門院、ガゼンホウタニ、ガン木坂、市兵エ丁などがみえる。

石碑を右に見て進むと、我善坊谷坂の坂上にでるが、ここから荷風の偏奇館跡まではすぐである。この道が荷風が通った仙石山の石径かもしれない。

上の写真は1月に撮ったものであるが、石碑のさきから我善坊谷坂までの一帯で再開発工事が始まったようである。石碑はどうなるのであろうか。

参考文献
「荷風随筆集(上)」(岩波文庫)

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善福寺川の湧水と地蔵坂

2010年03月08日 | 散策

善福寺川の湧水を見に行ったときの写真です。

水源である善福寺池の下の池に行くと、そこから善福寺川へ流れ落ちる水量はさほど多くないのに、雨も降らないときでも下流では水量が増えている。

善福寺川~荻窪の記事で湧水のためと書いたが、調べると、水源池の湧水の枯渇などで河川水量の減少が問題となり、神田川と善福寺川の上流部には玉川上水・千川上水を経由した多摩地域の下水処理水(3次処理水)が導入されているとのことで(すぎなみ環境情報館の環境マップ参照)、こちらの方が水量が増える主な原因であろうか。上流部とはどの辺か不明である。

左は大宮神社近くの御供米橋付近で撮った湧水の写真である(2010.1.4)。

写真の右側では護岸矢板の上部がくり貫かれて上に置かれた円板の下側から水がしたたり落ちている。左側では矢板の穴から勢いよくでている。

上流側から御供米橋に向かう途中、左側のように流れ落ちているところが何カ所かあった。

西荻窪駅から北銀座通りを北側に進むと、善福寺川にかかる関根橋に至るが、ここを左折して川沿いに上流に向け歩くと、5,6分程度で原寺分橋に着く。

次の写真は、原寺分橋のちょっと下流に見える湧水で、川底から湧いている。切り通し公園(井草川の水源があった)から帰る途中に撮ったものである。

管が垂直にさし込まれてあり、管から湧き出た水が渇水のとき川に流れ込むよう溝が切ってある。湧水の位置の目印とするためか、管の周囲に丸く溝に沿ってまっすぐに白っぽい石が並べてあるが、なかなかよいアイデアである。写真うつりもよくなっている。毎分1~3リットルの湧出量とのこと。

原寺分橋を左折すると、上り坂になるが、ここが地蔵坂である。坂の途中にある説明板によると、別名「御立場坂」「寺分坂」であるが、地蔵坂が一般的で、かつて坂の途中に地蔵堂があり、地蔵菩薩や庚申塔、馬頭観音などが祀られていたことに由来する。この関係は墨田区の地蔵坂と同じである(東向島の地蔵坂の記事参照)。

この坂には2年ほど前に来ているが、原寺分橋に着いたとき地蔵坂であることに気がついた。杉並区には坂名のある坂は少ないが、その一つである。

地蔵坂の説明板には、坂上の台地の先端部付近は地蔵坂遺跡と呼ばれ、旧石器時代の石器類などや、縄文早期の石器や土器が出土し、近くの荻窪中学校の校庭では井草期の住居址も発掘されているとある。このような遺跡と湧水は関係があるのだろうか。そういえば、御供米橋付近には大宮遺跡や松ノ木遺跡があり、井草川水源の近くに井草遺跡がある(杉並の妙正寺池~井草川緑道の記事参照)。

人が生活する上で水を必要とすることは太古のむかしから変わらない。
水を取り入れる技術や灌漑技術のない時代には、人々は水の得やすいところに居住するしかなく、このため湧水や川のそばに古代住居跡があるとの説明(村弘毅)に接し、湧水の近くに遺跡が存在することに納得がいった。

大昔の人々は湧出源やそこからの流れから生活に必要な水を得ていたのであろう。いまでも湧き出ている水はそのような過去から現在まで生き続けてきた生き物のように思えてくる。湧水はその土地の人間の歴史を想い起こさせる貴重な土地の記憶というべきものかもしれない。

参考文献
廣田稔明「東京の自然水124」(けやき出版)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
村弘毅「東京湧水せせらぎ散歩」(丸善)

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