東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

仙石山

2010年03月08日 | 散策

日比谷線神谷町駅の近くに桜田通りから西側へ虎ノ門5丁目方面に上る無名の坂がある。ここをまっすぐ上っていくと、広場のようなところにでる。三角状の変則的な四差路であるが、ここを直進しようとしたとき、その正面、広場の一角に小さな石碑が建っているのを見つけた。一年程前、愛宕山の辺りを散策した後のことである。

石碑には「仙石山 町會 防護團」「昭和十三年四月建之」と刻まれていた。

永井荷風は昭和2年(1927)秋に関根歌を壺中庵(こちゅうあん)と名づけた小家に囲ったが、そこが仙石山のふもとであった。

「断腸亭日乗」昭和2年10月21日にある「壺中庵記」に「西窪八幡宮の鳥居前、仙石山のふもとに、・・・、独り我善坊ケ谷の細道づたひ、仙石山の石径をたどりて、この庵に忍び来れば、・・・」とある。これから仙石山のおよその位置はわかるが、地図などにはまったくなく、かねてから疑問に思っていたところ、現地でそのしるしを見つけたのでうれしかった。わたしの街歩きにおける数少ない発見の一つである。この辺に住む人にとっては何ということでもないであろうが。

 「偶然のよろこびは期待した喜びにまさることは、わたしばかりではなく誰も皆そうであろう。」

荷風が砂町の南端で元八幡宮の古祠を枯蘆の中に偶然たずね当てたことを綴った「元八まん」の冒頭である。ささやかながらわたしもそうであった。まさしく誰も皆そうなのである。

ところで、防護団とは何だろうか。ネット検索によれば、防護団は昭和4,5年(1929,30)頃から軍部の指導により民間防空団体として各地に結成されたものらしく、昭和13年(1938)に消防団、防護団の統一が決定され、次の年に統一されて警防団となった(消防団の歴史参照)。要するに、戦前に戦争に備えてつくられた地域の防空団体らしい。仙石山の石碑は警防団に変わる直前に建てられたのであろう。

仙石山の由来は何かと思って、goo地図の江戸切絵図を見ると、神谷丁のとなりに仙石讃岐守の屋敷がある。この屋敷があって一帯が台地であったことによるのであろう。この地図には、仙石讃岐守の屋敷近くに八幡社普門院、ガゼンホウタニ、ガン木坂、市兵エ丁などがみえる。

石碑を右に見て進むと、我善坊谷坂の坂上にでるが、ここから荷風の偏奇館跡まではすぐである。この道が荷風が通った仙石山の石径かもしれない。

上の写真は1月に撮ったものであるが、石碑のさきから我善坊谷坂までの一帯で再開発工事が始まったようである。石碑はどうなるのであろうか。

参考文献
「荷風随筆集(上)」(岩波文庫)

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