防災講話 2014-02-18
東日本大震災の被災地からの震災の話、
防災の話をいろいろ聞いてきた。どこの
話も参考になり、こうあらねばならない、
こうあってはならないと思うことしきり
である。3/16日曜日に宮城県立石巻西
高校の斉藤校長の話を聞いた。軽い衝撃
を受けた。
私は磯子区災害ボランテイアネットワー
クの一員として、被災後、磯子センター
に災ボラセンターを立ち上げ、被災地を
助けるべくやってきてくれるボランテイ
アを受け入れ、保険を掛け、被災地から
の要請に応えてボランテイアを派遣する。
横浜市の場合、各居住地域は、避難所が
決まっていて、被災住民はそこに避難す
る。この様に被災に備えて何か準備万端
整っているような錯覚をしていた。
ところが斉藤先生の話を聞いてそれが
間違っている、いや、そうはならない
のではないかと思った。つまり、あの
ような大津波が来た場合は、大津波が
引いた後に、無事に残ったところが、
避難所になり、災ボラセンターになる。
そういう処しか、センターや避難所に
なり得ない。逆に言えばそうやって残っ
た処は、嫌でもそうなる。そうならな
ければいけない、と考えた。現に、石巻
西高校は、避難所になり、遺体安置所に
なり、検視所になっていた。自分の覚悟
の甘さを恥じた。斉藤校長、有難うござ
いました。