Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

平家物語-清盛の死-

2007-09-18 20:06:17 | Weblog
平家物語-清盛の死-             2007-09-18

さて安徳天皇の母方の祖父として君臨し、刃向う男共を
殺し或いは島流しにし、目障りならば絶世の美女も尼に
して隠居させた平清盛も、寿命には勝てません。しかも
満つれば欠くるは世の習い。平家の勢力も衰えてきます。
伊豆の頼朝、木曽の義仲などの東国の源氏の諸流が、
逆らってくるのは当然としても、西国熊野別当までもが、
源氏につき、清盛を悩ますようになる。

治承五年(1181)2月、後白河法王の宣旨により、清盛
の三男宗盛が大将軍となって坂東へ源氏追討の旅に
出掛けるその夜、清盛が病に倒れます。因みに法王は、
源氏には平家追討の宣旨を賜り、平家には、その逆で
無茶苦茶やってますが、まあ、要はどっちが強いのかな
と様子を見てます。これは現在でも、どこの国でも行われ
ていること。

では、清盛の死に様ですが、私たちはよく、中国の文学
上の表現が、白髪三千丈と大げさに表現することを教わ
りますが、どっこい平家物語も負けてはいません。以下は
Arui訳。

清盛が病気になると、食べ物はおろか、水さえも飲めなく
なった。そして高熱を発し、その熱さは、まるで火を焚く
ようであった。清盛の寝ている所から7~8m以内に近づく
者は、暑さに耐えられなかった。寝ている清盛が発する
言葉は「あたあた・・・・」のみであった。比叡山から千手
井の水を汲んできて石の舟に貯めて、そこで冷やしたら、
水はあっと言う間に沸き上がって湯になってしまった。
これならどうかと筧で水を送ってやると、石や鉄の焼けた
ところに、水を掛けた時のように、水を弾き飛ばし、まれに
当たる水は炎のように燃え上がり、そのために、黒煙が
殿中に満ち溢れ、火炎が渦巻いて上がった。

どうです?お前、ええ加減にせーよ、と言いたい位の大
げさではないでしょうか。後年、この様子を詠んだ川柳が
生まれました。

清盛の医者は裸で脈を取り。          お見事!

こんな状態が1週間ほど続き、奥方の二位様が、貴方
もう長くは無いわ。何か言い残すことはありませんか?
と聞くと、清盛、絶え絶えの息の下から:

自分は天下を極め、栄耀栄華も子孫に及び、思い残す
ことは何も無いが、唯一つ、伊豆の源の頼朝の首を見て
無いことが残念だ。自分が死んだら、堂塔を立てたり、
供養の行事をしようなどと考えなくて良いから、頼朝の
首を我が墓前に備えよと宣って、悶絶死する。

ここから原文です。
さしも日本一州に名をあげ、威をふるひし人なれども、
身は一時の煙となって、炎は空に立ちのぼり、かばねは
しばしやすらひて、浜の砂にたはぶれつつ、むなしき土
とぞなり給う。

諸行無常と言う訳ですな。これでようやく平家物語のだい
たい半分が終わりました。