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江戸時代、河川流域村々の中には退去・移住させられた村がある
例えば、利根川東遷や新利根川開削(弊ブログ2011年01月10日)による退去・移住
利根川上流・中流域や新利根川流域の人々は印旛沼湖岸沼沢地や笠神野に移住
その移住者を含む印旛沼沿岸35ヵ村は、1742(寛保2)年、村請で干拓工事にとりかかる
沼周り229町歩の谷戸・沼沢地-「埜地」151町歩・「水内」78町歩-の干拓を目指す
この村請工事は佐倉領主・堀田正亮時代(1746(延享3)年01月から始まる。)に竣工
時は移り、200~400年後の2010(平成22)年春03月
笠神野・物木の田圃、作業中の男性独り
近くに小型ユンボ、軽四輪トラック、杉板(写真1)
目を移すと、田圃に1条の溝(写真2)、笹竹(写真3)
はたして何の作業か
現場に着いて聞くと、次のように教えてくださる
今、水を抜く暗渠を更新している
米を作るので、排水を良くせねばならない
作業している田圃は、十数年前から耕作放棄でヨシやカヤが伸び放題
それでは周りが迷惑、景観も悪いので借りて掘り起こした
とにかく、ヨシやカヤを掘り起こすのは大変だった
そうだったのか、これが暗渠か、初見
男性は、暗渠の排水量を調整する水甲(L字型操作管)の取付けを始めた(写真2の排水路側に。弊ブログ2011年01月13日に続く)
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2009年03月13日 撮影地:千葉県印西市物木