![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/f5/b24c4ac7f119f5beb136621cac47977a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/bb/e9e8b1039a9dfc57cb7b37fcec1d336d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/94/ae6d8ac2a2916b129e4c456b5ca2722a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/1f/835e5ac3ac204ff83dab8c6b5355b4af.jpg)
![人気ブログランキングへ](http://image.with2.net/img/banner/banner_14.gif)
1.印旛沼の谷戸と用水・排水
ここは千葉県・印旛沼周りの南から北に開くU字型谷戸(写真1)
写真は谷戸の開口部から南の谷頭部を望む
右は西側・里山、左は東側・里山
U字型やV字型に刻み込まれた谷戸は印旛沼周りに散在
開口部の西側・里山の裾に物木集落(写真2に住宅が見える)
物木の対面・東側の里山との間に水田が南北に広がる
中央部に三面を土で設えた排水路(以下、中央排水路と記す。)が南北に通る(写真1)
水田で使われた水は、各水田の排水用暗渠⇒支線排水路⇒中央排水路⇒物木集水路の順に印旛沼へ流れ込む
支線排水路の一部が写真2に見える
この写真では、耕作放棄水田にヨシやカヤが生え、支線排水路を蔽う
中央排水路の水は、当地で、あるいは印旛沼までの下流域で、用水として再び使われることもある
たとえば、写真1に中央排水路からポンプアップする白い小屋・機場や赤いホースなどが見える
2.印旛沼の水は使えず、沿岸は排水不良・湿地
当地は印旛沼に近いこともあり、地下水位が高く、数十㌢掘ると水が滲み出す湿地
その様子は、写真3の水田に掘られた暗渠予定の溝に水が溜まっていることに知る
写真3は谷戸の開口部から成田線小林駅方面を望む
そもそも、当地を含む印旛沼周りは、江戸の昔から排水や洪水に悩まされた
また用水は印旛沼の水を使えず、雨水・天水や里山の湧水に依存し、不足に悩まされた
3.土地改良事業で用水・排水が円滑になる
この二つの悩みを解消したのが土地改良事業
たとえば、国営印旛沼干拓土地改良事業・国営造成土地改良施設整備事業・国営灌漑排水事業・千葉県営干拓地等農地整備事業など
事業の結果、当地の用水は印旛沼から取水され、次の順に配水される
1.谷戸を挟む里山の裾に各1本ずつ埋設されたパイプに配水される
2.そのパイプから中央排水路の方へ埋設されたパイプへ配水される
パイプは水田配列ブロックごとに埋設され、各水田に蛇口がある
3.蛇口を捻れば水が出る(写真4に塩ビ管と赤蛇口が見える)
一方、印旛沼へ流れ込む水は、規定水位に達すると印旛機場・酒直機場・大和田機場で利根川や東京湾へ排水される
また、利根川が増水すると印旛水門が閉じられ、印旛沼への逆流を防ぐ
この排水と逆流防止により、江戸期から悩まされた洪水被害は今のところない
4.利根川東遷
上記の排水と洪水被害には次のような前史がある
江戸湾(東京湾)に流れ込んでいた利根川は、印旛沼の北側を流れて銚子河口へ出る現在の河道(流路)に替えられた
16世紀末から約60年間かけて
この河道変更を利根川東遷と呼ぶ
次のような目的で
①東北地方などの物資を江戸へ運ぶ水路の整備
②流域に広がる低平地沖積平野の新田開発
③江戸の水害防止
④江戸北辺の防備
5.新利根川開削と失敗
東遷された利根川は、現茨城県北相馬郡利根町押付本田地先から霞ヶ浦への瀬替え(河道変更)が1662年(寛文2)に始まる
いわゆる、新利根川開削
次のような目的から
①下流域の水害防止
②印旛沼や手賀沼干拓のための水位低下
③鹿島灘~霞ヶ浦~利根川~江戸川の新舟運路開削
5年後の1666(寛文6)年に、新利根川は竣工し、利根川は狭窄部の布川~布佐で閉め切られる
しかし、新利根川は竣工3年後の1669(寛文9)年に押付本田地先の導水口を閉め切られる
新利根川は流路が直線で水深も浅く、水勢も強いので舟運には使い難く、また流域に水害を及ぼしたために
利根川は狭窄部(布川~布佐)の閉切りも撤去され、再び銚子河口へ流れ出す
一方、導水口を塞がれた新利根川は、翌1670年に小貝川から引水する用水路となる
6.将監川開削と印旛沼の遊水地化
新利根川が水害防止の機能を果たさなくなったので、将監川(しょうげんがわ)開削による印旛沼の遊水池化が進められる
1676(延宝4)年、将監川が掘削され、利根川流水の一部は印旛沼へ流れ込むようになる
掘削口は利根川狭窄部(布川~布佐)下流右岸の布鎌地先、字まけ俵(現千葉県印旛郡栄町)
それまでも利根川増水時には、利根川と長門川(印旛沼から利根川に流れ込む。)の合流部(字まけ俵より下流。)から印旛沼へ流入
7.印旛沼沿岸水害は昭和30年代まで続く
この印旛沼遊水池化などによる印旛沼沿岸の水害は約300年後の昭和30年代まで続き、農民や住民を悩ます
印旛沼沿岸の農民・住民には円滑な排水は一大悲願だった
上記諸事業などにより悲願成就
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2009年03月13日 撮影地:千葉県印西市物木