おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

農村の水4 湿田の暗渠排水に前史あり

2011年01月10日 00時00分00秒 | 農村の水
写真1

写真2

写真3

写真4


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1.印旛沼の谷戸と用水・排水
 ここは千葉県・印旛沼周りの南から北に開くU字型谷戸(写真1)
 写真は谷戸の開口部から南の谷頭部を望む
 右は西側・里山、左は東側・里山
 U字型やV字型に刻み込まれた谷戸は印旛沼周りに散在

 開口部の西側・里山の裾に物木集落(写真2に住宅が見える)
 物木の対面・東側の里山との間に水田が南北に広がる
 中央部に三面を土で設えた排水路(以下、中央排水路と記す。)が南北に通る(写真1)

 水田で使われた水は、各水田の排水用暗渠⇒支線排水路⇒中央排水路⇒物木集水路の順に印旛沼へ流れ込む
 支線排水路の一部が写真2に見える
 この写真では、耕作放棄水田にヨシやカヤが生え、支線排水路を蔽う

 中央排水路の水は、当地で、あるいは印旛沼までの下流域で、用水として再び使われることもある
 たとえば、写真1に中央排水路からポンプアップする白い小屋・機場や赤いホースなどが見える

2.印旛沼の水は使えず、沿岸は排水不良・湿地
 当地は印旛沼に近いこともあり、地下水位が高く、数十㌢掘ると水が滲み出す湿地
 その様子は、写真3の水田に掘られた暗渠予定の溝に水が溜まっていることに知る
 写真3は谷戸の開口部から成田線小林駅方面を望む

 そもそも、当地を含む印旛沼周りは、江戸の昔から排水や洪水に悩まされた
 また用水は印旛沼の水を使えず、雨水・天水や里山の湧水に依存し、不足に悩まされた

3.土地改良事業で用水・排水が円滑になる
 この二つの悩みを解消したのが土地改良事業
 たとえば、国営印旛沼干拓土地改良事業・国営造成土地改良施設整備事業・国営灌漑排水事業・千葉県営干拓地等農地整備事業など

 事業の結果、当地の用水は印旛沼から取水され、次の順に配水される
 1.谷戸を挟む里山の裾に各1本ずつ埋設されたパイプに配水される
 2.そのパイプから中央排水路の方へ埋設されたパイプへ配水される
   パイプは水田配列ブロックごとに埋設され、各水田に蛇口がある
 3.蛇口を捻れば水が出る(写真4に塩ビ管と赤蛇口が見える)

 一方、印旛沼へ流れ込む水は、規定水位に達すると印旛機場・酒直機場・大和田機場で利根川や東京湾へ排水される
 また、利根川が増水すると印旛水門が閉じられ、印旛沼への逆流を防ぐ
 この排水と逆流防止により、江戸期から悩まされた洪水被害は今のところない

4.利根川東遷
 上記の排水と洪水被害には次のような前史がある
 江戸湾(東京湾)に流れ込んでいた利根川は、印旛沼の北側を流れて銚子河口へ出る現在の河道(流路)に替えられた
 16世紀末から約60年間かけて
 この河道変更を利根川東遷と呼ぶ
 次のような目的で
  ①東北地方などの物資を江戸へ運ぶ水路の整備
  ②流域に広がる低平地沖積平野の新田開発
  ③江戸の水害防止
  ④江戸北辺の防備

5.新利根川開削と失敗
 東遷された利根川は、現茨城県北相馬郡利根町押付本田地先から霞ヶ浦への瀬替え(河道変更)が1662年(寛文2)に始まる
 いわゆる、新利根川開削
 次のような目的から
  ①下流域の水害防止
  ②印旛沼や手賀沼干拓のための水位低下
  ③鹿島灘~霞ヶ浦~利根川~江戸川の新舟運路開削
 5年後の1666(寛文6)年に、新利根川は竣工し、利根川は狭窄部の布川~布佐で閉め切られる

 しかし、新利根川は竣工3年後の1669(寛文9)年に押付本田地先の導水口を閉め切られる
 新利根川は流路が直線で水深も浅く、水勢も強いので舟運には使い難く、また流域に水害を及ぼしたために
 利根川は狭窄部(布川~布佐)の閉切りも撤去され、再び銚子河口へ流れ出す 
 一方、導水口を塞がれた新利根川は、翌1670年に小貝川から引水する用水路となる

6.将監川開削と印旛沼の遊水地化
 新利根川が水害防止の機能を果たさなくなったので、将監川(しょうげんがわ)開削による印旛沼の遊水池化が進められる
 1676(延宝4)年、将監川が掘削され、利根川流水の一部は印旛沼へ流れ込むようになる
 掘削口は利根川狭窄部(布川~布佐)下流右岸の布鎌地先、字まけ俵(現千葉県印旛郡栄町)
 それまでも利根川増水時には、利根川と長門川(印旛沼から利根川に流れ込む。)の合流部(字まけ俵より下流。)から印旛沼へ流入

7.印旛沼沿岸水害は昭和30年代まで続く
 この印旛沼遊水池化などによる印旛沼沿岸の水害は約300年後の昭和30年代まで続き、農民や住民を悩ます
 印旛沼沿岸の農民・住民には円滑な排水は一大悲願だった
 上記諸事業などにより悲願成就

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2009年03月13日 撮影地:千葉県印西市物木
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