写真1 旧栗橋町・北広島地蔵堂「農耕図絵馬」(焼失)。1880年(明治13)12月奉納。絵師:雲峰。当写真は旧栗橋町役場所蔵写真を2003年09月、筆者が撮影。旧栗橋町(現久喜市)は旧日光街道栗橋宿、利根川右岸・権現堂川右岸域
写真2 オークワ・大鍬を使うタオコシ・田起し。写真1-①の拡大(注1)。「絵馬と農具にみる近代」7頁(発行:板橋区立郷土資料館。発行日:平成2年11月3日)
写真3 オークワ・大鍬を使うタオコシ・田起し。写真1-②の拡大。「絵馬と農具にみる近代」7頁(発行:板橋区立郷土資料館。発行日:平成2年11月3日)
写真4 大鍬。①~②(犂床と犂身が一体):289㎝、③~④(犂轅・りえん):266㎝。②~⑤:95㎝。久喜市(旧鷲宮町)郷土資料館所蔵。2001年12月02日撮影。旧鷲宮町は旧栗橋町に隣接、中川右岸域
写真5 大鍬。幸手市民具資料館所蔵。2001年撮影。当市は旧栗橋町に隣接、旧日光街道幸手市宿、中川左右岸・江戸川右岸域
写真6 大鍬。大山民俗資料館(白岡市)所蔵。2001年12月02日撮影。白岡市は久喜市に隣接、元荒川左岸域
写真7 大鍬。春日部市郷土資料館所蔵。2001年12月01日撮影。当市は旧日光街道粕壁宿、中川左右岸・江戸川右岸域
写真8 大鍬。北川辺郷土資料館所蔵。2003年07月22日撮影。旧北川辺町(現加須市)は利根川を間に旧栗橋町に隣接、利根川左岸・渡良瀬川右岸域
写真9 大鍬。羽生市郷土資料館所蔵。2003年07月22日撮影。当市は加須市を間に旧栗橋町に隣接、利根川右岸域
写真10 大鍬系犂(注2)。戸田市立郷土博物館所蔵。2002年撮影。当市は荒川左岸域
写真11 大鍬系犂。朝霞市博物館所蔵。2002年01月13日撮影。当市は荒川右岸域
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既に、「江戸末期・明治初期 栗橋の絵馬は語る農作業の変化(1)」を弊ブログにアップ(注3)
そこでは、江戸末期、当地の農作業は長床犂を使う畜力段階に入ったことを知る
本日は埼玉県旧栗橋町(現久喜市)北広島・地蔵堂の「農耕図絵馬」に犂をみる(注4)
絵馬には「北広島村略図」の中に一連の水稲作業が描かれる
その一つ田起しに2頭の馬がそれぞれ犂を牽く(写真1の①・②)
犂は作土に突き刺さるような無床犂(写真2・写真3・注5)
馬の後方で犂を扱う人(シンドリ)と前方横で誘導する人(ハナドリ)の二人作業
現在、絵馬の無床犂に似る犂が近隣に保存されている(写真4~写真11)
それらの犂は①犂床が犂さきより長い短床犂、②犂床と犂身が一木造り(無床系)
したがって、絵馬の犂も一木造りの無床系短床犂と考えられる
上記から、江戸末期に長床犂を使う畜力段階に入っていた当地の農作業は無床系短床犂も使っていたことを知る
(次回は隣りの加須市の絵馬や掛軸に犂をみる)
注1 筆者が撮影した写真1の①及び②を拡大してもオークワ・大鍬を明示できない。それゆえ、「絵馬と農具にみる近代」7頁(発行:板橋区立郷土資料館。発行日:平成2年11月3日)の該当部を拡大したのが写真2及び写真3
注2 戸田市や朝霞市での呼称を明確にできないので大鍬系犂と記す
注3 弊ブログ2017年07月10日
注4 奉納者は北広島村53人、近在の村々22人、計75人を数える
注5 犂は犂床(接地面)の長さで無床犂、短床犂、長床犂に分けられる。その基準は、1920年刊・廣部達三著『廣部 農具論 耕墾器篇』(232-233頁)を援用すると次のよう。犂さき、犂床などは写真12、写真13を参照
無床犂:犂さき > 犂床
短床犂:犂さき ≦ 犂床 < 犂さき×3
長床犂:犂さき×3 ≦ 犂床
写真12 大鍬(写真8)の犂さき、犂へら。①~②:犂さきの長さ
写真13 大鍬(写真8)の犂床(接地面・①~②)、犂さき、犂へら。①~③は犂さきの長さ
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日・撮影地:上記