おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

蝶の恋  300秒プロローグ

2011年04月30日 08時13分22秒 | 昆虫

写真1 ベニシジミの交尾

交尾のプロローグ、ベニシジミ:写真2⇒写真9

写真2 写真3
写真4 写真5
写真6 写真7
写真8 写真9


人気ブログランキングへ ←ブログランキングに登録しています。もし、よろしければ、左のバナーをクリックしてください。ランク上昇に助かります。

 蝶が乱舞する気温15℃以上の春到来
 ここは中川右岸堤防、菜の花、オオイヌノフグリ、ホトケノザ、ヒメオドリコソウ、ヨモギ、タンポポなどが咲く
 その上をベニシジミ、モンシロチョウ、キチョウが飛んだり、とまったり

 蝶とて忘れてはない、やはり生き物、子孫をしっかり残す
 たとえば、ベニシジミのつがい
 地面に下り、約300秒間(筆者が撮り始めてから。)のプロローグがあり(写真2⇒写真9)、交尾(写真1)
 写真1~写真9は同じ個体
 学名:Lycaena phlaeas シジミチョウ科

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年04月10日 撮影地:埼玉県久喜市
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山郷 に 水稲 を 運んできた 久保田用水 < 農村 の 水 19 >

2011年04月29日 00時00分00秒 | 農村の水

写真1 黒川の久保田堰。写真右の水路が久保田堀。写真に案内者W氏とお孫さん

写真2 工事中の久保田堀。写真左奥は久保田堰の方向。写真左端に黒川が流れる。

人気ブログランキングへ ←ブログランキングに登録しています。もし、よろしければ、左のバナーをクリックしてください。

 2011年3月21日に紹介した栃木県鹿沼市板荷3区における協働の久保田用水路整備。水は、同じ板荷の黒川上流に設えられた久保田堰(写真1)で取水され、左岸の用水路を自然流下して来る。写真2の工事中のコンクリート用水路を経て、くだんの板荷3区の用水路へ、さらに下流へ。
 この工事地点が問題、錯覚させる。写真2の左右を見ると、この地点の標高は高い、黒川を見下ろしている。されど、水が自然状態で重力に抗うのは難しいはず。長い用水路で勢いをつけた水が一気呵成に流れ上がるのか、はたして如何に。
 聞くと、取水地点、すなわち久保田堰の方が標高は高い。なーるほど、錯覚だったのか、自然法則は貫かれているのだ。
 さらに聞くと、明治初年の建設時、ロウソクを水路敷設予定地に順に並べて点け、対岸・右岸の山から、標高、落差を測った。
 用水通水前、板荷は麦、稗、蕎麦、芋など畑作物が主食糧の山郷。そのため、村民有志140人が明治2年5月1日に日光県に働きかけ、同県開墾方権大属久保田譲之助の協力を得て同月26日に着工し、同年10月20日に竣工。悲願の水が流れるようになった。
 久保田譲之助の名をいただき久保田堰、久保田用水となり、明治41年11月1日、久保田堀普通水利組合が設立される。
 引用・参考文献等:『久保田堰竣工記念碑』
 謝辞:ご案内、ご教示くださったW氏に、あらためて感謝致します。
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年3月13日 撮影地:栃木県鹿沼市板荷
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マワリダイシ  江戸時代 から 受け継がれる 信仰行事

2011年04月28日 00時00分00秒 | 農村

写真1 共同墓地・祀祠の前、車座の女性たち

写真2 弘法大師石像を安置する祀祠・献花・先達が座った座布団・小石柱等


人気ブログランキングへ ←ブログランキングに登録しています。もし、よろしければ、左のバナーをクリックしてください。

 2009年3月28日土曜日、10時半に関東鉄道常総線・小絹駅(茨城県つくばみらい市・旧谷和原村)から歩き始め、小貝川を渡り、春耕期の田んぼ道を歩いていると、共同墓地前に座る女性たち(写真1)。
 花見にしては桜がない。なんだろー、と高まる胸の鼓動を感じつつ近づく。ビニール製ゴザに座る女性たちに、何の集まりですかと尋ねると、「ダイシサマ」、「マワリダイシ」、「お経をあげるとき来ればよかったのに」、「次の、どこかでお経をあげてるよ」などの答え。
 確かに、石像を安置する祠と献花、祠の横に白田と刻む小石柱、祠の前に座布団がある。すなわち、18人の老若女性は、白田(ハクダ)集落(茨城県つくばみらい市)の人たちで、祠前の座布団に座り、先達といっしょに拝み祈願した。その後の団欒、おしゃべりのひととき。
「ダイシサマのご縁」と一見の筆者にペットボトルのお茶をくださる。まさに仏心。

 マワリダイシを実施する真言宗の名刹清安山不動院板橋不動尊に拝聞すると次のようである。
 マワリダイシ(回り大師)は、江戸時代から受け継がれ、毎年3月25日~4月3日に、板橋不動尊の副住職が先達となり、旧谷和原村と旧伊奈町(ともに、現つくばみらい市)の集落にあるダイシサマ(弘法大師を祀る祠)を回り読経する。祀祠は屋内、屋外不問。参拝・祈願者の性別、年齢も不問。
 
 思うに、江戸時代に始まる信仰行事マワリダイシは、水稲の種播きや田耕起が始まる春さき、五穀豊穣・無病息災・家内安全を祈願し、「村」の絆-連帯感・共同性-を確認して来た。また、団欒や安息、交流や情報交換のひと時でもあった。
 とき・時代は流れても、マワリダイシは祈願の場であり、団欒や情報交換、世代間交流の機会であり、絆や帰属意識を確認する日である。
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2009年3月28日 撮影地:茨城県つくばみらい市
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅する鳥ムナグロ  胸黒く 白の縁取り 

2011年04月27日 00時00分00秒 | 野鳥

写真1 風上を向くムナグロ


写真2 黒い胸と白の縁取り、ムナグロ


人気ブログランキングへ ←ブログランキングに登録しています。もし、よろしければ、左のバナーをクリックしてください。

 4月、水を入れ始めた田んぼ
 なかに十数羽の鳥(写真1・写真2)
 胸は黒く、白の縁取り
 その名はムナグロ
 南方の越冬地と北方の繁殖地を春と秋に旅する鳥・旅鳥
 越冬地は東南アジア、オーストラリアなど
 繁殖地はシベリア、アラスカなど

 北へ帰る途中、埼玉県加須市柏戸の田んぼで羽休め(写真1・写真2)
 エネルギー補給

 学名:Pluvialis fulva チドリ科
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年04月10日 撮影地:埼玉県加須市(旧北川辺町)柏戸
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミズカ  洪水時 の 避難用建屋 < 農村 の 水 18 >

2011年04月26日 00時00分00秒 | 農村の水

写真1 屋敷に盛り土して建てられたミズカ(後述の分類で平地・低屋敷・無堀型)

写真2 微高地・自然堤防に立地する集落の屋敷に石垣を組み、建てられたミズカ(右端。後述の分類で微高地型)


人気ブログランキングへ ←ブログランキングに登録しています。もし、よろしければ、左のバナーをクリックしてください。

  湛水・水害常襲地の住民は、命を守るために、田畑など財産を守るために、知恵を出し合い、育んできた。その一つ、緊急避難用の建屋を紹介する。
 小型住宅は、洪水時の緊急避難と生活財確保のために、土盛りの上に建てられた。そこには、非常用生活財として米、麦、大豆、寝具、衣類、什器などが収納される。味噌など臭いのあるものは付属部屋に別納される例もある。
 この住宅は、利根川と渡良瀬川にはさまれた群馬県邑楽東部地域ではミズカ(水塚)、ミズヤ(水屋)、ダンクラ(段蔵)、ミズクラ(水倉)などと呼ばれ、江戸川と中川にはさまれた埼玉県吉川市域ではジンギョウ、ミヅカ、ミズヤ、クラなどと呼ばれる。ここではミズカと総称する。
 ミズカを筆者は次のように分ける。
  一つに、ミズカが平坦地に盛り土して建つか、自然堤防や旧堤防など微高地に建つか。平坦地型×微高地型
  二つに、平坦地のミズカは盛り土した一段高い屋敷に、さらに盛り土して建つか、それとも一段高くない屋敷に盛り土して建つか。高屋敷型×低屋敷型
  三つに、平坦地のミズカは屋敷やミズカの盛り土用に、屋敷の西北部に堀を掘り巡らしているか、否か。堀付型×無堀型
 以上を組み合わせてミズカのタイプが決まる。
 屋敷やミズカの盛り土用の堀を、群馬県板倉町など邑楽東部地域ではカマエボリと呼ぶ。また、同地域では盛り土にタツシマ(田島)といわれる田の中に残っていた畑の土なども使った。
 引用・参考文献:①『邑楽土地改良区事業史』38頁、邑楽土地改良区、昭和57年、②『吉川市史 民俗編』、521頁、吉川市、平成22年
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:写真1;2009年6月27日、写真2;2007年3月24日 撮影地:写真1;埼玉県久喜市、写真2;群馬県板倉町
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする