写真1 屋敷に盛り土して建てられたミズカ(後述の分類で平地・低屋敷・無堀型)
写真2 微高地・自然堤防に立地する集落の屋敷に石垣を組み、建てられたミズカ(右端。後述の分類で微高地型)
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湛水・水害常襲地の住民は、命を守るために、田畑など財産を守るために、知恵を出し合い、育んできた。その一つ、緊急避難用の建屋を紹介する。
小型住宅は、洪水時の緊急避難と生活財確保のために、土盛りの上に建てられた。そこには、非常用生活財として米、麦、大豆、寝具、衣類、什器などが収納される。味噌など臭いのあるものは付属部屋に別納される例もある。
この住宅は、利根川と渡良瀬川にはさまれた群馬県邑楽東部地域ではミズカ(水塚)、ミズヤ(水屋)、ダンクラ(段蔵)、ミズクラ(水倉)などと呼ばれ、江戸川と中川にはさまれた埼玉県吉川市域ではジンギョウ、ミヅカ、ミズヤ、クラなどと呼ばれる。ここではミズカと総称する。
ミズカを筆者は次のように分ける。
一つに、ミズカが平坦地に盛り土して建つか、自然堤防や旧堤防など微高地に建つか。平坦地型×微高地型
二つに、平坦地のミズカは盛り土した一段高い屋敷に、さらに盛り土して建つか、それとも一段高くない屋敷に盛り土して建つか。高屋敷型×低屋敷型
三つに、平坦地のミズカは屋敷やミズカの盛り土用に、屋敷の西北部に堀を掘り巡らしているか、否か。堀付型×無堀型
以上を組み合わせてミズカのタイプが決まる。
屋敷やミズカの盛り土用の堀を、群馬県板倉町など邑楽東部地域ではカマエボリと呼ぶ。また、同地域では盛り土にタツシマ(田島)といわれる田の中に残っていた畑の土なども使った。
引用・参考文献:①『邑楽土地改良区事業史』38頁、邑楽土地改良区、昭和57年、②『吉川市史 民俗編』、521頁、吉川市、平成22年
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:写真1;2009年6月27日、写真2;2007年3月24日 撮影地:写真1;埼玉県久喜市、写真2;群馬県板倉町