おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

なに、なさってんですか81 アオサの乾燥

2013年02月28日 00時00分00秒 | 漁業・漁村
写真1  写真2

写真3  写真4

写真5  写真6

写真7  写真8


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 2013年02月26日の当ブログで紹介した作業筏と防波堤を挟み、
 写真1のような場景が目に入る。
 お邪魔虫と思いつつ、中へ進む。
 進み見ると、右側に機械小屋(写真2)。
 下に記すアオサほぐし機と自動乾燥機が置いてある。
 ご夫妻と思しき人生ベテランのお二人と女性2人。
 黙々と作業中。
 アオサほぐし機を操作する人生ベテラン男性が丁寧に、
 アオサの乾燥までを次のように教えてくださる。
  1.作業筏でアオサを養殖網から外す。
  2.アオサの水分や汚れ、ゴミを作業筏の遠心分離機などで除く。
  3.遠心分離機で固まったアオサを写真3の機械でほぐす。
  4.ほぐしたアオサをパレットに広げる(写真4~写真7)。
  5.アオサを広げたパレットを自動乾燥機に入れる(写真8)。
 乾燥後のアオサは、株式会社桃屋の海苔佃煮「江戸むらさき」に加工される。

 引用・参考文献等:当ブログ2013年02月20日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2013年02月02日 撮影地:三重県志摩市志摩町和具・間崎島




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畑作土飛散防止には地域支援農業

2013年02月27日 00時00分00秒 | 農業

写真1 10:31 定点観測畑 麦を栽培。作土の巻上げ・飛散量は少ない


写真2 10:41 定点観測畑 全面に緑肥作物。作土の巻上げ・飛散量は少ない


写真3 10:44 定点観測畑 全面に緑肥作物、境界木の向こうは麦を栽培。作土の巻上げ・飛散量は少ない


写真4 10:27 農作物のない裸地畑の作土巻上げ・飛散、湯気のよう


写真5 10:50 飛散作土がビニールハウスの局面を移動。流体力学の実験のよう 


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1.畑作土飛散防止は冬季も作物を栽培すること
 2013年02月24日、視界を遮るほどの畑作土飛散、土埃(弊ブログ2013年02月25日
 その原因を考えるに、大きくは我が国の農業問題、身近には冬季の畑に作物がないこと
 作土を被い、巻き上がりや飛散を少なくする作物、たとえば麦や緑肥作物がないこと

 写真1、写真2、写真3は、上記02月25日に紹介した定点観測・撮影畑
 東北新幹線・JR宇都宮線の東側、自治医大駅近くにある
 いずれの畑も麦や緑肥作物で被われている
 写真4の作物のない裸地畑にくらべて飛散量は明らかに少ない
 このように、飛散防止には冬季、農作物を栽培して被うことが肝要

2.畑作土飛散防止は地域課題:住民が支援する農業の実践
 写真3のような青空、その下での飛散、土埃
 それを見る限り、農業者・農家だけに任せておけない、と思う
 地域の快適生活環境保全のために、住民が立ち上がるときが来た、の感あり

 そのためには、地域支援農業(Community Support Agriculture)がある
 農家の作物でなく、快適な暮らしを守り創る“住民の作物”の視点と行動
 住民が労働力や資金を拠出する地域支援農業で防止する
 どうでしょうか?

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2013年02月24日 撮影地:栃木県下野市
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あれ、なんだろー 作業筏に舟 間崎島

2013年02月26日 00時00分00秒 | 漁業・漁村

写真1 浮桟橋・作業筏に舟が横づけ。前方に賢島のホテル、真珠養殖筏。


写真2 アオサ網をコンテナ籠に入れて作業筏へ揚げる。


写真3 アオサ養殖網を作業筏に5籠揚げ終え、舟は養殖場へ。アオサを網から外す機械が見える。


写真4 アオサ舟、再びアオサ養殖場へ、真珠養殖筏の間を急ぐ。後ろに舟2艘曳く。


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1.小さな作業筏に舟
 2013年02月02日、間崎島船着き場で遇った人生ベテラン女性の一人、
 「にしい商店」のおかみさんにアオサ養殖場の所在を聞き、歩く。
 もう一人の人生ベテラン女性を急坂セコで追い越し、海岸へ出る。
 ほどなく、小さな浮桟橋・作業筏あり(写真1)。
 モーターボート型舟が横づけ、なにやら、3人が作業中(写真2)。

2.作業筏にアオサ養殖網を揚げる
 ”入っていいですかー”
 声が小さくて届かない、数回繰り返す私。
 やっと声が届く。
 防波堤と作業筏をつなぐ木板を下りる。
 アオサ養殖網を作業筏に揚げている。
 作業指示の声が飛ぶ。
 アオサ養殖網が入るコンテナ籠は重そう(写真2)。
 下ろし終え、再び養殖現場へ出舟(写真4)。
 写真3の手前に見える舟2艘を曳いている。
 作業筏には養殖網からアオサを外す機械が置いてある(写真3)。

 引用・参考文献等:当ブログ2013年02月20日同月18日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2013年02月02日 撮影地:三重県志摩市志摩町和具・間崎島
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畑作土飛散の中、前照灯を点ける東北新幹線、農業問題を照らす

2013年02月25日 03時40分00秒 | 農業

写真1 10:21 夕方のような土埃の中、前照灯を点ける東北新幹線上り電車。JR宇都宮線自治医大駅舎から撮る


写真2 11:16 土埃の中、前照灯を点ける東北新幹線上り電車。JR宇都宮線自治医大駅舎から撮る


写真3 10:45 JR宇都宮線の電車も土埃の中


写真4 10:47 東北新幹線・JR宇都宮線自治医大駅の西側。北西の強風に飛ばされる畑の土埃。東北新幹線などに吹きつける


写真5 11:42 東北新幹線・JR宇都宮線自治医大駅の東側。街は土埃の中。土埃が青空を隠す 


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1.厳寒期、東北新幹線や街を霞ませる土埃
 2013年02月24日10時18分
 いつもの農村歩き
 JR宇都宮線自治医大駅に降り、2階の改札を出る
 しかし、東北新幹線や街が土埃に霞んでいる(写真1~写真5)
 されど、土埃の上は青空(写真4・写真5)
 日本海側に雪を降らせた雲と季節風が日光おろしとなり、畑の土を巻き上げ、吹き飛ばしているため

2.厳寒期の土埃は農業問題
 定点観測の畑に生える麦を撮り、思い出す
 この畑の奥様に教えていただいた次の麦栽培理由を
   日光おろしが強く、埃が立つので麦を植えている

 すなわち、写真のような土埃は、麦など冬作物の栽培面積減少が一つの理由
 それゆえ、土埃は農業の問題や課題を我々に吹きつけている
 私は、土埃がひどいので歩くのを止める
 上記の自治医大近くの定点観測畑を撮り、帰途につく

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2013年02月24日 撮影地:栃木県下野市

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ウダツは上がりましたか?

2013年02月24日 00時00分00秒 | 施設等

写真1 住宅2階の両端に張り出す袖壁型ウダツ。ウダツの屋根は鬼瓦がのる本瓦葺き寄棟型。住宅の屋根も寄棟型


写真2 屋根2つのウダツ。1階から2階へ続いている。


写真3 ウダツ続く家並み


写真4 家により、ウダツの姿、形、瓦は違う、競う。


写真5 往時、藍商家近くを吉野川が流れ、川湊へ搬出入路が直接した。今、流路は南側へ移り、旧流路の一部は写真のように公園。


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1.脇町のウダツ
 2006年12月15日、四国三郎・吉野川の中流域、
 脇町(現美馬市)の南町に残るウダツ家並みを歩く。
  “なかなかウダツが上がらない”と云う、あのウダツ。
 南町のウダツは、建物の両端、1階屋根と2階屋根の間から張り出す袖壁型が多い。
 白漆喰の厚壁に本瓦や鬼瓦などを葺く小さな屋根がつく。

2.防火壁から財力誇示装飾壁へ
 そもそも、ウダツは防火壁として造られた。
 脇町は、1829年(文政12)、170軒ほどを焼く大火に遭った。
 その後、ウダツが増え、多くは藍商人が造った。
 藍商人は吉野川流域の徳島藩奨励の阿波藍を集め、
 海運拠点の撫養(現鳴門市)などへ送り各地へ販売した。
 藍流通に使われたのが、吉野川の川舟(帆を張る平田舟)と舟着き場・川湊(かわみなと)、
 あるいは撫養街道や伊予街道など陸運。
 当時、藍、塩、繭など物資の流通拠点となった川湊の一つが脇町の南町にあった。
 南町の藍商人は、江戸時代後期や明治時代に財力を増し、
 それを誇示するために、競って豪華なウダツを造った。
 すなわち、ウダツが上がった。
 しかし、1914年(大正3)3月、徳島~阿波池田の徳島本線が吉野川南岸に開通し、
 その後北岸の脇町は勢いを失う。

  *撫養街道は鳴門~脇町~阿波池田~川之江。
  *脇町と吉野川を挟む対岸、南岸には伊予街道(徳島~阿波池田~川之江)が通っていた。
  *吉野川の主な川湊:下流から第十、川島、岩津、脇町、貞光、半田、辻、池田。
   なかでも、川島、岩津、池田は良港で、宿屋、料理屋などが並んだ。

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2006年12月15日 撮影地:徳島県美馬郡脇町(現美馬市脇町)

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