新聞もTVも昨日から特集をしている。
震災時の事を思い出すと、どうしても夫の事とダブってしまう。
3月11日、私と夫は市役所の4階にいた。地震で揺れた時、直ぐに部屋から飛び出た人もいたが、私は、落ちて来るものが何もない部屋だったので、しばらく椅子に座って様子を見ていた。
夫が廊下に出たので、私も出たら、消化器が倒れて転がっていた。反対側の台の上に下がすぼまった、花が入った不安定な花瓶が、ひっくり返らないで鎮座していたのが不思議だった。
家に帰るとエレベーターが止まっていたので、6階まで階段を上がると、同じ階の男性がウロウロしていた。
「食器棚の食器が飛び出して割れて、入るのが怖い」 と言いながら。
私も家の中に入ったが、これといって被害はなかった。食器棚も本箱も、ちゃんと防災グッズが作動して扉は開いていなかった。
写真立てや、細かいものが落ち、文庫本用の腰高の本棚が10センチ程、前に出ていた。元にもどそうとしても、びくともしない。よく、本が飛び出ないで一緒に動いたものだと感心した。
そして、同じ月の28日月曜日に夫は入院した。二度と家に戻る事は叶わなかった。
そして、夫が亡くなったのは、5月22日5時33分。
どうして、11年とか、11日とか、22日とか、33分とか、同じ数字が並ぶのだろうと、娘と話している。
震災被害にあった沢山の人達が絶対に忘れられない年となった2011年は、私達家族にも絶対に忘れられない悲しい年となった。
夫にお灯とお線香をあげ、すべての亡くなった人々の冥福を祈る。
震災時の事を思い出すと、どうしても夫の事とダブってしまう。
3月11日、私と夫は市役所の4階にいた。地震で揺れた時、直ぐに部屋から飛び出た人もいたが、私は、落ちて来るものが何もない部屋だったので、しばらく椅子に座って様子を見ていた。
夫が廊下に出たので、私も出たら、消化器が倒れて転がっていた。反対側の台の上に下がすぼまった、花が入った不安定な花瓶が、ひっくり返らないで鎮座していたのが不思議だった。
家に帰るとエレベーターが止まっていたので、6階まで階段を上がると、同じ階の男性がウロウロしていた。
「食器棚の食器が飛び出して割れて、入るのが怖い」 と言いながら。
私も家の中に入ったが、これといって被害はなかった。食器棚も本箱も、ちゃんと防災グッズが作動して扉は開いていなかった。
写真立てや、細かいものが落ち、文庫本用の腰高の本棚が10センチ程、前に出ていた。元にもどそうとしても、びくともしない。よく、本が飛び出ないで一緒に動いたものだと感心した。
そして、同じ月の28日月曜日に夫は入院した。二度と家に戻る事は叶わなかった。
そして、夫が亡くなったのは、5月22日5時33分。
どうして、11年とか、11日とか、22日とか、33分とか、同じ数字が並ぶのだろうと、娘と話している。
震災被害にあった沢山の人達が絶対に忘れられない年となった2011年は、私達家族にも絶対に忘れられない悲しい年となった。
夫にお灯とお線香をあげ、すべての亡くなった人々の冥福を祈る。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます