金曜日の夜、サッカーの仲間からメールが来た。
「明日は、応援をお願いします。去年の倍返しで」と。
私は、「楽しい事は、牛タン食事だけとならないように応援してきます。」と返信して、その通りになってしまった。
東京駅で、久しぶりの人に会った。去年、ACLのオーストラリアの町中でも偶然会って話をした。昔、東京の一年目の頃、彼のホームページの掲示板は大賑わいだった。彼主催のオフ会や忘年会や、試合後の飲み会に大勢集まって楽しかった。FC東京が立ち上がった頃の、何もかもが楽しい頃だった。
私達は、彼にあだ名を付けたら、いつの間にか自分のハンドルネームとして使っていた。そして、いつ頃からか女性だけで応援するようになり、彼らとは疎遠になって行った。
仙台に、9時過ぎに着き、友達がどうしても行きたいと言っていた「仙台市博物館」へ、バスで行った。
そこでは、東日本大震災復興支援の「若冲が来てくれました」展をやっていた。
彼女とアウェイに行くと、博物館、美術館、仏像とか見に行く事が多い。私は、彼女の計画に付いて行くだけだが。
聞いてみると、お祖父様が画家だったとの事。だからなんだ。
私自身も、学生時代に油絵を描いていたので、嫌いではない。
仙台のスタジアムは、駅のそばなので行きやすい。スーパーでお弁当を買ってスタジアムへ向かった。
入り口で「いつもありがとうございます」と社長に迎えられて、席を確保。
食事をして、時間があるので席を立って歩いていたら、座っている人に名前を呼ばれて、「こんにちは。アウェイではよく会いますね。」といろいろ話をして別れたら、そばに立っていた人に名前を呼ばれた。
まア、何と久しぶりの人!
仙台生まれの仙台育ちで東京の大ファンの女性。私達は仙台支部長と呼んでいる。
彼女と知り合ったのは、昔、東京がJリーグに参加したJ2の時のお台場で開かれた第一回のビッグフレームスの会。
今も東京のファンでいてくれて嬉しい。
そして、11年の東北地震の時には、なかなか連絡が取れなくて心配した。やっと、彼女と電話が通じた時には、二人で泣きながら話をしたっけ。
そして、試合。
前半、「随分、飛ばしているけど、後半に疲れが出なければいいけど。ここで、1点取れるといいけどね」 と話していた。
後半に友達と、「ヒデトのパスミスが酷いね。相手に4~5回渡してない?」
話している時にも目の前で、私から見て右から入って来たボールを、柔らかく相手にヘッドで落とした。
「あ、又だよ!」
と言ったら、それを仙台がカウンターでアッという間に向こうに持って行き、ゴールを決められてしまった。
本当に、力が抜けて行く。
2失点目も、ドリブルカウンターで向こうへ走って行く仙台選手。その後を、追う徳永。
私達は、「長友みたいに、必死に走れ!」 と怒鳴っていた。
とっくんが、ゴールを守るデフェンス陣に任せるのではなく、せめて何とか追いつこうと必死に走る姿を見せて欲しかった。その点、加賀は必死に走っていた。
東くん、軽いプレーでは無く、もっと球際に泥臭く、カッコ悪くてもいいから、人にボールに行って下さい。
平山くん、凄く良かった。彼が入ってからゴール裏も盛り上がったし、勢いが出て来た。目の前のゴール前で迫力があった。それが、李くんのゴールにも繋がったのだろう。
昔は、直ぐに転んだり、見た目ノタノタ感があったけど、昨日は強くなってボールをキープしてくれるし、ゴールへ向いてくれる。
平山くんが、何か凄く逞しくかった。ほとんどを、私達の目の前でのゲームだったので、見ていて楽しかった。
結果的には負けてしまったけど、シュートが一本でも決まっていればなア…もう少しシュートが上手かったらなア…と。
どことの試合だったか忘れたけど、相手のたった1本のシュートを決められて負けてしまった事があった。ウチはそれなりにシュートを打っていたのに。
帰りは、期待の牛タン料理。
お食事券付きのJRの乗車券。車内販売のドリンク1杯サービス券も付いていた。これは、行きの新幹線の中でコーヒーを飲んだ。このドリンクサービスは女性だけだそうだ。
“伊達の牛たん本舗”というお店。同じチケットを持った青赤さん達が多数。
メニューを見たら2100円のコースだった。
美味しくて大満足。牛タンジャーキーのお土産付きだった。
負けた悔しさは何処へ行ったのだろう。
仙台駅でお土産を買って帰途に付く。沢山のお土産を持った青赤さん達がウロウロしていた。
駅のホームでカメラを構えて新幹線を待つ人が多いので、私もカメラを向けた。新しい新幹線。綺麗な色だ。
「明日は、応援をお願いします。去年の倍返しで」と。
私は、「楽しい事は、牛タン食事だけとならないように応援してきます。」と返信して、その通りになってしまった。
東京駅で、久しぶりの人に会った。去年、ACLのオーストラリアの町中でも偶然会って話をした。昔、東京の一年目の頃、彼のホームページの掲示板は大賑わいだった。彼主催のオフ会や忘年会や、試合後の飲み会に大勢集まって楽しかった。FC東京が立ち上がった頃の、何もかもが楽しい頃だった。
私達は、彼にあだ名を付けたら、いつの間にか自分のハンドルネームとして使っていた。そして、いつ頃からか女性だけで応援するようになり、彼らとは疎遠になって行った。
仙台に、9時過ぎに着き、友達がどうしても行きたいと言っていた「仙台市博物館」へ、バスで行った。
そこでは、東日本大震災復興支援の「若冲が来てくれました」展をやっていた。
彼女とアウェイに行くと、博物館、美術館、仏像とか見に行く事が多い。私は、彼女の計画に付いて行くだけだが。
聞いてみると、お祖父様が画家だったとの事。だからなんだ。
私自身も、学生時代に油絵を描いていたので、嫌いではない。
仙台のスタジアムは、駅のそばなので行きやすい。スーパーでお弁当を買ってスタジアムへ向かった。
入り口で「いつもありがとうございます」と社長に迎えられて、席を確保。
食事をして、時間があるので席を立って歩いていたら、座っている人に名前を呼ばれて、「こんにちは。アウェイではよく会いますね。」といろいろ話をして別れたら、そばに立っていた人に名前を呼ばれた。
まア、何と久しぶりの人!
仙台生まれの仙台育ちで東京の大ファンの女性。私達は仙台支部長と呼んでいる。
彼女と知り合ったのは、昔、東京がJリーグに参加したJ2の時のお台場で開かれた第一回のビッグフレームスの会。
今も東京のファンでいてくれて嬉しい。
そして、11年の東北地震の時には、なかなか連絡が取れなくて心配した。やっと、彼女と電話が通じた時には、二人で泣きながら話をしたっけ。
そして、試合。
前半、「随分、飛ばしているけど、後半に疲れが出なければいいけど。ここで、1点取れるといいけどね」 と話していた。
後半に友達と、「ヒデトのパスミスが酷いね。相手に4~5回渡してない?」
話している時にも目の前で、私から見て右から入って来たボールを、柔らかく相手にヘッドで落とした。
「あ、又だよ!」
と言ったら、それを仙台がカウンターでアッという間に向こうに持って行き、ゴールを決められてしまった。
本当に、力が抜けて行く。
2失点目も、ドリブルカウンターで向こうへ走って行く仙台選手。その後を、追う徳永。
私達は、「長友みたいに、必死に走れ!」 と怒鳴っていた。
とっくんが、ゴールを守るデフェンス陣に任せるのではなく、せめて何とか追いつこうと必死に走る姿を見せて欲しかった。その点、加賀は必死に走っていた。
東くん、軽いプレーでは無く、もっと球際に泥臭く、カッコ悪くてもいいから、人にボールに行って下さい。
平山くん、凄く良かった。彼が入ってからゴール裏も盛り上がったし、勢いが出て来た。目の前のゴール前で迫力があった。それが、李くんのゴールにも繋がったのだろう。
昔は、直ぐに転んだり、見た目ノタノタ感があったけど、昨日は強くなってボールをキープしてくれるし、ゴールへ向いてくれる。
平山くんが、何か凄く逞しくかった。ほとんどを、私達の目の前でのゲームだったので、見ていて楽しかった。
結果的には負けてしまったけど、シュートが一本でも決まっていればなア…もう少しシュートが上手かったらなア…と。
どことの試合だったか忘れたけど、相手のたった1本のシュートを決められて負けてしまった事があった。ウチはそれなりにシュートを打っていたのに。
帰りは、期待の牛タン料理。
お食事券付きのJRの乗車券。車内販売のドリンク1杯サービス券も付いていた。これは、行きの新幹線の中でコーヒーを飲んだ。このドリンクサービスは女性だけだそうだ。
“伊達の牛たん本舗”というお店。同じチケットを持った青赤さん達が多数。
メニューを見たら2100円のコースだった。
美味しくて大満足。牛タンジャーキーのお土産付きだった。
負けた悔しさは何処へ行ったのだろう。
仙台駅でお土産を買って帰途に付く。沢山のお土産を持った青赤さん達がウロウロしていた。
駅のホームでカメラを構えて新幹線を待つ人が多いので、私もカメラを向けた。新しい新幹線。綺麗な色だ。
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