今日は、びっくりちゃんこでした。
新人研修時代にグループ研修で集まった友達たちと、
全員で顔を会わせるのは半年振りくらいでしょうか、
ちゃんこ鍋で忘年会をしました。
今回の忘年会は、なんだか色んなびっくりが多くて、
その全てのびっくりを事前に知ってた私的には、
本人達が言うまでの、びっくり隠しが大変でした。
昔は8人中4人がひとつの寮に住んでたこともあり、
誕生会だなんだと、頻繁に会っていた私達ですが、
最近では、頻繁に会うことなく暮らしているわけです。
そして、それぞれがそれぞれなりに暮らしていく中で、
新しいなにかを手に入れてたりするわけです。
そういう変化が今回まとめて巻き起こって、
そこが、とっても面白かったですね。
色々一度に起こり過ぎ、発表し過ぎ感は満載ですが。。。
でもその変化は、実は誰にも近付いているもので、
私が引越し先探しを始めたように、
会社規定でみんなが寮を出る準備を始めていたりします。
そして溜まり場だった、
ひとつの寮に、誰もいなくなる。。。
これは実際に出てった後に淋しがるべきですが、
もう2ヶ月なんて単位になってくると、
やっぱり淋しいものだったりします。
ま、でも、どうあろうと、この繋がりは、
今後も淡々と続いていく気がします。
そして、それぞれ出会った頃と違う人生を背負いつつ、
出会った頃と変わらないままの話し方で、笑いあう。
10年経っても、20年経っても、きっと、
私はそれをチョット期待してたりします。
ホントに人に恵まれたなって思います。
個性豊かで、どこがどう繋がり合ってるか不思議なんですけど、
バラバラだからこそ、集まりたいんでしょうかね。
この集まりは常に楽しいです。
…と、そんな風に、
飲み会自体は面白く進行したんです。
でも、いつも必ず、
ひとつだけ気になる点があるわけです。
なぜか私にゲイ疑惑がでるんですよね、
この集まりだと、わりと頻繁に。
遊ぶのは楽ですし、楽しいですけどね、
男とかイヤですよ、気持ち悪い。
完全に無理です。ごめんなさい。
でも、こういうお話が冗談でも出るのは、私が女性に対して、
まるで押しの強さを出さないからでしょうかね。
いいように言えば、
紳士的にただ優しく接するだけで手を出さない、っていう。
というか、彼女が欲しい発言しつつも、
実際には、そこに直結する行動はしておらず、
他のことばっかりに気をとられてるように、
傍からは見えるからでしょうね。
傍からは。
実際のところ、陰でコソコソして、
コソコソのまま、泣いているのに。
私は一体、入社以来何人の女性に泣かされてきた、
というか、勝手に泣いてきたのでしょうか。
…なんて話は、清純派な私らしく、
ウダウダしないようにしてときましょう。
けど、そんな女性の移り変わりの話ばかりではないですが、
私の人生は、小さい円をいくつもいくつも描いて、
その集合体として、大きな円を描こうとしている気がします。
女性の話で言えば、ひとりの女性を愛し続けてく、なんてとこを、
実のところ、まるで考えてないのかなって。
その瞬間瞬間に変わっていく想いがあって、
悩むくらいなら手にしない方がいいやって。
女性に限らず全てに、その色合いが濃い気もします。
始めからコンパスのように軸を決めて円を描けば、
きっとキレイで大きな円が、いとも簡単に描けるんでしょうし、
その方がなによりも近道だってことは知っています。
けれど私は、コンパスの生き方をしばらく続けてたものの、
ふと立ち止まり、これは面白くないな、と軸を外してしまいました。
軸を持ち続けている人は、簡単に円の大きさを調節して、
いわゆる理想的な人生を送っていくんでしょう。
しかし、無軌道に小さく回り続けていく円は、
その行き先も、大きさもわからぬまま、
他の円との接点も少なく、進み続けていくわけです。
こんな風に生きたい、というよりも、
こんな風に生きちゃいました、なんて、
理想もなく、この先なにが起こるかわからないまま。
地に足がついてないだとか、この先どうするのだとか、
25歳にもなって言われるべきでない言葉をかけられたりもしますが、
そんなの知っててやってるタチの悪いヤツなんですから、
言い訳に逃げるだけです、いくらやり込めようとしても。
今、生きていられること、そのことが嬉しい、って思えれば、
軸を持つことが、なんか足かせになっちゃうかなって。
どこへでも行けるし、なにが正しいかなんてなくて、
プラスにもマイナスにもなれる、後のことは気にせず、
少し飽きたら、次の円に移ってしまえばいい。
毎朝起きるたびに違う自分で生きられます。楽しいことです。
…と言いつつも、将来的にはまた軸を持つことになるんでしょうけど、
まだ切れた凧のように風に任せて、色んなものを見て回りたいですね。
ひとしきり見て回って、どんな円を描きたいかが見つかったとき、
軸を持ったときにきっと、ゲイ疑惑が消えるんじゃないでしょうか。
今はまだ、目標に生きる自分でなく、
目標を見つけるために生きている自分なのです。
そんな男に女性が魅力を感じないのも知ってますけど、
君を知ることよりも、生きていること、
ただそのことが、今は嬉しいんです。
こんな風に思うなんて、もうすぐ死ぬのかもしれませんね。
ま、それもそれでしょう。
いい出会いもありましたしね、悔いはないです。
みんなに、どうもありがとう。
…と、なんだか話が完全に外れましたが、
ちゃんこ鍋飲み会から、こんな風に話が発展するなんて、
そっちの方が、なによりもびっくりです。
でも、こう暗い風に書くと、わりとみんな本気にして読むのが、
なによりも楽しいんですよね。
楽しがっちゃ性格悪いですけど。
これは、昔から疑問なんですけど、
負の感情っぽいところを見せると、それが本音だなんて、
そんな迷信に、やられてる人が多いのはなぜなんでしょうね。
壮大な冗談かもしれないのに。
もうそういうのは、
悪い風邪ですよ、早く治しましょうね。
すべてはホントでウソかもね、って言葉が人の、
いや、少なくとも私の感情の全て言い当ててる気がします。
そんなポジション取りでひょうひょうとしつつ、
バシバシ殴られ蹴られまくる、Mキャラな私なわけですが。。。
殴られ蹴られて、痛い、って感情も、
やっぱり生きてるって思えて、つい笑顔になってしまいます。
ごっつあんです。にばいにばい。
新人研修時代にグループ研修で集まった友達たちと、
全員で顔を会わせるのは半年振りくらいでしょうか、
ちゃんこ鍋で忘年会をしました。
今回の忘年会は、なんだか色んなびっくりが多くて、
その全てのびっくりを事前に知ってた私的には、
本人達が言うまでの、びっくり隠しが大変でした。
昔は8人中4人がひとつの寮に住んでたこともあり、
誕生会だなんだと、頻繁に会っていた私達ですが、
最近では、頻繁に会うことなく暮らしているわけです。
そして、それぞれがそれぞれなりに暮らしていく中で、
新しいなにかを手に入れてたりするわけです。
そういう変化が今回まとめて巻き起こって、
そこが、とっても面白かったですね。
色々一度に起こり過ぎ、発表し過ぎ感は満載ですが。。。
でもその変化は、実は誰にも近付いているもので、
私が引越し先探しを始めたように、
会社規定でみんなが寮を出る準備を始めていたりします。
そして溜まり場だった、
ひとつの寮に、誰もいなくなる。。。
これは実際に出てった後に淋しがるべきですが、
もう2ヶ月なんて単位になってくると、
やっぱり淋しいものだったりします。
ま、でも、どうあろうと、この繋がりは、
今後も淡々と続いていく気がします。
そして、それぞれ出会った頃と違う人生を背負いつつ、
出会った頃と変わらないままの話し方で、笑いあう。
10年経っても、20年経っても、きっと、
私はそれをチョット期待してたりします。
ホントに人に恵まれたなって思います。
個性豊かで、どこがどう繋がり合ってるか不思議なんですけど、
バラバラだからこそ、集まりたいんでしょうかね。
この集まりは常に楽しいです。
…と、そんな風に、
飲み会自体は面白く進行したんです。
でも、いつも必ず、
ひとつだけ気になる点があるわけです。
なぜか私にゲイ疑惑がでるんですよね、
この集まりだと、わりと頻繁に。
遊ぶのは楽ですし、楽しいですけどね、
男とかイヤですよ、気持ち悪い。
完全に無理です。ごめんなさい。
でも、こういうお話が冗談でも出るのは、私が女性に対して、
まるで押しの強さを出さないからでしょうかね。
いいように言えば、
紳士的にただ優しく接するだけで手を出さない、っていう。
というか、彼女が欲しい発言しつつも、
実際には、そこに直結する行動はしておらず、
他のことばっかりに気をとられてるように、
傍からは見えるからでしょうね。
傍からは。
実際のところ、陰でコソコソして、
コソコソのまま、泣いているのに。
私は一体、入社以来何人の女性に泣かされてきた、
というか、勝手に泣いてきたのでしょうか。
…なんて話は、清純派な私らしく、
ウダウダしないようにしてときましょう。
けど、そんな女性の移り変わりの話ばかりではないですが、
私の人生は、小さい円をいくつもいくつも描いて、
その集合体として、大きな円を描こうとしている気がします。
女性の話で言えば、ひとりの女性を愛し続けてく、なんてとこを、
実のところ、まるで考えてないのかなって。
その瞬間瞬間に変わっていく想いがあって、
悩むくらいなら手にしない方がいいやって。
女性に限らず全てに、その色合いが濃い気もします。
始めからコンパスのように軸を決めて円を描けば、
きっとキレイで大きな円が、いとも簡単に描けるんでしょうし、
その方がなによりも近道だってことは知っています。
けれど私は、コンパスの生き方をしばらく続けてたものの、
ふと立ち止まり、これは面白くないな、と軸を外してしまいました。
軸を持ち続けている人は、簡単に円の大きさを調節して、
いわゆる理想的な人生を送っていくんでしょう。
しかし、無軌道に小さく回り続けていく円は、
その行き先も、大きさもわからぬまま、
他の円との接点も少なく、進み続けていくわけです。
こんな風に生きたい、というよりも、
こんな風に生きちゃいました、なんて、
理想もなく、この先なにが起こるかわからないまま。
地に足がついてないだとか、この先どうするのだとか、
25歳にもなって言われるべきでない言葉をかけられたりもしますが、
そんなの知っててやってるタチの悪いヤツなんですから、
言い訳に逃げるだけです、いくらやり込めようとしても。
今、生きていられること、そのことが嬉しい、って思えれば、
軸を持つことが、なんか足かせになっちゃうかなって。
どこへでも行けるし、なにが正しいかなんてなくて、
プラスにもマイナスにもなれる、後のことは気にせず、
少し飽きたら、次の円に移ってしまえばいい。
毎朝起きるたびに違う自分で生きられます。楽しいことです。
…と言いつつも、将来的にはまた軸を持つことになるんでしょうけど、
まだ切れた凧のように風に任せて、色んなものを見て回りたいですね。
ひとしきり見て回って、どんな円を描きたいかが見つかったとき、
軸を持ったときにきっと、ゲイ疑惑が消えるんじゃないでしょうか。
今はまだ、目標に生きる自分でなく、
目標を見つけるために生きている自分なのです。
そんな男に女性が魅力を感じないのも知ってますけど、
君を知ることよりも、生きていること、
ただそのことが、今は嬉しいんです。
こんな風に思うなんて、もうすぐ死ぬのかもしれませんね。
ま、それもそれでしょう。
いい出会いもありましたしね、悔いはないです。
みんなに、どうもありがとう。
…と、なんだか話が完全に外れましたが、
ちゃんこ鍋飲み会から、こんな風に話が発展するなんて、
そっちの方が、なによりもびっくりです。
でも、こう暗い風に書くと、わりとみんな本気にして読むのが、
なによりも楽しいんですよね。
楽しがっちゃ性格悪いですけど。
これは、昔から疑問なんですけど、
負の感情っぽいところを見せると、それが本音だなんて、
そんな迷信に、やられてる人が多いのはなぜなんでしょうね。
壮大な冗談かもしれないのに。
もうそういうのは、
悪い風邪ですよ、早く治しましょうね。
すべてはホントでウソかもね、って言葉が人の、
いや、少なくとも私の感情の全て言い当ててる気がします。
そんなポジション取りでひょうひょうとしつつ、
バシバシ殴られ蹴られまくる、Mキャラな私なわけですが。。。
殴られ蹴られて、痛い、って感情も、
やっぱり生きてるって思えて、つい笑顔になってしまいます。
ごっつあんです。にばいにばい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます