「フランスと日本の塩のちがい」 佐藤 鷹
ミディ運河が塩税徴収官のピェール=ポール・リケによって構想されたという話が出た。豊富な工学的知識を有していたにせよ、彼が塩税徴収官という立場からこの運河を構想したという事実には驚くばかりである。ただ私が少々気になったのはこの“塩税”ということばで、日本ではあまり耳慣れないものである気がする。大西洋、地中海間の貨物輸送時間の大幅な短縮を可能にした同運河が大変に素晴らしいものであることは承知の上で、ここでは少し脇道に逸れて、“塩税”からはなしを広げ、フランスと日本の塩のちがいについて述べたいと思う。
この塩税とは、世界的には古来より見られた税種の1つであって、いわば塩のみにかかる消費税のようなものだった。これを特に「ガベル」と呼んだフランスでは、その税率に地域的な格差があり、高い税率負担の地域もあれば、完全に免除されるところもあったため、それだけ塩税が、国民の貧富の差を過度に拡大させてしまうような、非常に大きな影響を与えるものであったようである。フランスにとって塩は金銭的意義を持つものであったと言えるだろう。だからこそ、と言っていいのかもしれないが、かのフランス革命の原因の一つに、長年にわたり蓄積された国民の塩税に対する不満があった。国民議会はそれを受けてやむなく塩税を廃止したのであったが、14世紀後半の最初の導入から1790年の廃止まで、実に400年以上にわたって塩税制度がフランスには存在したということになる。フランス語の“salaire:給料”(英語の“salary”)がラテン語の“salarium:塩”に由来するという事実もまた、塩に対して金銭的意義を見出すというような土壌が垣間見えるようである。
我が国ではというと、島国だからと言って塩が軽んじられたような気配はない。実際、海に面する地域と内陸を結ぶ「塩の道」と呼ばれる道があって(千国街道や三州街道)、内陸部にとっては大変に貴重なものであったことは間違いないだろう。川中島の戦いのある逸話から生まれた「敵に塩を送る」という諺も、武田方が内陸の甲斐の国を拠点としていたからこそ成立していると言えるかもしれない。しかしながら、日本においては、塩税というものが存在しなかった。正確に言えば存在したが、日露戦争の戦費調達のため、明治38年に塩専売法の公布から施行までの凡そ6か月間だけ行われただけであった。また上代には塩そのものを税として納めた時代があったのだが、それも租庸調の庸(兵役)の代替措置として一部行われたくらいである。だから我が国においては、塩というものに然程金銭的意義は見られないと考えられる。
金銭的意義を持たない、とするならば、我が国における塩が持つ意義とは何か。私は神秘的意義だと結論したい。清めの塩や盛り塩がその代表例である。清めの塩は葬送儀礼において厄除けのような存在を果たし、また盛り塩は日常の一般家庭において、縁起担ぎで置くところも多い。さらに、一般に日本の国技とされる相撲でも、力士たちは土俵上で塩をまく。ただ三段目以下の力士は塩をまくことができないため、力士たちにとって塩をまくという行為は、五穀豊穣を願う神聖な土俵という場所で一人前の力士として活躍するというある種の神秘性を感じるものでもあろう。したがって日本においては、こうした塩の神秘性は無視できないと考える。
以上、フランスと日本の塩のちがいであった。フランスでは金銭的意義、日本では神秘的意義があると思う。ただどちらにせよ両国においては、塩というものが国民生活や文化に深く浸透し、影響を与えてきたことは疑いようのない事実であろう。塩というものが全人類に欠かせないミネラル源であることには違いないが、その背後の意味が異なるのは非常に興味深いと思う。食卓に並ぶ調味料一つにこうした世界が広がっていようとは思わなかったが、他の事柄についても別の視点で見てみると面白いかもしれない。
参考文献
源気商会「フランス革命と塩」
https://genkishoukai.com/blogs/salt-talk/post-46
wikipedia「塩税」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E7%A8%8E
国税庁「塩と税務署」
https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/network/206.htm
(全て2021年12月11日閲覧)
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