何年続けているのでしょうか。学部3年生の秋学期に、各教員が提供する少人数ゼミがあり、テーマは教員が自由に設定、回数は4回。
私はずっと、「人間学とリーダーシップについて考える」です。これは、師匠の岡村甫先生がやっておられて私が学部3年生のときに受講した少人数ゼミと同じタイトルです。
私のゼミでは、「7つの習慣」の第三の習慣までを必読の課題図書とし、あとは学生たちとの議論の中で様々な図書を紹介したりしてきました。どこまで議論が深まるかは、受講する学生たちの思考の深さや真剣さなどによりますが、私にとっては毎年、楽しい真剣な時間です。
以下、今年の3名の受講生のレポートをそのまま掲載します。
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一人目:大倉 風芽
普段、日本で生活していると水道や電気とインフラからショッピングやレジャーに至るまでお金さえあればほとんど不自由を感じることなく生きていくことができる。このような昔の人からすれば天国のような生活を現代の日本ではできているわけだが、現状でこんなに不自由を感じることがないのにこれ以上何を求めるのかという思いや、これから先、自分の人生を賭けて取り組むべきことは何かということ、これから少子高齢化で先が見えない中でいつまでこの生活が続くかという危機感など手放しで喜べることばかりではないと感じている。私は地方から都会に移り住んでから特に、自分の生き方や目標が日々ぼやけていき、場当たり的に課題やバイトをこなすというような生活を送っていたのではないかと振り返ってみると感じていた。そんな中でこの講義では他では感じることのないような非常に大きな刺激を受けることができた。
その中でも特に印象に残ったのが自由についての「自由とは、なにかをなしたい要求、なにかをなしうる能力、なにかをなさればならぬ責任」という1文である。
今までの自分の生活を振り返ると俗に言うような無制限になんでもできる自由よりも、能力や責任というような制約のもとでいかに要求を満たすかということを考えていた時の方がその時は不自由さを感じていても後から振り返ってみると充実した自由な時間だったと感じることが多く、この意見はとても腑に落ちるものだった。また、このような真の意味での自由を手にするためには金や人間関係、家族、仕事といった個々の要素や、自分自身の持つ1つの役割だけでなく、原則のような広くゆがみのない視点、あるいは古くから日本に存在する絡合のような視点が必要であり、それに沿ったような自然な生き方をしていく必要があると感じた。
また、絡合という考え方が古くから日本にあり、個人ではなく群れとして生き残っていくことを考えていたということもとても興味深いと感じた。現在の社会を見渡すと個人主義が跋扈し、未婚率も高まりつつあるなど社会全体として群れや家族という価値観が失われつつあるが、このような自然に逆らうような変化が続くとは思えない。技術や社会の変化が大きい時代だからこそ人間同士の結びつきをより重視していくべきではないだろうか。
一方で、ゼミでもう少し議論をしたいと感じる点もあった。それは第1の「習慣の刺激と反応の間」に取り上げられている内容である。この章では社会で広く受け入れられているという遺伝子決定論や心理的決定論、環境的決定論を自己達成予言だと断じており、第二次世界大戦中のナチスドイツのホロコーストを生き延びたフランクルを例に「何が起ころうとも、それが自分与える影響を自分自身の中で選択することができる」「刺激と反応の間には選択の自由がある」ということを述べているが努力と遺伝の割合に関する研究結果や近年増えている社会的弱者が道連れを狙って行う犯罪などを考えれば、多くの人にとって、刺激と反応を切り離して考えることは難しいため、厳しい現実を直視し受け入れたうえで何を目指し、どう生きていくかを考えながら過ごすほうが良いのではないだろうか。
ミッションステートメント
この講義を通して学んだことを基に今の自分の立場や役割を考え、ミッションステートメントを立てました。
・自分が生れた時代、地域、家庭環境などすべてに何かしらの意味を見出し、成長の糧にする。
・家族、地域、国家の中で脈々と引き継がれる価値の恩恵を受けている身として、それを何らかの形で維持・強化して次の世代に引き継げるようにする
・学生として自分の未熟さ、至らなさを自覚し謙虚に勉強や人付き合いを行う。
・常に「今、この瞬間の利益」と「10年後、100年後の利益」の両方を考え、最善の決断をする力を養う。
・自分の後に続く人が現れるような生き方をする。
今20代で学生の私が思いつくようなことのほとんどは後数年もすれば変わっているかと思いますが、それでも大きくは変わらないであろう自分の生まれや最終的に自分が死んでから続いてくれる人が現れるかという視点で考えました。
どんな目標でも考えるだけ、書くだけでは意味がないので日々の生活に落とし込んでいき、継続して実践したいと思います。
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二人目:小野寺 一馬
「主体的な人生を実現するためには」
はじめに
最近、書店では成功するためのバイブル本のようなものを多く見かける。実際に私自身もそのような本を何冊か読んだ時があるが、そこでは成功するために自分の社会的イメージを重要視しており、取るべき態度や行動、時には人を操るようなテクニックが書かれているものがほとんどである。「7つの習慣 人格主義の回復」では、このような状態を個性主義と呼んでいる。私たちのゼミでは、この「7つの習慣 人格主義の回復」を通して感じたことを議論の中心としていた。この本を読むまでの私は、個性主義的な考えに固執していた。社会的に成功を得るためには上記のような個性主義的なスキルを磨く事が第一優先だと思っていたし、そのテクニックを実践したりもしていた。しかし、この本の内容では人格主義と呼ばれる人間の内面にある人格的な部分の重要性について説いている。今回は読書や議論を通して考えたことをレポートとしてまとめる。
人格主義
「人格主義の土台となる考え方は、人間の有意義なあり方を支配する原則が存在するということである。自然界の存在する引力の法則などと同じように人間社会にもまた、時間を超えて普遍であり異論を挟む余地のない、普遍的にして絶対的な法則があるのだ。」
上記は、この本を定義づける重要な一文である。人間が社会の中で成功を得るためには人格主義に目を向け、原則に沿って自分の内面に向き合うことが最重要なのである。原則は人間の条件、良心、自覚の一部となっているともいえる。以下に原則を列挙する。
・公正…平等と正義の概念の土台になっている。
・誠実、正直…協力関係や長続きする人間関係、個人の成長に不可欠な信頼の土台となる。
・人間の尊厳…アメリカ独立宣言の基本的な考え方の土台になっている。
・可能性…私たちは常に成長することができ、潜在する能力を発見、発揮し、さらに多くの
才能を開発できる
・忍耐、養育、励まし…潜在能力を発揮し、才能を開発するプロセスの中で必要な原則
・この他にも、奉仕・貢献・本質・美徳、といった原則がある。
原則は、価値観とは異なる。私は初め、原則とは人の生活の中から生まれるものだと勘違いしており、この原則と価値観を混同して考えてしまっていた。人間が自然の中で、自然の法則に逆らいながら生命を維持できないように、原則もまた、人間社会に存在する法則である。人間は社会の中で人と関わりながら人生を営むことを「生きる」という。原則に逆らいながらも生物として生命を維持することは可能だが、社会の中で「生きて」いくには、原則に沿って生活を営む必要がある。原則中心の生活というのは、何も特別なことではなく、人間を人間たらしめる根幹に極めて則った、自然的な生き方なのである。
主体的に生きる
人生は率先力を発揮し、主体的に生きてこそ、自分の人生に責任と誇りを持つことができる。人間と動物の決定的な違いは、「自覚」である。自分という個人を客観視することができる能力が、人間という種が大きく繁栄した大きな要因であった。人間は社会という場の中で、現代の社会通念や世論、周りの人の考え方にしばしば影響を受ける。これらは社会通念の鏡と呼ばれ。この社会通念の鏡のみを通して自分自身を見つめてしまうと、自分自身を歪んだ形で見つめることになる。本の中では、現状3つの社会的な地図-決定論-によって人間の本質が説明されることがほとんどだと言われている。1つ目の地図は、遺伝子的決定論である。これは個人の肉親の性格や性質が遺伝子的に個人に受け継がれているとするものだ。2つ目の地図は、心理的決定論である。これは、育ちや子供時代の体験や経験が個人の性格、人格を作っているというものだ。3つ目の地図は、環境的決定論である。上司、配偶者、子供、あるいは世界情勢や国の政策といった、個人を取り巻く環境の中にある何かが個人の現在を作っているというものだ。これら3つの地図はどれも、刺激/反応理論と呼ばれる、特定の刺激に対して特定の反応を示すように条件づけられているという定義に基づいて説明されている。しかし、実際には刺激と反応の間に選択の自由がある。どのようなことが個人のみに起こっても、それが個人に与える影響を個人自身が選択できるのだ。そして、その選択の自由の中にこそ、人間を人間たらしめる4つの能力、自覚・想像・良心・意思がある。自覚とは、自分自身を客観的に見つめる能力である。想像とは、現実を超えた状況を頭の中に生み出す能力である。良心は、心の奥底で善悪を区別し、自分の行動を導く原則を意識し、自分の考えと行動がその原則と一致しているかどうかを判断する能力である。意思とは、他に存在するさまざまな影響に縛られずに自覚に基づいて行動する能力である。こうして刺激を受け、自分でその刺激から得るものを選択して反応するというのが主体的に生きるということなのだ。私自身も、3つの社会的な地図によって他人の性格を推し量ることが度々あった。自分自身では、刺激と反応の間に、選択の自由が生まれているのを分かっていながら、他人を推し量る際には、社会通念の鏡を通して見ていたのだ。あるいは自分自身を見つめ直すうえでも、そうだったかもしれない。社会通念の鏡を通して自分を判断するというのは、ある種の無責任である。自分自身の人生は、周りの影響によって左右されるというのは、例えば自分が何か重大な失敗をしてしまったときに、周りのせいにすることである。無責任な人というのは社会の中にも存在するが、それは選択の自由を放棄した至って人間的でなく動物的な反応なのだと思った。そうして考えてみると、主体的に生きるというのが、本来人間が生きる道であるのだと思い知らされる。もう一つ、主体的に生きるということを考える手段として、関心の輪/影響の輪というものが紹介されている。自分の関心をもっていることを関心の輪として記し、その中でも自分が影響を与えることができる領域を影響の輪とする。この影響の輪を自分で広げていくことができるのが、ポジティブで主体的な生き方と言える。反対に関心の輪ばかりに労力をかけることは、反応的で動物的な生き方であり、それによって自分自身の人生の幅が狭まってしまうのは分かり切ったことだろう。
人生の終わりを思い描く
私は、この横浜国立大学に入学するための受験勉強の際に人生の終わりについて考える機会が多かった。自分の命が尽きる時、自分は何を感じて死ぬのだろう。どのような時間を過ごしたら後悔しない人生を送ることができるのだろう、ということを毎日考えていた。この本でも記述されていたが、人生の設計図を作るというのは、自分にとっての成功がどこにあるのかを知る方法の1つであり、とても重要なことである。本では、「終わりを思い描くことから始める」習慣は、すべてのものは二度つくられるという原則に基づいている。すべてのものは、まず頭の中で想像され、次に実際にかたちあるものとして創造される。第一の創造は知的創造、そして第二の創造は物的創造である。ということが記述されている。家を建てる時も、設計図を図面に書き起こし、設計計画を立ててから実際に施工を始める。そうしなければ、変更が重なり施工費用が2倍に膨れ上がることもあるし、思い通りの家ができないことだってあるだろう。こうして、第一の知的創造を経て綿密な計画を立てることで、第二の創造の質も大幅に向上する。人生の終わりを思い描く、つまり最終的な目標を立てるのは、家の設計図を描くのと同じことであり、施工は日々の目標を達成しながら生きていくことと同じことである。普段の生活ばかりに目を向けているのは、いきなり第二の物的創造をしていることになる。すべてのものは二度つくられるという原則を常に意識し、第一の知的創造を欠かさないことが、人生を主体的に生きることにも直結するのである。人生の終わりを思い描く、知的創造の中には、個人のミッション・ステートメントを作ることが有効である。ミッション・ステートメントは原則中心で成り立つものであり、それゆえに個人のミッション・ステートメントは個人の憲法と成りえる。憲法は生きていく上で最も基本的な土台となるものであり、自分の成長の度合いによって、より良いものに磨きがかかっている。人は誰でも自分の中心を持っている。大抵は普段はその中心を意識していないし、その中心が人生のすべての側面に大きな影響を及ぼしていることにも気づいていない。中心にはいろいろなものがある。家族・配偶者・自己・教会・敵・友人・娯楽・所有物・仕事・お金。お金中心や、仕事中心の生活というのは一般的にもあまり良いイメージが無いが」、家族や配偶者中心の生活というのも良いことではない、ということを知った。それは他への依存に他ならないからである。このことを知った時、私は大きな衝撃を受けた。それまでの私は、家族や配偶者ができたら、自分の全てを掛けることが良しと考えていたためだ。しかし、配偶者や、家族を大切にするということも自分の内面の価値観から生まれたものであり、それは誠実や本質などといった原則から生まれるものである。よって、他に依存せず主体的に生きるためには、原則を中心に置き、個人のミッション・ステートメントを意識することこそが重要なのだ。
個人のミッション・ステートメント
私が立てた、個人のミッション・ステートメントは以下の通りである。
・家族との時間を大切にする。どんなに忙しい日々でも家族の時間は削らないようにする。
・自分の内面に誠実に生きる。意思を強く持ち、自分の弱い部分に負けない。
・家族・友達・先生など私を愛してくれる人にはそれ以上の愛を持って接する。
・常に目標を立て、それを達成することを繰り返す。また、目標は立て過ぎず、口に出す。目標は必ず成し遂げる。
・片方からの意見や情報に囚われず、必ず反対意見を踏まえたうえで自分の価値観に従う。
おわりに
私はこの本を通して自分を見つめ直すことで、人生に大きな変革をもたらすことができた。今まで、自分が正解だと思っていたことや、身につけようとしていたものが本当に自分の人生に必要なのかを考えることができた。しかし、これらのことを考えても、実際に自分の人生に発展させる、実践するということは非常に難しい話である。これを可能にするのが第3の習慣の中の、時間管理のマトリックスである。第Ⅱ領域に時間を費やす、ということを日々意識することが、主体性をもった人生に必要な時間管理の方法である。私は、この本を読書し、議論することで深い学びを得ることができた。読書しただけであれば、私の認識が間違っていた部分も多かったが、意見を交わし、さらにこうして文字に起こすことで本の内容をさらに深く理解することができた。意識さえすれば、人生はいろいろなところから学ぶことができると再確認した。ゼミでの学習を通して、日本の政治や経済についても興味が出始め、学習意欲も増した。本読むというのもこれまで以上に習慣となったと思う。今回立てたミッション・ステートメントは変更や項目が増えることもあるとは思うが、これまで以上に意義のある人生にできると期待が高まった。他でもなく自分の人生を豊かにできるように、これからも様々なことから学習することを忘れずにいたいと思う。
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三人目:権頭 望夢
私たちは少人数ゼミにおいて、スティーブン・R・コヴィー著の7つの習慣を読み、議論を行った。少人数ゼミでは主に、前書きから第二部の第三の習慣までの内容について議論を行った。
『7つの習慣』とは、「効果的に生きるための基本的な原則をかたちにしたもの」、「どれもが基礎であり、第一の偉大さにつながるもの」と記されており、これを身に着けることは、「継続的な幸福と成功の土台となる正しい原則を自分の内面にしっかりと植え付けること」とされている。これらの文言には、スティーブン・R・コヴィーが7つの習慣の書の中で解説・定義している概念が含まれている。これらの概念について、本文中に記された定義とあわせて、私の、この本を読み、議論を行ったうえでの解釈を交えて記していく。
まず、「第一の偉大さ」について、本文中で第一の偉大さとは、「優れた人格を持つこと」と記されている。本文中では第二の偉大さ(才能に対する社会的評価)と比較し、現代社会では第二の偉大さである才能に対する社会的評価が重要視され、皆それを高めることを重視して行動しがちであるが、真に重要であることは第一の偉大さである優れた人格を持つことであり、第二の偉大さが必要となる場合もあるが、これだけを持っているのではいつかそれによる見せかけの、表面的な部分が破綻しぼろがでる、とされている。次に、「原則」について、本文中では、「時間を超えて不変であり、異論をはさむ余地のない、普遍的にして絶対的な法則」と記されている。例えば、私たちが平等や正義を主張するのは、私たちの中に根本的な原則として、自分や自分の周囲の環境は公正である、という原則が存在しており、その原則をどれだけ忠実に守るかは人それぞれではあるが、基本的には多少なりともその原則に沿った行動・思考を行っている結果である。この原則に背くことなく、できるだけ忠実に生きることで、人や幸福や成長を得ることができる、ということが作者の主張である。この原則には、例えばプロセスの原則が存在し、きちんとした段階を踏んだうえで物事を進めていかなければ決して恒久的にそれがうまくいくことはないとされており、確かに考えてみれば、私たちはそれを当たり前としているし、それが幸福や成長を得ることにつながるということには納得ができるだろう。これらを踏まえると、7つの習慣を身に着けるということは、幸福や成功を得るために本質的に必要であるものを身に着ける行為であるということができるのである。
7つの習慣のうち第1の習慣は、「主体的である」ことである。筆者は、主体的であるということに関して、自発的に率先して行動をすることだけでなく、受けた刺激に対して自分自身の価値観に即した反応を行い、人はそれができる自由を持っているということを認識していることであると述べている。つまり、主体性のある人物は、自身の現状が周囲の環境によって決定されているのではなく、受け取った刺激に対して自身が行動を選択し、その通りに行動した結果によって決定されるということを自覚しているということである。そのため、どんな刺激を受けようとも、自分の選択次第ではたとえ刺激が一般的な価値観で判断される悪いものであったとしても、自身の中で良い方向にもっていくことが可能となる。このように、主体的であることによって自身がどのような環境に置かれ、どのような刺激を受けようとも、反応を自由に選択することで幸福や成功を得るための道をつくることができるのである。
第2の習慣は、「終わりを思い描くことから始める」ことである。ここで言う終わりとは、具体的には人生の終わりである。第2の習慣では、自分が人生の最後に何を残し、周囲の人々に何を残したと認識されたいか、ということを考え、そのためには自分はどのような人物であるべきか、ということを自身の中で定義する。そのような人物になるためにはどのようなことをすべきか、ということを、人生における行動の尺度・基準として生きていくということが、第2の習慣の目的である。第2の習慣は、「すべてのものは二度つくられる」という原則に基づいていると、筆者は述べている。全てのものは、一度創造主のなかでイメージとして創造され、そのイメージが形になることで二度目の創造が行われる。第2の習慣が本質的な幸福や成功を得るために必要とされているのは、第一の創造を他者ではなく、自身で行うことで、自分の人生を自分で決定できることを自覚したうえで、それを行っていくことが必要であるからであると、私は解釈した。
第3の習慣は、「最優先事項を優先する」ことである。筆者は、第3の習慣は第1の習慣と第2の習慣で身に着けたことを実践し、個人的な結果を得る習慣であると述べている。第3の習慣は、原則中心の生き方ができるようになるために存在する。「中心」について本文では第2の習慣の項で触れられているが、中心とはだれもが持っている、人生において何に重きを置き、軸として生活をしていくか、というものであり、例えばお金中心の人は経済的安定を求めることをまず考えて思考・行動を行う。その中心を原則にした原則中心では、人生における思考・行動を不変の存在である原則に基づいて決定することになる。その結果、物事に対して原則中心ではない人とは違った考え方ができるようになる。何かを選択するにも、選択肢に意味を持たせるのではなく、選択したこと自体に意味合いを持たせることになる。その結果、第1の習慣、第2の習慣が実践できるようになる。また、ここにおける最優先事項とは、人生を豊かにする、重要ではあるが緊急ではない事項のことである。第2の習慣が身についておらず、自身が優先すべき事項が分かっていない人は、重要かつ緊急である事項を優先しがちであるが、実際に優先すべきことは人生を豊かにする事項であり、それに気づくこと、重要かつ緊急な事項が本当はそれほど優先されるべきではないということを知ることが、第3の習慣の目的なのではないかと解釈している。
以上のような内容を踏まえたうえで、私たちは何点かの項目について議論を行った。特に、第2の習慣に関連するミッションステートメントと、第3の習慣の優先事項の優先についての議論が活発であった。特に印象に残っている議論は、優先事項をどのように設定し、重要であるが緊急ではない事項に対して時間をつくるか、というものであった。議論の中では、第2の習慣の中でミッションステートメントを設定し、それに基づいて自分に必要なことを見定めることで重要で緊急でない事項を認識、それを行うために緊急かつ重要な事項に対してどのように向き買っていくのかを考える、という一応の結論が出たものと自分では解釈している。ここで、ミッションステートメントとは、信条・理念を表明したものである。どのような人間になりたいのか、何をしたいのか、ということと、それらを形作る価値観や原則を書き記す。第2の習慣をより具体的に行っていくためにより具体的な目標、価値観等を決定していくものであると私は解釈している。このミッションステートメントを決定することで、自分が本来目指したいと思っているもの、そのための実現の手段が見えてくるので、おのずと最優先事項も決まってくる。そのため、まずミッションステートメントを設定し、その価値観により第3の習慣を実行していくことがよいのである。
私自身も、日々重要かつ緊急な事項に対応することに追われ、自分が目指しているものが分からなくなっていると感じていた。そのため、これをどうにか改善したいとは考えていたものの、その方法はわからなかった。しかし、今回少人数ゼミで『7つの習慣』を読み、またその内容について議論を行うことで、改善の方法が見えてきたと感じている。
私の場合、7つの習慣を読んだことで第1の習慣についてはそれを自覚したつもりではある。しかし、第2の習慣を身に着けていないことが問題である。そのため、ミッションステートメントと言って良いのかはわからないが、人生の終わりを想像し、その時にどのような人物でありたいかを、現時点でできる限り想像してみた。その結果、
①土木の知識、技術を生かすことで、社会に貢献する
②興味、関心のある物事に対して徹底的に興味、関心を持つ
③家庭をもって父親でありたい
という3項目が考えられた。これらのミッションステートメントには、それぞれに対して理由が存在し、それらは原則に基づいていると認識している。
まず、①の土木の知識、技術を生かすことで、社会に貢献する、というミッションステートメントであるが、これは、興味のある学問である土木の分野で少しでも功績を残したい、という理由と、大学に通うに際して支援してもらった両親に対して、その効果を少しでも見せることで恩を返したい、という理由が存在し、それぞれ楽しみや貢献、恩といった原則から成り立っている。また、②の興味、関心のある物事に対して徹底的に興味、関心を持つ、というミッションステートメントは、限りある人生のなかで、興味・関心のある事項を可能な限り突き詰めていきたい、という理由があり、③の家庭をもって父親でありたいというミッションステートメントには、将来的に家庭を持ち、周囲からみてしっかりと父親であると認められるような人間になりたい、という理由があり、それらの根本にはやはり原則が存在する。これらのミッションステートメントを設定することで、これを根拠として思考・行動を行うことができるようになる。そして、ミッションステートメントを達成するために必要なことが分かってくるので、最優先事項も見えてくるし、やらなければならないこと(優先かつ重要)で、ミッションステートメントの達成のために必要な事項があれば、それを行う意味が見えてくるし、それが重要で緊急ではない事項に変わるかもしれない。
私は、現状第2の習慣までを実践し、第3の習慣を実践しようとしている状態である。7つの習慣を読み、少人数ゼミで議論を行うことで、私が抱えていた問題が解決に卯木き出している。そのため、少人数ゼミが終わっても7つの習慣を読み続け、さらに先の習慣の実践にも挑戦しようと考えている。そして、今後の人生においても、今回の少人数ゼミの実施で学んだ、第1から第3までの習慣、ミッションステートメントの重要性と役割、今回自分で設定したミッションステートメント、第3の習慣と優先事項の決定方法、最優先事項の本質などを忘れず、常に意識した状態で生活を送って行こうと考えている。
〈参考図書〉
スティーブン・R・コヴィー(2013)『7つの習慣』(キングベアー出版)
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