「既存インフラの活用と質の高いものづくり」 天野 雄浩
今回の講義のテーマである鉄道の歴史は、同様の速達性が期待できる高速道路の歴史よりもはるかに長い。高速道路で最古の路線である名神高速道路は、1963年から1965年に開通しており開通してから約55年であるのに対して、東海道本線の大部分は明治時代につくられたため、開通してから130年あるいはそれ以上経過している区間がほとんどである。こうした鉄道の長い歴史と現在の活躍の例を通して、目まぐるしく変化する社会において、長期的に活躍するインフラを生み出すためには、質の高いものづくりの考え方が必要なことを主張したい。
三大都市圏を結ぶ東海道本線は開通してから130年の間に大部分の経路、停車駅は変わらなかった一方で、日本は関東大震災や第二次世界大戦、高度経済成長、急激な人口増加を経験しており、鉄道も火災事故や技術進歩、サービス向上といった様々な変化が起こった。東海道本線は社会の変化に合わせた最先端の対応が行われていたのでこれまで活躍し続けており、今後も変化に対応して活躍しうる質の高いインフラの一例だろう。
まず、東海道本線が130年間同じ区間を走っているということは、沿線地域へすでに130年間も効果をもたらしたということになる。当初からある程度想定していたストック効果であり、現在も東海道本線の駅を中心に発展を続けている。そして開通当初から沿線地域も、現在このように算出できる恩恵について予想していたようだ。実際に、東海道本線のルート決定時に沿線地域となり得る多くの宿場町で誘致活動が起きていた。沿線地域としては、旅客が宿場町から鉄道に移り衰退するのを避けたい人々や用地買収を嫌う屋敷、農業用水の問題は局地的にあった。だが、全体としては誘致が主流で、都市間の線路の奪い合いもみられた。鉄道事業もまた他のインフラ事業と同様に、当初の計画時点で長期的かつ大規模な効果をもたらすものである。
また、時代の変化に合わせて東海道本線は大きく変わった部分もある。東海道本線は当初、石炭を用いた蒸気鉄道であったが、エネルギー転換によって1956年までに全線で電化が進み、ほとんどが電気鉄道となった。一方で、1951年の桜木町事故に代表されるように火災事故が多く、車両の改良も進められた。社会的なインフラストラクチャーとしての東海道本線の役割も変わっていった。東海道本線という鉄道が開通した当初は、大都市である東京名古屋間を最速で結ぶ唯一の交通機関として重宝された。1906年には、富豪と呼ばれるお金持ちでなくても乗れる三等列車にまで食堂車が登場し、鉄道は近代国家の象徴の一つとしてサービス向上に努められた。第二次世界大戦中に一度中断されたが、ファストフードやコンビニエンスストアが登場する1980年代まで人々に親しまれた。1960年代に東海道新幹線が開通して速達性は新幹線に譲ることとなり、その後は沿線地域の移動や新幹線の代替ルートとして機能することとなった。国が発展するに伴い、類似の目的を備えた便利な移動手段や生活様式が現れて、東海道本線という古くて質の高いインフラストラクチャーの役割は大きく変わった。しかしながら、社会の発展によって東海道本線という一つのインフラが時代遅れで価値が下がったということではない。
鉄道開通の明治時代時点では想定されておらず、既存インフラの活用として注目されている役割がある。沿線地域の移動手段としての役割を担い続けながら、さらに新幹線や他の交通機関と連携して交通ネットワークを支え、国内の移動網を多重化する役割も持つようになることだ。これにより、むしろ今後さらにインフラとしての価値は上がるものだろう。東海道本線は、この130年間という長い期間を活躍し続ける質の高い設計、施工、管理があったからこそ、今後も活躍し続けられるインフラ施設なのだと私は考える。このように、新たなインフラがコスト削減などの妥協をされずにつくられた質の高いものであれば、やがて時代の変化に対応するために既存インフラの活用として当初の目的を上回る効果をもたらすこととなるだろう。
一方で、着工されながらも実現しなかった新幹線の例がある。それは、東京駅と成田空港を最速30分で結ぶ成田新幹線である。大都市と国際空港の立地が諸外国と比べても離れており、その必要性が主張されていた路線である。成田新幹線が完成すれば、先ほどの東海道本線と同様に日本屈指の幹線路線であるはずだったものの、反対運動が強く工事途中で断念することになってしまった。1970年代は騒音などの公害の深刻化が問題視されており、沿線住民の反対運動が盛んであった。また、当時の国鉄の経営状況が悪く新幹線は黒字路線でなければ建設しない方針だった。社会の流れに流されて質の良いインフラが建設されないことは、国全体の将来を考えると負の側面が強いだろう。100年後にも使える交通手段はなくなり、国内の交通の速達性は失われ、新幹線予定地に並行して走る在来線のみに頼った代替路線のないものとなってしまった。新幹線と空港による交通ネットワークの相乗効果も期待できないので、既存の成田空港の機能まで無駄にしているだろう。
また、着工されなかった新幹線の代わりにあたる路線の例もある。2010年に開通した京成電鉄による成田空港線である。これは、最高速度160キロメートルで日暮里から空港ターミナルビルを36分で結ぶ路線である。成田新幹線の代わりの機能を担うことが期待されて建設、運用されている。しかしながら、起点が日暮里駅であることや最高速度が新幹線には遠く及ばない160キロメートルであるのが、妥協点として挙げられる。そのため、東京駅から整備される予定だった新幹線と比べると周辺の都市横浜や川崎などからの交通の便があまり良くないので、交通ネットワークの面で不利な上に速達性も新幹線に劣る。経済面を重視しすぎると、このような能力のやや劣るインフラストラクチャーとなってしまう。日本の首都東京がもつ国際空港である成田空港の将来を考えた時に、このことが負の影響を与えてしまうと私は考える。
以上の3例からもわかるように、長寿命なインフラストラクチャーをつくる上でその施設の能力もまた最先端なものでなければならないと私は考える。日本や世界が資本主義的な考え方になっている昨今においては、質の高いものよりも安価な割に機能的で合理的なものが評価される傾向にある。しかし、先ほどの東海道本線の例のように、質に重点をおいたインフラ建設というものが、将来日本で、社会の変化に合わせて既存インフラとして再び活躍しうるものだろう。こうしたインフラの新設が行われるべきだと私は考える。
<参考文献>
・日本鉄道史、国土交通省、2012-7-25、2021-11-26閲覧、https://www.mlit.go.jp/common/000218983.pdf
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・食堂車の歴史と展望、茂木信太郎ら、未詳、2021-11-26閲覧、file:///C:/Users/amatake/Downloads/10900030.pdf
・整備新幹線による新たな交通体系の構築とネットワーク効果の進展、石井晴夫、2013-3、2021-11-26閲覧、https://www.jstage.jst.go.jp/article/jares/26/4/26_57/_pdf/-char/ja
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・夢と消えたアクセス鉄道 都心と空港を結ぶ成田新幹線、西中悠基、2020-7-23、2021-11-26閲覧、https://www.tetsudo.com/report/260/
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