どうも私の講演、講義にはエネルギーがあるらしい。人を説得する力があるらしい。
これは、講演、講義を受けた人からの評判、意見、レポート、アンケートなどで間違いない事実のようである。
そして、私は人が好きである。みんなが好きなのである。自分ひとりが幸せであっても仕方ない。万人は難しくとも、なるべく多くの人が自分の本分を発揮して満足感を味わって生きてほしい。心からの願いである。
私は地べたを這うことができる。挫折もそれなりに味わってきた。月島のパチンコ屋の鏡吹きの日雇いバイトだってやったことがあるし、搬入搬出のバイトなんて何度もやったことがある。引越しのサカイで真夏に6日連続引越しのバイトをして、屈強であったがために、ピアノを手で二階まで吊り上げたことだったある。バイトをともにしたどこの馬の骨とも知らん人たちとも仲良く話した。
でも私はエリートである。ありたい。明治の日本を引っ張った本物のエリートたちの生き様に憧れる。今の私はただの小物であるが、本物のエリートになる気概は持っているつもりである。日本を引っ張ることのできる本物のエリートになるために、一所懸命努力する所存である。
私はバカ正直である。誠実でもある。しかし、汚い世界だって知っている。私なりにバカ正直に人を見抜いてもいる。
世の中の最前線の人たちは大人である。酸いも甘いも知っている。今夜も、横浜市の職員の方々といろいろと語り合った。彼らはいろんな経験をしてきて、いろんな人を見てきて、先駆的な取り組みで賞賛された時代もあり、今は閉塞感に悩まされ、そして私と一緒にやることで突破口を見出そうとされている。
私は、自分の感性を信じたい。バカ正直に進んで、何とかなると思っている。それで何とかならないなら、私が悪いのではない。本当の本質を突いて行けば、この国だって変わるし、みんな幸せになるはずだ。
私は一人ではない。多くの仲間がいる。
そして、今日、気づいたのは、我々の考えや取り組みは、我々が思っているよりももっと見られている。シビアに見られている。
だから、それらの視線や期待に応えられるように、地べたを這うエリートとしての自覚を持って、さらに精進を重ねるのである。
期待に応えられる自信が今の私にはある。