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昭和のプロレス:エースよ、輝け

2020-07-17 06:29:29 | 日記
日本陣営の外国人

 1969年の毎週水曜日、午後7時になると国際プロレスのテレビ中継が始まりました。
テーマソングと共にスター選手の得意技が炸裂する映像が次々と流れます。
 その中でひときわ目を引いたのがビル・ロビンソンの人間風車。
日本で初めて披露された華麗な技ですが、これを見たさに時間になるとチャンネルを合わせました。
 でもこんなにきれいに投げる為には実は相手選手の積極的な協力が必要不可欠。
そんな大事なことを当時の私は知りもしませんでした。

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を引き立てた脇役達を振り返っています。
今週は「白狼酋長、チーフ・ホワイト・ウルフ」の登場です。

 当時の国際プロレスはTBSの強い影響下にありました。
1月1日から開幕のビッグウインターシリーズのパンフレットには森プロデューサーの挨拶文が
載っています。
曰く「豊登、杉山、草津のスリーエースに加えて木村や小林も後を追う」と日本勢の充実ぶりを
誇示します。
 テレビ視聴率はまあまあの及第点、
問題は観客動員の苦戦です。
会場に足を運んでも見たいと思わせる絶対的なスターがいないのです。
そこで苦肉の策としてこのシリーズから、ロビンソンを日本側として本格参戦させることに
なったのでした。

正体探し

 前年4月に初来日したロビンソンは従来の外人レスラーとは全く異なる存在でした。
甘いマスクと反則なしの正統派スタイル、人間風車やワンハンドの背骨折りなどのオリジナル技
を披露してたちまち人気者に。
視聴率アップにも随分と貢献していました。
 シリーズの目玉はロビンソンが持つIWA王座の選手権。
開幕早々に草津を相手に初防衛戦を行います。
そして迎えた1月28日の足立区体育館大会、今度は当時としては異例の外人対外人として
インディアンレスラーのウルフを挑戦者に迎えます。

 羽飾りを付けた姿で入場し姑息な反則技でロビンソンを痛めつける姿が毎週水曜日のテレビに
流れていたウルフ。
ロビンソン危うしの空気が流れます。
こうなれば観客動員数も視聴率も上がります。
 試合は14分43秒に体固めでウルフが先取、その後は5分程度でロビンソンが連取して堂々
2度目の防衛に成功したのでした。
 水曜8時のオープニング映像で人間風車の餌食になった選手が誰であったのか、当時の私は全く
関心がありませんでした。
その後プロレスの仕組みを知るにつれ、見事に投げられた相手の正体を知りたくなりました。
 でも当時の映像も無ければそれに関して書かれた資料も見つからないので、朧な記憶で推理
を働かせるしかありません。
そして出した結論が「多分ウルフ」です。

 それにしても鮮やかな投げっぷり、見事な投げられっぷりでした。
「日本じゃお前が人気だからしっかり目立て、その代わりオレのテリトリーで顔を会わせた時は
花を持たせてくれよ。
さあ、思い切り投げ飛ばせ」
ウルフがそう囁いたとも推察しています。

コメント
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