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昭和のプロレス:つれない王者

2020-07-10 06:29:39 | 日記
王者の脱退

 目玉外人として日本にやって来たけれど、肝心の日本の王者がちっともこちらを
向いてくれない。
だから日米のエース対決が目玉の最終戦は日本側の二番手との対戦になってしまった。
しかも二度も続けて。
今週はそんな悲しき外人エースの話です。

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では当時日本にやって来た脇役達を振り返っています。
今週は袖にされ続けた「蒙古の怪人、はたまたロシアの怪豪、ニコライ・ボルコフ」です。

 初来日は1972年7月の日本プロレス。
頭は弁髪、堂々たる上半身に毛皮をまとい、足元は長ブーツ、更に鉄の鎖を首に掛けた
恐怖のモンゴル人チームの片割れとして登場。
 当時の専門誌の見開きページには「戦慄の鉄鎖旋風 ザ・モンゴルズ」の見出しが
躍っています。
 チームのリーダーはジート・モンゴル、勝負を決めるのはベポ・モンゴル。
だからシリーズ終盤の大会場で王者ジャイアント馬場と対戦するのはベポ、つまり今週の
主役ニコライの役割でした。

 しかしこの時、日プロは内部がゴタゴタ続き。
エース馬場はこのシリーズを最後に脱退することが既に発表されていました。
 辞めていく人間に花を持たせる筈はありません。
シリーズの大舞台の主役は二番手の坂口に任され、ベポはインター王座ではなく格落ちの
UN王座に臨んだのでした。

最終戦のセミに登場

 74年1月にベポは変身を遂げます。
蒙古キャラクターを捨てて怪力自慢のロシア人に化けたのです。
そして同年8月の新日本プロレスにやって来ました。
 当時のパンフレットには「発電所を半殺しにした男」とあります。
マネージャとしてブラッシーを帯同し「桁外れの腕力がブラッシーの老獪な試合駆け引きの
リモートコントロールで引き出される」と煽り記事に書かれています。

 シリーズ5戦目の9月5日長岡大会ではメインのタッグマッチに登場。
坂口と柴田を仕留めていますが、何とこれは2度目の登場。
前半の30分1本勝負で9分15秒、山本小鉄を体固めで破っています。
ニコライの桁外れのパワーをアピールする演出です。
 その後もタッグマッチながら猪木からもフォールを奪取。
ほとんど日本勢にやられる場面もないまま最終戦を迎えます。
 この流れでいけば相手は当然エースの猪木。
しかしファンが待ち望んだ試合は全く別のものでした。

 この頃の新日マットでは日本人同士の戦いが大注目されていました。
話題をさらったのは新日マットに初登場する大木金太郎。
最終戦の10月10日蔵前国技館で猪木と雌雄を決することが発表されていました。
 そうなるとニコライの相手は猪木ではなく、またも二番手の坂口です。
ニコライは強烈なジャンピングニーからのアトミックドロップを浴びて14分13秒、
あえなく片エビ固めに屈するのでした。
 馬場同様に猪木もこちらを向いてはくれないのでした。

コメント
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