週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#026 -’10. 田舎暮らし(その四) 『終の棲家』

2010年02月06日 00時00分01秒 | 別荘生活
以前に一度アップした物を再度加筆訂正を行ってアップする記事です。0206000001
自分としては、田舎暮らしの延長線と捉えています。
ですから、田舎暮らし(その四)とタイトルを付けました。

この宇宙に存在する星々から地球上に存在するすべての物まで、終期すなわち死が訪れるのは紛れもない事実である。
その存在はほんの数秒のものも何十億年と言う天文学的な物まで様々である。
地球上の生物の中にあって人類は長い生命を頂いていると思う。
人生50年と言われた時からそれ程時間が経っていないが、今では人生80年である。
生物としての寿命の全ての期間を人としての生きていきたいものである。
只単に生物として命を永らえるのではなく、感情を持ち心を持った人間としてその一生を全うしたいものである。

一般的に仕事を持っている時期が人生60歳が標準であろうか。
仕事としての箍(たが)が外れると生活を営む空間の選択の自由が拡大する。
経済的な制約を除き、人それぞれが思う人生観、価値観に従い終の棲家を選ぶ事が出来る。
田舎に限定しないでも、東京ないし近郊の団地においても高齢化が大きな問題になっている。
高度成長時代に団地に入居した人達の高齢化である。
戸山団地など新宿区で都心も都心である。
又、郊外の多摩ニュータウンでも、問題となっている。
都会での過疎地としての老人。
伴侶に先立たれた独居老人の終の棲家としての団地である。
住民も沢山おり山奥の過疎地でもないのに、一人で寂しく天に召されて行く老人。
直ぐ隣には隣人が居るのに、旅立った事すら気が付れずに居る都会の独居老人。
精神的な過疎地に自分を置いている都会の独居老人。
山間部の過疎地に住む独居老人の話題が放映されたいた。
物理的には隣人と距離を置いてしまう過疎地の独居老人の話である。
朝起きて、旗を立てて自分の健康を隣人に知らせる。
隣家と物理的距離が離れた為の過疎化対策である。
困った時の人の繋がりが辛うじて保たれている。
心理的な過疎の都会と物理的距離等の過疎の田舎。

それでは終焉の地と捉えた時の田舎暮らしは如何なるものなのか。
還暦も過ぎたばかりで健康にもそれ程不安が無い時は、悠々自適にストレスから解放され自分の趣味などに時を割く事が出来る。
決まった時間に我が家を出て、決まった電車に乗り職場に着く。
多くの人にとって職場とはストレスの発生源でもある。
そんなストレスの多い生活からの決別である。
自然との触れ合いで行う菜園も、精神的なストレスに苛まれること無く、自然(天候)との競演である。
そんなストレスの解放や悠々自適な趣味の世界だけ夢見て、自然の中に身を置きたいと考える事が将来必ず訪れる老後と死を念頭においているのであろうか。
このスレッドのタイトルにもなっている如く、命あるもの全てに訪れる死。
その終の棲家としての、考えがあり田舎生活を始めるのでしょうか。
仕事を連想させる都会からの回避での田舎生活であったり、幼い頃の郷愁での田舎暮らしなのであたり、自然回帰の田舎暮らしで有ったりするのではと。

田舎暮らしの本などを読むと、新しい家が建ち、新しい希望に満ちた生活が満載されている。
勿論、田舎暮らしを希望者する人たちないしは興味を持っている人達が対象であるから、希望を削ぐような事は書いてない。
有っても、田舎暮らしに失敗しない方法など程度である。
定年退職を前にして希望が膨らむ時期に、既に退職して新天地での生活が始った方達が載っている。
お菓子を欲しがる子供の目の前に、お菓子を食べている記事を載せているに等しい。
いやおう無しに夢が心の中で膨らむのである。
現実社会では届かない夢が多い中、夢に手が届く幸せな人なのである。
夢の扉の前に立つ時が一番楽しい時かもしれない。
別荘を建てているとき。
田舎生活を開始する直前。
今正に夢の扉が開くのである。
こんなに胸がワクワクする事は無い筈である。

夫婦仲良く生活していても、同時に天に召される事はありえない。
どちらか一方になり足腰も衰えてきた時、田舎生活が続けていかれるのであろうか。
そんな心配をしてしまう。
都会の我が家を売り払い、田舎生活を始めると後戻りは不可能かと思える。
日本での建物の価値は数十年もすると殆ど無くなる。
再度、都市部の家屋を購入しようとしても難しくなるからである。
二地域居住している方であるなら十分検討してから都市部の住居を処分する事をお薦めする。

老後は都市部で生活するのも一つの方法かも知れない。
山々を仰ぎ見る事が出来ないが、文化の香りに浸る事は田舎生活の比ではない。
今日は観劇、今日は映画、今日は美術館、今日は音楽会、今日は名所めぐりなど。
お金をかけなくても、ドンドン有意義な生活を送れる。

お金が無くても活用方法では沢山の種類を選択できる自由がある。


自分自身、田舎生活を念頭においていないので、多くの田舎生活を希望している人とは考えが異なる筈である。
各個人個人の価値観で対応する終の棲家を規制するものではない。
自分の考えにしか過ぎない。
多くの有意義な田舎生活の人生を送っている方も沢山居るはずである。
流行すると反発する只の天邪鬼のたわごとです

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2 コメント

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老後への助走 ()
2010-03-07 14:34:57
みんな何を以て田舎暮らしを目指すのでしょうね。

私自身は、土に触れるのが心地よいので、親がいなくなったら、東京を離れたいと思っていましたが、1人身になってみて思うのは、物理的な条件よりも、慣れ親しんだ友人達との関わりから離れる事は、年をとってからはキツいのではないかいう事です。
都会を完全に離れるならば、移転した場所に根をしっかり張れるように、なるべく早くである必要があると思えます。
そのためには定年を待たずに、仕事とどう折り合いをつけて行くかが、最大のポイントのような気がします。
原村さんのように、都会と村の暮らしを行き来出来たら理想的ですね。

40半ばを過ぎたあたりから、老化現象が色々と顔を出し、終の住処や、これからの生き方を考えるようになりました。
そして、この不安は何なのかと考えた時、それは私たちが60代になった時に、出るかどうかわからない年金や、新たな課税等、未来の設計図を立てきれない・・だから、今はとにかく貯蓄するしかない・・・その貯蓄にまで課税対象になるかも!?という不安もありますが、これじゃ、日本のお金が回らないわけですよね。
同級生達とは、年金は出ないだろうし、リタイアするまでに、住まいを得た上で、1人5000万はキャッシュを貯めてないと不安だね、という話がよく出ています。
しかし、夫婦で1億・・・普通に働いて、住宅ローンを払って、どうやってそんなお金を貯められるんでしょうね。
とにもかくにも、もう老後の生活を守る為の助走が始まっています。
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老後の不安 (原村)
2010-03-07 15:27:09
こんにちは、翠さん。

雪にならないだけ良かったですが、雨が鬱陶しい雨ですね。

自然に優しい心を持った感性豊かな感じがするのかもしれません。
体が健康で良く動く内は良いですが。
終の棲家となると都会に勝る所はないような感じがします。
それも孤立した都会生活ではなく、翠さんのように友人が近くに沢山いる地が最高かもしれません。
孤独で無い事は重要な事だとおもいます。
精神的にも、目的意識においても心に健全な精神で居られると思います。

今の日本の状況そのものですね。
社会保険庁(で良いのか、名前が)の出鱈目な行いで将来の不安が増しました。
その上少子高齢化で年金の破綻も地方財政の破綻も、国の財政の破綻も待った無しです。

せめて、5000万円の預金を箪笥ではなく、銀行などに預けて生きたお金として欲しいです。
使って頂ければ経済効果に貢献してもらえるのですが。
将来の不安を払拭せねばなかなかそうも行きません。

自然の香りは少し少ないかもしれませんが、その分文化の香りプンプンの都会生活も孤独でなく友人と歩き回れれば最高の地かもしれません。
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