Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

セーラム市とピーター・ドーラン一家

2012-06-27 15:25:00 | 私の日々
一人の青年が都内の区役所に米国マサチューセッツ州セーラム市から、
交換職員としてやって来たのは約20年前だったそうだ。
その間、教員免許も持っていることから区内の学校で英語を教えたり、
区の職員として日本の人々に深く関わり、期間終了後帰国した。

その後、20年に渡って農業高校で教鞭を取りながらも、
区とセーラム市との交流に貢献し、日本からの中学生を始めとする短期留学生、
滞在者の受け入れ、反対にセーラム市からの日本への使節団の派遣などに
ピーターだけでなく、帰国後に知り合って結婚した妻エレンと共に携わってきた。

私も一昨年にセーラム市に滞在した時にいろいろとお世話になった縁もあり、
23日、土曜日の夜に開かれたドーラン一家の歓迎会に参加してきた。

旅行中、ピーターの運転する車が石の上に乗り上げて動かなくなってしまい、
奥さまが別の車で迎えに来てくれた。
セーラムで訪問させてもらった地元の博物館、美術館、
小学校、農業高校の授業風景、先生方から伺ったお話も貴重だったが、
この一時のこと、車がエンコした状態でなすすべもなく、
森の中に立ち尽くして待っていた、
それが忙しかった旅のスケジュールの中でふと気を抜くことができた一瞬として、
思い出に刻まれている。
ピーター夫妻には突然のアクシデントにそれどころではなかったはずで申し訳ないが。

セーラムからの交流施設団の派遣が昨年は震災のために中止となり、
またここ数年、円高、航空運賃の値上げなどにより、実現していないこともあり、
家族全員でセーラム市を代表するつもりで日本へやって来たと言う。
震災の折にはセーラム市民達の募金を募って赤十字にも寄付したそうだ。

奥さまからも挨拶があったが、夫のスタートさせたこの日米の交流に、
一生貢献していく覚悟で臨んでいることが伝わってきた。
お嬢さんからも「皆さん、歓迎会を開いてくれてありがとう。」と可愛い挨拶が。

20年の間に日本からもアメリカ国内でもこの交流の会において、
いろいろなことがあったに違いない。
自分の仕事としてではなく、あくまでもボランティア、
しかも一個人として都内の某区とアメリカのセーラム市、
国際親善に努めてきた根気と継続させてきたパワーは並大抵のものではない。
それを妻も、それどころか幼い子供たちも父親の意志を理解して、
支えている姿に心を打たれた。


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