Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

金子三勇士NEWインタビュー

2011-03-30 00:00:23 | ピアニスト 金子三勇士
金子三勇士、ハンガリーのライターがハンガリー語で行なったインタビュー、
英訳が掲載されたので翻訳してみた。

「Miyuji Kaneko-キシュマロシから誕生した素晴らしい才能」
Interviewed by Gabriella Kovacs 3/5/2011

http://www.kisdunaujsag.hu/index.php?option=com_content&view=article&id=293%3A-miyuji-kaneko-outstanding-talent-from-kismaros&catid=75%3Amveleti-teruelet&Itemid=59

ずっと長い間、金子三勇士と会い、彼がどれほどの才能に溢れているかを実際に確かめたいと思ってきた。
娘の通う学校には彼の写真が飾られている。
それを毎日見ながら、私はこの日が訪れるのを心待ちにしていた。
Facebookを通して彼と連絡が取れ、遂にインタビューすることができたことに感謝している。

金子三勇士(Miyuji Kaneko)
1989年9月22日に日本の群馬県高崎市で日本人の父とハンガリー人の母の間に生まれる。
3歳でピアノを弾き始め、6歳でCs.Nagy Tamasne教授の元でピアノを学ぶため、
ハンガリーへと移る。
1997年にはハンガリー国内の連弾コンクールにて優勝。
2001年には第9回ハンガリーピアノソロコンクールにて優勝。
11歳でブタペストのフランツ・リスト・ミュージック・スクールへ入学。
Eckhardt Gabor教授、Kevehazi Gyongyi教授、Wagner Rita教授に師事。

現在は東京音楽大学にて三浦捷子氏、迫昭嘉氏、清水和音氏のレッスンを受けている。
2009年においてはシャネル・ピグマリオンデイズのアーティストに選ばれ、
2010年からはジャパンアーツコーポレーション、スタンウェイアーティスト。

2005年 7月 バラッシャジャルマット国際音楽コンクール グランプリ優勝(ハンガリー)
2005年10月 コンツェルテウム国際ピアノコンクール優勝(ギリシャ)
2006年 1月 シンメルUSASU国際ピアノコンクール優勝(米国)
2008年 3月 第3回バルトーク国際ピアノコンクール優勝(ハンガリー)
日本、ハンガリー、アメリカ、中国、フランス、ドイツ、オーストリー、
スイス、ルーマニア、チェコ、ギリシャなどで演奏活動を行なう。
http://miyuji.jp/ より)

Gabriella Kovacs
「あなたの写真が娘の通うVilcsek Gyula Primary Schoolの入り口の左に飾ってあり、
私はいつもそれを眺めているのですが、
あなたにとってのキシュマロシの思い出とはどのようなものでしょう?」
Miyuji Kaneko
「僕が母方の祖父母のいるキシュマロシのBorzsonyligetに移ったのは1996年でした。
Vilcsek Gyula Primary SchoolにてEmilia先生のクラスで17人の生徒と共に学び始めました。
日本で幼稚園を終えた後、
このような形で新しく学校生活を始めることは自分にとって大きな環境の変化でした。
最初はこの新しい環境に自分が適応できるか心配もしたのですが、
それは全く危惧に終わりました。
級友たちも先生方も自分をとても暖かく迎えてくれました。
ハンガリー語で学び、友人達と校庭で遊び、先生方と話す、
そして美味しい給食を食べたことも懐かしい思い出です。」

G.K 「その後、キシュマロシとは行き来はありますか?知り合いと連絡を取ったりとか?」
M.K「キシュマロシで過ごした日々のことは決して忘れられません。
今でもEメールやfacebookを通してみんなと連絡を取ってます。」

G.K「おじいさまやおばあさまを訪ねたりするのですか?
ハンガリーにホームシックになったりしませんか?」
M.K「残念ながら祖父は他界しました。
祖母にはハンガリーやヨーロッパの国をコンサートツアーで訪れる機会に会っています。
祖父母に対しては、ハンガリー語の習得を含めていろいろと感謝しています。
16年間を二人と共に過ごしました。
10年間のハンガリーでの生活、そしてその内の6年間はキシュマロシで。
お陰さまで毎日、音楽の仕事と日々の生活のために忙しくさせていただいてますので、
ホームシックになっている時間はありませんが、
ハンガリーもまた(日本同様)自分の祖国であると思っていますし、
いつも帰ることが楽しみな国でもあります。」

G.K「音楽との関係はどのようにできあがったのですか?
誰かが手助けしたのでしょうか?」
M.K「3才の時、ピアノを弾き始めました。
その頃、祖父母からバルトークの作品でコチシュが演奏する『子供のための演奏曲』をプレゼントされ、
これを毎日、聴いたことで大きな影響を受けたと思います。
その後祖母の指導のもと、ピアノを学びました。
ハンガリーに移ってからはバルトーク小学校でCs. Nagy Tamasne,
Falvaine Sisak Agnes、Laszlo Fazekasから指導を受けました。」

G.K「ハンガリーから日本へと戻って音楽の勉強を続けるにあたってどのような変化がありましたか?」
M.K「日本に戻った時には大きな違いを感じました。
祖国であるにも関わらず、言葉や文化を充分に知らなかったのです。
今、東京で5年目の生活に入り、ようやく離れていた間の溝が埋められつつあると感じています。」

G.K「日本とハンガリーの音楽教育の違いはなんでしょう?」
M.K「音楽においても教育においても両国の違いは明らかです。
ハンガリーでは個性的、荒削りであっても応用性が大切にされることに対して、
日本では正確で細かい点が重んじられます。
自分自身としてはそれぞれの文化の良いところを学び、中庸を保ちたいと思っていますが。」

G.K「度々演奏すること、それは負担になりませんか?
それとも音楽家の生活の一部として取り組んでいます?」
M.K「自分は一度も自分の演奏や音楽に関する仕事を重荷に感じたことはありません。
これが私の仕事ですから。
喜びと感謝で受け止めています。
世界中のコンサートホールで演奏し、毎日、練習して新しい曲を学ぶ、
メディアと音楽を通して関わる、どれもわくわくするような素晴らしい体験だと感じています。
今シーズンは平均すると一週間に一回の割合でコンサートがあります。
もちろんこれは割合であり、数週間休んで、一週間ステージが続くこともあります。
21世紀のクラシック音楽の演奏者としてインターナショナルなキャリアを築こうと努力するためには、
当然のことだと思っています。」

G.K「日本や世界のコンクールの優勝者として、
新しい曲の演奏をすることはチャレンジですか?」
M.K「コンクールに優勝することは大きな挑戦ではありません。
優勝者にふさわしい演奏をし続けることに意味があります。
演奏会には評論家やプロの演奏家も来ますが、
もっとも大切なことは(一般の)観客が演奏を楽しんでいるかどうかです。
観客の共感を得られるような演奏をすることが自分の役目だと思っています。
そして私は単なる演奏者に過ぎません。
何世紀にも渡って受け継がれてきた偉大な作曲家達の曲を仲介する立場であると思っています。
想像性を保ちながらも作曲家の意図に忠実に曲を再現することが
自分に課せられた役目だと思っています。」

G.K「今、キシュマロシで学んでいる子供たちにメッセージはありますか?」
M.K「音楽を愛すること、
音楽は人間にとって有史以来、ずっと存在し続けているなくてはならないものです。
数千年にもわたって受け継がれて来ている音楽の恩恵という喜びが彼らと共にありますように。」


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1 コメント

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Unknown (akatsuki)
2016-07-11 09:17:13
はじめまして。
インタビュー当時まだ20歳そこそこなのに、本当に賢い方ですね。
今年の12月に、我が家から近い西宮のホールで彼のリサイタルがあるので、プログラムが決まったらチケット購入を検討しようと思っています。
アウトリーチ活動も活発にされているようなので、わが娘の通う小学校にも来ていただけたら嬉しいです。
娘の通う公立小学校は、収容人数約300名の音楽ホール、2名の音楽専任講師、全国大会で銀賞をとる吹奏楽団を有する音楽教育重点校です。
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