Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

マサチューセッツへ・第一日目

2010-09-22 07:29:46 | MAへの旅
この旅行についてどう書いたら良いものか正直迷ってしまった。
全くの団体旅行で、思い出に残るエピソードは他の方と絡んでいる。
私が差支えないと思っても、個人や団体として特定できる表現は避けるべきか、
あるいはそういった内容を書かないようにするか。

アドバンスドブログにしてからどういう検索で私のブログに入ってきたか毎日、
報告が来るようになった。
余り知られていない、書き込みがないようなことを書くと検索で上位に入ってしまう。
また「えっ?」と思うような検索語句から私のブログに辿りついている方もいる。

そこで個人や団体に関する表現はぼかして、自分以外の他の参加者のことはあまり触れずに、
書くことに決めました。
もうすでに書いてしまったことはそのままで。

旅行の前に何度か説明会があった。
その時、私は保険の説明などもしっかりと聞く機会を持った。
キャンセル保険というのが存在することを知る。
掛け金は数百円、キャンセルした場合、限度額があるがある程度の金額が戻ってくる。
これからは親の健康や、もちろん自分にもいろいろと状況が変わることも考えられるので、
事前にこの保険を掛けた。
また歯科治療に関しては保険が適用されないことも知った。
常識でしたか?

過去の記録を塗り替える猛暑が続いた夏の終わり、体調を崩す人も多い頃に、
この旅行に出かけることになった。
旅先の気候は10月中旬から下旬の陽気。
気温とドレスコードがわからないので荷物は増える。
大型のスーツケース、たくさん入ってしまう分、最近は重量制限が厳しいので、
帰りなど簡単に重量オーバーになってしまう。

まずスーツケースの重さを計ると7・5キロ。
デルタ航空の荷物制限は23キロだったが、スーツケースだけで三分の一の重さ。
全部、パッキングした後、また計ると18キロ余り。
帰りの重量オーバーが心配な微妙な数字だ。

今までは成田まで宅急便で荷物を送るか、軽い場合は家から持って出て行く。
今回は某区の区庁舎集合なので、重い荷物を持って家から出て行くことが簡単にできる。
その上、一階で荷物を預け、会議室には身軽になって集合。

壮行会ではいらしていた区長がその日はご都合がつかなかったとのことで、
副区長の送る言葉、団長からの出発の挨拶が結団式で行われた。
雨の中、区の職員の見送りを受けて、バスへと乗り込んだ。
約20名ほどの団体。
バスには一人で二席分、ゆったり座って成田までへと行ける。
成田で荷物を預けると添乗員さんや区の職員の方達と搭乗口までへと移動。
そこで搭乗時間まで解散となる。

成田でも引き続き雨が降っている。

デルタ航空でデトロイトまでへと旅が始まった。
初めて乗るデルタ、確実に欧米系のエアラインの中では思ったよりも感じが良かった。
映画は自分で選択はできず前方の画面の物を全員で観る形式だが、
前から観たかった"Karate Kid"「ベストキッド」だったのにもかかわらず、
途中で眠ってしまったような。これって帰りだったかな?記憶があいまいだ。

デトロイトに約13時間後に到着すると、アメリカ国内の乗り換えはいったん預け荷物を
受け取らなければならない。
昨年の7月、エッセンスミュージックフェスティバル、
そしてエリック・べネイファンの集いに出席するため、一人でニューオリンズへ向かった時は、
短い乗り換え時間にしなければならないこの手間が面倒に思えて、
また以前これで飛行機を一本逃したことがあるので、すべての荷物を持ち込みにしてしまった。

ターンテーブルに出てきた自分の荷物を取る時に他のスーツケースの奥にあり、
周りの見知らぬ方達が手伝ってくれて手元に引き寄せた。
その時に行き先のタグが剥がれたようだ。

入国審査や荷物検査を改めて受けて今度はボストンへとチェックイン。
私の行き先タグが紛失しているのを係員が見つけて、カウンターへと向かうよう指示された。
そこでは荷物でトラぶった人達が並んでいて一人一人が長い。
添乗員さんが「どうしました?」と飛んで来てくれる。
空いているカウンターをみつけて新たにタグ付けされた荷物をチェックインする手伝いをしてくれた。
そして「ラッキーでしたね。」そのまま係員が気づかないで受け取られていたら、
ロスバケの可能性ありだった。

デトロイトからボストンへは2時間ほど。
この距離は機体が上昇し飲み物が出たと思うと着陸への準備体制となる。
到着するとまた現地の係員、迎えのバスがあり、宿泊先のホテルへ。
この時点で私はかなり疲れていた。

宿泊先のホテルに着いて私は愕然とした。
それはホテルではなくモーテルだったのだ。
平屋の建物が建て増しを重ねたのか迷路のように奥へ奥へと繋がっていく。
冷えたコンビニ弁当とウーロン茶を渡されて部屋へ。
聞けば一番近いスーパーへも5分ほどとのこと。
とても歩く気にはなれない。部屋までの途中にソフトドリンクの自販機を見かける。

プールがあるとのことで、楽しみにして水着を持っていったのだが、
水は抜かれていた。
最もこの気候、そしてそんなプールではとても泳ぐ気にもなれないが。

がらんとしたシングルの安普請の部屋。
冷蔵庫もなければセーフティーボックスなどあるはずもない。
その上、隣との壁が薄く、更にコネクティングルーム。
私は隣室の男性の咳を一晩中聞きながら眠ることになった。
部屋の真ん中にあるコネクティングドア、鍵穴も薄っぺらな扉も不気味だ。

カーテンを引き、シャワーを浴びようとお湯を出すと、
ハンドシャワーではない上からお湯がでるアメリカにありがちなタイプ。
アルフレッド・ヒッチコックの映画「サイコ」、銀行の金を横領した女性が、
最初に到着したベイツモーテルでシャワーカーテンの向こうから刺されるシーンが
蘇って来てしまった。

最初の宿で区の親善使節の旅とはこれほどまでに過酷なのか、
皆、これに満足しているマザーテレサのような方たちばかりで、
不満を持ったりする私は我儘なのかと考え込んでしまった。

ところが翌朝朝食の際に話を聞くと、「三人部屋なのに立てかけてあったエキストラベッドが
部屋に入れる余裕がなくて、添乗員さんを呼んだ。」
「浴槽に汚水が溜まっていて流そうとしても流れず添乗員を呼ぶと、報告のためにと、
写真を取っていた。」
排水の悪さは誰もが辟易していた。

これまで団体旅行と言うのは余り経験がなく、
なるべく添乗員を煩わさずにするものかと思っていたが、
旅行社からフリーランスで派遣されている方だったので全体像が掴めるように、
ホテルへの苦情は個人的に言わずにその方を通した方が良いと知り、
私も昨夜の事情をお話しした。

このようなホテル、いやモーテルだから朝食もさんさんたるものだった。
このホテル、もう一度戻って来て旅の終わりに帰りも二泊することになるが、
今度はコネクティングではない部屋を用意してくれていて
ほっとしたのもつかのま、夜、寒くて目が覚める。見ると窓が壊れて閉まらない。
窓をしめるための金具が取れたままになっている。
無理にしめようとして怪我をしてもと思い、そのまま厚着をして眠った。
翌日、ルームクリーニングの際に窓は閉めてくれているかと思いきや、
部屋に帰ると観音開きの窓は雨の中、外に向かって全開状態。
添乗員に報告すると、部屋に工具を持った男性がやってきて、窓を打ちつけていた。
朝食はここでは食べにいく意味がないと思い、部屋で飲み物と買ってきたパンで済ますことにする。

こんな部屋から私の旅は始まる。

これは明らかに現地に経験のない旅行代理店のミスで、
前回はJ社だったそうだが、今回は引越しでは名前を聞いても旅行代理店をしているとは、
聞いたこともない社名だった。
区の旅行と言うのはいろいろな業者を交代で使わなければならないそうだ。
そのホテル、いやモーテルを選んだ旅行社側の理由としては
「地の利が良い。」とのことだったが、
ほとんど団体行動でバスで移動するので交通の便の良さなど関係もない。
ホームステー先でも「ボストンではどこに泊まったの?」と聞かれて、
そこのホテルの名前を言うと「あんなところに泊まったの?」
と絶句されてしまった。
そして昨年まで日米両市の交流に尽力されいて退職された
セーラム市側のコーディネーターの日本女性が、もし今年もいたなら、
あなた達をそんなところに泊まらせることにはしなかったでしょう、と。

そういう状況の中で健闘してくれ、善処してくれた若手の区の職員や
仕事とはいえ、そこら中からくる苦情に対応してくれた添乗員さんには感謝している。
またそんなホテルだったので、最後の自由行動日ではホテルには少しでも留まりたくなくて、
ボストンとニューヨークの中間地点、タングルウッドまで思いっ切って遠出できたことも、
良かったと思っている。