日本大バーゲン、円安は160円まで下落
先日の日銀政策決定会合では金利には手を付けず、現状維持とした。その後の記者会見で植田日銀総裁は記者会見で、「現時点ではいまの円安が基調的な物価上昇率に大きな影響を与えているわ......
今日の為替144円、1年経ってこうも変わるとは、米国の株や投信を持ってる人はそれだけで10%も減ってしまう。米国の株や投信が10%上げてればイーブンだ。
為替の専門家でも予想が当たらないし、それは仕方が無いと割り切っている。
昔話になるが、私の現役時代1970年代から1995年ぐらいまでは日本経済は円高との闘いだった。
1971年8月15日、ニクソンショックで、金とドルがリンクした通貨体制(金・ドル本位制)を維持できなくなり、1ドル360円の時代はこの日に終わり、1ドル=360円→308円に円高、会社では激震が走った。やがて固定相場制は維持できず1973年に、先進国は相次いで変動相場制に切り替えた。
1971年8月15日、ニクソンショックで、金とドルがリンクした通貨体制(金・ドル本位制)を維持できなくなり、1ドル360円の時代はこの日に終わり、1ドル=360円→308円に円高、会社では激震が走った。やがて固定相場制は維持できず1973年に、先進国は相次いで変動相場制に切り替えた。
1985年、プラザ合意で1ドル235円から約20円下落し、1年後にはドルの価値はほぼ半減し150円台、その後日本は世界の製造業の中心としてドイツとともに歩み、貿易黒字は累積し、1994年には1ドル75円に急騰した。当時金属労協の事務局長として、輸出産業はダメージを受けるということで日経連の永野会長と村山首相へ空洞化対策を要望しに官邸を訪れたのを今でもはっきり覚えている。
為替の変動には気にしないというのが私の教訓だ。