行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

ひな人形、最初は紙だった

2018-03-03 18:17:14 | 芸術

桃の節句はなんとなくほっこりとする。孫のひな人形を買いに行ったことを思い出すからか、我が家は男の子ばかりで5月人形しか関心がなかったせいか?伊豆へ行った時、つるし雛を見てひな人形にはいろいろな種類があることに気がついた。塩山の駅前の旧家では、江戸時代からの豪華なおひな様を拝見した。

昭島のフォレスト・イン昭和館のロビーでは毎年豪華な段飾りが設えるが今年は写真のようにちょっと変わった展示となっていた。そこでの説明でひな人形の原型は紙人形だったことを知った。始まりは平安時代、川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、雛人形は女の子の健やかな成長を願う「厄よけ」の「守り雛」として飾られる様になった。貴族達は「曲水の宴」で、3月3日に紙の人形を祓の道具として、人形を肌身に摺りつけ、息を吹きかけて水辺に流した。次第に布の衣装を着せるようになったようだ。
お内裏様と曲水の宴、水の流れはお米で表現

現代の段飾りは江戸時代、徳川家康の孫で、後水尾天皇に入内した徳川和子(まさこ)(東福門院)が愛娘のために始めたようだ。それ以来徳川家では、女の子が生まれる度に豪華な雛段が贈られ、それが庶民に拡がった。
平安時代を偲び我が家で作った紙製雛

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする