1年前、このブログで当時の巨人狩野永徳との確執を乗り越えた等伯の凄まじい生き様を描いた安部龍太郎の筆力に感心したと書いた。「等伯」に小説の力を久しぶりに感じたが、やはり直木賞を受賞し喜びたい。
昨年、長谷川等伯の絵が京都智積院(ちしゃくいん)にあると聞いて、やや興奮しながら訪れた。小説を読むとこれらのふすま絵の劇的な意味が判る。息子の久蔵が非業の死をとげる1年前、25歳の時に書いた「桜図」は八重桜である。何故八重桜なのか?故郷七尾の家では京都の御所から分けてもらった八重桜が毎年花を咲かせて、久蔵は子供の頃より描いていた。等伯一家が七尾を追われ、京都に移っても七尾の八重桜は久蔵の記憶から離れず、等伯もこの八重桜に拘っていたと小説は語っている。
そして圧巻は非業の死を遂げた息子に捧げた等伯の「楓図」だ。智積院の解説では「息子への哀惜の情を振り切り、自己の生命力を画面一杯に傾けて楓図を描き出した」としている。更に秀吉の愛児鶴松の菩提を弔う「松と葵」など国宝館の中でぐるりとふすま絵が見られるように工夫されていた。小説では家康に召されて等伯が江戸に移るところで終わっているが、江戸にたどり着いて2日後に亡くなっている。