と、CMの中の大地真央さんは、毎回、今野に問いかけている。
ところで、菜花俊さんの究極の人生観が、『そこに愛はあるんか?』だそう。
菜花俊さんとは、不登校の親たちに向けた本『不登校から抜け出すたった一つの方法』の著者である。
個人的に、『愛』という言葉には抵抗がある。
照れくさいとかそういうことではなく、『愛』がよくわからないから。安易に『愛』なんて言葉を発することができない。『愛』と『神』は同等レベルに思えて、自分可愛さで生きてしまう自分にトホホな私には、めっそうもない言葉である。
菜花さんは、子どもが不登校になったら、だからこそ、親がシアワセのお手本になりましょうと提唱していらっしゃる。
この『幸せ』ってやつが、また、よくわからないんだけれど、とりあえず、自分が今したいなって思ったことを即やっちゃおう!ってところからスタートすると、見えてくる世界があるという。
『愛』がよくわからないし、恐れ多いと思う人も多いと思う。
そこで、お勧めなのが、
『愛』を『良心』にしてみる。
手が届きそうな気がしない?
相手がどんな人であれ、その一瞬、人としての良心にスポットをあてて、その良心に添って、声かけしたり行動するように、一瞬一瞬を大切にして生きる。
人としての良心こそ、私たちの心の中に鎮座する小さな神さまなのではないだろうか。
積年の恨みのある人には、良心が埋没してしまって、発掘作業がめちゃくちゃ大変。『目には目を歯には歯を』な自分の感情なるものを『目には良心を歯には良心を』に変換するなんて富士山に登るくらいしんどい。
だから、とりあえず、積年の恨みのある人は置いといて、まずは、手始めに、良心が発動しやすいわが子から、良心感知⇒発動訓練を瞬間芸として、つまり、条件反射レベルまで持っていくという目標設定しようと思っている。
瞬間良心探知機の精度があがってきたら、積年の恨みのある人というレベル4にチャレンジだ。
何ごとも日々の練習の積み重ね以外に到達できる道はない。
良心とは、きっと心のダイヤモンドだと思う。
10万円で買えるダイヤモンドもあれば、数億円もするダイヤモンドもある。
きっと、積年の恨みのある人への瞬間良心探知機で良心を探知でき、行動にまで移せた暁には、数千万円レベルのダイヤを見つけて研磨したのに匹敵するくらいの価値があるのかもしれない。数億円レベルはもはや、神か。
さぁ、残りの人生、瞬間良心探知機を積んで船出と行こうか。
ふと、これまでの人生、結構、災難が降ってくる人生だと我ながら、ワハハって感じだった(つまり、もう、笑うしかないって感じ)。
災難が降れば降るほど、良心が埋没していって、ひょっとしたらひょっとして、10万円価値のダイヤモンドが、なんだか、災難作用で数百万円になり、もっと、災難アップで数千万の価値のあるダイヤモンドに変異していったんじゃないだろうか。災難のたびにどんどん埋没していくんだけれど、なぜだか、希少価値になっていく。だからこそ、発見の難易度も増すけれど、もし、発見できたら、すんごいことになる・・・みたいな。
なんのために生きるの?
と、思春期に人生を問う。
というか、何のために生きるのと自分に問い、でも、その答えが見つからずに悶々とした日々と闘っている時が、思春期かもしれない。
私は、29歳の時に、この罠にはまった。
で、しんどくて、とりあえず、結婚と子育てという当面の目標設定で自分を忙しくさせることで、人生を棚に置いて生きてきた。
そしたら、四男が、ちゃんと人生という宿題に取り組みなさいというメッセージを発信した(いえいえ、カラダを張って問いかけてくれた)。
そして、菜花俊さんの、そこに愛はあるんか
で、腑に落ちた。
私の長い思春期が終わった。
なんと、なんと、還暦=思春期脱出 とは、笑っちゃう。
なんだか、今、めちゃくちゃ、さわやか。
相手がどんな人であれ、人間としての良心を見失わずに生きんとせん。