総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

17歳にして育児放棄か!

2013年09月14日 | エッセー
 三男は、17歳にして、母親に『育児放棄か~~~~~~~~~~。』と叫んだ。

 前夜、さぁ、寝ようという時間帯に、三男が、「この体育着、なんだか臭うから、洗濯しといて。」と言ってきた。「わかった。」と言ったものの、心の中で「まてよ。もう一着、替えがあるから、洗わなくてもいいかな。」とめんどくさい私は、引き受けたのに、その約束を果たさなかった。
 で、朝、三男が、『育児放棄か!』と叫んだのだ。
 もう一着あると思っていたら、その洗濯したもう一着が、なんとなく臭うので、それを洗ってほしかったのに・・・・と。
 「ごめん。それは、勝手に判断したお母さんが悪かった。あの時、ルーチンワークでない予定外の洗濯を要求するんだから、自分で洗濯するように言っとけばよかったのに、それを言うことすら、思考が回らず、何となく引き受けたのがまずかった。ごめん。」と謝る。
 そこでやめとけばよいのに、
 「だけどね。こんな風に言ってくれれば、お母さんも勝手な思い込みで行動しなかったはず。『この体育着洗濯してあるけれど、なんだか臭うから、もう一度洗濯してほしい・・・。」と。これから、社会に出たら、よ~くわかるはず。ちゃんと伝えたつもりでも、相手は、自分の思い込みがあるから、あなたが思うように伝わらないこともよくあるんだよ。」と余計なことを言ったもんで、彼の気持ちの行き場がなくなったのだと思う。今どきの男の子は、ニオイに非常に敏感だ。その気持ちもわからないではない。
 まずかったけれど、どうすることもできない。
 朝、6時20分だ。三男は7時には家を出る。
 仕方ない。手洗いして、アイロン攻撃するしかない。
 そう思って、即、行動を起こしたのに、「アイロンでしっかり乾くわけがない。以前もそうして半渇きでニオイがしたから、イヤだ。もう、俺、今日は、学校に行かない。」と言うではないか。
 いや、大丈夫といくら言ってもきかない。
 そして、例の『育児放棄か!』というセリフが飛び出してきた。
 ドキッ!
 私は、長男にこの言葉を叫ばれても、次男に言われても、ましてや四男に訴えられても、動じない。だって、自信あるもん。私のできる限りの範囲で精一杯子育てしたもん。
 だけど、三男だけは、動揺してしまう。小2からのお勉強をきちんとみてやれなかった。いえいえ、きちんとどころか、ほとんど無頓着だった。気にはなったけれど、私のアフターファイブの時間のどこにも、お勉強を見てあげれる余裕がなかった。長男は、なぜか、全く手をかけなくても理解できていたようだ。次男は、慌てて、らくだの通信を小6までの5年間利用させてもらった。三男も2年間は通信をやったんだけど、ちょっと遅すぎたかな~。
 思い起こせば、彼が小2の夏、四男が生まれた。
 それまで、末っ子の甘えん坊という地位に甘んじてきた彼は、突然、最高の地位を四男に奪われ、不幸のどん底に落ちて行った(のだろうと、今になってわかる)。
 もう、9歳だもの。今まで十分愛情を注いできたのだから、大丈夫ね・・・と油断したのがいけなかった。
 だって、17歳で、育児放棄か~~~と叫ぶってことは、常日頃から、愛情を感じていない沸々とした思いの頂点の言葉だもの。
 思い当たる節だらけ・・・・だ。

 思春期までは、二人っきりのラブラブを・・・。

 この子育ての二大ツボの一つを私は知らなかった。
 知っていれば・・・と悔やまれる。
 そうだ。そうなのだ。いくら、図体はでっかくなっても、本人が嫌がるまでは、せめて、月1回、二人っきりでラブラブデートをすることが、富士山級の愛情表現なのだ。子どものハートを射止めるには、この二人っきりがキーワード。他の兄弟がいる中で、いくら、愛情光線を注いでも二人っきりには歯が立たない。
三男の子育ての後悔。
 それが、ビリビリ子に伝わる二大愛情表現。 
 一つは、毅然ママ。
 もう一つが、二人っきりのラブラブ。
 愛情は、この『毅然』と『二人っきりのラブラブ』で初めて子に超愛情として直球で伝わっていく。

 私は、三男に、この超愛情二大セットをプレゼントできなかった。
 知らなかったとはいえ、この子だけ、思春期前期の小学生時代、二人っきりのラブラブができなかったという申し訳なさから、「○○したら、これはできないよ。」と叱っても、最後は、良心の呵責から、ついついフォローしてしまった。ダメなものはダメ!という姿勢を最後まで貫く愛を彼に与えられなかった。
 もう、このことが、残念で残念でたまらない。

 おまけに、宿題をきちんと見てあげれなくって、漢字とか算数という基礎をきちんと理解できないまま、そして、勉強の癖もつかせないまま、中学へ。お勉強もいまいち。かといってスポーツは・・・というと、田舎なので野球部とサッカー部と陸上部しか選択の余地がなく、少年野球とか少年サッカーもしていなかったので、『いやいやでもしか陸上部』に入部したけれど、長く続かず、自分に自信みたいなものを築けないままなんとなく中途半端な普通科の高校に進んで、今がある。

 うだうだ君。
 
 その彼が、放つ『育児放棄か!』という言葉は、耳が痛い。

 今朝は今朝で、「弁当、どうかしてよ。お母さんの弁当は美味しそうに見えない。みんなの前で弁当を開けれない。」と怒る。

 私は、きっと、たぶん、神様に試されている。
 無条件の愛という超難関。

 三男は、野菜も食べない。
 三つに分かれているお皿に、かなり意識して野菜料理を盛るけれど、促さないと食べない。かなり強い口調で強要しないと野菜を食べない。苦手な野菜が多い。なもんで、お弁当に野菜を入れようという意識が働く。すると、煮野菜や野菜炒め系列の野菜が入ることになる。これが、美味しそうに見えない主な原因だと思う。彼が、普段、私の作った野菜料理を文句も言わずパクパク食べてくれていれば、私も、お弁当に野菜を是が非でも入れるようなこともしないのかもしれない。でも、ふだん食べないからこそ、野菜を食べさせねば!と意識する。
 私が、彼に野菜を食べさせたいという愛情は、ちっとも伝わらず、見た目重視のお弁当からかけ離れたお弁当を見るたび、彼は、育児放棄か!という母の愛を感じれない悲しみに打ちひしがれる・・・・・らしい。

 子のニーズを満たす=愛情の場合もあろうが、何でもかんでも満たしてあげることが愛情というわけでもないのではなかろうか・・・・・と思いつつも、今どきのお弁当は、かなり見栄えがよいようで、ちょっとかわいそうかな・・・と思ったり。
 そんなに文句があるのなら、『自分で作れ~~~!』と宣言するのも自立心を育てるという愛情なんじゃないかと思ったり。
 なんせ、17歳。
 
 「そんなに文句があるなら、自分で詰めなさい。お兄ちゃんもそうしていた。」と啖呵を切った私であったが、小2からの三男へのきちんと彼と向き合ってこなかった、それは、時間もだし、多分、気持ちも・・・・からくる彼への愛情への自信のなさが、イマイチ、切れ味に欠け、うじうじとした気持ちを引きずってしまう。

 私は、体力がぼろ雑巾のよう。
 ちょっと無理すると寝込んでしまう。無理がきかない。
 長男が高校2年の時、学校で勉強した方がはかどるし、7時の汽車は座れないので、始発の汽車で行きたいと言い出した。
「ごめん。」
 そう言って、起きれない私は、前夜におかずを作り冷蔵庫に入れといて、朝、長男が自分でご飯を詰めてもらうことをお願いした。もちろん、自力で起きて、一人で納豆などで朝ごはんを済ませてもらって・・・・というかわいそうな朝のスタートもセットだった。途中から、彼は、冷蔵庫で冷えたおかずはイマイチということで、自分でおにぎりを作って行くようになった。
 彼は、育児放棄だなんて一言も言わなかった。
 次男はというと、彼は、見た目重視なので、私のつめ方が気に入らず、自分で詰めていった。
 彼も、育児放棄か…なんて言わなかった。
 なのに、三男は、洗濯しなかった私が悪いのだけれど、日頃から私に抱いている愛情不足という不満を「育児放棄か!」というかなりショッキングな言葉で爆発させた。お弁当に関しても、長男の感じ方とはえらい違いなので、日頃から、愛情を実感していないから、そんな言葉が溢れ出てくるのだと思う。
 
 「お母さんは、2年前に胃を切ったんだよ。それでも、今まで通り、仕事で稼いでんだよ。あんたは、学校に行って、そんなに勉強も熱心にしていないし、かといって部活もボランティア部で毎日じゃないじゃない。時間は、お母さんより余裕があるじゃない。少しは、家のことを手伝ってほしいくらい。自分で弁当も作れば・・。」と言ったものの・・・・・結局、少し、意識して、美味しそうに見えるお弁当作りを心掛けているのは、三男でなく、私。
 これが、いけないのか。
 うじうじ。
 三男に対しては、〝毅然”が足りない。
 毅然不足症候群。

 今が大事。
 育児は、格闘技だ。
 今、彼と、きちんと向き合うという格闘技をしなければ、彼がダメになる。
 マジ、いつやるの?


 今でしょ!

 結局、彼は、その日、学校を休んだ。
 
 
コメント
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