脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

元気に見えてもつらい体もあるんです。!

2009年07月06日 | 情報

本日2回目の投稿です。

水俣病未認定問題に思うことの続きも本日投稿しましたが、

 どうしても、本日中に伝えたいことがあるので投稿します。

 昨日7月5日の私の地域の朝日新聞 生活面に、

 がん経験者らでつくる、

NPO法人HOPEプロジェクトの皆様が、

「外見からはわからない痛みやつらさを抱えている人がいることを理解してもらおう」と

「知ってほしい。元気に見えても、辛いカラダがあります。」

という メッセージの入ったキーホルダーを作った、

との辻外記子記者の記事が載っていました。

 

 『08年7月、公益信託「オラクル有志の会ボランティア基金」から

助成金30万円を受け、

今年6月までに、1000個を作った。

臓器移植を受けた人たちや、

脳脊髄液減少症患者らからも好評で 

活用したいと言われているという。

小児がんの子供たちには、財団法人がんの子供を守る会などをを通じ近く無償で提供する。』 と

と記事には書いてありました。

 

できれば、「脳脊髄液減少症の子供たちにも無償で配っていただけないかなぁ・・・?

オラクル有志の会の皆様にも

脳脊髄液減少症患者にもご支援いただけないかなぁ?」と思いました。

だって、本当に

脳脊髄液減少症は

見た目ではわからない上、症状に波があって、

気まぐれ病やわがまま病、

仮病みたいにみられやすいんですから・・・

 

NPO法人、HOPEプロジェクトの皆様、

よくぞ、

 「知ってほしい 

元気に見えても辛い体がある。」

という メッセージ入りグッズを作ってくださいました。

ありがとうございます。

 

しかも、

がん患者さんたちのためだけでなく、他の難病や、

私たちのように、いまだに理解が進まない脳脊髄液減少症患者にまで仲間に入れて手をさしのべてくださって・・・。

他の病で同じ様に「見た目ではわからないつらさを抱える患者」にも思いやっていただき、

利用させていただけるなんて、・・・・ありがたいです。

 

このメッセージは

私たち脳脊髄液減少症患者がわかってもらいたい言葉、

そのものです。

代弁してくださり、本当にありがとうございます。

 

私はかねがねこのブログでも訴えてきましたが、

患者たちが病名ごとに壁をつくるのではなく、

病名のわくを越えて、患者が情報交換し、助けあい、励ましあえることは、

患者自身にとっても社会にとっても、医学界にとっても、

新たな道を切り開くことにつながると思っています。

 

病名は違っても、同じ様に

「見た目ではわからないつらさ」

「患者本人にしかわからないつらさ」を抱えて、毎日を過ごし、生活の中で、

悪意なき、無理解に傷つくことは

同じだと思います。

 

このキーホルダーが多くの患者さんたちの

「希望」につながることを願います。

 

私はこの記事を読んだだけで、

脳脊髄液減少症患者の置かれている、

今だ夜明け前の暗闇の中で

かすかな「希望の光」を見た思いです。

 

「子供がハートを抱えた図柄で、

優しい気持ちになろうよ、という思いをこめたマーク」だそうで

ステキなキーホルダーだと思います

 

 でも、率直な意見を言わせていただけば、

「辛い」ではなく

「つらい」とひらがなの方がより読みやすくわかりやすいのでは?と思いました。

私もよくブログ記事で「辛い」と書くのですが、

家族に「からい?」と読まれてガクッリときたことが何度かあります。

 だから、 誰にでも間違いなく読めて、

意味が確実に通じる「ひらがな」の方が

私はより理解されやすいと思います。

 

また、文字の色が薄くて、見にくいようにも思うので、

もう少しメッセージの文字を大きく濃い色にしてみては

いかがでしょうか?。

 

ぜひとも「脳脊髄液減少症」の患者さんたちにも、

このメッセージと皆様の活動と、キーホルダーの存在を知っていただきたく思います。

 

朝日新聞記事を抜粋すると、

 「キーホルダーは1個300円。 5個単位で販売する。

希望者は、HOPEプロジェクト事務局にメールで連絡を。

また、多くの人に無償で配るため、協賛金も募っている。

みずほ銀行駒込支店普通口座1080050へ。」

 

メールアドレスはこちらの、右上の「お問い合わせ」をクリック

詳しいことは、こちらの

 「知ってほしいキャンペーン」

HOPEプロジェクトの方のメッセージ

 

最後に、

脳脊髄液減少症にも理解を!

患者たちは

「元気に見えても、つらい体もあるんです。

元気に見えても、つらい心もあるんです。

 

まともに見えても、

つらい精神状態、

思考力低下の時もあるんです。」

 本当なんですってば~

世間の皆様、わかってください。

 

          

ひとりごと

こうしてブログでガンガン思いを書いていると、

パソコン操作ができ、文章がこれだけ書けるのだからまともだと、

思われやすい。

特に現実世界の人たちは、

私が見た目が元気そうだし、こんなことやっているから、まともだと思い込んで

当たり前のように、健常者と同じように、平気でいろいろと要求してくるけれど、

私はいまだに物忘れはするし、日にちは混乱するし、なくしものもするし、

整理整頓はできないし、片付けもできない。

今日は無理して外出すれば、判断力と思考力と空間認知力が低下しているせいで、事故を起こしそうにもなった。

体は良くなってきたとは言っても、こんな梅雨時は痛くてだるくて、呼吸が苦しくて、たまらない。

きのうは起きていられたけれど、おとといは1歩も外には出られず、家の中でも長くは起きていられず、

胸が苦しくて苦しくて狭心症のようで、ずっと寝ていた。

症状は日替わり。

天候や気圧にも左右される。

 

そんな中で、安定した体調の健常者と同じように、

あたりまえに次々とこなすことを求められることは

できない自分が周囲から、「ダメ人間」と絶えず責められているようで、

とてもつらい。

それがつらくて、こんな自分が存在していることが嫌になる。

いっそ死ねたらこんな理解されない病や症状や誤解からも解き放たれるのかもと思う日も正直ある。

 

周囲が患者を「元気そう、まともそう」と見てあたりまえのように

健常者と同じことを要求することが

知らず知らずに、患者を追い詰めていることがあることにも

気づいてほしい。

 

精神状態も、体の症状も、目には見えなくてもよくなったり、

症状がでたり、悪化したりと、

完全回復に時間がかかること、

その間、症状に波があって、できる時もできない時も、

動ける時も動けない時もあること、

 

患者が、がんばってできる事と

がんばってもできない事があること、

わかってできないことは快く助けてほしい。

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水俣病「未認定」問題に思うこと 2

2009年07月06日 | 他の病名との関連性

水俣病の未認定患者さんや、
原爆症の未認定患者さんは、

何の罪もない善良な人たちだと思います。

何か他の目的で、症状を偽っているとか、
そんなことはとうてい思えません。

第一、真の被害者でなければ、こんなに長く
わかってもらおうと必死に訴えることもないと思います。

その人たちが、
私よりもさらにさらに長い年月、50年も60年も、無理解と症状の苦しみに
さらされ続けながら生きてこられたのは
どんなにか長くつらい日々だったことでしょう。

現在、脳脊髄液減少症で苦しんでいる患者さんたちにも
ぜひ想像してもらいたいのです。

誰にも理解されない本人にしかわからない体の不調を抱え、
どこの医師にも原因不明と言われ続け、

本人が真の原因に気づくまで、

適切な医療も受けられず、医療にも気のせい、気のもちようと
相手にされないまま、

苦しみながら50年60年と
生きることを強いられたとしたら、

あなたならどうしますか?

死ぬほど苦しい体や精神状態の異常を感じているのに、
そのことを医師にも認めてもらえず、

医師にも認められなければ、周囲の人たちにも
気のせいと冷たく突き放されて、

働けないのに、怠け者と呼ばれ、

動けないのに、のろまと言われ、

できないのに、怠慢と責められ、

頭が働かないのに、自分の事もまともにできないダメなやつと思われ、

きっと、私が経験したようなことを、
過去のなかなか世間に認めてもらえない患者さんたちも経験してきたはずです。

それでも、50年も、60年も症状を抱えて
生き抜くことができますか?

もし、S医師が「脳脊髄液減少症」という病態を
発見しなかったら、

これから先、何十年も苦しみぬいて病名がないまま、
人生を終わった脳脊髄液減少症患者もいたはずです

いえ、今までにもそういう被害者たちが・・いたのです。・・
本人も家族も、社会も、そのことに気づくことがなかっただけで・・・。


かつて私は、原爆とか、水俣病とか聞いても、

恥ずかしいことに、
そんな遠い過去の事件のことはピンとこず、

自分には関係のないことだと思ってしまい、それほど関心も持ちませんでした。

その未認定患者さんの存在すら知らず、

ましてや、原爆症や水俣病の患者さんの心身や生活の苦しみや、

「未認定」による苦しみなど、
想像することはできませんでした。

しかし、今私は、
脳脊髄液減少症によって、そういった人たちの苦しみを
少しだけ想像できるようになりました。

私が、こんなにも原爆症や水俣病やハンセン病などの
患者さんの気持ちや、
先日報道されていたサリン被害者などの立場も、
真剣に想像し、考えるようになったのは、

自分が脳脊髄液減少症で、同じ様な理不尽な経験をしたせいで、
「人が人を落としいれ傷つける、大きな過ちの恐ろしさ」に
気づいてしまったからだと思っています。

もし、この経験がなければ、

過去の戦争被害者や公害病被害者や犯罪被害者や、
国により、誤解を招き、人権侵害にまであった病の方の気持ちなんて、

想像できない人間のままで、
一生を終わっていたでしょう。

そういう意味では、
脳脊髄液減少症の理解されない症状や、医師の誤解や国の無理解に苦しんだ経験も、
私を人として成長させたと思えば、
無駄ではなかったと思いたいです。


だから今、
その人たちの苦しみつらさを思うと、
自分のことのように感じ、いたたまれません。

なぜに、そんなに罪もない人たちを長い間、苦しめてきたのか?。と考えたとき、

かつての私のように、
世間の多くの人たちが

「自分には関係のないこと」と無関心であったせいではないのか?と思いました。

不特定多数の人たちがなる可能性があると思われる
「新型インフルエンザ」などは大騒ぎするくせに、

一見「自分達には関係がない、影響がない」と思われることは
無関心になるという、人に潜む恐ろしいほどの冷たさ・・・。


私たち脳脊髄液減少症患者が
今感じているような目に、
原爆症、水俣病、患者さんたちもきっと今まであってきたのだと想像します。

心身の症状のみならず、
「未認定」というさらなる苦しみが与え続けられ、何十年も
国や社会の無理解に
何の罪もない人たちが苦しめられることは、

歴史の中で繰り返さないでほしいものです。

しかし、
すでに、また、脳脊髄液減少症でも繰り返されかけています。

人間とはなんと愚かな生き物でしょうか?

「脳脊髄液減少症」は

不特定多数の人たちにもけっして無関係なことではなく、
明日にでも誰にでも起こりうる、ありふれた、「事故後遺症」であるのに、

まるで

「一部の不幸な人たちの抱える、まれな疾患」であるかのように

いまだに医師にも社会にもとらえられ、無関心にさらされています。


原爆症や、水俣病患者や、サリン被害者などと同じように、

症状がじわじわと時間差で出てくるために、
本人すらも、症状と原因との因果関係に気づきにくいのです。

私もまた、脳脊髄液減少症という、
目にはみえない交通事故後遺症を負ってしまったために、

自分でも、何が原因でこんなにも体が不調になるのか、
どうして自分は不調をこんなにも感じているのに、一般的な検査には
何も異常がでないのか、わからず、

ずっと、症状の他に、
「病人」としてさえ医学にまともに扱ってもらえないことでも、
苦しみました。

症状の原因が、「私自身の問題」であるかのようにされることでも
深い悲しみを味わいました。

こういう「医師にさえも、病人として認めてもらえない。」という

「症状を信じてもらえない、病人として認めてもらえない」ということでの苦しみは、

たとえば、「がん」などの、

「医学に認められた病」

「加害者側が存在せず、病名や診断がその利害関係に巻き込まれない病」

「関心が高く、世界中で研究が盛んな病」

「多くの支援団体、研究者、研究団体、支援企業がついてくれて、
社会の理解と支援に恵まれた病」では

あまり起こりえないのではないか?と私は思っています。


脳脊髄液減少症は
そういった社会的支援もなく、世間や医学界の理解もまだまだ少なく、

この事故後遺症があっては困る、損害保険会社の人たちがムキになって、
この病名を闇に葬ろうとしています。

否定派医師や、損害保険会社が真の交通事故での
脳脊髄液減少症患者に対してやっている行為は

かつてのチッソや国の非情な行為と同じだと思います。

あまりに非人間的です。

「病因と症状との因果関係がなかなか認めてもらえず。」

そのために、交通事故でこの病になりながら、
充分な補償もなく、治療費も打ち切られる被害者もいて、

「最低限の必要不可欠なブラッドパッチ治療に健康保険もきかない」なんて、

こんな非情なことが今後も続くことだけは
なんとしてもやめさせなければなりません。

この現実をより多くの人たちに知ってほしいし、
明日皆さんにふりかかるかもしれないのですから、

自分には関係ないと思わないで、
私たちから目をそむけないで直視していただきたいと思います。

交通事故での脳脊髄液減少症患者が置かれている、過酷な現実に
世間の善良な人たちもに気づいていただき、

患者が絶望する前に、
死んだほうが楽だと思う前に、
どうかどうか、早く早く助けてあげてほしいのです。

でないと、たまたま交通事故の被害者になってしまったがために、
さらなる精神的身体的苦痛と絶望の中で

何の罪もないその人たちが
せっかく事故では命に別状なくても、
脳脊髄液減少症によって、いろいろな意味で命を落としてしまいます。

交通事故は誰にでも起こるもので、
世界中で毎日起こっていることで、

これによって起こる脳脊髄液減少症は、けっしてまれな疾患ではありません。
そのことを忘れないでほしいのです。

明日はわが身なのです。


    

最後に、
原爆症の患者様、
水俣病の患者様、

50年も60年も、理解されない中を生きることは、
どれほどおつらかったことでしょうか。

でも、生き抜いて、その事実を、私達に伝え続けてくださって
本当にありがとうございました。

皆様はけっして悪くない、症状が出たのは皆様のせいじゃない。

他に原因があって、皆様の体の健康が損なわれた。

そのことを無理解にも、世間の無関心や冷たさにもまけず、
こんなにも長く耐え続けて、

あきらめず、声をあげつづけてきてくださってありがとうございます。

おかげで、私は、皆様が訴えてくださっていることの意味が
今やっとわかりました。

自分が原因でない患者を正当に救済しないまま、放置することが、

患者のみならず、人類全体、国全体に、
どれほどの損害を与えるかが、わかってしまいました。

患者さんたちは、本当は自分達の救済だけではなく、自分達の理不尽な体験を通して、

今後同じあやまちを繰り返さないために、世間に伝えたかったのではないか?」とも私は考えるようになりました。


私たち脳脊髄液減少症患者も、

皆様からいただいた教訓に、自分たちが学んだ教訓も加え

二度と同じあやまちが繰り返されないよう、
次の世代にきちんと伝えていきたいと思っています。


今後は、
一刻も早く国に病の原因が皆様自身のせいではない、原爆のせい、水俣病のせいだと
正当に認定されて、
正当な補償がなされ、

せめて、少しでも心おだやかな日々をお過ごしになられますよう、
心からお祈り申し上げます。


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