春分の日が過ぎました。
「痛さつらさも彼岸まで・・・?」
体のしめつけは一進一退です。
21日と22日は少し楽になりました。
ギリギリと締め上げられていたゴムが、
少しゆるんだ感じです。
胸のしめつけ感はピーク時よりやわらぎ、
呼吸がしやすくなりましたが、
両手両足の脱力があって、思うように動けません。
今日は体のあちこちが痛みます。
インフルエンザの時の体の痛みに似ています。
苦しみの峠が過ぎると、
ほっと、一息つき、生き延びた気分になります。
砂漠をさまよって、やっと小さなオアシスにたどりつき、
喉を湿した気分です。
気をよくして動いていると、また調子が悪くなってきます。
さて、前回の「体のしめつけ感」の続きです。
まだまだ書き足りないことがたくさんあります。
「圧死」しそうな感じは波を持って
強くなったり、弱くなったりします。
裸の体だけで、圧迫感があるため、
寝る時の布団でさえ、重くて苦しいし、
着ている衣類の重さですら、つらいのです。
人に触られることさえ、重さを感じてしまうほどです。
身につける下着や衣類ひとつの重さが苦しくて
本当に、裸になりたくなるほどの時があります。
下着ですら脱ぎ捨てたくなります。
ただでさえ、肺や心臓を圧迫されている感じの苦しさで、
家にいる時はブラジャーは苦しくて、とてもつけていられません。
ショーツでさえ、大きめサイズのゆるゆるのものでなければ
体がしめつけられて、苦しくて身につけていられません。
「圧死」しそうな時は
ノーパン、ノーブラで、直接ふわふわ衣類に身を包んでいたい気分です。
さすがにパンツはなるべく、はくようにしていますが、
本当に素っ裸に、ゆるゆるふわふわ衣類上下を着ていたい時があります。
健康な方には、信じてもらえないかもしれませんが、
本当に、それほど苦しいのです。
以前の私は、夜寝るときも
ガードルやブラジャーつけたまま、眠るような人間でしたが、
今はできることなら裸にフリースパジャマのみで寝たい気分です。
まるで別人です。
こんなに苦しいのに、この「体の締め付け感」の症状は
「病気」と認められず、
近所の無理解な勉強不足の医師に訴えても、何もしてもらえないどころか
冷笑されるのがオチです。
たぶん、「脳脊髄液減少症治療」に取り組む医師でさえも、
この病気でこの症状の体験のない医師は、
この症状の深刻さを、充分理解してはいないと思います。
「痛み」という症状は、比較的誰にでも想像しやすいため、
同じ病気の患者さんでも、この病気に取り組む医師でも、
想像しやすく理解を示されやすいと思います。
しかし、この表現のできない「圧死」しそうな「体の締め付け感」は
なかなかその深刻さを理解してもらうのは難しいと感じています。
ましてや、この病気の存在すら知らない人や、否定する医師には
「そんな大げさな」とあきれられることでしょう。
体の苦しさのあまり、化学繊維の中には、
肌に触れただけで、不快で気持ちが悪くなる種類もあります。
ここち良く感じる衣類が、
綿やフリース素材など一部に限られてしまいます。
下着はもちろん、上着まで着られる繊維やデザインが限られてきました。
レースのついたデザインなど、
レースが体に触れるだけで、体に負担を感じてつらいし、
ガードルや補正下着などしめつける下着は、もちろんとても着られません。
上着も小さいものきついものは、
スーツやボディラインにピッタリした物は
体が苦しく感じ、肩がこってとても身につけていられません。
時には薄いブレザーですら、肩がこって重くて着られません。
かっちりしたデザインのものは、いくら軽くても、
体がきゅうくつに苦しく、重く感じてしまいます。
ストッキングも繊維の触れた感じが気持ち悪くて
はいていられなくなりました。
脳にとって「触れた感じが心地よい衣類」しか、許さなくなった感じです。
まるで、「脳の衣類アレルギー症状」のようです。
素の状態で苦しい体が、必死で「少しでも楽でいたい」と
衣類でさえ拒否しているかのようです。
わずかな皮膚への圧迫も、体が拒んでいるかのようです。
ささいな衣類の締め付けさえ、素の状態でしめつけられている体では
負担を感じて耐えられないのです。
ズボンも、ウエストがゴムのリラックスウエアでないと、
とても苦しくて着ていられません。
(頻尿のため、ゴムでないと、トイレが間に合わないためもあります。)
普段外出する時の衣類はすべて、
ゆるゆるふわふわ、大きめサイズの体をふわっと包みこむようなデザインの物、
つまり、
肌ざわり良く、軽くて、楽なものでないと衣類として体が受け付けなくなってしまいました。
衣類の重さで疲れてしまうのです。
こんな症状のせいで
下着から上着まで、とてもおしゃれを楽しむどころではないのです。
体に負担を感じない、楽な衣類、それのみが優先されます。
いつもジャージ上下、スエット上下、フリース上下の
外出時もゆるゆるふわふわのリラックススタイルという、
流行に無縁な私です。
スーツや、ボディラインを強調するデザインが好きだったのに、
ひらひらフワフワのスカートも、
タイトなスカートも好きだったのに、
まったく体が受け付けなくなりました。
悪化前はハイネックが好きだったのに、首に触れるだけで苦しくて
首に布が触れないデザインや、襟ぐりが大きく開いた衣類しか
着られなくなりました。
まさに、「死なない」けれど、
人生の質(QOL=クォリティオブライフ)を、
明らかに低下させる、目には見えない苦しい苦しい症状なのです。
下着や上着まで、着るものが限られてくるほどの
体のしめつけ感、と圧迫感。
これも、目には見えない、脳脊髄液減少症の過酷な症状のひとつです。
どうか、どんな症状か一瞬でいいので、
精一杯の想像力を働かせて、考えてみてください。
脳脊髄液減少症は程度の差こそあれ、
いろいろな症状が、いくつも組み合わさり、
出たり消えたりして続き、毎日がほんとうにつらいのです。
しかも、見た目元気そうに見られます。
このギャップの大きさを知っているのは、患者本人だけです。
この病気の患者さんらしき人が身近にいたら、
こういう病名、原因もあると教えてあげてください。
身近に「脳脊髄液減少症」の患者さんがいたら、
どうか、あたたかなご理解、ご支援のほど
よろしくお願いします。
本当に、一瞬一秒がつらい時があるのです。
仮病ではありません。
なまけものでも、だらしがないわけでもありません。
体の症状と髄液減少による高次脳機能障害で
日常生活が円滑にできないのです。
どうかわかってください・・・・・・。
(まだつづく・・・かも?)
「痛さつらさも彼岸まで・・・?」
体のしめつけは一進一退です。
21日と22日は少し楽になりました。
ギリギリと締め上げられていたゴムが、
少しゆるんだ感じです。
胸のしめつけ感はピーク時よりやわらぎ、
呼吸がしやすくなりましたが、
両手両足の脱力があって、思うように動けません。
今日は体のあちこちが痛みます。
インフルエンザの時の体の痛みに似ています。
苦しみの峠が過ぎると、
ほっと、一息つき、生き延びた気分になります。
砂漠をさまよって、やっと小さなオアシスにたどりつき、
喉を湿した気分です。
気をよくして動いていると、また調子が悪くなってきます。
さて、前回の「体のしめつけ感」の続きです。
まだまだ書き足りないことがたくさんあります。
「圧死」しそうな感じは波を持って
強くなったり、弱くなったりします。
裸の体だけで、圧迫感があるため、
寝る時の布団でさえ、重くて苦しいし、
着ている衣類の重さですら、つらいのです。
人に触られることさえ、重さを感じてしまうほどです。
身につける下着や衣類ひとつの重さが苦しくて
本当に、裸になりたくなるほどの時があります。
下着ですら脱ぎ捨てたくなります。
ただでさえ、肺や心臓を圧迫されている感じの苦しさで、
家にいる時はブラジャーは苦しくて、とてもつけていられません。
ショーツでさえ、大きめサイズのゆるゆるのものでなければ
体がしめつけられて、苦しくて身につけていられません。
「圧死」しそうな時は
ノーパン、ノーブラで、直接ふわふわ衣類に身を包んでいたい気分です。
さすがにパンツはなるべく、はくようにしていますが、
本当に素っ裸に、ゆるゆるふわふわ衣類上下を着ていたい時があります。
健康な方には、信じてもらえないかもしれませんが、
本当に、それほど苦しいのです。
以前の私は、夜寝るときも
ガードルやブラジャーつけたまま、眠るような人間でしたが、
今はできることなら裸にフリースパジャマのみで寝たい気分です。
まるで別人です。
こんなに苦しいのに、この「体の締め付け感」の症状は
「病気」と認められず、
近所の無理解な勉強不足の医師に訴えても、何もしてもらえないどころか
冷笑されるのがオチです。
たぶん、「脳脊髄液減少症治療」に取り組む医師でさえも、
この病気でこの症状の体験のない医師は、
この症状の深刻さを、充分理解してはいないと思います。
「痛み」という症状は、比較的誰にでも想像しやすいため、
同じ病気の患者さんでも、この病気に取り組む医師でも、
想像しやすく理解を示されやすいと思います。
しかし、この表現のできない「圧死」しそうな「体の締め付け感」は
なかなかその深刻さを理解してもらうのは難しいと感じています。
ましてや、この病気の存在すら知らない人や、否定する医師には
「そんな大げさな」とあきれられることでしょう。
体の苦しさのあまり、化学繊維の中には、
肌に触れただけで、不快で気持ちが悪くなる種類もあります。
ここち良く感じる衣類が、
綿やフリース素材など一部に限られてしまいます。
下着はもちろん、上着まで着られる繊維やデザインが限られてきました。
レースのついたデザインなど、
レースが体に触れるだけで、体に負担を感じてつらいし、
ガードルや補正下着などしめつける下着は、もちろんとても着られません。
上着も小さいものきついものは、
スーツやボディラインにピッタリした物は
体が苦しく感じ、肩がこってとても身につけていられません。
時には薄いブレザーですら、肩がこって重くて着られません。
かっちりしたデザインのものは、いくら軽くても、
体がきゅうくつに苦しく、重く感じてしまいます。
ストッキングも繊維の触れた感じが気持ち悪くて
はいていられなくなりました。
脳にとって「触れた感じが心地よい衣類」しか、許さなくなった感じです。
まるで、「脳の衣類アレルギー症状」のようです。
素の状態で苦しい体が、必死で「少しでも楽でいたい」と
衣類でさえ拒否しているかのようです。
わずかな皮膚への圧迫も、体が拒んでいるかのようです。
ささいな衣類の締め付けさえ、素の状態でしめつけられている体では
負担を感じて耐えられないのです。
ズボンも、ウエストがゴムのリラックスウエアでないと、
とても苦しくて着ていられません。
(頻尿のため、ゴムでないと、トイレが間に合わないためもあります。)
普段外出する時の衣類はすべて、
ゆるゆるふわふわ、大きめサイズの体をふわっと包みこむようなデザインの物、
つまり、
肌ざわり良く、軽くて、楽なものでないと衣類として体が受け付けなくなってしまいました。
衣類の重さで疲れてしまうのです。
こんな症状のせいで
下着から上着まで、とてもおしゃれを楽しむどころではないのです。
体に負担を感じない、楽な衣類、それのみが優先されます。
いつもジャージ上下、スエット上下、フリース上下の
外出時もゆるゆるふわふわのリラックススタイルという、
流行に無縁な私です。
スーツや、ボディラインを強調するデザインが好きだったのに、
ひらひらフワフワのスカートも、
タイトなスカートも好きだったのに、
まったく体が受け付けなくなりました。
悪化前はハイネックが好きだったのに、首に触れるだけで苦しくて
首に布が触れないデザインや、襟ぐりが大きく開いた衣類しか
着られなくなりました。
まさに、「死なない」けれど、
人生の質(QOL=クォリティオブライフ)を、
明らかに低下させる、目には見えない苦しい苦しい症状なのです。
下着や上着まで、着るものが限られてくるほどの
体のしめつけ感、と圧迫感。
これも、目には見えない、脳脊髄液減少症の過酷な症状のひとつです。
どうか、どんな症状か一瞬でいいので、
精一杯の想像力を働かせて、考えてみてください。
脳脊髄液減少症は程度の差こそあれ、
いろいろな症状が、いくつも組み合わさり、
出たり消えたりして続き、毎日がほんとうにつらいのです。
しかも、見た目元気そうに見られます。
このギャップの大きさを知っているのは、患者本人だけです。
この病気の患者さんらしき人が身近にいたら、
こういう病名、原因もあると教えてあげてください。
身近に「脳脊髄液減少症」の患者さんがいたら、
どうか、あたたかなご理解、ご支援のほど
よろしくお願いします。
本当に、一瞬一秒がつらい時があるのです。
仮病ではありません。
なまけものでも、だらしがないわけでもありません。
体の症状と髄液減少による高次脳機能障害で
日常生活が円滑にできないのです。
どうかわかってください・・・・・・。
(まだつづく・・・かも?)