脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

脳脊髄液減少症の病院情報

2007年10月30日 | 情報
脳脊髄液減少症に関する病院情報です。公開され次第、順次追加していきます。
①新潟県 ②宮崎県 ③栃木県  不登校との関係(2009年4月)④宮城県 ⑤千葉県⑥島根県島根県安来市 ⑦大分県⑧埼玉県 ⑨岩手県 ⑩佐賀県
⑪鳥取県
鳥取県米子市2009年7月29日⑫福島県 ⑬長野県 ⑭山形県 ⑮鹿児島県 ⑯福岡県   ⑰和歌山県  ⑱茨城県 ⑲三重県 ⑳神奈川県 21、静岡県 22、京都府
23、秋田県 24、愛知県(2009年3月24日公開)岡崎市
津島市
岩倉市1 岩倉市2
25
鹿児島県2009年3月31日
26福井県2009年4月2日
27、青森県 青森県鶴田町 28兵庫県2009年7月28日 
山梨県2009年8月13日公開
その他)
北海道 小樽市立小樽第二病院脳神経外科 高橋 明弘 医師
宮城県 仙台医療センター脳神経外科 鈴木 晋介 医師
山形県 山形県立中央病院脳神経外科 武田 憲夫 医師
群馬県 医療法人全仁会 高木病院 高木 清 医師
長野県 瀬口脳神経外科病院 瀬口達也 医師
神奈川県 麻生病院脳神経外科 鈴木 伸一 医師
東京 山王病院脳神経外科東京   大久保病院脳神経外科 及川明博 医師 山梨県 山梨大学医学部付属病院脳神経外科 堀越 徹医師
愛知県 名古屋市立大学病院脳神経外科 西尾 実 医師
愛知県厚生連海南病院 遠藤乙音 医師 
社会保険中京病院脳神経外科 池田 公 医師
兵庫県 明舞中央病院脳神経外科 中川 紀充 医師
広島県 福山医療センター脳神経外科 守山 英二 医師
香川県 聖マルチン病院整形外科 山口 良兼 医師
徳島県 虹の橋クリニック  美馬達夫医師の月1回の外来
北九州市九州労災病院脳神経外科(ここのHPの一番下の「その他」をご覧ください。)
福岡県 高木病院脳神経外科 中原公宏 医師
熊本県 熊本機能病院脳神経外科 江口 議八郎 医師
荒尾市民病院脳神経外科 不破 功 医師
山形大学が多くの患者を診ているという情報は、この2年(2007年10月現在)私はネット上で見たことも聞いたことも、ありません。
つまりそれは、多くの患者が治療施設として山形大を今まで選んでいなかったということだと思います。なのに、昨年の脳神経外科学会での嘉山教授の影響か、
脳脊髄液減少症の研究費申請は山形大学が行い、山形大学に研究費が降りるようです。今まで実績もない大学病院の脳神経外科に研究費がおりても、はたして脳脊髄液減少症の正確なデータが取れるのか?、本当に正確、公正な研究がなされるのか?私は正直疑問に思っています。純粋に患者のために、医学の発展のために、研究してほしいです。
私が実際に、複数の「脳脊髄液減少症肯定派医師」を受診してみて、感じたことがありますのでお伝えします。
それは、「病態の存在を肯定して、病名を認知していて、検査ができる、ブラッドパッチができる。」ことと、「患者の苦しみを深く理解している。」こととは全く別ものだということです。
研究にかかわっていたり、病名を知っていたり、ブラッドパッチの経験があっても、脳脊髄液減少症の多彩な症状や患者の瀕死のような苦しみがほとんどわかっていない医師もいます。脳脊髄液減少症が、「そんなに大騒ぎするほどのたいした症状ではないし、ブラッドパッチすればすぐ治る簡単な病態。」という、浅はかなとらえ方の医師もいます。
この「見えない怪我」がどんなに恐ろしい症状を出すのか、
どんなに患者本人や周囲の人生に危険や悪影響を与えるのか、
放置されればされるほど、どんなに人生や人間関係まで破壊していく病態なのか、
事態の深刻さをまったくご存知ないようなのです。

やっと主治医より近い病院の医師を訪ねるため、わざわざ知人に仕事を休んでもらって連れていってもらっても、何時間も待たされて、やっと受診の順番がきてみれば、「私には何もできない。」とあっさり言われました。

(自力で医師にもたどりつけない、誰にも連れていってもらえないで
苦しみ続けているであろう患者さんたちもたくさんいるであろうと思われます。)

私はその医師の態度が、『主治医がいるのに、なんでわざわざここへ来たの?迷惑』と言わんばかりの態度に感じました。
私はキレて言いたかった。なぜ来たかって?それはね、
「主治医があまりに遠すぎるから、少しでも近くに理解してくれる医師を見つけたかったからです。」と。
4時間待たせて、それはないだろうと怒りたかった。でも、言えませんでした。気力も体力も限界でしたし、そういう医師に何を言ったって
患者の気持ちなんかわかりっこないと思ったから。
脳脊髄液減少症の主治医からの紹介状を持っていって、脳脊髄液減少症の研究にかかわっているという医師で、コレです。

起きているだけで苦しい患者が、人を仕事休ませてまで連れてきてもらって、数時間待たされたあげく、こんなことを言われるのです。

医師もお昼休憩もとらず、疲れていたのでしょうが、私はあまりのショックで自宅に帰ってからも、しばらく立ち直れませんでした。

病名がつき、ブラッドパッチで改善もしつつあり、
主治医の紹介状を持った私で、脳脊髄液減少症に理解があるという医師で
これでは、病名もない、原因不明の体調不良を抱える方がたが、脳脊髄液減少症という病名にたどりつく困難さを改めて感じ、暗澹たる気持ちになりました。

主治医から紹介状を持っていった私ですら、この扱いですから、
まだ診断さえつかない多くの苦しむ患者さんたちの存在を想像し、
表向き、「脳脊髄液減少症に理解がある、研究にたずさわっている医師」であっても、この厳しい現実を目のあたりにし、絶望的な思いと幻滅感と
深い悲しみもわきました。

本当はその先生には、「遠方の先生だけでは心細いでしょう。何かあったら、いつでも相談にきてください。私でできることがあれば力になります。」ぐらいの言葉がほしかったのです。

このように、患者の孤独で不安な闘病生活やその間のより近くの医療機関での対症療法的医療支援や相談、など、さまざまな肉体的、精神的支援を切望していることも、まったくわかっていない医師もいます。

これらの医師たちと、深く脳脊髄液減少症を理解している主治医との
「知識と経験と患者の苦しみの理解度」を比べるなら、
富士山の山頂と海底ぐらいの高低差を感じます。

でも、少なくとも、名前が公表された病院は「これから患者の苦しみに耳を傾け、
脳脊髄液減少症を理解し、治療に取り組もうとしている。」病院だと信じたいです。
でも、脳脊髄液減少症が医学の教科書にも書かれていない、医学部でも教育を受けていない、未知の病態である以上、おこがましい言い方かもしれませんがこの病態に関しては特に
「経験した患者が医師を育てる」と言っても過言ではないと私は思っています。

けなしてばかりでは育つものも育たないように、おおらかな気持ちで受診し、伝えることはしっかり伝え、遠慮しないで思ったことを言うのも、賢い患者かもしれません。
医師も症例を積み重ね、検査のRIやMRIの読影に慣れ、
ブラッドパッチ後の風船効果や、その後の数ヶ月の悪化のような期間経過や
悪化と回復の波や、患者の苦しみを目のあたりにするにつけ、

この病態がブラッドパッチすれば、はいオシマイというような
簡単な病態ではなく、回復には時間が必要で、その間、
患者は、より深い理解と医療支援を必要していることに気がつくことでしょう。

すべての診療科に及ぶ症状が出るため、早期発見早期診断のためには
すべての科の医師たちが、この病について深く理解し、
連携をとることの重要性にも遅かれ早かれ気づくことでしょう。

深刻な高次脳機能障害の存在も気づくことでしょう。
体と脳機能と今までの無理解で傷ついた心の、
ケアやリハビリの必要性にも気づいていただけるかもしれません。

うつや、自律神経失調症、更年期障害などなど、
内科、整形外科、婦人科、神経内科、精神科などで先に診断され、
「別の病名」つけられた患者の中に
脳脊髄液漏れを検査で発見することもあるでしょう。

繊維筋痛症や、慢性疲労症候群と先に世に認められた病態と
症状がとてもよく似ていることにも気づくことでしょう。

この病態の抱える症状の数々とそれが及ぼす危険や
人生に及ぼす悪影響などの深刻な事態に、気づいて暖かな救援の手が差し伸べられる日がきっと来ると信じています。

多くの患者経験を積むにつれ、交通事故との因果関係は否定できなくなるはずです。
脳脊髄液減少症とそうでない疾患をより正確に診断できるようにも
なることでしょう。
患者も理解されないからと敬遠しないで、粘り強く体験したことを
伝え続けていけば、
まだ脳脊髄液減少症に対しては経験の浅い病院や医師であっても、
多く患者を経験すれば、いつか真実が見えてくると思います。
患者の苦しみに理解も深まると思います。

そのうち、その病院の脳神経外科医一人ではなく、
その病院のいろいろな科の医師や検査技師、放射線技師、看護師、受付スタッフなど、病院全体の職員が、脳脊髄液減少症に理解あるようになってほしいものです。

そうでないと、待合室に横になれるスペースがない、とか
脱力で文字を書けなかったり記憶障害のある患者に
「普通の患者用の問診表が渡されたり」と
脳脊髄液減少症患者に必要な配慮の足りない病院は
患者にとって、受診すら過酷なものとなりますから・・・。

患者が増えれば、脳脊髄液減少症患者に必要な配慮も、
医師も病院側も気づくはずです。

最初はこの病態にまだ経験の浅い病院や医師でも、
きっといつかより深い理解者、支援者になって、患者を頼もしく支えてくれると信じたいと思います。
真実は真実として受け入れ、事実を曲げない、人としての心ある、
医師としての心ある医師がまだ日本にはたくさんいらしゃることを信じ、

その医師たちの経験と知恵が集結され、いつかこの病態の解明につながることを願っています。

2008年8月20日追記
医師、病院選びのポイント(私の独断と偏見。)
1、1週間に3日以上外来で、脳脊髄液減少症患者を診ている医師を選ぶ。(実際にいろいろな医師を受診してみて、診察日が、週に1日だけとか、それも午前中だけ、午後だけというような医師では、脳脊髄液減少症患者と遭遇する機会が少なく、  臨床経験が積めないと感じたため。ただし、脳脊髄液減少治療をしている病院とは別な病院に、週1回とか出張診察に来ている医師は別。
2、ブラッドパッチする前に、漏れている箇所を慎重にMRミエロやRIで詳しく検査する医師。
3、 RI検査は診断治療に必要な場合に限り慎重に行う医師。最初の診断時のみならず、漏れが完全に止まったかは、MRIでは正確にはわからないため必要に応じて、再度RI検査で漏れがないか、漏れが止まったかを確認することも、今後は重要だと思われる。
4、 RIも、MRIもこの病態の撮影ポイントを学んでいる放射線技師のいる病院。
5、  RI検査の際、薬剤の穿刺が痛みが少なく1度で決まる腕のいい医師。
6、  看護師、放射線技師はもちろん、受付、薬剤師など、他の病院のスタッフにも、脳脊髄液減少症の知識が、ある程度行き届いている病院。
7、ブラッドパッチを頻繁にしない医師。1回ブラッドパッチをしたら、    少なくとも半年は慎重に経過を見守る医師。
8、充分な経過観察をしながら、検査もして、もし、漏れが見つかったら    その時再ブラッドパッチを考える医師。
ブラッドパッチをむやみに頻繁に繰り返さない医師。
9、RI検査をする場合は、すでに症状がひどい患者に対しては、RI検査とブラッドパッチはセットで行う医師(RI検査による、症状悪化を防ぐため。でも、現在は針が25Gと細いためその心配は低いようです。)
10、常に全脊椎レベルで診て、腰椎の漏れが止まった後も、胸椎頚椎の漏れも見逃さない医師。
11、 薬は患者に必要最低限の処方で、者の訴えに応じて、むやみに多量の薬を出さない医師。特に精神科分野の薬に関しては、患者を薬づけにするほど、多量の薬を出さない医師。
12、 他の疾患の可能性も常に視野に入れながらも、脳脊髄液減少症の多彩な症状を熟知し、患者の訴える症状にいちいち振り回されて、むやみに病名を増やさない医師。でも、合併症がある場合は別ですが・・。
  一度、脳脊髄液減少症という、正体を見抜いたら、患者の悪化したかのような数々の症状にいちいち動揺せず、大元に脳脊髄液減少症があることを忘れないで、病の本体から、目をそらさず、患者の経過中のさまざまな症状に振り回されず、
まずは、その大元の病を改善することに、意識を集中する医師。
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秋晴れの空

2007年10月28日 | つぶやき
今日は台風一過のいいお天気です。

青い空に、色づいた柿の実が
鮮やかに映えていました。

でも、体調は悪いです。

苦しくて体を起こしていられなくなったり、
出たり消えたりする不思議な半身麻痺や安静時の突然の動悸、心臓の圧迫感
手首、足首の脱力が現れ、
そのつど、水分とって横になるしかありません。

ものすごい苦しい重病感を感じるのは自分だけで、
そんな時も見た目、そんなふうには見えないらしいし、

数十分横になると苦しさが治まったり
ペラペラしゃべったり、普通に歩けたりするので、
よけい、その苦しさを信じてもらえません。

横になって、回復して、動いている私が
横になる前、
体が溶けてしまうようなだるさや
手足の脱力、
息ができないような呼吸困難感、
心臓をにぎりつぶされるような狭心症のような苦しさの
重病感を感じている人間には

とても見えないようです。

でも、
回復する時、脳脊髄液の増減で、
こういう症状の波も現れると
主治医の先生がおっしゃっていました。

「症状のほとんどは、脳脊髄液の減少による
脳の機能障害によって、精神機能も含め全身の症状が出ると思われ、
苦しみを感じるのは自分だけ。検査にも出ない痛み苦しみ。

しかも、症状が出たり消えたりするから、
普通の病気や怪我の概念しか持ち合わせていない医師や一般の人には
まるで仮病のように演技のように見える。

とてつもなく苦しい時でも、それが表情や顔色に出にくい。
見た目健康そう。どこも悪いところがないように見える。

普通に話せることも多く、症状には時間単位でも波があるから、ウソっぽく
演技っぽい。」

これが、
脳脊髄液減少症を知る医師であっても、
経験の浅い医師には、
「重病患者として」真剣に扱ってもらえない原因だと思います。

仮病じゃないのに、仮病そっくり。

演技じゃないのに、演技そっくり。

ホントに不思議で、残酷な病態です。





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コスモス畑

2007年10月24日 | 四季の風景
昨年の絵のモデルになった、コスモス畑です。
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散歩の森

2007年10月23日 | 四季の風景
いつもリハビリに歩いている森です。
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むかごご飯

2007年10月22日 | 小さな幸せ



土曜の朝に、むかごご飯を炊いて食べました。

前の夜に、
炊飯器にお米とむかごをセットしておいたら、
朝いい香りで炊き上がっていました。

むかごご飯を炊くのは、はじめてだったので、ネットで少し調べてから炊きました。

むかごの量が少しなので、自分なりに考えて、
普通のもち米1合に、普通のお米半合の、
計、1合半炊きました。

ネットで調べたら、塩味がしっかりついてたほうがおいしいとあったので、

水かげんは普通にして、塩をひとつまみより少し多め(小さじ1ぐらい?)
入れて炊きました。

できあがりは、初めてのわりに上出来でした。

小さなむかごなのに、
こくのある濃厚で自然薯の味が、
ひと粒に凝縮されているような上品な味がしました。

塩味のもち米ととても良く合い、
おいしくいただきました。

普通米だけより、もち米を1対2の割合で多く入れて炊いて正解でした。

ねっとり、ほっくりとしたやまいもの食感と、
もち米のもっちり感が、私好みでした。

一年の中でこの時期だけの期間限定の「むかごご飯」

自分で採って、自分で炊いて食べられた事は、

最近の脳脊髄液減少症の症状悪化の体調の中にあっても、
心がほんわかした、
幸せなひととき、幸せな味でした。

秋のめぐみと、ささやかな日常に
自然に感謝の気持ちが湧き、

生きていることに喜びを感じた、
小さな出来事でした。



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むかご

2007年10月21日 | 小さな幸せ
先週、家の庭でとれた「むかご」(やまいもの実)です。

幼いころ、油で炒めて、お砂糖と醤油で甘辛く味付けしたものを
食べた記憶があります。

むかご入りおこわでも炊こうかな?

もしかして、むかごってスーパーでも売っているのかな?

うちの庭にも、そこらじゅうに山芋のつるが自生してます。

でも、悲しいことに、
庭のつるが汚らしいと嫌う家族がいて、
むしりとってしまうのです。

せめて、むかごが実って採ってからむしればいいのに・・・・
かなり夏にむしられてしまいました。

でも、生き残りのやまいものつるがまだあって、
むかごが収穫できました。

よかった。

私はつる草が大好きなのです。
つるを見つけるとワクワクします。

つるでクリスマスリースも作ったことあります。。

私がひろってくる落ち葉も松ぼっくりも、どんぐりも
ゴミにしか見えない家族がいて、つらいです。


先週から今週いっぱいにかけて、
脳脊髄液減少症の症状が悪化して、
呼吸困難感と心臓の圧迫感と脊髄の痛みと首絞め感と、
四肢の脱力と、激しい倦怠感のオンパレードで苦しんでいました。

もう、「死にたい」「殺せ~」とヤケになるほど・・・

いい大人が、「お母さ~ん、たすけて~」と心の中で何度も叫ぶほど、苦しかった。

そんなわけで、先週木曜に採ったまま、
今週一杯体調不良の苦しさでやる気もなく、
1週間もほっておいた写真のむかご。
もう、カラカラでダメかも・・・?

また、庭で新しいむかご採ろうかなぁ?

でも、検索して料理法知ったから、
おコメといで入れるだけなら、できそう。

症状の緩和と体調の回復とともに、
がぜんやる気が出てきました。

もし、料理して食べることができたら、
感想はまたあとで書きます。

参考:
花山村の自然薯
むかご
東京ガスHP
薬膳の書
地域の食編

↓むかごって買えるのぉ~ビックリ
むかごの通販

追伸:(19日記)
庭に出て、採ったばかりの生のむかご、食べてみました。
シャキシャキカリカリして、生の山芋の味。あたりまえか・・・

追伸の追伸:(21日記)
この記事は何日か前から19日金曜にかけて書いたものですが、
20日の土曜の朝、むかごご飯を炊いて食べてみました。
おいしかったです。


詳しい感想は次回・・・・・。



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公園のきんもくせい

2007年10月20日 | 四季の風景
先週の金曜の、
公園のきんもくせいです。

昨年の秋、
キンモクセイの甘い優美な香りに誘われて、
リハビリ散歩に行ったこと、思い出しました。

2006年9月24日の記事

昨年は香る時期が今年より早かったんですねぇ・・・

今年は猛暑で紅葉も2週間ほど遅れているみたいですから、

この地域でのきんもくせいの満開の時期も遅れたんですかねぇ・・・・

きんもくせいの香り、私、大好きです。


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どんぐりの木の下で

2007年10月18日 | 四季の風景
先日、どんぐりの雨を体験した翌日の、
散歩コースの道の、
森の木の下のどんぐりが敷き詰められた地面の様子の写真です。

この日の散歩は家族と一緒でわずかな距離だったので
65回目の散歩には数えません。

自然のままです。
私は手を触れていません。

ちょうど栗のイガがあった場所を撮りました。

最近は苦しくて、絵もなかなか描けないので、
いつか絵にしたいなぁと思った風景を、切り取るように、
時々写真に撮っています。

私のように、体調がいいとき自力で散歩に出かけられる人ばかりでなく、

かつての私のように、
病気や怪我で、家の中だけでの生活を余儀なくされている方
いらっしゃると思うので、

下手な写真ですが、
私が日常で見た秋のおすそ分けが
できればと思い、
これから、少しずつ、紹介します。

携帯写真は脱力する手が揺れて、どうしてもボケて、
きれいに撮れないのですが・・・



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どんぐりの雨

2007年10月15日 | 小さな幸せ
10月12日の金曜日、
体調はいまひとつだったのですが、
お天気が良かったので、公園にリハビリ散歩に行ってきました。

ブラッドパッチ後、半年たって、リハビリ散歩を始めてから
通算64回目です。(たぶん・・・・

その前の日の11日も、63回目の散歩に行けました。

平日の公園は、いつも閑散としているのに、
11日も12日も天気がよかったからか、

意外に大勢の人たちでにぎわっていました。

久しぶりの公園は、すっかり秋の装いで、
風にのってキンモクセイが香り、

地面にはどんぐりや栗など
木の実がたくさん落ちていました。

森の横を歩いていたら、
バラバラと
雨がふるような音がしました。

なんだろうと音のする方向を見たら、
どんぐりが落ちて、地面に当たる音でした。

また落ちてこないかと、じっと上を眺めていたら、

二人連れのお年よりが、むこうから歩いてきたので、
「こんにちは」とあいさつして、
「木の実がすごく落ちてきますね。」と言ったら、

「むこうの森はもっとすごいよ。」と教えてくれました。

「私ら、むこうの森を歩いてきたんだけど、
バラバラバラバラ、もっと雨のように落ちていたよ。
あんまりすごいんで、しばらく立ち止まって見上げていたよ。
今ちょうど(どんぐりなど木の実が落ちる)時期なんだね。」
と話してくれました。

どんぐりには、「なら」や「しい」などいろいろあることも
教えてくれました。

どの実が「しいの実」で、どの実が「ならの実」や「ぶなの実」か
私にはさっぱりわからず、見分けがつかなくて、
みな同じ「どんぐり」としか見えませんでした。

日中はひとりぼっちで誰とも話す機会がないので、
見知らぬ人との短い会話ですら、
とても新鮮に感じました。

その後
私は、わくわくしながら、その森へと向かいました。

このへんかな・・・
そう思って立ち止まって森を見渡していた時、

ちょうど風が吹きました。
すると・・・・

バラバラ、バラバラ、
本当に雨のように、
どんぐりが降ってきました。

風で、
一斉に枝からどんぐりが落ちて、
地面に当たる音は
まるで激しい雨か、氷の粒のヒョウのようでした。

どんぐりが、
雨のように、森の木々から一斉に落ちる光景と音は、

私は生まれて初めて遭遇しました。

昨年の秋のリハビリ散歩の時には、出会えませんでした。

昨年は自力で外出しはじめたばかりで、
公園に来るだけで必死だったし、(今も命がけですが・・・

昨年の今ごろは、
サングラスもしていたり、杖ついて歩いていたりで、
歩くのに必死だったころで気づかなかったのかもしれませんし、
タイミングがずれていたのかもしれません。

自然界の出来事は、
みな一瞬の出来事です。

わずかでも、タイミングがずれれば、
出会えない光景なのでしょう。

今年の私は運が良かったようです。

翌日12日にも同じ場所を歩いてきましたが、
もう、
どんぐりが一斉に落ちる光景にも、雨のような音にも出会えませんでした。

前日のあの光景がうそのように
まるで何事もなかったように静まりかえっていました。

ただ、あたり一面に木の実が敷き詰められていました。

やはり、あの「どんぐりの雨」は貴重な一瞬だったようです。

自然はいつも、
やさしさと発見と、感動と驚きで私の脳にも刺激を与えてリハビリしてくれます。

疲れた心も、荒れた心も,

自然はいつも、無言でありのままに包んで、
受容して、癒してくれます。

脳脊髄液減少症を取り巻く、残酷な現実や
利己的な心ない人間たちの存在や、
国や無理解医師たちの冷たい対応

一見戦争のない、平和に見える社会に潜む、
人命軽視の思想や、
人々の対立や争いを知るたびに、

私は悲しみに満たされ、
人の心が信じられなくなり
自分とこの国の未来を憂いてしまいます。

見た目は元気そうで、理解どころか同情も得られず、
自分だけが感じる「認められない病」のつらい症状の数々の耐え難さ
自分のこれからに、
絶望してしまいそうになる事もあります。

「死んですべての精神的、肉体的、社会的な苦しみから逃れたい。・・・」
そう思うことも、正直あります。

でも、生きていれば、ささやかでも
自然や、
正義の心を持つ方がたや、人の優しさにも出会えます。

だから、生きてさえいれば、

必ず真実は明かされ、
多くの急救助の手がさしのべられる日が来るかもしれない、

いつか確実な治療法と、体が健やかで楽な日々がくるかもしれない、という
わずかな希望もわいてきます。

の森は、まだまだ
人を癒す、いろいろな仕掛けがたくさんありそうです。

生きていれば、まだまだ
いろいろな発見がありそうです。

これからも楽しみです。

昨年公園で出会った、桂の木の
森の綿菓子やさん」も、
11日はまだ開店前で香もあまりしていなかったのに、

12日は開店準備がはじまった様子で
ほんのり甘い香りがしはじめていました。

桂の木の葉も、一日でこんなに違うものなのですね。

「森の綿菓子やさん」
もうすぐ開店のようです。

自然は日々変化しています。

人間もいろいろな意味で少しずついい方向へ
変化していきたいものです。

私も、「脳脊髄液減少症」の苦しい症状をまだ抱えながらも、
自然や動物に励まされながら、

くじけそうになりながらも、
日々少しずつ変化しながら生きていきます。



追伸:写真は公園でひろった、木の実と落ち葉です。
ひろった「むかご」(やまいもの実)も混じっています。
どんぐりというのは、「ブナ科の木の実」の名称だと
ネットで調べて知りました。

参考:
どんぐり入門
どんぐりって食べられるんですか?
でも、これ以上体調が悪くなると困るので、私はやめておきます。

どんぐり図鑑






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あけび

2007年10月09日 | 小さな幸せ
先日秋の味覚「あけび」を、
近くの直売所で見つけました。

一皿しか売っていなかったので、
地元の農家の人が自分の山か庭先で採った、
貴重な「あけび」かもしれないと思いました。

秋の貴重な味覚に1年ぶりに再会しました。

見たとたん、まるで宝石を見つけたような気持ちになり、
わくわくして、さっそく買ってしまいました。

小さいのも含め8個くらいついていて400円でした。

昨年は家族に気晴らしにスーパーに連れていってもらった時、
目の覚めるような美しい紫色のあけびを見つけ、
あまりの美しさにひと目ぼれして買いました。
スーパーではもっと高かった気がします。

たしか2個で同じ位の値段だったような・・・

買った数が少なかったこともあって、
昨年は味を楽しむより、見て楽しみました。

あけびの美しさを絵に描きたくなって、
描きかけたまま、不調で未完成のままになり、UPできませんでした。

昨年は味より、美しい紫色に感動してました。

あれから、はや一年たったとは・・・・。

今年手に入れた「あけび」は
見た目は決して美しくはありませんが、
採ってくださった
地元の人の暖かさが伝わる感じがする実です。

家に帰ってから、
山と自然の秋の恵みと、採って届けてくださった方に感謝しながら、
スプーンですくって、まずは一口味わいました。

口にひろがる天然のあまさ・・・・

完熟のあけびは、
山の天然の甘いクリーム菓子のようです。

お砂糖菓子のような、
シンプルなクセのない甘さと、
葛湯のような色となめらかな口当たり。
スイカの甘さのような、サラッとした甘さ。

こういう微妙な味わいの、
素朴な甘さを感じわけられるようになったということは
私の脳脊髄液減少症による味覚障害も、回復しつつあるのかもしれません。

でも、調子の悪い時には、今も味覚がにぶくなることもあります。
この夏に、不調の時、クッキーの味がわかりませんでしたから。

脳が置かれた環境がいい状態で、脳が健康で元気で初めて
味覚も研ぎすまされ、感じわけが可能なのだとあたためて思います。

あけびは種があって食べづらいと、家族は嫌い、
今回は私が一人占めできました。

前住んでいた家には、あけびの木があったのですが、
完熟するころになると、
どこからともなく野生のサルがやって来て
全部食べられてしまいました。
そんな秋の思い出のある「あけび」です。

あけびを食べながら、昨年の今ごろの自分をも思い出します。

昨年に比べ、体調のいい日には、
危なっかしい運転ながら自力で短時間なら外出して、
少しの買い物ならできるようにもなり、行動範囲は確かに広がりました。

しかし、苦しい症状は消えません。
どうやら、まだ脳脊髄液漏れがあるようです。

脳脊髄液減少症の回復への道のりはまだまだ遠そうですが、
こうした、四季の自然の恵みに励まされながら、

小さな幸せを見つけて味わいながら、

たとえ症状がなかなか消えなくても、
たとえ再発しても、

せっかく「脳脊髄液漏れ」という原因判明の日まで
苦しい症状を抱えながら生き延びてきたのですから

これからも苦しくても淡々と耐え抜いて、
生き抜こうと思っています。




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キアリ奇形と脳脊髄液減少症

2007年10月04日 | 他の病名との関連性
最近気温の激変で少々参っています。
冷房と暖房に一日違いでお世話になりました。

「慢性船酔い状態」の続きは
後日パワーが出たら書こうと思います。

今は治まった過去の症状などを書くことは
正直、思い出したくもないとか、もう、過去はどうでもいい気持ちもあります。

でも、症状を書くことで、
この病に気づく人もいると思うし、

症状の深刻さが周囲にも医師にも理解されないのは、
医学の教科書にも載っていない上、
その深刻な状態や苦しさを医師はじめ、
多くの人が「知らない」のが原因だと思うから、

「知ってもらうために」
私はこれからも少しずつでも、体験した症状も悲しみも、
何らかの方法で書き続けたいと思っています。

さて、話は変わりますが、
先日検索していて、キアリ奇形について書かれた記事を見つけました。

娘さんが6年前にタクシーに引かれるという交通事故に遭い、
しばらくしてから首や頭が痛くなってめまい吐き気、起きているのがかなりつらくなって、
病院に行ったら「先天性キアリ奇形」
(小脳が脊髄に落ち込んで圧迫を起こし、呼吸困難・四肢麻痺を引き起こす)
と診断されたそうです。

そして、キアリ奇形を治す手術をなさったそうです。

しかし、テレビ報道で「脳脊髄液減少症」を知り、
交通事故に遭うまで、元気だったので
当時の診断の「先天性キアリ奇形」の「先天性」が信じられないとのことです。

もしかしたら、キアリ奇形と、
脳脊髄液減少症は、何か関係があるのでしょうか?。

私は素人でよくわからないのですが、
事故などによる外傷性や脳脊髄液漏れによる
「後天性」のキアリ奇形も、存在するのでしょうか?

とても気になる記事ですので、
ご本人の承諾を得て、下記に紹介させていただきます。

脳脊髄液減少症の研究が進み、
他の病名、疾患、症状との関係が解明されることを祈るばかりです。

すべての診療科のすべての医師が
「脳脊髄液減少症」という病態をもっと真剣にとらえ、
脳脊髄液循環障害を
いろいろな角度から研究すれば、

今まで原因不明とされてきた、さまざまな病態の
解明の糸口が、見つかるような気がします。

この病態の存在すら、いまだに否定する医師の皆さん、
脳脊髄液減少症をありえない、存在しない病態だなんて
いつまでも言っていないで、

さまざまな思惑を抜きにして、

純粋に医師として、
「人を救う気持ち」を持ってこの病態を見てほしいのです。

脳脊髄液減少症ガイドライン2007の最初に書かれている、
ウィリアム オスラー医師の

われわれは患者とともに学びをはじめ、
患者とともに学びを続け、
患者とともに、学びを終える」という言葉を思い出してください。

私のような患者のつぶやきにも、
時には耳を傾け、参考にしてください。

最初は患者のたわごとと思われてもいいです。
でも、患者の声に真摯に耳を傾けていれば、それが真実か否かは
見抜けると思うのです。

こういっては大げさかもしれませんが、
この病をほっておくことは
地球上のすべての、
同じ症状に苦しむ患者や被害者を、
見殺しにする行為と同じだと思います

苦しむ人を見捨てているうちはいいですが、
いつか、自分にも降りかかってくるかもしれない病態なのです。

体験してはじめて、「ああ、本当だった、疑って悪かった。」と気づくのでは遅いのです。

どうか、何のたくらみもない、嘘のない患者の真実の叫びを信じてください。

目の前の利益や思惑ではなく、
長い目で見て、
ひろく人類の幸せのために、どうかお力をお貸しください。

そのためにも、まず、
脳脊髄液減少症の治療実績のある病院に出向いて、

患者を実際に自分の目で見て、
治療前と後で話を聞いて、症状の訴えを真摯に聞いて、
それぞれの立場からお力、お知恵を貸してほしいと願っています。

すべての科の先生方が、
脳脊髄液減少症の数々の症状を実際に患者さんから学んで頭にたたきこんで、
日々の診療にあたり、注意深く患者を診れば、
何か新たな発見や気づきがあるかもしれません。

医師と患者、患者どうし、
さまざまな対話の中に気づきも生まれると思うのです。

否定しあっていては
新たな気づきは生まれません。

どうぞよろしくお願いします。

どんなに否定しても、
真実なら、やがて歴史の流れと医学の進歩、そして
医師の世代交代の中で、事実は事実として、明らかにされていくことでしょう。

否定するなら、否定する方たち複数で
自らの体で、
お互いに100ccでも200ccでもたっぷりと脳脊髄液を抜いてみて

実際に体験してみて、
患者の訴える症状が出ない、長期にわたる症状もでないことを証明するぐらいの
覚悟を望みます。

真実がはっきりするのが時間の問題だとすれば、

組織や学閥やプライドの維持のために、
意地になるより、

その証明のために、力を尽くすほうが、
人の生き方として、建設的だと思います

多くの人々の心に住む、
真実を見抜く目と良心の持つ力を
私は信じています。




交通事故後に症状が出て、キアリ奇形といわれた娘さんを持つ
のこたんさんの2006年7月20日のブログ記事

のこたんさんのブログ

のこたんさんのブログ・新
↑のこたんさんの9月30日の記事のコメント欄に、
私のコメントに答えてくださった、のこたんさんのコメントが書いてあります。
のこたんさん、詳しいお話ありがとうございました。

参考:↓
キアリ奇形と脊髄空洞症

三好耳鼻咽喉科クリニック
三好 彰先生のお話


↑三好先生は、
仙台医療センター脳神経外科で脳脊髄液減少症の治療に取り組む鈴木晋介先生
いとこでいらしゃるそうです。




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