脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

12日ぶりの公園

2006年10月30日 | 四季の風景
どうしても、

公園の紅葉の進みぐあいが気になって、気になって、

具合は悪かったが、けさ、無理して公園へ行ってきてしまった。

どうしても、自分を止められなかった。

公園に行ったのは12日ぶり。

紅葉は、思ったより進んでいなくて、まだ楽しめそうだった。

よかった、ほっとした。

でも、歩き出したものの、途中で、半身がシビレて、足が前に出なくなってきた。

手も脱力してきた。

半身が重い。ひきずるように、必死で歩く。

地面が地震のようにグラグラと感じる。

景色がゆがむ。

呼吸が苦しい、心臓が苦しい。

いつものコースが長く感じる。

散歩が楽しめない。

周囲を見る心のゆとりがない。

倒れこみそうになりながら、必死で杖歩行でやっと1周歩いてきた。

調子がいいときと、悪い時の、この落差。

これが誤解を生む元になる、この病気の「症状の波」。

スタスタと公園2周も、早足で歩けるときもあれば

半身マヒ状態でひきずりながらの時もある

あまりの落差に、この病気を知らない人には

まるで「演技」のように見えるだろう。

でも、どちらの状態も、

演技でもなんでもなく、この病気の真実の状態。

きょうは歩いていても、現実感がない。

夢の中を、ただよってきたような散歩だった。

悔しい。

でも、無事、運転して 帰ってこれてよかった。



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ゆず

2006年10月27日 | 闘病の工夫
ゆずが手に入ったので

ゆず湯を作って飲んだ。


茶碗に、ゆずの皮をおろし金ですって、

実をしぼって、お砂糖を入れて、

お湯を注いだだけの、

飲む「ゆず湯」。


苦しむ体をうるおしたくて、

自分のために作ったけれど、

ほんわかとした香りと、やさしい味が、

ふんわりと、心までもなだめてくれた。


まだ、青いゆずの香りは

冬の家庭の

あたたかなだんらんの香りがした。



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長野 智子さん、ありがとう!

2006年10月26日 | 日記
今日はお天気だったのに、
私は、一日眠り続けていました。

半身がシビレて、手足に脱力が出ています。
呼吸も苦しい。
こんな日もあります。

患者の回復は簡単には進みません。
ブラッドパッチ後の療養生活こそが大変なのです。

長野智子さん、
取材と放送、そして
ブログに「脳脊髄液減少症」について、
いろいろ書いてくださりありがとうございます。
患者の味方ができたようで、すごくうれしいです。
長野 智子さんのブログ↓
http://yaplog.jp/nagano/
(10月18日、25日の記事をご参照ください。)

苦しい症状の最中に取材に応じてくださった患者さん方にも、
深く感謝申し上げます。


実は、報道ステーションの患者さんを見て
私が抱いた感想は なんと、

「うらやましい。」というものでした。

予想外?。
まさか、ああいう映像を見て、そんな嫉妬に似た感情を抱くとは・・・。

私って・・・・

「靴下をはかせてくれる母がいて、うらやましい。」

「事故から1年以内とか数年で、病名が判明して、うらやましい。」

これが、長年放置されて、
症状の思考力低下や判断力低下、記憶障害で
何度も事故死しそうになっても必死で生き残ってきた、
私が抱いた正直な感想でした。

こんな私の気持ちをここに書くのは
非情な人間に思われそうで、ためらいました。

でも、本当のことなので、
これも
長年苦しんだ患者の気持ちとして、ありのままに
社会に伝えたいと思います。

今、衣食住は満たされていますが、

悪化した時も、退院後も
自分の身の回りのことは、ほとんど自分でこなしてきました。
こなさなければならない状態でした。

悪化でほとんど寝ていた時も、
はいつくばっても、自力でトイレに行かなければなりませんでした。

トイレまで、間に合わなかったら、
自分で洗濯しなければなりませんでした。

干すのも、たたむのも苦しい。
でもなんとか休み休みやらざるをえなかった。
誰もやってくれる人がいないから・・・。

食事もすべて自力で用意し、かたづけなければなりませんでした。

「だれかに助けてほしい。」
「ヘルパーさんが毎日きてくれたら」と何度も涙がでました。

日中一人ぼっちで寝ていると、
電話やら、ドアのチャイムやらが鳴っても
起きて出るのがまた大変で、苦痛でした。

だから、電話もドアチャイムも音がなると、
ドキッとして、
すべての外部からの接触が嫌いになりました。

「だれかがいつも、そばにいてくれたら・・・。」
「代わりに誰かが出てくれたら・・・。」そう何度も思いました。
自宅では安静療養は、意外に難しいのです。

ブラッドパッチ前も後も、毎日毎日が本当につらかった。
ブラッドパッチは数ヶ月かかって、改善していく治療法です。
その後の療養も、
医療や家族の支援のない状態では患者にとって本当につらいものです。

確かに、ブラッドパッチ後急激に改善した経験がありますが
すぐもとに戻り、本当の回復はその後数ヶ月かかって
少しずつ治っていくのです。

その、ブラッドパッチ後の数ヶ月の療養がまた苦しいのです。

ある日のひとりぼっちの日中
天井を見ながら、呼吸困難にひたすら耐えていたとき、

「どうして、こんな動けないほどの重症な状態なのに入院できず、
自宅療養を強いられるのか?。
なぜ、私より元気に動ける成人病の方がたが、長期入院できるのか?。」
と思いました。

これが、病名が認知されているか、いないか、
病気の苦しさ深刻さが認知されているか、いないか、の違いなのだと思いました。

理解がある病院が近所にあるなら、ブラッドパッチをした病院から
近所に紹介してもらい、もう少し入院していたかった。
それくらい、苦しかったのです。

けっこうがまん強い私が言うのです。
ウソではありません。本当につらかった。

でも、重症感は自分が感じるだけで、
周りや、無理解な近所の病院には、「病人」としてさえ認められないのです。

一人暮らしの患者さんや
周りの支援が充分に受けられない境遇の患者さんが
私以外にもたくさんいると思います。

私以上につらい状況に追いやられて
病名もわからないまま何年も人知れず苦しんでいる患者さんも
たくさんいると思います。

私は働いていませんが、こんなに悪化する前は働いていました。
働かざるを得なかったのです。

テレビに出てくださった方のような症状を抱えても、なお、
一家の働き手として、無理に無理を重ねて
生活のために働かざるを得ない
お父さんやお母さんがいるはずです。

たとえ、働かなくても家事や育児だけでも、
この病気を抱えての家事育児は、
ものすごく重労働のはずです。

あまりのつらさ悲しさに、
生きることを放棄したくなる気持ちは、よくわかります。

あの報道の影にいる
病名発見以前の、
もっともっと、長い年月苦しみぬいた患者たちの存在。

「病名」がなかったため、
医師の言葉でさらに深く深く、何度も何年も傷つけられた
「気の遠くなるような苦痛の年月」を
生き延び、または死んでいった、
多くの患者の存在も、報道してもらいたい

本来、人を治療する場で、この病を知らなかったとはいえ
医療関係者がどんな「ひどいこと」をして、
患者を何年もさらに苦しめてきたか、取材して報道してほしい。
そう、思いました。

多くの視聴者の皆さんが
テレビで苦しむ患者さんたちをみて、純粋に
悲しい思いや、つらさを共感しているときに、

冷めた目で、「うらやましい」という感情を抱き、
複雑な思いまでも抱いた私。

この感情は、
この病気で誤解されたり、放置されたりして死んでいった方がたや、
人生を棒に振った多くの生き残り患者たちの
本音かもしれません。

こんな感情を抱くのは、もしかしたら私だけかもしれません。

でも、
「一刻も早く、この病気で苦しむ多くの方がたに、病名に気づいてもらいたい。」
「一刻も早く、社会に理解され、暖かく支援してもらいたい。」
という気持ちに変わりはありません。

そのために、このブログもはじめたのですから・・・。

この病気で苦しむすべての患者さんが、
一日も早く、笑顔と自由な人生をとりもどしますように・・・・



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音楽療法

2006年10月24日 | 闘病の工夫
今日はこちらは嵐です。
雨と風がすごいです。

このところ、
心臓と胸が圧迫されるような感じで苦しいです。
気温がとても低くて、寒く
体温調節が苦手なので、もう暖房つけてます。

今日は、所によって晴れているところもあるようですね。
日本は意外に広いのですね。

さて、今日は、私自身の音楽療法について。
(以下は以前体調がいいときに書いた文に、今日少し手を加えたものです。)

(本当は、今日は最近の「脳脊髄液減少症」の報道などを見て
言いたいことは別にたくさんあるのですが、体が苦しくて書けません。
残念です。また後日書きます。)



[音楽療法]

聴覚過敏に苦しんだ私でしたが、
最近、調子がいいと、音楽を楽しめるようになりました。

これも、ブラッドパッチの効果だと思っています。

治療により、
脳の置かれた環境が居ごこちのよいものになり、
脳は自然に、のびのびと活動を始めたのかもしれません。

人は苦しい症状があればじっとしていますが、
和らげば、ほっておいても自然にいろいろと動き出すものです。


理由のない本当の怠け者や仮病者、など
ごくごくわずかな存在だと思います。

私はつい最近まで、体が苦しくて
音楽なんて、特に聴きたいとも思いませんでした。
まして自分で演奏したいなどどは思いませんでした。

ところが、ブラッドパッチ半年過ぎたころから
いろいろな事に対して
「またやってみたい!」という欲求が自然に沸いてきました。

そのひとつが「音楽」でした。

そのほかにも
「外出」「散歩」「水泳」「おしゃれ」「ダイエット」などなど、
やりたいことが続々出てきました。
脳の回復で、意欲と興味も回復してきたのでしょうか?

特に音楽はもともと好きだったので、
夏の終わりごろから、
だんだんと座位も比較的長く、保てるようになったため、
最近、地域で小さな、無料の演奏会などがあると、
家族と聞きにいったりしました。

夏の終わりに行った、
1時間程度で十数人の聴衆しか入れない小さな演奏会は
大好きなバッハの曲で、すばらしいものでした。

その曲と歌を聴いていると
脳にブワ~と、震えるような、
刺激の波がくるように感じました。

全身に鳥肌がたつような、感動というか、脳の覚醒というか、
そんな感じがしました。

意識の戻らない患者に、音楽や話しかけで、
意識が回復するということが
よく理解できるように思いました。

活動を停止していた脳を
音楽は、「やさしくゆすり起こすような」効果があると感じました。

私はクラシックが好きです。

「脳脊髄液減少症」と診断されてから、
この病気の自律神経の安定には、
「モーツァルトの曲」がいいと主治医が言っているのを知りました。

モーツァルトの音楽も以前から聴いてはいたので、
胎教やストレスにいいことは知っていました。

モーツアルトのCDも病院の売店で改めて買ってきて
自宅で聞いてみたのですが、

私の脳はどうも、バッハの音色の方があっているようです。
モーツァルトはいくら治療に良くても、しっくりきません。

やはり、好きな作曲家の曲のほうが、
脳が喜び、心地よいようです。

9月の下旬になると
私は電子ピアノを弾くようになりました。

弾くといっても、
初心者用の、簡単な楽譜しか弾けませんが
電子ピアノは簡単な曲でも、
さまざまな音色に変えて弾けるので楽しいものです。

悪化前は気分がいいと時々弾いていました。

しかし、昨年
「脳脊髄液減少症」が悪化してから
まったくピアノに向かう気になれませんでした。

痛みと苦しさと
だるさと脱力と呼吸の苦しさで
長く座っていられなかったのもあります。

指もシビレと電撃の走るような痛みや、
脳からの命令がうまく指に届かないような、動きずらい感じもあり、
とても、キーを打つどころではなかったのです。

でも、なにより、
「楽譜を目で追って、読んで、理解して、指をバラバラに動かす。」
という演奏行為が
非常に難解な作業に感じ、できなかったのです。

ピアニストがこの病気になったら、どうなるのでしょうか。?
ふと、そう思いました。

今まで、音楽家の方で
交通事故に遭った人がひとりもいないとは思えません。
その中で「脳脊髄液減少症」の症状が出た人が
まったくいないとも考えられません。

おそらく、この病気になって、治療もされない状態が続けば
演奏活動は難しかったに違いありません。

想像ですが、すばらしい才能を持ちながら
将来を断念した音楽家もいたことでしょう。

ため息がでます。

話を元にもどします。
私は、9月下旬になって、
急に、鍵盤を弾きながら歌ってみたくなりました。

こんな気持ちになるのは、本当にひさしぶりでした。

使わなかった脳と指で、いきなり弾き歌いをしようとしても
指ももつれ、思うように弾けませんでした。

やってみると
「目で楽譜を見て、
右手、左手の楽譜を同時に読んで、
脳でそれを理解し、
命令を出して、指をバラバラに動かし、
さらに声を出して、歌詞を歌う。」という行為は
かなり高度な脳機能のようです。

楽器を弾くということは、大変ですが、脳のリハビリにもなると思いました。

当時から、かなり脳機能の低下を感じていましたが(計算力、記憶力など)、
症状を抱えながらも時々演奏していたため
それ以上の思考力の悪化を、防いでいたのかもしれません。

やる気が出てから、9月の末に昔の楽譜を引っ張り出して、
真っ先に弾き、歌った曲は
「いつも何度でも」という曲です。

2001年に「千と千尋の神隠し」というアニメ映画の主題歌となった曲です。

弾きながら、5年前の当時の自分が思い出されました。

公開されてまもなく、映画を見に行き、
その不思議なストーリーも魅せられましたが、

その主題歌「いつも何度でも」の歌詞になぜか強く魅かれました。

すぐCDや楽譜を購入して、
私は当時、よくこの曲を弾いて歌っていました。

当時はまだ、自分の症状が「脳脊髄液減少症」とはもちろん気づかず、

さまざまな症状が出たり消えたりと、波を持って出現していましたが
症状の合間を縫うように、人生を楽しもうと
仕事に趣味に前向きにいろいろと挑戦していました。

「いつも何度でも」の歌詞は
当時も、自分の気持ちや状態を表現しているような歌詞に感じました。

この病気に振り回され、困難続きの自分の気持ちと
重なったような歌詞。

当時、何度も何度も、
自分を励ますようにこの歌を弾き、歌っていました。

歌詞の息継ぎのタイミング(ブレス)がとても難しい歌でした。

今回、久しぶりに改めて歌ってみると、

まるで「脳脊髄液減少症で苦しんできた、私の今までの人生や、
別れ、治療、そして現在、体と心が満たされて治っていく未来」を
表現しているかのような、歌詞に、とても驚いています。

生と死、そして
体が満たされて、心も満たされて、
次第に癒されていくようなイメージにも思える歌詞・・・

交通事故で、目には見えないけれど体に怪我を負い、

病名がつかなかったために
医療者や周囲の無理解により、さらに言葉で心を傷つけられ、
「粉々に砕かれた鏡」のようだった私の心。

私を満たしていくものは
「脳脊髄液」のほかにもいろいろあるようです。

からっぽだった私の心に満ちていくものは
救ってくれた医師や病院スタッフの
あたたかな「いたわりと理解」であり、

励ましてくださった皆様の「思いやり」や「やさしさ」であるようです。

やはり、
「人によって傷つけられた心も体も
   また、人によって癒される。」のだと感じています。

加害者によって奪われた、
私の過去の健やかな人生はもう戻ってこない。

症状による影響で、離れていった人々との人間関係はもう戻らない。
失った仕事も、もう帰れない。

でも、人生はまだ終わっていない。

あやうく、真の原因を知らないまま、誤解されたまま、
自分を責めて、自分を嫌いなまま、人生を閉じるところでした。

死ぬ前に、本当の病名に気づき、
治療も受け、回復を感じつつある私は幸運だと思います。

9月末から時々練習し、
ずいぶんスムーズに、弾き歌いできるようになった
「いつも何度でも」の曲と歌。

興味のある方は、
ぜひ、木村 弓さんのたて琴の音色と歌声をCDで聞いてみてください。


歌詞と曲の参考:
(リンクは期間限定?かも?)
ある方のHPの「いつも何度でも」。突然音が出ます。ご注意ください。

検索で見つけた方のHPへリンク

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がんばらない

2006年10月21日 | アファメーション
がんばれない時には、がんばらない。

がんばれる時がきたら、人は自然にがんばれる。

自分の体と心の出す信号を、よく読み取って、

がんばれない時には、がんばらない。

無理して自分をがんばらせない。

がんばれない時は、

すべての事から一生懸命「がんばって」自分を守る。

何を言われても、どう思われても。

自分を守るのは自分。

自分を大切に生きたい。




[アファメーションについて]

アファメーションというカテゴリーを
ブログ開設当初から作っていたのですが
ずっと、からっぽにしたままでした。

アファメーションとは、
「自分のための肯定のメッセージ」。

今まで、苦しい時、既成のアファメーションの言葉に
何度か支えられてきました。

でも、自分のために自分で作る「肯定語」は
ずっと思い浮かばず、書けませんでした。

今まで、「脳脊髄液減少症」の苦しさを、「気のせい」と
無理解にさらされ続けてきたせいか、人も自分も信じられず、

自分自身にかける言葉は
どうしても「否定語」しか思い浮かばなかったのです。

でも、最近やっと、少しずつ、
「自分を励ます言葉」が沸いてくるのに気づきました。

そんな、「自分の中に自然に沸いた自分のための肯定語」を
ここに書いて文字にして、

「前向きな自分」を少しずつ育てたいと思っています。


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頻尿 多尿

2006年10月20日 | 症状の説明
今日は朝のうちは曇っていましたが、
だんだん晴れてきました。

きのう、今日と手足の脱力がひどく、
お散歩はお休みしました。

今日は、京都で行われている、
日本脳神経外科学会で「脳脊髄液減少症」が論議される
記念すべき日のようです。

早く、病気として認知していただきたいと願っています。

さて、昨年の今ごろ、
私はひどい頻尿に苦しんでいました。

外出できなかったのは、
体を起こしいられなかった症状のほかに
頻尿のせいもありました。

頻尿の医薬品のCMで
「昼間8回、夜2回以上なら、頻尿」と伝えていますが、

そんな、なまやさしい頻尿ではありません。

昼間30回近く、夜間3回以上の激烈な頻尿なのです。

これでは安心して、外出できません。
外出しても、「トイレ探しとトイレ通い」で終わってしまいます。

昨年の悪化で
ほとんど横にならざるを得ない状態になる以前にも、
時々、生理前などに頻尿の症状は感じていました。

特に生理前になると、トイレ、トイレ、トイレ、と
頻尿で追いまくられるような時が何度があり、
すでに長年、この症状を自覚していました。

しかも、多尿になります。
回数だけでなく、多量の尿が出るのです。
そして、異常にのどが渇きます。

でも、そのうち自然に治まってしまうので
この症状はたぶん、
ホルモンのバランスが崩れて起きるのだろうと
あまり気にしませんでした。

しかし、昨年の症状悪化で頻尿も悪化しました。
そこでやっと、
この頻尿は「脳脊髄液減少症」の症状なのではないかと気づきました。

しかし、初診で行ったこの病気に取り組む病院の予診表にも、
他の「脳脊髄液減少症」の症状は書かれていても
「頻尿」という症状は書かれていませんでした。

私は、「頻尿」と自ら症状を書き添えました。
後日、予診表にも「頻尿」は追加されたようです。

長年苦しんだ原因不明の頻尿は
「脳脊髄液減少症」によるものだったと確信しました。

悪化してからのこの1年は、
昼間の生活も、夜間の睡眠も妨害されるほど
激しい頻尿に苦しめられました。

本当に、トイレに3メートルと離れられないほどの頻尿と多尿。
トイレまで間に合わない「切迫性尿失禁」の症状もありました。

しかも、もの忘れで、トイレを流すことさえ忘れる始末。

女性としての尊厳にもかかわる症状です。
女性としての人生をこのまま閉じざるを得ないかと思うほどの
情けなさ、みじめさでした。

苦しいまでののどの渇きは
まるで、砂漠にいるかのようです。

オアシスで水をむさぼり飲むように、
台所でいろいろな飲み物を、ガブガブと常に飲み続けていました。

飲んでも飲んでも、頻尿、多尿で体から出てしまう水分。

まるで、
水道から水をザーザー出して、勢いよくためようとしても
穴あきバケツでどんどん水が出てしまい、
いつになってもバケツに水がたまらないような状態でした。

この病気の頻尿症状が理解できない家族には
「たくさん飲めば、たくさんでるのは当たり前だよ。」と言われました。

確かに、周りで見ている人には、そう見えるかもしれません。

でも当人は「たくさん飲むから、頻尿になる。」という感じではないのです。

逆に、
頻尿で、体から水分がどんどん出てしまうので、
体が必死に水を求めているという感じなのです。

つまり
たくさん飲むから多尿になるのではなく、
多尿でたくさん水分が出てしまうから、たくさん飲まずにはいられない
」のです。

これも、なかなか健康な家族には理解されません。

医師にも見逃されがちです。

常にのどが渇いて、砂漠で「水、水」とあえいでいるような状態です。

飲んでも飲んでも、水分が頻尿で出て行ってしまう。

そのうち、のどが渇いている状態にもかかわらず
水分を飲むのがつらくなりました。
水責めで飲むのが苦しくなるような感じです。

頻尿で、体が苦しいのに、のどが渇いているのに飲めない、
これでは体が危ないと思いました。
なんとかしようと必死でした。

この病気で相談できる医師も病院も、近くになく、
医療機関にはすがれません。

とにかく、飲めそうなものを買ってきてもらって飲みました。

利尿作用のある
カフェイン入りのコーヒーや緑茶は、
頻尿を悪化させることを知っていたので避けていましたが、
番茶や麦茶はよく飲んでいました。

しかし、飲んでも、どうも、体を素通りしている感じなのです。

そして、当たり前のことに気がついたのです。
浸透圧の関係か、ただの水分だけ飲んでも体をうるおさないことに・・・。

でも、どういう飲み物が体に早く吸収され、長く体にとどまり、
体をうるおすのかわかりませんでした。

考えられる手軽な飲み物はスポーツドリンクなのでしょうが、
冬になるとそうは冷たいものは飲めませんでした。

なぜか、ただの水は飲めないのです。
体が求めていたのか
味がついている飲み物なら、スムーズに飲めたので
工夫して飲むようにしました。

ジュース、ココア、牛乳、野菜ジュース、カップスープなどなど
いろいろためしました。

その結果、やはり、塩分とか、糖分とかが溶けていたり、
牛乳のように濃度のある飲み物が、すぐ頻尿につながらず、
体にとどまる時間が長いことに気がつきました。

牛乳は飲んでも、すぐ体を出てしまう感じがせず、
しばらく体をうるおしてくれる感じがありました。

冬でも飲みやすく、頻尿を悪化させず、体を潤す、
暖かく濃度のあるおいしい飲み物をいろいろためしました。

スープ、味噌汁、ロイヤルミルクティ、甘いホットミルク、
ジャムを入れたロシアンティ、ラベンダーティ、しょうが葛湯
かりん湯、ホットはちみつレモンなどなど

すこしでも体にとどまってくれる飲み物を、
手あたり次第に飲みながら、点滴もせずに
数ヶ月の治療待ちを耐え抜きました。

本当に頻尿も、それに伴うのどの渇きも苦しかった。

他にも呼吸困難や心臓の圧迫感などがあり、
治療待機の数ヶ月は、まるで、
「遭難して、生か死か、というギリギリの中で救助を待つような」
心境でした。

治療待機中の苦しささえ、
近くの病院や医師に助けを求められないという過酷な現実に、
改めてこの病気のむごさを感じました。

本人の苦しさに相反するように、
見た目では、こっけいな症状でしょう。

私が家族に言われたように
「飲んで、トイレが近くなるなら、あんなにガブガブ飲まなきゃいいのに。」と
思われるのがオチなのです。

外出もできないほどの昼間30回近くの頻尿。
夜も寝た気がしない、夜間3回以上の頻尿。
計一日30回以上のあまりに激しい異常な頻尿。

これも、
一般の検査では「異常なし」の、

つらく、苦しい,
目に見えない、
脳脊髄液減少症の症状のひとつです。

「追記]
この頻尿はブラッドパッチ後、急激に治まり、
治療を受けたその晩は一度も夜中にトイレに起きませんでした。
日中の尿の回数も半減しました。

この劇的な改善には本当に驚きました。
自分の体に、何が起こったのかわかりませんが、本当の話です。

その後退院してまた、頻尿が一時的に悪化しましたが、
半年たったころからまた治まりはじめました。
現在、多少の頻尿は感じるものの、外出できる程度になり、
夜間も1回起きるかおきないかに改善しています。




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いじめで苦しんでいる子供たちへ

2006年10月19日 | こどもたちへ
[いじめられて苦しんでいる、子供たちへ]

私は、自分は何も悪くない交通事故で、
見えない怪我をして、

そのために
「理解されない、病気と認められない」症状で
何年も何年も苦しんできました。

最近、やっと「脳脊髄液減少症」と診断されるまでの長い年月、
この病気のせいで、ずっと、この社会と医療に
無視され、ひどい言葉で「いじめられて」生きてきました。

助けてくれるはずの病院や医師に、
冷たく突き放されるような、ひどい言葉でさらに傷つけられる経験は
本当に、自分の人格まで否定されるような思いがしました。

医師に必死ですがっても、冷笑されてきました。

だから、学校の先生にすがっても
助けてもらえない子の絶望感がわかる気がします。

私も、世界中の誰も自分をわかってくれないと、
すべての人々が敵に感じました。

何を言っても、訴えても、わかってくれる人がいないなら、
自分の苦しさを誰もわかってもらえないなら、
言うだけ無駄、だまって耐えよう、

耐えられなくなったら、
この世から消えたいと何度も思いました。

私は何も悪くないし、本当のことを言っているのに信じてもらえない。

助けてもらえると思ってすがった医師に、
助けてもらえないどころか、相手にされず、
「あなたの苦しみは、あなたの性格が悪いからだ。」と
心ない言葉も吐かれました。

みんなも同じように
先生に助けてもらおうとして
勇気をだして相談したのに、助けてもらえなかったら、
逆に、さらに傷つくことを言われたら、
心がズタズタになるよね。

友達も先生も、誰も助けてもらえないような
どこにも出口がないような思いは本当につらいよね。

そういう思いをしている子がいると思うと
そのつらさを想像して心痛めています。

いじめられている子の、
死にたくなる気持ちや、つらさ、悲しさ、やりきれなさが、
私はなんとなく、わかる気がするのです。

苦しさを信じてもらえない、
誰にも助けてもらえない、わかってもらえない。

やさしい言葉をかけてもらえない、
冷たく笑われて、疑われて、無視されて、
軽蔑の目で、見られて・・・

その悲しさがどんなものかを、
体験は違いますが、私は少しは知っているつもりです。

自分の体験と重ねあわせて、
いじめられてる子供たちの苦しさを想像しています。

体はたとえ健康でも
いじめられて、心が苦しくなるのは、
誰にも理解されない苦しみは、本当に本当につらいよね。
悲しいよね。

誰かにやさしい言葉をかけてもらいたい、
暖かく手をさしのべて、助けてもらいたいよね。
私もそうだったよ・・・。

苦しさを言っても、言っても信じてもらえないことが続けば、
言う気力も、伝える気力もなくなるよね。
人を信じられなくなるよね。

心苦しくて、孤独で、死んでしまいたくなる気持ち、
私もずっと感じてきたからすごくわかるよ。

でもね、死なないでほしい。

まわりから、
自分という存在を否定され続けると、
「自分は生きていても価値のない存在」と思ってしまうよね。

でも、違うよ。
自分はありのままで、生きていて、
それだけで「価値のある存在」なんです。

まわりの心ない「マインドコントロール」にだまされないで。

誰がなんと言おうと自分は「大切な存在」なんです。

どうか、お願い、「大切な自分」を殺さないで!

今の一瞬、一瞬のすべてが、心が苦しくて、つらくて、つらくて、
どうしょうもなくて、身の置き所がないほど、
息もできないほどであっても、

それでも、死なないで!

体は、毎日一生懸命、生きようとしているよ。
血をつくり、心臓を動かし、空気を吸って吐いて、
栄養を吸収して、

心はどんなに苦しくても
体は一生懸命、生きようとしている。

だから、一生懸命生きてる体を
どうか死なせないで!
生かしてあげて。

体も、命も、
心の犠牲になったら、かわいそうだよ。

おわりのないように感じる苦しみも
いつか必ず変化していく。

本当だよ。

この世に永遠に変化しないものなんて、ないんだから。

苦しさを、誰もわかってくれないように思えても、
どうか絶望しないで。

生きてさえいれば、
いつかきっと、わかってくれる人に出会える。
きっと、いいこともある。

必ず、事態は変化してくる。
そのために、自分の力を使おうよ。

あきらめないで、
自分の苦しさをまわりの人に伝えよう。

信頼できそうな人を見つけて、
勇気をだして伝えよう。

たとえ、伝えた人がわかってくれなくても、
まだあきらめちゃぁいけない。

また次の信頼できそうな人を見つけて
苦しさを訴えよう。

その人もだめだったら、また次の人に伝えよう。

まだまだ、あきらめちゃぁいけない。
力を貸してくれる人に出会うまで、訴え続けよう。

自殺してしまいたいほどの、その悔しい悲しいエネルギーを
自分を助けることに全部使おう。

自分を助けるために、あらゆる手段を探してみようよ。
きっとなにか見つかるはず。

きっとわかってくれる、助けてくれる人に出会えるはず。

なかなか状況が変化しなくて、いい方法や助けが見つかるまで
時間がかかりそうだったら、

まずは、そういう苦しめる人たちから、離れるのも自分を守る手段。

死ぬくらいなら、
がまんしないで、学校なんて休んだって、やめたって、
転校したってかまわないんだから。

命より大切な「学校」や「人間関係」なんて、ないんだから。

人間関係が苦しくなくなるまで、一人で、閉じこもっていたっていいんだから。

とりあえず、ごはん食べて、水飲んで、トイレに行って、
命だけはつないでほしい。

苦しさを周囲に伝えても、なかなか理解してもらえなくても、
あきらめないで!

苦しさを伝え続けていれば、
いつかきっとわかってくれる人に出会える。

たとえ、助けがなかなか現れなくても

とりあえず、生きて!

どうか、死なないで!

生きていれば、必ず、
苦しみの長いトンネルの出口の光が必ず見えてくるよ。
私も光が見えてきて、「終わりのないトンネル」はないって思ったよ。

人間は悪い人ばかりじゃないよ。

いじめる人間や
傷つける人間ばかりじゃないよ。

優しいひとも、助けてくれる人も、
どこかにきっといるから、

『人によって傷つけられた心は、人によって癒される
はずだから。

だから、絶望しないで!

お願い、どうか死なないで!

私は苦しんだけど
今、「生きていてよかった」と、思っているよ。

みんなにも、そういう日がきっとくるから、

どうか、生きぬいてください。



「絵の説明]
栗ってイガのトゲトゲがすごく痛いです。
公園で栗、拾おうとして
指に刺さってホント目が飛び出るくらい痛かった。

イガがじっくり観察したくて、上着のポケットにいれておいたら、
いつものようにすぐ忘れて、再度、思いっきり痛い思いをしました。

でも、中身は「つるつるまるまる」してて、かわいい実。
煮るとほっこり甘い。
人間も、意外に、栗に似ているかも、って思いました。
見かけはトゲトゲしくても、中身はほっこり甘い。?
見かけで判断しちゃいけないと。
「意外に人って中身はいい人多いかも・・」って。

先日、公園でひろった、小さな2粒の栗の実
せっかくなので、昨日煮て食べてみたら、すっごく甘かった。
これも小さいからと見た目で判断してはいけませんね。
小粒で、最上級の味。大豆ほどのほんのわずかな量でしたが、
味わえて幸せでした。

この栗の絵は10月上旬
スーパーで買った大きな栗を、ゆでて食べた時に描いたものです。

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お散歩日記

2006年10月18日 | 四季の風景
今日もいい天気で、公園に散歩に行ってきました。
10回目です。
9回目になる昨日も行きました。

昨日、行きと帰りの対向車がすごく怖かった。
出るのが少し遅れると、トラックがバンバン通る時間帯なのです。

対向車が来ると恐怖から、ブレーキを何度も踏んでしまうし、
無意識に左に寄っていってしまって、たんぼに落ちそうでした。

「対向車が怖い。」
これも、交通事故の精神的な後遺症だと思います。

本当に、自力でリハビリするのは危険を伴い大変です。

健康保険で安心して、
「脳脊髄液減少症」の治療もリハビリも受けられる日が、
早く来てほしいと、心から願っています。

昨日の公園は、どこかの部活の学生がたくさんいました。
散歩していたら、
ひとりの女の子が、ぽつんと集団から遅れてとぼとぼと歩いていました。

体調が悪いのか、下を向いて、トボトボと歩いています。
先には同じジャージの子が、集団で歩いています。

普通に見える子どもの中に、
もしかしたら、スポーツ事故などによって、
「脳脊髄液減少症」の症状が出ている子がいて、

それに気づかないまま、
だるくて思うように動けず、仲間から「のろま」とか言われている子が
いるかもしれないなぁと、
その子がとても、気になりながら追い越しました。

10代の子なのに、私の歩きで追い越せるのです。

その子が気になりながらも歩いていくと
いつもと違った横道に気づきました。

本物の山に入っていくような道でした。

腐葉土や朽ちた小枝でふかふかの道は、
ワインの栓のコルクを敷き詰めたような、やわらかな歩きごごちです。

アスファルトの道と違う
足から伝わるその感触を、脳もここちよく味わっている感じでした。
以前、症状の説明の「ふわふわ感」で書いたような
目でみた地面と足の感覚と脳の感じ方とが一致しないような、
計算が合わないような、異常な歩行感覚もすっかりなく、

硬い地面は硬く、やわらかい地面はやわらかく、
きちんと、
目で見た地面の様子と、足の感覚と、脳が感じる感覚が、
ピタリと一致している心地よさ。

普通の人には当たり前の感覚が、
「異常感覚」で苦しんだ経験のある私には
ありがたく、貴重な感覚に思います。

「ふわふわ感」は、もうずいぶん昔に自然に治まっていましたが
ブラッドパッチでさらに、シビレが和らいだせいか、

足の裏と脳の捕らえる感覚が、
さらに繊細に鋭敏になった感じがしました。

その道の途中で、真っ赤な木の葉を拾いました。

まだ、ほとんどの葉が緑だというのに、
その木の根元に数枚だけ、真っ赤な木の葉が落ちていました。
目が覚めるような、赤でした。

と、ここまでが昨日のお話。

今日の散歩は、きのうトラックで怖い思いをしたので
早めに出ました。

すると、
今度は通学の自転車と、通勤であせっている車で、
また違った運転の怖さがありました。

リハビリに公園に行く途中で事故を起こしたら、
本末転倒なので、運転は今後も注意します。

公園に着いて歩き始めてすぐに、
木々の間の地面に
手のひらより少し大きい範囲の、高さ10センチ位の土の山を見つけました。

小さな土の山がポツンポツンとあちこちにあるのです。

そう、
モグラ君がトンネルから、掘り出し地上に押し出した
モグラ塚です。

足を止めて、ためしに、土をどけて、木の枝でトンネルの穴を探すと
ありました。
2~3センチのモグラ君のトンネルの穴が。
木の枝を差し込むと、枝がどこまでも入りました。

以前、猫を飼っていた時、よくモグラ君を捕まえてきたので、
モグラ君のかわいい大きさや姿はわかっていたので、
その穴の大きさに納得しました。

さらに歩き進んでいくと
今度は死んだ50センチくらいのヘビに会いました。
かわいそうに、公園整備の車にでもひかれたのでしょうか?

おなかに傷があり、道路の端にひっくり返っていました。

きのう歩いた時はいなかったから、亡くなったばかりのようです。
ヘビ君も、一生懸命生きてきたのに、気の毒に
きのう命が終わってしまったんだね。

命は自然にまかせていても、
思いがけない形で終わってしまうこともあるものです。

明日、命がある保障は、誰にもないんですよね。

一日一日を大切に感謝して生きたいと思います。

さて、
最近、いじめを苦にして相次いで自殺する子の報道に
心を痛めていましたが、

きのう、公園でひとり、下を向いてトボトボ歩く、
気になる生徒を見たせいか、
ひさしぶりに、子供たちにメッセージが書きたくなりました。

後日、したいと思います。


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散歩の楽しみ

2006年10月16日 | 闘病の工夫
このところ穏やかないい天気が続いています。
今日も晴れそうです。

だんだん気温が低くなってきました。
この2、3日、朝はとても寒かった。

今朝も、肩が冷えて目が覚めました。

そのせいか、今朝は久しぶりに悪夢にうなされ、
午前3時半ごろに一度目が覚めました。

秋の花粉症の原因となる、黄色いセイタカアワダチソウの花も
家の周辺で満開で、
くしゃみが出てつらいです。

おとといの金曜は7回目の公園散歩に行けました。

土曜は午前中、ほんの短時間外出したら、とても疲れてしまって、
午後3時間も眠ってしまいました。

今日は朝、血圧が寝起きから、120/70と高めで、調子も良かったので
公園散歩に行ってきました。

今日で、8回目の公園散歩です。

調子がよく、今まで1周歩くのがやっとだったのに、
1周歩いたところで、「なんだか歩き足りない。」という気持ちになり、
もう1周歩いてきました。

2周めは小回りコースですが、
2周も歩いたのは初めてで、とても達成感がありました。

たった一人ぼっちの孤独なリハビリですが、
楽しみも見つけられるようになりました。

公園に歩きに行くと、いろいろな刺激を感じ、
歩行訓練だけでなく、視覚や聴覚、嗅覚などを刺激し、
脳のリハビリになるのを感じます。

刈られた草の香り。
落ち葉の匂い。
草むらから聞こえてくる虫の音。
木々の間から聞こえる鳥の声。

花の香り。
赤や黄色の実。

そして、足元に落ちている
色づいた落ち葉やまつぼっくり、山栗。

今日は小さな山栗を二つぶ拾いました。

どんぐりほどの大きさの、小さな小さな山栗。
小さいけれど、丸々としたかわいい栗でした。

紅葉にはまだ早いのですが、
色づいて落ちている葉も、見かけるようになりました。

季節の自然は
眠っていた脳を目覚めさせてくれるようです。

先日の金曜日は、歩いていくと、道の真ん中に
大きな「いもむし君」がいました。
人の親指ほどの太さで10センチくらいある巨大な「いもむし君」です。

その大きさと姿に驚くよりも、
その一生懸命、全身でモコモコとゆっくり移動している姿に、
思わず微笑んでしまいました。

「いもむし君も一生懸命歩いているんだね。
そんなところ歩いていたら、人に踏まれちゃうよ。
と心の中で話しかけました。

と同時に「なんの幼虫なんだろう」と興味もわいてきます。

踏まれてしまわないよう、落ち葉で草むらに運んであげようとしたら
「いやだいやだ」といわんばかりに、
丸くなってしまって、コロコロと転がり回ります。

仕方がないので転がしながら草むらに移しました。
これで人に踏まれずにすむでしょう。ひと安心しました。

でも、いもむし君にとっては迷惑だったかも?
やっとあそこまで進んだのに、引き戻されて・・・。


この1年半以上、悪化でほとんど家から出られなかった私。
テレビだけが友達の、孤独な日々でした。

公園の移り行く景色や、自然とのふれあいが

刺激のない世界にいた私の体と脳を
優しくリハビリしてくれるようです。

どんなにすぐれた医師や医療スタッフにめぐり合っても、
最後は結局、自分との戦いです。

一番体調を知っている自分自身が、
じっくり自分の体の出すメッセージを読み取りながら、
ゆっくりあせらず、
回復に向かって努力するしかないのだと思います。

公園を歩きながら、
交通事故以来、苦しみぬいた、
「脳脊髄液減少症」の暗く長いトンネルの、出口の光
やっと見えてきたように感じる、

今日この頃です。
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聴覚過敏

2006年10月12日 | 症状の説明
今日の朝は霧に包まれて幻想的な朝でしたが、
だんだん晴れてきました。

今日は、朝血圧も、90台/40台と低く、体がだるかったのですが、
何時間かして、調子が上がってきた感じがして
散歩に行きたい気持ちになり、大丈夫そうなので行ってきました。

でも、判断力の落ちた頭で
自分の体が発するメッセージを読み取りながらの
自力のリハビリは、なかなか判断が難しいです。

専門家の判断で、安心してリハビリがうけられたらなぁと思います。
ただただ、運転が怖いです

昨日も行ったので、今日で6回目です。
だんだん、普通の歩きに近づいてきました。

脳血管障害による麻痺と違って、調子がいいとスッスッと足が出ます。

今日は、目のまぶしさもなく、サングラスをかけずに散歩できました。
やはり、景色の、自然のままの色はきれいです

さて、今日は私の聴覚過敏の症状について書きます。

私は耳の聞こえが過敏になる症状があります。

「聴覚過敏」と言われても、健康な方はピンとこないと思います。

なにがどう聴覚が過敏になるのか、
私の体験で説明したいと思います。

普通の光を「まぶしい!」と感じてしまう、光過敏の症状と同じように、
聴覚過敏とは
音♪に対しても、普通の人がなんでもない音が、
ものすごく不快に感じてしまう事があるのです。

聴覚過敏といっても
私の場合
「音が大きく感じてしまう。」という症状のほかに
「音♪の周波数が変化したかのように、非常に不快な音に感じる。」という
2種類の聴覚過敏の症状があります。

たとえば私は
「食器がカチャカチャと触れ合う、普通の生活音がとても不快」に感じます。

長時間の座位、立位の体勢を続けると、特に感じます。

食器がカチャカチャ触れ合う音
まるで「黒板を爪で引っかいている音」の
「ギーギギギ、キー」という
あの鳥肌が立つような音に感じてしまうのです。

あの音なら、誰でも、あまり気持ちのいい音ではないでしょう。

動物を不快音で追い払うように
人間の聴覚にとって、不快な音があるものです。

健康な人にとって、ごく普通の生活音が、
その不快音に変化して聞こえてしまうのです。

「非常に神経にさわる不快な音に変化して聞こえる。」といった感じです。

単に、普通の音が大きく大音量の騒音のように聞こえる不快感とは
また違った感じの不愉快な感じ。

もちろん、普通の音量が
「大きくうるさく感じる。ささいな音が大きな音に感じつらい。」
という症状もありますが、
こちらは普通の方に説明でき、理解されやすいと思います。

しかし、もうひとつの
「音の周波数が変化したかのように不快に感じてしまう」という感覚と
この特殊な苦しさは
なかなか人には理解されない苦しさです。

音によって、脳がストレスを感じて、悲鳴をあげているような苦しさです。

「神経を逆なでする音」に脳が痛めつけられるといった感じです。

事故以来、音が大きく聞こえつらい感じは自覚していたのですが、
当時、交通事故との因果関係に、誰も気づいていない時代でしたから
私もこの聴覚の異常に耐えるしかありませんでした。

いつも症状があるわけではないので、
なんとか耐え続けてこられました。

音の周波数が変化したように不快に聞こえると
はっきり自覚したのは
交通事故から実に数年後です。

当時、私はすでに人生が
この症状に振り回されて、苦しい状況に追い込まれていました。
数々の症状を抱えながらも、
バイトで働かざるをえない状況でした。

「脳脊髄液減少症」が立位で悪化するとは、
当時の私は気づくはずもなく、
ずっと立ち続ける仕事を選んでしまいました。

ある日長時間の立位の姿勢で、
心臓の圧迫感や呼吸の苦しさと、半身のシビレともに
聴覚過敏の症状がでました。

その日はお客が多く、
半身のシビレを感じながらも、すぐには病院へ行くこともできず、
たくさんの食器洗いをした時のことです。

自分の洗う食器の触れ合う音のカチャカチャとした音が
あの、まるで「黒板を爪で引っかくような不快な音」に変化して
私の耳と脳を直撃しました。

それは、それは不快です。
吐き気がするほど、鳥肌が立つほど不快な音に変化して聞こえるのです。

しかし、仕事をやらなければなりません。
本当に拷問のように感じました。

耐え難い苦痛でした。
音の周波数が変化するような、
音のキーが上がるような、そんな感じに聞こえる苦しさを
はっきりとこの時、自覚しました。

その日のうちに、半身のシビレもあったので、
脳外科に駆け込んだのですが、
検査をしても「異常なし」で返されました。

(今思うと「脳脊髄液減少症」が
長時間の立位により、症状が悪化したのだと、納得できます。)

それ以前にも、音がつらいという症状があったのですが、
「私は音が人より大きく感じるんだ。」ぐらいにしか思いませんでした。

以来、不快な音をシャットアウトするという耳栓を
常に携帯するようになりました。

普通の人がなんでもない音が
自分には苦痛に感じてしまう世界で生き残るには
耳栓による自己防衛しかなかったのです。

仕事の時も、お店に入っても、
家で家族と同じテレビを見るときも、電車に乗るときも
どこにいても、音が不快だと感じたら、
耳栓がすぐできるよう、いつも携帯していました。
そうすることで、周りの音を調節するしかありませんでした。

まだ症状をかかえながらも、自力で動けたころ、
テーマパークのアトラクションに行きましたが
あまりの音響に、耳栓の上から、手で耳をふさがなければならないほどでした。

健康な人にとって、楽しい刺激的は音響も、
BGMもひどく苦痛に感じてしまうのです。

自分で工夫して音を調節しなければ、
とてもこの世界で生き残ることができないと感じる日々でした。

昨年、悪化して、この症状もひどくなりましたが
BP後、半年たった今、かなりこの症状はやわらいでいます。

それでもなお、少し聴覚過敏の症状が残っています。
食器の音は今でも耳に障ります。

この夏、光過敏の「まぶしさ」で、昼間も暗く静かな部屋にいつもいたのですが
時々、静寂を破る、元気な母の大きな声も不快に感じました。

元気なパワーある年代の女性の声は、妙に頭にひびくのです。

母にとっては、普通の話し声なのでしょうが、
私にとっては、テレビの大音量のように頭にビンビン響いくのです。

「もう少し、小さな声で話してくれない?」
何度か言ってしまいました。

静かに、声のトーンを落として話してもらわないと、
聴覚の中枢をガンガン刺激される感じです。

男性の低い声ではあまり聴覚過敏症状は出ないのに
母の声では症状が出るのは、周波数の関係かもしれません。

どなたか音響と聴覚の研究者の方がた、
「脳脊髄液減少症」患者の脳が、普通の生活音をどう感じているのか、
調べていただけないでしょうか?

外国では、若者だけが嫌う周波数の音が出るスピーカーが商品化されて
話題のようです。

日本でも、音響関係の専門家なら
患者の脳波などを調べれば、
「脳脊髄液の減少」と「聴覚過敏の症状」の因果関係や
なぜ起こるのかが解明できると思います。

たぶん、まだ、だれもこの研究には取り組んでいないと思います。
どうかよろしくお願いします。

音の大きさも、音の質も、
健康な時とは明らかに違った音に、
脳が感じてしまう「聴覚過敏」という症状。

これも、見た目ではわからない、
体験した者にしか理解できない、非常に苦しくつらい
「脳脊髄液減少症」の症状のひとつです。



ここからは2008年12月2日追記しました。

この症状は、「音恐怖症」と本人も周囲も思い込んでしまい、心の病と誤解されることもあると思います。

また、過去のピアノ殺人事件の犯人は、鳥の声やわずかな音が非常に苦しく感じる症状を抱えていて、引越しまでしていたとのことで、
私はこの方も、聴覚過敏の症状を抱えていたのではないか?と思っています。

殺人にまで到らなくても、
身近な家族が出す生活音が苦しくて、
テレビの音を小さくしてと頼んでも、苦しさを理解せず、応じてくれない時に、
家族との間でトラブルになった患者さんは、私以外にもいると思われます。

聴覚過敏をそのまま放置されることは、人を追い詰め、
人間の正常な理性すらも奪う危険もあると思います。

精神科医も、聴覚過敏や音恐怖症を訴える患者さんに遭遇したら、
いつも一度は、脳脊髄液減少症の可能性についても考えてほしいと
思います。
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実りの秋

2006年10月10日 | ブラッドパッチ後の変化
今日も秋晴れでいい天気です。

実りの秋です。

田んぼに囲まれて暮らしていますが、
稲刈りも終わったようです。

半月ほど前、家族と外出した時、車窓から見ると、
青い澄んだ秋空をバックに
見事な黄金色の稲穂が風に揺れていました。
本当にきれいでした。

でも昨日はもう刈られていました。
もう一度、あの黄金の波を見たかったなぁ・・・。

今日もリハビリに散歩に行ってきました。これで4回目です。

いい天気で、とても気持ちよかった。
距離も速度も少しアップしてみました。

今朝の目覚めはいつもと違っていました。
とても調子がいいのです。

いつもは朝、目覚めても、
体が金属の塊のようにズシッとして、布団に沈みこんでいくように
重く、だるく、しかも脊髄に沿って痛く、なかなか起きられないのです。

やっと体を起こしても、布団のため、ベットと違って
なかなか床から立ち上がれないのです。

それが、けさは布団のなかで、目覚めて
「あれっ、脊髄が痛くない!。布団に沈みこむ重さがない。」と感じました。

起きてみると、スッと起きられます。
血圧を測ると120/70台、脈は60台。
体も寝起きからだるさがなく、いつもより軽やかに、スムーズに動きます。

どうも、私の場合、
「朝のだるさと吐き気と頭重」と「低い血圧」は関係ありそうです。

今朝は、頭もすっきりした感じで、
吐き気もなく、おいしく朝ごはんが食べられました。

体も、うまく電源が入って、電力も安定した感じの電気製品のようで
、いつもと違って楽に動くのです。

なんだか、ずっと大昔、健康だったころの自分の体の感覚を
少し思い出しました。

お天気がいいからでしょうか?

とにかく、私はブラッドパッチを受けてから、
波はありますが、回復を感じています。
それは、まぎれもない事実です。

過去の「ねじばな(もちずり)」の記事で書いたように
いい時もあれば、動けないほどの悪い状態の時もある、
そういう波がありながら、
らせん階段を上がっていくような
「脳脊髄液減少症」の回復の仕方。

普通の病気や怪我の治り方とは、
明らかに違う回復の仕方だと思います。

ブラッドパッチによる治り方もまた、症状と同じで、
今までの概念では想像しづらい、
体験したものでないと理解できない回復の仕方のようです。

主治医が「田植え」にたとえた「ブラッドパッチ」。

体験してみて、本当にそうだと思います。

春に田植えをして、数ヶ月たって、やっと「実りの秋」を迎え、
収穫できる稲に似ています。

田植えをしただけでは、いい稲が育ちません。

いくら「いい苗」を、慣れた農家の方の熟練の手で上手に植えても、
十分な水を与え、害虫から苗を守り、除草して、
大切に育てなければ、不作になってしまうこともある稲。

たんぼの土壌環境や、その年の気候や日照時間などに、
収穫量が左右される稲。

さまざまな条件がそろって、豊作の時を迎える稲。

ブラッドパッチは「田植え」のようなもの。
それから先は、うまく苗が育って初めて実を結び、収穫が得られる感じがします。

気候や日照時間などのように、
人間の力ではどうにもならない事もあります。

同じように、「ブラッドパッチ」も
その方の体の状態や、体質や、日々の栄養や、生活環境で、
いろいろと結果は変わってくるのかもしれません。

自分の努力では、「どうにもならないこと」も、影響するのかもしれません。

「効果がある人」もいれば「効果のない人」もいる。
どんな病気の治療も、もともとそれが当たり前なのだと思います。

今までも、どんな病気のどんな治療法も、
「効果のない人や悪化する人」より、圧倒的に「効果のある人」のほうが多く、
「リスク」より「効果」の方が大きいと認められた時、

それが、その病気の「治療法」として多くの人に認められ、
普及してきたのだと思います。

「ブラッドパッチ」という田植えの後、
「回復」という「実りの秋」を迎えるまでの期間、
  孤独に一人で「体」という田んぼを管理するのは大変です。

だれも、手を貸してくれなければ、
  植えた苗を豊作に導くのはとても苦しいのです。

ブラッドパッチ後の数ヶ月も、
私は医療の援助なく、孤独に非常に苦しい症状に耐えてきました。

日常生活もままならず、症状は苦しく、
近くに頼れる理解ある医師もなく、対症療法もしてもらえず、

症状を理解して、充分に手を貸してくれなかった親を恨み、
思いやりの言葉もかけてくれなかった兄弟に悲しみ、

無理解な地域の人々を避け、
事の重大さに気づいてくれない社会に怒り、
誠意のない加害者を憎み、
この病気に無関心な医師を嘆き、
   心まで苦しくなりました。

地域にこの症状について、なんでも相談できる医師がいてくれたら・・・。

あたたかな肉親や地域福祉が、日常生活の支援そしてくれたら、

リハビリ専門施設で、安心してリハビリが受けられたなら・・・。と
今も思っています。

ブラッドパッチ後、
患者本人や、患者の家族に
苦しい療養をまかせるのではなく、

患者が皆、「回復」という、実りの秋を迎えられるよう
地域医療や、福祉が、
あたたかな手を差し伸べてほしいと願っています。

「ブラッドパッチ」という「田植え」の後、
家族だけでなく、社会や医療から支えていただけたなら、
より多くの方が、より豊かな「実りの秋」を迎えられるように思います。

ブラッドパッチ後も
苦しい症状に、孤独に半年耐え続け、

ようやく、こうして少しずつ自力で動けるようになり、
「実りの秋」を感じられるようになれたのは、

幸いにも、
ネット上で出会った多くの皆様がたに、
暖かく支えていただいたからです。

ありがとうございます。

皆様がいなかったら、ブラッドパッチ後の一時的な悪化にも
耐えられなかったかもしれません。

スカスカだった心までも「実りの秋」を迎えるのは
そう遠い日ではないのかもしれません。






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文章を読めない、書けない。

2006年10月09日 | 症状の説明
きのうでブログを書きはじめて、満2ヶ月になりました。

まだ、たった2ヶ月かもしれませんが、
回復中とはいえ、多くの症状を抱え、
休み休みでも2ヶ月も続けることができたことは、
支えてくださった多くの皆様のおかげだと思います。

ありがとうございます。
心から感謝申し上げます。

なんとか3ヶ月は続けたいと思っています。

昨日は秋晴れでした。

どこかの運動会なのか、朝、花火の音がしていました。
でも、昨日は呼吸が苦しく、寝たり起きたりの1日でした。

今日は、いつもより、早起きしました。

朝の血圧が120/70台で脈は65。

やはり、調子のいい日は血圧が健常人に近いようです。
今日は体育の日。
体調もいいので、朝のうち、公園に散歩に行ってきました。
杖歩行も前回より、シビレている側の足がすんなり前に出て
歩く速度も早くなった感じです。

これで、やっと自力外出3回目です。
運転も、少しずつ速度が出せるようになりました。
いつまでも時速30キロでは、話になりません。


ここでは、車が主な交通手段なので、
運転ができないと、どこにも行けません。

調子がいいし、大丈夫だと思っていても、
すぐ、風船がしぼむように、体が苦しくなってくるので
そうならないうちに、1時間弱で早々に帰宅しました。

調子がいい今のうちに、記事も書きます。

今日は、私の「読めない、書けない」症状について・・・。

読書の秋です。

秋の夜長に推理小説でも読みたい気分です。
しかし、私は、まだそんなに長いストーリーは読めません。

実は、私
つい最近まで、文章を読めない、書けない状態でした。

今、私は、こうして、パソコンで文章を書いていますが、
本当につい最近まで、長い文章が理解できず、長い文章も作れなかったのです。

その症状が改善してきたと感じたのは、つい最近の、
ブラッドパッチ後半年たったころからです。

9月になると、比較的長い文章も継続して読めるようになってきました。
自分でも驚きました。
これも治療のおかげで、
脳が今までより正常に機能しはじめたのかもしれません。

先日、病気についての本を読みあさったと書きましたが、
治療前と治療してしばらくは、文章は数行しか読めませんでした。

本の目次を見て、
ポイントで数行読んだことを繰り返したという程度です。

短い文章なら理解できるのですが、
長い文章は内容を理解することができませんでした。

悪化したこの1年は特に、その症状がひどい状態でした。

本の広告などで、「読みたい」という気持ちがわき
本を頼んで購入はするのですが、
長い文章がまったく理解できないのです。
本を開いて、1ページも読み進められないのです。

横になって寝ながら読もうとしても
脱力で本も持っているのも重く感じ、
目のチカチカする症状もつらいのですが、
何より、文章の意味が理解できないのです。

先に読んだ文章が頭に残らないため、話がつながらないのです。

そのため、すぐ本を読むのはあきらめ、
しまいこんでしまいました。

そうした本の山です。
みな、読みたい、ポイントだけ狙って、数行読んだ本ばかり。

その上、
まとまった文章が書けませんでした。

今はかなり、以前より文章をまとめられるようになりましたが、
それでも、考えが堂々巡りしてしまい、なかなか適正にうまくまとめられません。

このブログも日々、リハビリだと思って悪戦苦闘しながら書いています

治療前は、何か文章を書こうとすると、
今よりもっと、同じ事をだらだらと繰り返してしまい
文章が今よりもっと、とりとめのないものになりました。

しかも、漢字がほとんど書けなくなりました。
ひらがなとか、自分の名前とか
簡単な漢字はなんとか書けるのですが、

今まで普通に書けたはずの漢字が、
文字が思い浮かばなくなりました
辞書や携帯やパソコンの助けなしでは
漢字がほとんど出てこなくなりました。

作家や記者の方が事故でこの病気になって、
この「書けない、読めない症状」が出たら、仕事にならないかもしれません。
私のように周囲には理解されずに、かなり社会生活に支障がでるかもしれません。

病院で受診時、
呼ばれて、医師の前に座って「どうしました?」と聞かれると、
考えがまとまらず、頭が真っ白になってしまって、
自分の抱える複雑な症状のすべてを、
短い診察時間にうまく話せませんでした。

そういうことが続いたので、
やっと「脳脊髄液減少症」の専門医にたどり着き、受診するにあたって、
受診時に症状を思い出せなくなるので、
自分の交通事故からの経過と症状をまとめて文章にしようとしました。

しかし、前もって症状を文章にしようとすることさえ
考えが堂々巡りして、どうにも、簡潔に文章にできませんでした。

結局まとまらない、わけのわからない文章を持って受診しましたが、
あれでは、この病気の専門医でも、たとえ読んでもわからなかったことでしょう。

「文章を読んで理解する。」
「まとまった文章を書く。」という人間の能力は
高度な脳の機能なのだと思います。

それが何かに障害されている感じなのです。

自分のその異常を自覚できるのですが、
自分ではどうにもならないのです。

神経内科医にも相談しましたが、
検査で「異常なし」のため、
「気にしないように。」で終わってしまいました。

医師や周囲は、
「字は書けているじゃない。文章もそれだけ書ければ十分だ。」とか
「意味がわかれば字がヘタでもいいじゃない。」とか言って
なぐさめて?くれましたが、
本人は本当に「読めない、書けない」状態に苦しんでいました。

文章もまとまりませんが、
手に力が入らず、文字もうまくかけないのです。

あまりの乱筆に、何も知らない人たちに、よくからかわれました。
悔しくて、うまく書こうとしても、どうしても書けません。

字が書きずらく乱筆になり、しかも文章が読めない書けないことは
日常生活において非常に支障を感じました。

手厚い医療や看護、介護、リハビリが受けられる
「認知された病名の脳疾患」の患者さんはいいなぁ。と
不謹慎ながら思ってしまいます。

一見、普通の人間が
実は「文章が理解できない、読めない、書けない」状態に追い込まれている恐怖。

これも、「脳脊髄液減少症」の
見えない、理解されずらい症状のひとつです
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不思議な半身麻痺

2006年10月06日 | 症状の説明
今日は十五夜ですね。

でも、一日雨で月は見えないようです。

お絵描きの月でがまんします。

今朝の血圧は100/60台で脈は60回/分で
天気は雨ですが体がいつもより楽です。

ずっと毎日、血圧計で測って気づきましたが、
やはり血圧が100/60より上だと、楽ですが、それ以下だと
ものすごくだるく、脈も速くなるようです。

昨日の朝は血圧80/50台で脈は90でしたから・・・。

今日は半身のシビレについて。

半身のシビレというより、
「不思議な半身麻痺」と言ったほうが正しいような症状があります。

普段は、自分だけが感じている半身のシビレ、
体の頭から足先まで、スパッと半分が
顔から、舌から、口の中から、
体の中身のすべて、腸とか卵巣とか内臓まで、ズンと不快な違和感と
存在感を感じるようなシビレ。

外見からはわからない、理解されない、本人だけが感じるシビレ。

それが、一時的に、
外見からもわかるような半身麻痺のような状態になることが
あります。

脳血管障害などで半身麻痺となった患者が、
リハビリして、杖歩行で半身をひきずりながら歩くような状態とそっくりの、

半身が脱力で力が入らず、手も足もダラリとして
足は上がらず、もつれ、つまづき、
手や腕もブラブラと垂れて、半身をひきずるように歩く姿になります。

私は、時々、調子が悪くなるとそんな状態になります。

そういう時は、全身の脱力やだるさがひどく、思考も混乱してまとまらず、
呼吸も苦しい感じです。

要するに、全身状態が悪化すると起きやすい症状です。

しかし、脳血管障害の後遺症としての半身麻痺と違うのは、
その半身麻痺に波があり、一時的で、ウソのように回復もすることです。

足をひきずるほどの半身麻痺が、数時間後には、時には何日後かには、
見た目普通に歩けるほどに回復してしまうという、
「不思議な半身麻痺」

私も、この病気の体験がなければ、
こういう患者をみたら、「仮病」と思ってしまうと思います

「半身マヒの演技のうまい人だなぁ」
「マヒのふりして何か心の葛藤を表現しているのかな?」
  「病気になることで、何かメリットがあるのかな?」
「都合の悪い時だけ、ああなるんだな。
ほらすぐ治った。そんなマヒあるものか。」と、思ってしまうかもしれません。

医師や健康な方がもしそう思っても、
「無理もない。」と思うほど
体験者の自分でさえ、「不思議な半身麻痺症状」なのです。

だって、さっき苦しんで、半身麻痺状態で歩けなかった人が、
横になって少し休むと、
シビレは残っても、回復して、
足のもつれがやわらぎ、
普通に近い状態で歩けてしまえる事もしばしばですから・・・・。

出たり消えたりする不思議な半身マヒ。
しかし、こういった一過性のシビレや麻痺症状は、
脳梗塞の前触れ症状でも現れます。

私は、「脳脊髄液減少症」という病名がわかる前、
自分で神経内科の一般書や医学書を読みあさりました。
そして、
自分は「一過性脳虚血発作」かも、と考えていました。

しかし、一過性脳虚血発作はまる1日続くことはないとのこと。
24時間以上症状が続くこともあるので、
「回復性虚血性神経脱落症状」かも?とも思いました。

医師もわからない、症状の未知の原因を、
自分で手探りで調べるしかありませんでした。

脳神経外科で、検査入院してまで、脳血管の詳しい検査をしましたが、
「異常なし」でした。

症状が出たり、回復したりするため、
唯一、親身に相談にのってくださった内科の先生に「多発性硬化症」かも
と指摘されましたが、
神経内科での詳しい検査でやはり「異常なし」でした。

本当にこの「脳脊髄減少症」という病気は、意地悪な病気です。

非常に苦しい症状にもかかわらず、
「仮病」っぽい、ウソっぽい、症状の出現の仕方と、
表現に困るような症状のオンパレードです。

複数の脳外科医も、
複数の神経内科医もわからない
どんな検査をしても「異常なし」の
「不思議な半身麻痺」の行き着く先は・・・・・・・。

そう、やはり「気のせい」「精神的なもの」。

ひどい話です。

しかし、月日がたって、真実の検査結果は「脳脊髄液減少症」。
「やっぱりね、ほら、気のせいじゃなかった。」と思いました。

精神的なものか、そうじゃないかは本人が一番わかるはず。
なのに医師が決め付けてしまう今日の医療現場

ああ、過去に
今までの「ヒステリー」(身体表現性疾患)と診断された患者の中にも、
「脳脊髄液減少症」患者や、
今も「未知の病気」の患者が含まれているのかもしれないなぁ。

大昔は、わからない病気はみんな「気の病」にされていたんだろうなぁ。
MRIもない江戸時代とか
落馬などで「脳脊髄液減少症」になった人もいたんだろうなぁ。
そういう患者は、「痛い、苦しい」と騒ぎ、
座敷牢にでも入れられていたのかな?

気持ちはタイムスリップして大昔にまで行ってしまい
そう考えるこのごろです。

想像力たくましいのかなぁ?・・私って・・・

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