脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

1年の終わりに。

2007年12月31日 | つぶやき
交通事故の足の怪我の後遺症が再発して
足が立たなくなって、
まったく歩けなくなった時から
数年がたちました。

この数年間は、
私が人生で一番苦しかった時期と言っても
過言ではありません。

入院、手術、リハビリ、

脳脊髄液減少症の悪化と気づくまで、そこから
さらに数ヶ月、
初診や治療にたどりつくまで、
またそこから長い時間を耐え抜き、
やっとブラッドパッチを受け、
さらに、その後の長く苦しい自宅療養の日々。

やりかけた仕事を失い、
症状の苦しさに精神的にも安定を欠き、家族ともぶつかり溝ができ、
幸せそうな人の姿を見ると、いらだち涙があふれ

なんで自分ばかりがこんな目にばかりあうのかと、
自分の人生を嘆き、幸運な人をねたみ、

私の危機的状況がなかなかわかってもらえない、親兄弟たちを
うらみ、憎み

脳脊髄液減少症と診断をつけてくれた医師にたどりつくまで、
周囲の人々は周囲の医師には誤解され

いろいろなつらいことが延々と続く中で、
すべてを投げ捨てたい時期もありました。

やっと脳脊髄液減少症という、
交通事故後遺症に気づき
医師にたどりつき、治療を受けられても、

ブラッドパッチ後の治る過程での、
一時的な悪化したような苦しさに孤独に耐えることは
精神的にも肉体的にもかなりきつく、

近所にすがれる医師が皆無である、
脳脊髄液減少症患者の厳しさをひしひしと感じました。

孤独な引きこもりの、自宅療養生活の中での唯一の支えは、

はじめて根本原因の治療に取り組んでくださった医師と、
病院スタッフの皆様への感謝の気持ち

私の身近で支えてくれた数少ない人たちと、
ネットを通じて、励ましをくださった方がたの存在でした。

治って元気な姿を見せることが、
過酷な条件の中で、必死に治してくださった医師や、
支えてくださった医療スタッフへの恩返しだと思いました。

治って元気になることが、
否定派医師の言い分をひっくり返すことだと思いました。

また少しでも回復することが、
後に続く患者さんたちの、勇気につながるかもしれないと
思いました。


ネットを通じて、皆様と出会い、

「私一人ではない。
身をもってこの症状の苦しさを知って、理解してくださる方が
この世に現実にいるんだ。」と感じられることは、

私を孤独から救いだしてくれました。

昨年の、
2006年の夏に始めた私のブログは、
まだ、文章理解力も作成力もまだまだのころで、
初期の記事は書こうと思えば思うほど、
今よりももっとまとまりなく、
同じことの繰り返しの文章だったりしました。

時には、怒りも妬みもいらだちも、
感情の波のままに、ありのままに書いてきました。

それは同時に、読みに来てくださる方がたには
たびたび不快な思いを与えてしまっていたのかもしれません。

でも、それも、私の症状の記録だと思っています。

それでも、今なお、
拙い私のブログに、
毎日来てくださる方がいます。

優しく、楽しいコメントを残してくださる方がいます。

一緒に怒り、嘆き悲しんでくださる方がいます。

見つけた情報を書き込んでくださる方がいます。

一緒に考えてくださる方がいます。

いろいろとメールしてくださる方もいます。

そうした皆様のすべてに、
心から感謝申し上げます。

この1年、ありがとうございました。

おかげさまで、
私は苦しい峠をひとつ越えたようです。

目的地の山の頂上まで、もう少しの予感がしています。

何年がかりかの苦しい登山のような、
脳脊髄液減少症との格闘の日々・・・。

でも、頑張ったかいがあって、目的地が見えてきた思いです。

後から続く方がたのためにも、
症状の波をサーフインのように乗りこなしながら、
あきらめず、きっと治りたいと思います。

交通事故以来の
長い長い不調に苦しんだ時間はもう戻りませんし、

私の貴重な健康であるべき人生の時間も戻ってきません。

今までは、体調不良に振り回され、
思うように生きられない人生でしたが、
せめて、今後は何とか普通に自力で行動できるまでに治って、

これから残りの人生は、
思い残すことがないような生き方をしたいと思っています。

時々また、投げやりになったり、くじけそうになるかもしれませんが、
また来年も見守っていただけたら、嬉しいです。

来年もよろしくお願いします。




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脳脊髄液減少症の問診表

2007年12月28日 | 情報
以下は脳脊髄液減少症の問診表のひとつです。

問診表

似た不定愁訴の症状で苦しんでいる方、
ぜひ、一度丸をつけてチェックしてみてください。

ちなみに、私はここに書いてある症状が
今現在すべてあるわけではありませんが、

長い経過の中で
実際にほどんどすべての症状を体験しました。

症状は誰にでもおこりうる、ありふれた症状ばかりであるために、
否定派の医師は
「症状の羅列にすぎない。」と批判してくるようですが、

確かに脳脊髄液減少症で数々の不定愁訴が起こることは
患者の私が今
交通事故からの症状を振り返って考えてみても事実だと思います。

数々の不可解な症状を私は身をもって体験しているので
これは間違いない事実だと思えます。

私はここに書かれている以外にも、
もっといろいろな症状を体験しています。

ここに書かれているのは、
あくまでも、脳脊髄液減少症に多い
「主な症状」だと思います。

私の場合、交通事故後の
異常な眠気や、頑固でひどい肩こり、
いきなりなったひどい冷え性、などの症状しかありませんでした。
(ちなみに私のこれらの症状や症状の出方では、
日本頭痛学会
日本神経外傷学会の診断基準では
私は「異常なし」になってしまいます。
つまり、この二つの学会の診断基準は実際の脳脊髄液減少症患者の症状や症状の出方に則していないということだと思います。
もっと実際の患者を診るか、患者が寄ってこないなら、
数多く患者を診ている医師の話に耳を傾けてほしいものです。

当時、この問診表があったとしても、
まさか自分が「脳脊髄液漏れ」を起こしているとは
気づけなかったかもしれません。

それぐらい、
医師も患者本人も、家族も、周囲も、気づきにくい、
ありふれた症状ばかりです。

脳脊髄液減少症とは
ありふれた、身近な知人の顔して近づいてくる、

完全犯罪のトリックだらけ、
アリバイ工作だらけの手ごわい犯罪者のような病態です。

悪化した今も、私は、いつも毎日、
ここに書かれている症状が同時にすべてあるわけではありません。

いろいろな症状が、時間単位、日内単位、日単位、週単位、月単位で
出たり消えたり、
2つ以上の症状がさまざまな組み合わせで同時に現れたり、消えたりします。

これが
否定派医師にも、
社会にも、周囲の人々にも、
なかなか理解されないところだと思います。

でも事実なんです。
本当なんです。

何年も何年もたっていくうちに、
体験する症状が増えたり、だんだんと症状が重くなってきたりします。

そうかと思ったら、
治ってしまったのかと思うほど、体調が上向いたりする時期も
あります。

本当に
まるで、「都合の悪い時だけ起こる、仮病」のように見えてしまうことでしょう。

しかし、私の場合、
良くなったように見えた時期もそうは長く続かず、

それは大きな体調の波にすぎず、
根本的な継続的な回復にはいつもいたりませんでした。

一見ありふれた症状ばかりですが、
私のように、実は「脳脊髄液漏れ」による
心身両面の不調である場合もあるのです。

軽視せず、
ひとりの医師だけの考えにとらわれず、

私のように、
座っているのも立っているのもできなくなるほど悪化する前に、
自力で外出するのも困難になる前に、

自力で病院めぐりをできるうちに、
さまざまな視点から、
この年末年始に今一度
ご自分の体が発する不調を見つめなおしてみてください。

その長引く原因不明の体調不良や、
自律神経失調症と言われるような症状、
そして、
うつ、パニック障害、社会不安障害、過呼吸症候群などと診断を受けてもしかたがないほどのさまざまなつらい精神症状も、

もしかしたら、

私のように
「脳脊髄液減少症」が原因で、脳が不調になってすべてが
起こっていることかもしれませんから・・・。

私のように、
ブラッドパッチで
それらの症状が軽快する可能性も
あるかもしれませんから・・・。

今も気づけないでいる方がたが
大勢いるのかと思うと
いてもたってもいられないのです。

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アイロンがけ困難

2007年12月27日 | 症状の説明
アイロンがけという家事行為が
今もなかなかできません。

とても重労働に感じるのです。

アイロンが重く感じるし、動かすのがとても疲れます。

襟や、袖など、複雑な場所にアイロンをかけるのは
本当に疲れて、

衣類1枚アイロンがけすると、
クタクタになってしまいます。

座っているのが5分と続かないころ、
腕のだるさも全身の倦怠感もひどく、

疲れて疲れて
アイロンがけがものすごく重労働で、
今より困難で、ほとんどできませんでした。

家事の優先順位からしたら、
食事作りと、かたづけ、

洗濯干しと洗濯たたみ、

お風呂の準備が優先されるので、

どうしても、アイロンがけが後回しになってしまいます。

後回しにしたあげく、
結局そこまで手がまわらず、
エネルギーが続かず、
疲れ果てて眠りこんで
一日が終わってしまいます。

それが
毎日たまって、山のようです。

家族が手伝ってくれればいいのですが、
それもたまにしか期待できません。

しかたがないので、私も含め
衣類はたたまなかった洗濯物の山の中から、
引きずりだしてシワクチャのまま、着ています。

これでも休み休みでも、一生懸命家事に取り組んでいるのですが、
なかなか普通の人のようにはできません。

一日の家事が終わるまで、
明日のおコメとぎや、ポットのお湯の準備、食器の準備など

なるべく最後までやってから寝ると、
毎晩12時過ぎてしまうこともしばしばです。

「1枚の衣類のアイロンがけ」というような、ささいな家事さえ、
非常に重労働に感じる
全身や腕の異常なだるさ、倦怠感、疲れやすさ、

これが
脳脊髄液減少症の、
「慢性疲労症候群状態」の疲れやすい症状です。

ブラッドパッチしてから、
薄皮をはぐように
次第に疲れにくくなってきて、最近はかなり楽なのですが、

やはり日によって、時間によって、症状に波があります。

症状は日替わり、時間替わりで、
毎日いろいろな症状が、
さまざまな組み合わせで出たり消えたりしています。

でも、ブラッドパッチしてからは
1年単位で振り返ると、
かなり症状が軽くなり、
動けるようになっています。

その回復の仕方は
以前「ねじばな」という記事で書いたような感じです。

今日は、ひさしぶりに
朝から、船酔い状態の気持ち悪さがあり、つらかったのですが、

最近だるさはかなり楽なので、
そのうちたまった衣類の
アイロンがけに挑戦しようと思います。

外に着ていく衣類は
あまり、シワクチャでは、
家族も自分も恥ずかしいですから。

少し、オシャレ心が回復してきたみたいです。

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手の連携の改善

2007年12月26日 | ブラッドパッチ後の変化
不調の11月が過ぎ、
12月上旬になって、
少し体調が上向きになってきたころ、感じた気づきがあります。

それは、調子がいい時には、
右手と左手の連携プレーが
良くなってきたことです。

たとえば、
今までは、左手に食器を持って、右手に渡す連携が、
左右の手でうまくいかず、するっと落としたりしていました。

左手でなべの柄を持ち、右手でレンジの火の調節をするなど、
一度に二つのことを、右手と左手で同時にする行為も、
なんとなくぎこちなく、
常に頭で意識して手を動かさないとできない感じでした。

右手と左手が、
練習のたりないスポーツチームのように、
動きがバラバラで、息があっていない感じだったのです。


それが12月のはじめ、
右手と左手が息もピッタリに連携して、

一つの行為を流れるように行なえたり、

右手と左手で別々のことを同時に、できるようになっている自分に
ふと気づきました。

その微妙な改善点を、
日常の家事のさまざまなシーンで、
たびたび気づくようになりました。

以前は良く食器を落として割ったり、
包丁を足元にストンと落としたりしていたのですが、
最近はそれもなくなりました。

腕が頭より上に、以前より上げやすくなり、
冷蔵庫の上の方の物が、取り出しやすくもなりました。

手に力が入りやすくなった感じもしています。

これらの変化も、検査にでない、数値化されない

本人しか感じない微妙な改善です。

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イブの夜

2007年12月24日 | 四季の風景
今年のイブの夜は

5分混ぜてついてる型に流して、オーブンで焼くだけの、
簡単「チーズケーキミックス」でケーキを焼きました。

焼きあがったケーキに
ホイップしたクリームを、絞りだして飾りました。

クリームのあわ立ては、
まだ、異常な疲れやすさも残る腕では、
できるかどうか不安でしたが、挑戦してみました。

電動泡だて器を使わなかったので、
なかなか固まらず、

腕の疲労感であきらめそうになりましたが、

休み休み、左右の手を変えて、
根気よくあわ立て続けたら、やっとだんだんと固まってきて
ピンと角が立つクリームになりました。

最後までホイップできたことが、自信につながりました。

ささいなことですが、
昨年できなかったことが、
今年できるようになった喜びを感じました。

最後に中央にいちごを飾りました。

イラストの小さいケーキは、昨日自分一人でなんとか作った
チーズケーキのイメージで描きました。

あと、
にんじんを星型に切っていれた、クリームシチューもつくりました。
誰もほめてくれないけれど、
イブに手作りできたことが嬉しいです。

今年もあと6日になりました。

時々絶望することもあるけれど、

絶望しては、また小さな希望を見出し、
裏切られては、また人を信じ、人の温かさ、優しさを知り、
人に去られても、また、新しい出会いを信じ、

やけになっては、また冷静になり、
倒れてはまた、立ち上がりしながらでも、

とりあえず、生きてさえいれば、
なんとか道は開けてくる気がします。

来年はさらに、いい年になりますように・・・。



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文章理解力の回復

2007年12月13日 | ブラッドパッチ後の変化
寒くなってきました。
体調も悪いので、
家でじっとしていることも多いので

昨年の記事でも、紹介したアタミステリーを思い出して、

早速今年の
2007年版アタミステリーを探して読んでみました。

(締め切りが12月21日なので、締め切り過ぎると消えてしまうかもしれないのでじっくり読みたい方はプリントアウトして読むことをオススメします。
印刷すれば、寝ながら読めるしね・・・。)

昨年はこの短い推理小説を読んで、
自分が少し長めの文章が読めるようになったことに気づきました。

昨年のストーリーはすでに、ネット上は消えていますが、
ミステリー小説を楽しみ、夢中になったのは
生まれて初めてのわくわくとした体験でした。

あんなにミステリーの謎解きがおもしろいとは
思いませんでした。

脳脊髄液減少症から回復中の脳にとっては
刺激的だったのかもしれません。

脳脊髄液減少症の脳には、
ちょうどいい長さのミステリー。

それでも、ブラッドパッチ前は、文章を3行読むと、
もう、1行目を忘れているような状況で、
文章を流れとしてとらえることができませんでした。

あんなに文章理解が困難だったのに、
ブラッドパッチ後、
こうしてブログで文章の読み書きのリハビリも効いたのか、
少し長めの文章が読めるようになったことに
昨年気づかせてくれた
アタミステリー。

昨年は、何度も何度も繰り返し読んで、ストーリー理解に時間のかかった
アタミステリー

何度も声に出して読んだり、アンダーラインを引いて読んだりしながら、
必死で理解しようと何日も同じ文章を読んで謎解きを考えたっけ・・・。

母や家族といろいろな推理を話しながら、謎解きして脳を刺激して
家族のふれあいの時間をくれた、アタミステリー。

コメント欄で、訪問してくれる方がたと、
推理しあって意見を言い合い、
孤独な闘病時の、意外な娯楽を発見して
とても楽しかった思い出があります。

昨年の記事のコメント数が
ものすごくなっているのはそのためです。

今年はなんと、
一発で読め、文章理解し、ついでに、
いろいろネットで調べたりして、問題まで
早々と解いてしまいました。

昨年より、文章理解、推理の時間、過程が
ずいぶんと早くなっているのを感じます。

今年もまた、「アタミステリー」で
昨年の自分と今年の自分の文章理解力や推理力の
微妙な改善に気づかせてもらいました。

これも
1年単位で比較して気づく、ブラッドパッチ後の微々たる変化です。

本人もうっかりすると、気がつかない、見過ごしてしまう変化です。

確実に昨年より、
文章理解が早くなっている自分。

嬉しいです。

森村誠一さん、
熱海市観光企画課のみなさん、
ひきこもりの病人にいろいろな気づきと、楽しみを与えてくれた
アタミステリーをありがとうございます。

興味のある方は、ぜひ読んでみてください。

*************************************

ついで、ですが、熱海港での12月22日の花火大会に
にっぽん丸初入港します。にっぽん丸サンタクルーズ神戸

いいなぁ・・・にっぽん丸のクリスマスディナー食べたいなぁ・・・


(きっとどこかの詳しい方や熱海のブロガーさんが、
いろんな写真に撮ってアップしてくれると期待して待ってます。


それで、熱海市はこんな企画をたてたようです。

***********************************
大型客船「にっぽん丸」熱海初寄港に伴う乗船見学会について

大型客船「にっぽん丸」が熱海に初寄港するに際し、市民乗船見学会を下記のとおり実施します「にっぽん丸」熱海初寄港乗船見学会.

 日時、12 月 23 日(日) 10:40∼ 熱海港
 場所、熱海港 7.5(ナナハン)岸壁停泊「にっぽん丸」
 条件、 熱海市内在住の方。

なお、乗船見学に際して、国土交通省に提出する書類として「住所、氏名、電話番号、年齢、性別」が必要となります。

定 員. 50名(定員を超えた場合は、抽選とし当選者・・・・・

にっぽん丸サンタクルーズ熱海歓迎実行委員会(事務局:熱海市観光商工課). Tel 0557-86-6194

(もう、定員の50名に達して、抽選も終わったらしく、ネットではここまで
しか情報が残っていませんでした。)

*******************************

熱海市民でないと、乗船会の応募資格がないようです。
しかも、停泊中の船に1時間ほど乗船するだけで、国土交通省に書類と提出するとは・・・・
でも、抽選に当たって、
にっぽん丸に乗船体験できる熱海市民の方がたはラッキーですね。

にっぽん丸を歓迎しよう実行委 熱海寄港へ初会合(10/16)
にっぽん丸初寄港のため、岸壁補修

ある方のブログ記事

熱海市上げての歓迎のようです。
熱海中学と多賀中学の吹奏楽部の皆さん、大人に駆りだされて
大変でしょうが、がんばってくださいね。

雨が降らないことを祈っています。

乗ったブロガーの方がいらっしゃったら、感想をご自分のブログに書いてくださいね。
いろいろ仮想旅行に行くのが楽しみにしています。

では、また冬眠します。






追加:
にっぽん丸NIPPON MARU

熱海初寄港

○航海スケジュール

日程
寄港地
時間
スケジュール

12月22日(土)
神戸港
11時
出港
12月23日(日)
熱海港
9時
16時
入港
出港 熱海海上花火大会を観覧

12月24日(月)
神戸港
16時
入港


○セレモニー

歓迎セレモニー
見送りセレモニー

時間
8時45分から9時40分 15時00分から16時10分
場所
熱海港7.5岸壁 にっぽん丸4階ドルフィンホール
熱海港7.5岸壁
内容
・式典(雨天の際は船内)
・笛伶会による演奏
・熱海神輿連合(勢興会、若獅子会)による神輿渡御
(笛伶会、神輿は雨天中止)
・熱海芸妓による「華の舞」公演
(15時よりドルフィンホールにて)
・熱海中学校、多賀中学校ブラスバンド部による演奏(15時50より7.5岸壁にて)
(ブラスバンドは雨天中止)



○にっぽん丸概要
 1990年9月27日竣工。2代目にっぽん丸に代わる客船として、1990年に三菱重工業神戸造船所で建造された。2003年2月に第3次のリニューアルを終え、日本で一番フレッシュなクルーズ船に生まれ変わる。


総トン数:21,903トン


船客定員:184室 532名(最大)

巡航速力:18ノット

全長:166.6m

全幅:24.0m

喫水:6.6m





-お問い合わせ-
にっぽん丸サンタクルーズ熱海歓迎実行委員会(事務局:熱海市観光商工課)
Tel 0557-86-6194
Fax 0557-86-6199



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疲れにくい!

2007年12月06日 | ブラッドパッチ後の変化
最近、
日常生活の中で、感じたことを書き留めます。

ブラッドパッチ後、3ヶ月間の非常に苦しい時期を乗り越えたころから、
3か月おきぐらいに、グン、グンと
それまでの異常な疲れやすさが改善して
疲れにくくなった経験があります。

そのことは、まだ詳しく書いていませんが、
最近、また「疲れにくさ」を感じるできごとがあったので
その体験を書きたいと思います。

それは、
午後の洗濯たたみのこと。

洗濯を取り込む時間は、たいてい午後で、
そのころには体調もいつもダウンしてきます。

手足の脱力が出て、全身もだるく、疲れやすく、
自分が存在しているだけで、疲れているような状況の時もあります。

ひどいと、寝ても、身の置き所のない体の重さ苦しさもあり、
肉体を脱ぎ捨てたいほどです。

ですから、
洗濯物を取り込むのも重労働です。
しかし、誰もやる人がいない以上、やらねばなりません。

やっととりこむと、
それだけで疲れてしまい、たたむところまでできず、横になったりしてました。

いつもたためなかった衣類で、居間はあふれて
足の踏み場もないほどです。

でも、タオルだけは、たたまないと、毎日使うものなので、
なんとかたたもうとします。

でも、以前は1枚たたむとクタクタに疲れてしまい、
だるくて、ものすごい倦怠感でそれ以上続けられず、
やめてしまい、そのまま、
敷きっぱなしの布団に倒れこむこともしばしばでした。

自分の腕の重さで疲れてしまうような感じで、タオルの端を両手で持って1枚たたんだだけで、腕もだるくて、体もしんどくて、
次のタオルが続けてたためないのです。

ところが、最近、ふと気づくと、
タオルだけは、すべてたたむことができるようになりました。

相変わらず、洗濯物すべてをたたんで、しまうところまではできないのですが、
タオル関係だけは、連続して10枚ぐらいたたむことができるようになりました。

以前のように、動けなくなるほどのだるさや、
腕の重さやしんどさが出てきません。

頭打ちかと思われた、ブラッドパッチ後の回復
1年以上たっても、まだまだ続いていることに、
気がつきました。

ということは、1回のブラッドパッチから、1年以上様子を見たことは、
どこまで回復するかを見極める上で、
貴重な体験だったのかもしれません。

衣類にアイロンをかけることは、疲れていまだになかなか出来ないのですが、
かろうじて、タオルたたみだけは、
連続して複数枚たためるようになりました。

こんなことは、普通の人なら当たり前にできることですが、
脳脊髄液減少症の私にとっては、画期的なできごとでした。

異常なだるさ、倦怠感、腕の脱力で
タオルを連続してたたむことすら、難しいこともあった自分が
気がつかないうちに少しずつ、
苦もなくできるようになっていたことに気づいた時
我ながら少し驚きました。

もちろん、この回復は
「検査で回復が数値化」できるようなものではありません。

血圧が下がったとか
血糖値が正常になったとか、改善が数値化できるように

脳脊髄液減少症の回復の程度が、本人だけでなく、
目に見えたり、回復が数値化できたのなら、

どんなにか本人も、治療する医師も
励みになることでしょう。

検査で計ることのできない、本人だけが感じる、微妙な改善、回復です。

これだから、治療に取り組む医師も気の毒だと思います。

回復がものすごく時間がかかり、しかも微々たる変化での回復なので、
普通の怪我や病気の回復の仕方しか知らない患者には

「ブラッドパッチしてもちっとも治らないじゃないか!」と
患者に責められることもあると思うのです・・・。

実際効果のない方もいるとは思うのですが、
すぐ治ると思って誤解している方がたも、
多くいると思うのです。

11月の悪化時に、しみじみと、
1回のブラッドパッチでは、もはや、頭打ちかと思われた、私の回復・・・。

しかし・・・・
1回のブラッドパッチから1年以上がすぎて、なお、
「牛歩のごとく」・・・・いえ、
それよりも、さらにゆっくりと、

改善回復がいまだに進んでいたとは驚きです。

しかも、まだ漏れているのに・・・・です。

一部の漏れが止まっただけで、1年以上かかってここまで改善するなら、
すべての漏れを止めたら、もう少し良くなるのではないか?と
期待も膨らみます。

でも、もちろん、すべての漏れが止まったからといって、
一気に元気になるとは考えていません。

回復には時間がかかることを、
はじめてのブラッドパッチで充分時間をかけて自己観察して
よくわかりましたから。

振り返ってみれば、日々症状の悪化の荒波がありながらも、
確実に疲れにくくなっています。

ともすると、
毎日の苦しい点ばかりに気が行ってしまいがちで、
この数ヶ月単位で進む、微妙な改善の変化も、ついつい見逃しがちです。

うっかりすると、気がつかないほどの、微妙な改善点です。

以前も書きましたが、歯磨きさえ疲れて満足に手でできず、
電動歯ブラシを使っていた私が
最近、ほとんど電動歯ブラシは使わなくなりました。

あんなに疲れてだるくて苦痛だった、「歯磨きという行為」も、

フルーツ味や、ミント味など、
いろいろな、歯磨き剤の味の変化を楽しみながら、
ゆっくり時間をかけて、
手で磨がけるようになりました。

ブラッドパッチ後、ゆっくりと、ものすごくゆっくりとですが、

確実に、
だるさや倦怠感、体の重さ、しんどさ、そして、疲れやすさが
薄皮をはぐように、改善してきています。

私に起こった、
この現実の出来事を、
「慢性疲労症候群」と診断されている方がたにも
ぜひ、知っていただきたいと思っています。




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見た目に苦しさがでない 3

2007年12月05日 | 症状の説明
見た目に苦しさが出ないということは
苦しさ深刻さが、医師や周囲の人間になかなか伝わらないということです。

深刻な事態が伝わらないということは、
適切な支援が何も受けられないことにつながります。

自分がどんなに重病人のような、死にそうな限界に近い苦痛を感じていても、

周りがそう見なければ、
そう認めなければ、
この医療制度の中では、病人として手厚く扱ってもらえないのです。

重病人として認められ、
入院して仕事や家事育児から解放されることもなく、
手厚い医療に守られることもなく、

健康人と同じような環境におかれ続け、
周囲には健康人と同じ労働や作業を、求められ続けるのです。

病名がなんであれ、
原因がなんであれ、

「線維筋痛症」という病名がつけられた一人の母親が、
痛み苦しみを抱えたまま、治らない状態で
赤ちゃんを残し亡くなってしまったという
あの悲しい事実。

彼女が追い詰められていった様子が目に浮かび、
あのニュースを聞いた時の、ショックと悔しさ、無念さは今も消えません。

残された赤ちゃんや、ご主人を思うと、
本当に今でもやりきれない思いです。

亡くなってしまった方は
もう、脳脊髄液減少症であったか検査できないし、
確認できません。

でも、生きている方は、
脳脊髄液減少症の可能性があるか、ないか、
検査できるのです。

少しでも似ている症状があったなら、
「もしかしたら?」と思って、
一度「脳脊髄液減少症」の専門医に相談してみてほしいのです。

違う病名がすでについている方も、
「もしかしたら」と思ってほしいのです。

違ったら違ったで、
また違う方向へ進めます。

セカンドオピニオンを聞くだけでもいいと思うのです。
相談するだけなら、痛くもかゆくも、怖くもありません。

私のように人生を症状に振り回されたり、
自殺に追い込まれるような患者さんたちのような

こんな悲劇はもう、これ以上、
繰り返してもらいたくないのです

知らない間に、じわじわと悪化するため、
気づいた時には、私のように、自力で受診すらできない状態になっていることもあるのです。

遠くの病院まで連れていってくれる、誰かがいればいいですが、
いない方もいるかもしれません。

だからこそ、自力で動けるうちに、
まさか、こんなささいな症状が?と思わずに、
脳脊髄液減少症に似た症状がないか、
よく調べて、ご自分の症状と比べて
今一度考えてもらいたいのです。

どんなに今まで医師を受診しても、
納得のいく診断名がつかなかったり、
たとえ、何かの診断名がついても一向に治らない場合は
一度は脳脊髄液減少症を疑って受診してみてもいいと思います。

今までつけられた病名が全く別のものであっても、

「脳脊髄液が漏れるなんてそんなことが自分に起こっているはずがない。」とか

「自分のささいな症状がそんな聞いたこともない難しい病名であるはずがない。」とか

「今の医師の診断を信じているから、そんな医学で認められていない病名であるはずがない。」
などと、頭から否定しないでほしいのです。

まずは、脳脊髄液減少症患者の体験にも、耳を傾けてほしいと思います。

医師の学会ごとの派閥のように、壁をつくってほしくないのです。

医師の頭の中にある病名から選ばれたにすぎない
診断名ごとの、病名ごとに患者ごとに固まって
他の病名との壁を作ってほしくはないのです。

似た症状の患者たち同士は、壁を作らず
お互いに情報交換をしあいたいと、
私はいつも思っています。

そうすれば、医師より先に
患者の方から、何か気づきがあるかもしれないと思っています。

私の症状の中にも
もしかしたら、別の何かの病態がまだ潜んでいるかもしれませんし、
どなたかが、それに気づかせてくださるかもしれません。

見た目に患者本人の感じている苦しさが、ほどんど出ないことに加え、
検査でも異常が出ない。
症状が多彩で複雑で、
なかなか表現しづらいし、多すぎて短い時間ではうまく言葉で話せない。

医師も、この病態を知らない医師が多いので、
症状を訴えても、この病態を疑って指摘してくれるような医師に出会える確率は
非常に低い。

これが脳脊髄液減少症の過酷な点です。

だから、今も原因不明の不定愁訴に苦しむがたに
この病を知っていただきたいのです。

脳脊髄液減少症という真犯人に、一番最初に気づくのは
誰でもない、患者本人か、家族だと思うのです。

病名に気づき、指摘してくれるのは、医師であってほしいのですが
それが難しい今は、

最初に脳脊髄液減少症の可能性に気づくのは、
みなさんご自身だと思います。

参考:
死者からの伝言

続、死者からの伝言
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見た目に苦しさが出ない 2。

2007年12月04日 | 症状の説明
私の場合、
たまに身近でいつも私を見ている家族には、
目で見て不調がわかる時もあるようです。

背中を丸め、目が泳ぎ、
どよんとした表情になったり、

真っ白の顔色になったり、
ロボットのようなカクカクした歩き方になったり、
半身をひきずったり、

同じことを繰り返し話したり、
物忘れがあったり、同じミスを繰り返したり、

箸を持つ手がぎこりなかったり、と
視覚的に私の異常が伝わる時もあるのですが、

それはほんとうに
たまに、という程度です。

ほとんどの場合
見た目では私の苦痛は、周囲には伝わらないのです。

見た目には本当に通常の人間やむしろ「健康そう」に見えます。

「味覚、痛覚、触覚、平衡感覚、聴覚、視覚」などの微妙な感覚異常で
「本人だけが感じる症状」が多く、

その苦しさは、なかなか理解されません。

言葉で異常を伝えようとしても、
その健康そうな外見のため、
はじめから真剣に聞いてもらえません。

先日の私のように、
絞殺されそうに、圧死されそうに苦しい時でも、

自分の姿を鏡で見ても、
自分でも、
症状と反比例するかのように、「元気そう」にしか見えないのです。

だから、苦しくてじっとしていたり、横になっていても
怠け者にしか見えないのです。

これは脳脊髄液減少症とわかる前の話ですが、
不調で病院受診しても、
めったに会わない医師の3分診療で、
見た目に元気そうな患者の、深刻な訴えを
真剣に聞いて、信じてもらえるわけがありません。

たとえ訴えを真剣に聞いてもらえても、
「病院に行けるぐらい、体調がいい時」であるためか、
検査しても検査になにも異常は出ないから、なおさら、信じてもらえません。

しかも、短い診察時間で
あの数々の複雑で多彩な症状のすべてを、
話そうと思っても、いざという時、言葉が出てこないし、

言ったそばから忘れてしまう頭で、
あの複雑な症状を言葉で表現できるはずがありません。

私がやっとの思いで言葉で症状を表現して、
一年かけてもブログに書ききれないような複雑な数々の症状を

混乱する思考の頭で、たまにあう医師に理解されるように
言葉でうまく、とっさに3分以内に的確に医師に伝えられるはずがありません。

必死に言葉で訴えようとしても、
高次脳機能障害の脳では、とりとめないことを話してしまい、
そんな患者にうんざりした表情を浮かべる医師も多いのです。

もたもたしていると、言葉には出さずとも、
医師は「で、なにしに来たの?」
「で、あなたはどうしたいの?」というような気まずい雰囲気になってしまいます。

たとえ、患者の言葉に真剣に耳を傾けてくれる医師であっても、
一般的な検査をして異常がなければ、その態度は豹変します。

ますます冷ややかな疑念の目を向けられます。

脳脊髄液減少症という病態は、
何重にも、隠れみのに守られ、その姿をなかなか表に現さず、
患者本人も医師をもあざむく、ずるがしこい犯罪者のような病態です。

なかなかその真犯人の姿に気がつくことも、
捕らえることもできないのです。

そして最後は
「ストレスのせい」「精神的なもの」と言われ、
精神科の薬を山ほど処方されたりします。

患者はワラにもすがる思いで、
その薬を飲み続けます。

処方されれば処方されただけ、
治りたい一心で飲みつづけます。

原因が違っているのに、処方された薬の影響の怖さを
私は知っています。

診断が間違っていれば、その処方の効果は
一時的なものか、
何の効果もないか、

かえってまた違った苦しさを増したり、
よけい心身のバランスを崩したりします。

中には精神に強い影響を及ぼす薬もあり、
ただでさえ、脳脊髄液漏れでいろいろな精神症状も出て、
安定を欠いていた精神状態が
よけい不安定におかしくなったりもします。

線維筋痛症で自殺した、とされているあの方は、

私が体験したこの流れに
もしかしたら、流されてしまったのかもしれないと、
残念でなりません。

全身の激痛に苦しみ、赤ちゃんも抱けず、
「一日に40個ぐらい20数種類の薬を飲むほどの日々が、
永遠に続くことになる。彼女の心の中に、絶望が広がっていったのか。」
と女性週刊誌に書いてありました。(女性セブン2006年2月22日号 P30)

当時テレビに何度も出てきた何人かの線維筋痛症の専門医や
第一人者とされる先生方の言い回しが、

私が今まで言われ続けてきた
「性格的なもの」「精神的なもの」「ストレス」という
言葉が出てきたのを聞き、どうも気になりました。

脳脊髄液減少症患者の多くも体験しているはずですが、

医師が自分にわからない症状や原因は
皆、患者自身のせいであるかのような言い方は
許せません。

あの方の自殺報道を週刊誌やテレビで見て、
あまりに似ている症状、経過、流れに、

線維筋痛症とは、脳脊髄液減少症と同じ病態につけられた
「違う病名」なのではないのか?と改めて思いました。

私は
「あのような痛み、苦しみが、育児ストレスやうつや性格のせいで
出るわけがない。

もし、脳脊髄液減少症を知る医師や
専門医にたどりついて相談していたり、
ブラッドパッチを受けていたら、
彼女は死なずにすんだかもしれない
一生一日40個もの薬を飲む必要など、なかったのかもしれない。」と
の思いが消えませんでした。

(私と同じ思いを、漫画家のまつもと泉さんもご自身のブログで書かれています。
松本さんの記事は私のブックマークにはってありますので、手順に従って、お読みください。)


ところで、この線維筋痛症という病名は、
いつ?どこのどなたが名づけたのでしょうか?
どなたかご存知でしたら、教えてください。

(つづく)

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見た目に苦しさが出ない。 1

2007年12月01日 | 症状の説明
今日から12月、ことしもあと1ヶ月で終わりです。

11月も症状の波がありましたが、ここ数日楽になっています。

先日、苦しい最中に
「鏡の中の自分」を観察して、
感じたことを書きたいと思います。

11月の20日の数日前のことです。

もう、呼吸は苦しく息もたえだえ、
心臓は止まりそうな苦しさ、

圧死しそうな体の締め付け感、
絞殺されそうな首の締め付け感の時

何気なくドレッサーの大きな鏡の前に立ち、
鏡の中の自分を見てみたのです。

すると、

鏡の中には、
顔色も良く、
どうみても「元気そう、健康そう」にしか見えない女性が微笑んでいました。

苦しい最中の自分の姿を、
自分で見て、
「元気そう。健康そう」に見えてしまうのですから、

「こりゃ~ダメだ。」と思いました。

第3者が、
見た目で脳脊髄液減少症の苦しみなんて、理解できるわけがないのです。

まして、医師が特殊な検査もなしで、
数分間の診察で、見た目で
患者の訴えが本当かどうかなんて見抜くなんて不可能です。

さらに、この病気の深刻な症状を
見た目で理解することなんて、
絶対無理です。


MRIも、RIも今ほど普及していなかった時代、

どれだけ多くの交通事故後の不定愁訴患者が
保険金めあての仮病と疑われ、

怠け者扱いされ、
不登校扱いされ、

高次脳機能障害の異常行動
その人の人格のせいと判断され、
誤解されてきたことでしょう。

医師にいくら感じる異常を訴えても、信じてもらえず、

正しい診断や治療もしてもらえず、
病名もつけてもらえず、

どれだけ多くの方患者や被害者が、
「気のせい」「精神的なもの」と放置されてきたことでしょう。
(私もそのひとりです。)

中には、あまりの苦しさと医師や周囲の無理解と
経済的困難に追い込まれ、
自殺してしまった方もいたことでしょう。

放置されたことによって、
脳脊髄液減少症によるしわざとも気づかず、
自分に起こっていることがわからないまま、

高次脳機能障害による、不慮の事故によって
事故死してしまった方もいたことでしょう。

(あやうく私も事故死しそうにもなりました。)

しかし、
この命をも脅かす深刻な症状とは裏腹に
詐病扱いされるのも無理もないぐらいに、

ほとんどの方がたが
あまりに「健康そうな見た目」です。

なぜ、この病は苦しさが、表に出ないのか?
私は不思議でなりません。

普通、人は具合が悪いと、
自分で痛みや苦しみの、信号を感じとると同時に、

顔色が悪いとか、熱があるとか、
顔が赤いとか、
冷や汗をかくとか、

外見的に他人にも「具合が悪そう」とわかる何かのサインが出て、
他人に「苦しい状態」が何らかの形で伝わるものです。

人間は無言のうちに、人間仲間にSOS を発し、
仲間からの救助を、求められるようにできていると
私は思うのです。

子の体が発する外見的なサインで、
子供の異常に母親が気づくのも、

そういった生物の持つ
危機を知らせあう仕組みのおかげなのではないかと
私は思っています。

そうやって、自分からも、他人からも、
「異常を知らせる信号」が発信されて、

幾重にも固体の命が守られるように
人間の中にプログラムされていると私は思うのです。

しかし、
どうしたことか脳脊髄液減少症は、
痛みや苦しみの信号を感じる本人ですらも、

症状に波があり、出たり消えたりする症状のためか、
なかなか異常に気づくことができません。

たとえ、異常に気づいても、
患者本人だけの力では
その根本原因になかなかたどりつけません。

医師に訴えても、訴えても
どこを検査しても「異常なし」といわれます。

あるいは、なんらかの異常が少しでも発見されたり、
医師の判断によって、
別の病名がついたりします。

でも、それは本当の病名ではなく、脳脊髄液減少症の
症状の一部についた病名でしかなかったりします。

しかも、苦しいのに、
その健康そうな外見で周囲の人間にも心配されません。

病気じゃないか?と指摘してくれる人もいません。

医師にも「心配ない」と追い返されるほど、健康そうな見た目です。

通常の怪我や病気と違って、

病んでいる場所や原因を、
「本人や周囲に気づかせる」という、
生物が命を守るためのシステムが

脳脊髄液減少症だけは、
まるで破壊されているかのようです。

見た目に苦しみが出ない。
異常を感じているのは患者本人だけという症状が多い。

一般的な検査には異常がでない。
患者本人も、医師も、周囲も
真の病名にも、その深刻な病態にもなかなか気づけない。

誰にでも、明日にでも、なる可能性のある病態なのに、
その危機になかなか気づけない。

この恐るべき特徴が
「脳脊髄液減少症は悪魔の病だ」と
私が思った理由です。

(つづくかも?・・・)











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