脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

過眠症状

2008年05月29日 | 症状の説明
今日は朝から雨で、寒いです。

昨日との温度差がとても激しく、
体にこたえます。

今日は絶不調で、眠くて、だるくて、一日眠りこんでいました。

ただ、横になっていたのではなく、
こんこんと
昼間から6時間ぐらい眠ってしまいました。

昨夜も、寝たのにです。

一日横になったり、眠ってしまって動けず、

朝食の食器洗いを、
寝て起きた、夕方4時ごろに、
やっとの思いでしました。

こんな日は、
本当に生きているのがつらく、
現実から逃避したくなります。

つなわたりのように、生きている自分を
改めて感じます。

脳脊髄液減少症は不眠にもなりますが、
過眠、傾眠の症状もでます。

ものすごい異常な眠気がでるのです。
本当です。

不調になると、
私はよく、この眠りこんでしまう症状がでます。
突然脱力と、猛烈な眠気が襲ってきたりします。

だから、

睡眠障害と言われている方や、

いつも眠い方や、
昼食後に限らず、
食後に、普通の範囲を超えるものすごい強烈な眠気が襲ってくる方や、

昼間から異常な猛烈な眠気に襲われ、
実際に数時間も眠りこんでしまう方や

概日リズム障害とか、
ナルコレプシーとか、

睡眠時無呼吸症とか、
化学物質過敏症による同じような「脱力&眠りこみ発作」と、されている方の中に、

もしかしたら、
脳脊髄液減少症による症状の方が、混じっているかもしれないと
私は感じています。

脳脊髄液減少症は、本当に様々な症状がでます。

いろいろな症状を体験して、何年も苦しんだ後に
やっと脳脊髄液減少症とわかった、
患者の私が振り返れば、

それらの症状が、脳脊髄液減少症と関係があることが
わかるのですが、

まだ、脳脊髄液減少症の病名も知らない方がたが、
症状のひとつひとつだけを見ていては、

患者本人も医師も、
その症状の大元が、
脳脊髄液減少症のしわざだと、なかなか気づけません。

睡眠障害の専門家も、見逃してしまうことでしょう。

まさか、睡眠障害の一原因に、
脳脊髄液減少症があると、

どれだけの医師が認識しているでしょうか?

「あまりにありふれた症状で、病態の本質に気づけない」というところが、
他の病態に比べて、
診断にたどりつくまでの、大きな障壁だと思います。

同じ脳脊髄液減少症の患者さんでも、
すべての症状を体験した人ばかりではなく、
一部の症状だけの方もいるでしょうし、

その症状の組み合わせは、
人いよっても様々だと思います。

事故からの放置期間が短い人や、
症状の軽い人ほど、
体験した症状の数も少ないかもしれません。

この過眠の症状による、私の失敗談は
いつか書けたら書きたいと思いますが、

たかが過眠、傾眠症状とあなどれません。

本当に事故や失業に結びつきかねない、
人生をメチャメチャにしかねない、
恐ろしい脳脊髄液減少症の一症状です。


このように、一見ありふれたさまざまな不定愁訴の影に

脳脊髄液減少症が隠れている可能性もあることを、
一人でも多くの方に、
一人でも多くの医師に、

知っていただきたいと思います。

脳脊髄液減少症が正しく診断され、治療されないと、
いつまでたっても治らないし、

方向違いの薬物療法で、
さらなる不調や、離婚や、失業や、事故や、
様々なさらなる困難に巻き込まれます。

症状を「なんともない、異常なし」と放置されたために、
何の罪もない患者が、
脳脊髄液減少症の症状によって、事故をひき起こしかねない危険と
加害者にまでさせられかねない危険もあるのです。

交通事故の悪循環を断つためにも、
この病態の、早期発見、早期治療、患者支援対策に、
一刻も早く取り組んでいただきたいと思います。

人の人生を破壊していく、恐ろしい病態であることを、

本当に一人でも多くの方に知っていただき、
この病態の克服のための研究と、
患者の支援に、
一刻も早く、真剣に取り組み、お力を貸していただきたいと

いつも、
いつも、
願っています。


どうか、脳脊髄液減少症患者を助けてください。
よろしくお願いします。

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回復期の危険 1

2008年05月28日 | つぶやき
今日は朝からだるさがひどく、
寝起きが悪く、
なかなかエンジンがかからず、あまり動けません。

昨日はまあまあの体調だったので、
朝の涼しいうちに、リハビリ散歩に行ってきました。
60回目です。

連休明けの、花粉が治まったころから、
体調と天気と相談しながら、
散歩リハビリを再開しています。

新緑の中を散歩するのは、
体も心もリフレッシュして、元気がでる感じがします。

ところで、昨日の5月27日は、
ZARDの坂井泉水さん、の一周忌だったのですね。

一年たつと、
テレビも、ほとんどとりあげなくなり、
新聞の女性週刊誌の広告の見出しで、気づきました。

特にZARDのファンだったわけではないけれど、

特にCDを買って聞いていたわけではないけれど、

「負けないで」の歌詞は、
知らず知らずのうちに、耳に残っています。

報道するテレビから流れてくる、
「負けないで」の歌詞を改めて聞いていると、

負けそうになっていた私を、
励ましてくれるような歌詞、であることに気づきました。

初めてCDを買って聞きたいと思い、
昨年、不調の中、クラクラしながらお店に行ったものの、
アルバムを買う勇気がでませんでした。
(不調で決断力がなかっただけかもしれません。

ただ、負けないでの歌詞だけは、ずっと頭の中に残っていました。

「負けないで

もうすこし 最後まで走りぬけて

どんなに離れてても

こころはそばにいるわ

追いかけてね はるかな夢を・・・


負けないで

ほらそこに ゴールは近づいてる

どんなに離れてても

こころはそばにいるわ・・・」

この歌詞は、今も、読むたび、励まされます。

脳脊髄液減少症という、
なかなか回復のゴールの見えない
怪我を負った私にとって、

何がこの怪我の回復のゴールなのか?、
はたして、どこまでゴールが近づいているのか?わかりませんが、

おととしより、去年、
去年より今年と、少しずつ年単位で動けるようになっていく先に、
出口があると信じています。

もし、本当に、
坂井さんの死が、自殺や事件ではなく、

回復に向けて、入院中の、
自力リハビリ散歩中の事故死だとしたら、
とても残念だし、やりきれません。
本人もさぞかし無念だったことでしょう。

昨年この悲報を知った時も、
とても人事とは思えませんでした。

私も同じ回復期の事故の危険を、常に感じながら出歩いていたからです。
それは今も続いています。

私もこんな病態になってみて、気づいたのですが、

病気や怪我は、
病院や自宅から出られないほどの重症の時期より、

次第に動けるようになった時に、思いがけない危険がある。
と感じています。

それは、転倒だったり、
交通事故だったり、
転落だったり、
やけどだったり、
うっかりミスだったり、
精神的な揺さぶりだったりします。

私も数多くの危険を体験しています。

幸い、いつも危機一髪で大事に到らずにすんでいますが、

それは、ちょうど、寝たきりだった新生児が、
1歳になり、自分で動きまわり始めることで、
事故の頻度が上がってくるのと、似ていると思います。

うつ病の人も、本当に重症の時は、死ぬ気力もわかないけれど、
少し回復してくると、動く気力が出たことにより、自殺を実行してしまうことがあり、
回復期にこそ自殺の危険があると、言われています。

病人も、けが人も、
回復期の動けるようになった時こそが、
病気本体とは別の、
あらたな危険にさらされやすいことを、

患者本人も充分自覚して
注意して行動してほしいと思います。

油断大敵です。

周囲の方もできれば、一緒に注意を払ってあげてほしいと思います。

回復期の患者が、一見一人でも大丈夫そうに見えても、

充分に回復するまで、
患者が自力で、
安全に行動できる状態につながるまで、

過保護ではない程度に、
見守り、助けてあげてほしいと願っています。


つづく・・・
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続、生きてほしかった・・・。

2008年05月27日 | つぶやき
昨日の、
フリーアナウンサーの川田亜子さんの死は、
本当にショックでした。

私がブログをはじめたわけは、
長年、原因不明の症状で、
死にたいと思うほどに苦しみながらも、生き抜いた結果、

やっと脳脊髄液減少症という病名にたどりつき、
今までのすべての謎が解け、治療を受け、
ゆっくりとも回復しつつあり、
現在があるので、

原因不明の体調不良を抱えている方は、
もしかしたら、脳脊髄液減少症かもしれないし、

たとえ全く別な苦しみでも、
死にたいと思うほどに思いつめている方も、
どうか「とりあえず生きてほしい」と願ったからです。

自殺の報道を聞くたび、
誰であれ、胸がしめつけられます。

川田亜子さんのご冥福を、
心よりお祈り申しあげます。


昨年2月に日本テレビ女性アナウンサーの 大杉君枝さんが亡くなられた時も、
私は直感的に、
「線維筋痛症ではなく、脳脊髄液減少症だったのではないか?」と思ってしまいました。

症状や経過がそっくりだったからです。
なんでも脳脊髄液減少症と結びつけると非難されてもかまいません。

だって、脳脊髄液減少症は、体も精神もバランスをメチャメチャにする、
症状なんでもありの病態なのですから・・・。

今回の川田さんの悲報を聞いて、
何か不調を抱えながらも、必死に今までどおり仕事をこなそうとする、
彼女の苦しみが、残された断片的な言葉から伝わってきて、

自分の過去と重なって、とても人ごととは思えませんでした。

先が読めない体調を抱えながら、周囲に普通にふるまい、
大丈夫大丈夫と言いながら、仕事を普通にこなそうとすることは、
本当につらい事です。

毎日が、
断崖絶壁に渡された綱を、必死で綱渡りしているような、
危うさ、不安定さです。

川田さんを死に追い込んだ真の原因は、わかりませんが、

自殺された川田さんは、
口がまわらない
言葉がでてこない、
という症状にも苦しまれていたようですね。


口がまわらない、
言葉がでてこない、
口の異様な渇き、
声がでにくい、などの症状は、
脳脊髄液減少症でも起きます。

川田さんが脳脊髄液減少症だったのかは、
今となってはわかりませんが、

もし、アナウンサーが脳脊髄液減少症になって
診断も治療もされないまま、放置されたなら、
仕事を続けるのは非常に困難だと思います。


以下は私の体験ですが、
体の苦しい症状に加えて、
ろれつはまわらないし、
文字は頭に入ってこなくなるし、
漢字は出てこなくなるし、書けなくなるし、

声は出にくくなったり変声したり、
小さな声になってしまったりするし、
何かしゃべろうとしても、
思っていることと別な言葉が出てきてしまったり、
とりとめのない言葉がでてきてしまったり、
今自分が言おうとする言葉を忘れてしまったり、
頭が真っ白になって、
言葉がまったく出てこなかったりするのですから・・・。

脳脊髄液減少症は
正しく診断も治療もされなければ、
事故死や自殺で命をも失いかねない、本当に深刻な病態なのです。

そのことを、
一人でも多くの方に知っていただきたいと思います。

特に、自殺防止にかかわる方がたには、
脳脊髄液減少症が自殺の一因になることを
知っていただきたいと思います。

脳脊髄液減少症が、正しく診断されず、
治療されず放置されれば、されるほど、

うつや、激しい痛みや、失業や、離婚や、経済苦など
自殺にむすびつきやすい様々な苦難が地震後の津波のように
次から次へと、これでもかこれでもかと
襲ってくるのです。

このことを知っていただき、今後なんらかのお力を貸していただきたいと
願っています。

そして、
そういう不定愁訴症状を抱えた患者が、最初に受診するであろう、
歯科や、
内科や、
整形外科や
脳神経外科や、
神経内科や
精神科や、心療内科や、

すべての科の医師は、脳脊髄液減少症でも、
さまざまな不定愁訴が起きることを、頭にたたきこんで、

不定愁訴患者に出会った時は、
もしかしたら?と、

いつも一度は「脳脊髄液減少症」の可能性も
疑ってほしいと思います。

患者は素人なのですから、気づきようがありません。
医師がもっと勉強して、
治る患者は治る道につなげていただきたいです。

死ななくてすむ命を、死なせてしまうことが
ないように、

否定派医師のように、
いつまでも「脳脊髄液減少症なんて病態はありえない」なんて
言っていないで、
まずは患者の瀕死の苦しみに真摯に向き合ってください。
現実に存在する患者の声に、耳を傾けてください。

すべての科の医師が協力して、
知恵を集めて、脳脊髄液減少症の研究をすすめ、
一刻も早く患者を苦痛から解放し、救ってほしいのです。

一部の脳神経外科医だけが知っているのではなく、
すべての医師が深く理解することが、
患者の早期発見、早期治療、早期社会復帰につながると
思います。

お力をお貸しください。
よろしくお願いします。


参考記事

私と同じ脳脊髄液減少症患者で漫画家のまつもと泉さんの記事

左の「blog」をクリックして、でてきた画面の右上の2007年2月3日をクリックしてお読みください。私の言いたいことそのものです。また、2007年11月15日」の記事もぜひご一読ください。


以下は私の過去記事です。ご参考まで。

見た目に苦しさがでない 3
口の渇き。ろれつがまわらない。
舌のシビレ
社会不安障害

文字が読めない書けない

ブログをはじめたわけ

ブログをはじめたもうひとつのわけ
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生きてほしかった・・・。

2008年05月26日 | つぶやき
記事をUPしようとしていたら、
テレビからニュースが流れてきました。

フリーアナウンサーの
川田亜子さんが、亡くなられたそうです。

このところ、
体調不良で苦しまれていたようです。


もしかしたら・・・・
とふと思ってしまいました。


どんな苦しみが、
彼女を死に追いやったのかわかりませんが、

29歳は早すぎます。

なんとか生きてほしかったです。
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不思議な症状の組み合わせ

2008年05月25日 | 症状の説明
絶好調だった日から、
体調が下り坂です。

動きすぎたのか、
天気が崩れてきたせいか、

特に昨日は朝から体に力が入らず、
一日不調でした。

でも、きのうはひとつ、いい事がありました。

いちご赤福を、
作って食べたことです。

作ったといっても、

ただ、いただいたおみやげの伊勢名物のあの赤福に、
いちごをのせる事を思いついただけですが・・・。

いちごの甘ずっぱさと、
赤福の味わい深いあんこと、やわらかなおもちの、
素敵なハーモニーは、

いちご大福そのもの・・・。

おもちと、あんこと、いちごという
同じものの組み合わせだから、
同じ味わいなのは当たり前ですが、

赤福のあんこは、また普通の大福とはまたちがって上品な味だし、

赤福のおもちは、普通のだいふくとちがって、塩気も感じないし、
取り粉もついてないから、

お口の中でのハーモニーは、とても新鮮な味でした。

みなさんも一度おためしあれ。

ところで
いちご大福ならぬ、
いちご赤福を食べて幸せを感じた時
同時に、

脳脊髄液減少症の症状の、不思議な組み合わせについて
あらためて感じました。

というのも、
いちごとあんことおもちの微妙な味を感じとれた前日、

体調が良かったのに、味覚障害を感じていたからです。

具体的には、
昨日は不調な一日でしたが、
いちご赤福の味わいを感じ取れました。

おとといは体調はよく、
なんとか起きて一日活動できましたが、
カップ麺のカレー味すら感じ取ることができないほどの味覚障害が出現しました。

体調がいいのに味が感じられなかった原因として、
想像できることは、
限界まで起きて動いた後で食べたため、脳が下垂してしまい、
機能障害を起こしたのかもしれません。

昨日は体がだるく、手足に力が入らず、不調でたびたび横になっていて、
横になっていた直後に、起きて、
赤福にいちごをのせて食べたので、

脳が比較的いい状態で、微妙な味のハーモニーが
感じ取れたのかもしれません。


長年自分の症状とつきあって、観察していると、
その一見不可解な症状の組み合わせにも、
意味があるのが見えてきたりします。


動いて、疲れきって、
カレー味のカップめんを食べた時、
全く塩気が感じられなかったのです。

こんなことはよくあるので、慣れていますが、
体が塩分を欲していて、塩気がたりなく感じることもあるので、

カップ麺に塩をひとつまみ入れてみましたが、
味けなく、
さらに塩を足しても、塩味を感じず、

「やはり、味覚障害 」と、あきらめて、
味けない思いをしたまま、食べました。

その日、その時間の状態によって、さまざまな症状が、
さまざまな組み合わせで、出たり消えたりするのが、
脳脊髄液減少症の特徴だと思います。

これは、おそらく、私ひとりの症状ではないと思われます。

主治医も、「回復期には、脳脊髄液の増減により、症状が出たり消えたりする。」
というようなことをおっしゃっていましたから・・・。

医学的な詳しいことはわかりませんが、
私の体感では、
日々、刻一刻と、脳脊髄液の量は変化しているのかもしれません。
私の場合、脳にとっていごごちのいい脳脊髄液の量を
まだ常に維持できない体なのかもしれません。

もしかしたら、まだ漏れているのかもしれません。

症状の組み合わせはさまざまです。
必ずしも、全身状態の不調時に、その他の症状がすべて悪化したり、
かならずしも、
ある症状が同時に出るとは限らないのです。

症状の組み合わせは日替わり、時間がわりによって変化することもあります。

だるさ、痛さ、脱力、呼吸困難など体幹の症状があっても、

味覚障害や触覚障害、
視覚、嗅覚、聴覚など、感覚障害がひどくでないこともあるし、

その逆で、全身状態は比較的良く動けるのに、
感覚障害が強い日もあります。

つまり、体がしんどいだるい、イコール、感覚障害も不調とは限らず、

痛みやだるさやシビレや、感覚障害や、
さまざまな症状が、

いろいろな組み合わせで出現するのです。

体がだるい、苦しいから、その他の症状もひどいとは限らず、
こういう症状の不可解さも、
周囲に理解されにくい特徴だと思います。

体調がよく、起きて動きまわっていた後に、味覚障害を感じ、
体調が悪く寝込んでいる時に、繊細な味覚がもどる、なんて

同じ体験のある患者さんにしか、
私が何言っているのかわからないかもしれません。

ましてや患者の話を真剣に聞こうとしない、想像力もない、
病気をしたこともなく、病人の苦しみを感じるセンサーもない、
健康で元気な否定派先生方には

私が何言っているんだか、まったく理解できないかもしれません。

本当に、人に理解してもらうのが難しいことばかりです。
ましてや、健康な人には、
脳脊髄液減少症の症状は、想像もできない世界だと思います。

でも、その健康な人にわかってもらわなければ、
伝えなければ、
同じことが繰り返されてしまうと思うから、

私は健康な方がたにもこの病態を知って、
力を貸してほしいと思っています。

思うように動けない、訴えられない患者だけでは、
どうにもならないことが多すぎるのです。

どうか助けてください。

症状が出たり消えたり、
さまざまは組み合わせになったりするこの病態の特徴が、
理解されない一原因でもあると思っています。

症状が出たり消えたりするからこそ、
気のせいとか、精神的なものとか、
ストレスのせいにされやすいのだと感じます。

異常を感じていて受診しても、
受診した当日、その時間に、いままでの症状が治まっていることもあるのです。

いくら医師に「ろれつがまわらないんです。」と訴えても、
「今あなたきちんとしゃべれているじゃない。」と言われたりします。

「動けないほどだるいんです。」と訴えても、
「ここまで運転してこれるんだから、たいしたことないね。」と言われてしまいます。

「もの忘れが激しいんです。」と訴えても、
「あなた、先週受診したのを覚えていますね。」と言われてしまいます。

そういう長期記憶でななく、短期記憶が消えてしまうのに・・・。

さまざまな症状の組み合わせを、片っ端から医師に訴えようものなら、
「不安神経症」や「心気症」扱いされます。

症状が治まった時にしか、受診したり、医師に相談できないし、
たとえ、不調時に必死で受診しても、
どうみても、元気そうに見えてしまうのが脳脊髄液減少症なのです。

ましてや、そんな深刻なさまざまな症状を抱えて、
自殺も考えるほどに苦しんでいる人間には
さらさら見えないのが、脳脊髄液減少症の怖いところです。

医師にもなかなか理解されないし、
精密検査で感覚の異常を捕らえようと検査しても、
異常をとらえにくいのも恐ろしい特徴です。

医師が異常なしといえば、
周囲によけいに、「ほらやっぱり、気にしすぎ、」などと言われ、

「都合の悪い時だけ症状が出る」と誤解されたり、
仮病扱いもされるのだと思います。

本当に、病として認められることすらが難しい病です。

数々の深刻な症状を世間にまったく理解されず、
長年ほったらかしにされ続けてきた、脳脊髄液減少症。

この間、どれだけの患者が、思考力低下や判断力低下の症状で
不慮の事故で命を落とし、どれだけの患者が
家族や医師の無理解に絶望し、仕事や家族を失い、

経済的に追い詰められ、死に追いやられたことでしょう。

今まで、脳脊髄液減少症に殺された方がたは、相当数にのぼると思われます。

表に出ていないだけで、
社会に知られていないだけで、

自殺、事故死扱いされている方の中に、
絶対、「脳脊髄液減少症に殺された方がた」が混じっていると思います。


幸い私は、今まで、何度も何度も
脳脊髄液減少症という見えない犯罪者に殺されそうになりながらも、

いつも危機一髪で逃げおおせ、

最近になってやっと、
先輩患者さんたちのおかげで
マスコミ報道で、自分の苦しみの真の原因に気づき、

詳しい検査を受け、治療をうけここまで回復してこれました。

そして、
やっと今までの不可解な症状の謎が解けた思いです。

だから、この病気に長年振り回された患者だけが気づける、
気づきがたくさんあります。

その気づきをお伝えしたくて、
こうして今まで必死でブログを書いてきました。

似た症状でも、
まったく別の原因で起きていることがある、ということ、

「治らない」と思われていた症状が、
まったく別の視点からの診断や、別の病名からの治療により、

「治る場合もある」、ということを、
一人でも多くの方がたに知っていただきたいのです。

私は今、
ブラッドパッチ後、
今も、さまざまな症状が出たり消えたりしながらも、
それでも、
全体的に症状は軽くなり、起きて行動できる時間が延びています。

やれることが増えています。

これからも、この症状の波をうまく乗りこなしながら、
少しずつでも前にすすみたいと思います。

いちご赤福を思いついてみたり、
ヒラメキを実行して、その味に感動してみたり、

不調な一日の中にも、
ちいさな幸せはあるものです。

日常生活の中にも、
楽しいこと、素敵な事が、
宝石のようにちりばめられています。

これからも、
あきらめず、小さな宝石のようなささいな日常の幸せを探しながら、自分をなだめ、励ましながら、

与えられた人生、運命を生きぬいていきたいと思っています。






赤福さんへ・・

伊勢名物、赤福、
とてもおいしくいただきました。

いろいろつらいことの多い病人にとって、

おいしいものを、「おいしい」と感じられることは、
幸せなことだし、
明日を生きる力になります。

日付の入った店主の「伊勢だより」のしおりは、
印刷とはいえ、ちょっと驚きました。

しおりには、
決意がこめられているように感じました。

なるべく売れ残りを出さないように、
無駄をださないように、
原材料を大切にしてください。

そうすれば、
消費者に正直な、いい商売が
自然にできるのではないかと思っています。

創業1707年からの、300年続いた老舗の味を
守ってください。

応援しています。

赤福食べて、

伊勢まいりにつめかけていた、昔の人々に思いをはせて、
いつか私もお参りに行きたいと思いました。

これも、また生きる意欲につながりそうです。

ありがとうございました。
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朝から動ける!

2008年05月21日 | ブラッドパッチ後の変化
最近、体調が絶好調になってきました。

先日の日曜は、
夜まで、一度も横にならずに過ごせました。

しかし、
数週間前の台風接近中の
天候不順が続いた時は、

接近前から数日間ずっととても体調が悪く、

激しいだるさや背中の痛み、全身の疲労感、
呼吸の苦しさに苦しみました。

昨日の嵐は大丈夫でした。

こういう時期は、
もうダメか、もういやだ、死にたいとさえ思ったものですが、

また体調が回復すると、
そんなことはすっかり忘れてしまいます。

人間とはゲンキンなものです。

だから、どんなに苦しくても、早まってはいけません。
人生最後まで、
生きてみなければわかりません。

今日は体が軽いです。
激しいだるさや脱力がでないです。

とってもとっても体が楽です。

雨の日の続いた時と
同じ人間の体と思えないほどです。

再ブラッドパッチ前の体は、
まるで真冬の車のエンジンのように、

動き出す前に、準備と時間がかかる体でしたが、

最近、
5月のいい気候の時期の車の始動のように、
動き出すまでの、時間がかからなくなってきました。

今朝は気持ちよく晴れていたし、
体調もいいので、

紫外線が強くなる前にと、朝からけっこう重労働の庭仕事をしました。

いつもは少し動くと
激しいだるさ倦怠感に、
動き続けることが
できなくなってしまうのですが、

今日は体もだるくなく、重くなく、疲れも感じず、
やりだしたら夢中になって、
気づいたら、1時間もやっていました。

朝、なるべく9時前に、散歩や庭など、外に出て、
朝の光を浴びることは以前から心がけてきました。

体内リズムを整えるし、
何より、外に出ると、
脳が目覚め喜ぶ感じがするので、

今までもなるべく、体調のいい時は、
たとえわずかな時間でも、
せめて庭でも、外にでるように
心がけてきました。


しかし、こんなにも重労働を
1時間も、できるようになったのは、最近です。

体朝から重労働ができること自体、
こんな体の変化は
今までにないことです。

やはり、再ブラッドパッチの効果としか思えません。

しかしながら、
体調には波があります。

いい時ばかりではありません。

天気が崩れる前や
生理周期などに連動して、

症状がいろいろ再発して、動けず、
寝込むこともあります。

再ブラッドパッチ後にも、
いいことばかりではなく、

いろいろと
悪化したかのような症状も、

今までなかったのに
ブラッドパッチ後新たに出現したかのような症状も、
体験しました。

でも、前回のブラッドパッチで
この反応は経験ずみでしたから、

「ああ、きたか。やっぱりね。」と冷静に受け止められました。

その苦しい症状に、いちいち振り回され、
なんとか楽になろうと、
近隣の医療機関をめぐって右往左往することより、

脳脊髄液減少症治療をしてくれた
主治医を信じて、

ひたすら自分の様子を冷静に見守りつつ、
安静や水分補給のみで
耐えぬきました。

悪化したような症状や、
ブラッドパッチで引き起こされたかのような症状も、

「もともとあった症状が悪化した。」とか、
「ブラッドパッチで今までなかったのに、新しい症状まで出てきてしまった。」
と、
私はとらえることなく、

回復のための、「体の良性反応」、
今までの状況に慣れていた体の、
ブラッドパッチでの「ビックリ反応」ととらえ、

苦しい症状が出ても、
「血を入れたんだもん、いろんな反応が出てあたり前よね。」・・・と
自分に言い聞かせ、
耐えることができました。

そして・・・・耐えた結果が、今です。

今、
確実に、動ける日が増えています。

こうしてブログ記事も、
最近、負担にならず更新できます。

脳も精神機能も良くなってきたのかもしれません。

起きて活動する時間ものびています。

まるで、夏至に向かって、日が延びるの
比例するかのようです。

この先、もっともっと回復するためにも、
いえ、回復が頭うちになったり、
また悪化したとしても、

与えられた人生最後まで
一日、
また一日と、

日々を淡々と重ねていきたいと思います。

症状が苦しい日も、

現実の世界で、
人間関係や、経済的な困難、数々の試練など、
病人にも、容赦なく様々な問題や悩みが襲ってきて
精神的にもつらい日も、

とにかく一日を過ごして、

そうしていれば、
人生が尽きたとき、
自分の人生に納得できる気がします。


ところで、
今日の朝の重労働での、
気づきがもうひとつあります。

それはまた、次回・・・・?。

参考過去記事:
朝の異常なだるさ




追伸:
中国の地震で、奇跡の生還をする人がいます。

災害に巻き込まれて生き残るには
水や空間や気温、湿度などの諸条件がそろっているとともに、

「こんなことで死ぬもんか!」という
「強い生への執着心」を持っていることだと
先ほどテレビで言っていました。


脳脊髄液減少症も、地震災害で建物に押しつぶされながら、
息もたえだえに生きのびて、
なかなか来ない救助を、
待っているようなものです。

けっして大げさなたとえではありません。

参考:体のしめつけ1

   体のしめつけ2

「こんなことで死ぬもんか

「否定派医師より、絶対長生きしてやる

患者の皆さんには思ってもらって、生きる力にしてもらいたいです。


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のどの違和感。

2008年05月20日 | つぶやき

テレビを見ていたら、

番組中の医療相談コーナーで、

「のどの違和感」がとりあげられていました。

首をしめられるような、のどの違和感の症状を抱えているが、
検査で異常なしと言われたとの相談でした。

耳鼻咽喉科の専門医の回答は、
内視鏡検査で異常がないなど、除外診断をしたのなら、
「咽喉頭神経症」の可能性があり、ストレスなどに一因があると、
話していました。

でも、
脳脊髄液減少症で、首のしめつけやのどの違和感にさんざん苦しめられてきた
私は、
「違う!神経症を疑う前に、脳脊髄液減少症の可能性も疑ってほしい。」と思いました。

電話回答していたこの耳鼻咽喉科の先生は、
おそらく、
脳脊髄液減少症でも、のどの違和感や、首のしめつけ感が起こることを
ご存知ないと思われます。

脳脊髄液減少症でも、
さまざまな耳鼻咽喉科の症状が現れます。

口腔症状や咽頭症状、耳と鼻の様々な症状、

聴覚過敏にはじまり、
匂いがわからないとか、

飲み込みにくさ、
物がつかえた感じ、
耳鳴り、
耳のつまっった感じ、
聞こえづらい感じ、
鼓膜がケイレンする感じ、
鼻づまり、
声がれ、

のどの腫れ、

のどの痛み、
声のでにくさ・・・などなど

本当にいろいろな症状を実際に私は体験しました。

脳脊髄液減少症でも、

さまざまな耳鼻咽喉科領域の症状が出現することは、
まぎれもない事実です

体験した患者なら、わかります。

誰がなんと言おうと、
私は脳脊髄液減少症の耳鼻科症状を
嫌というほど味わいましたから、その事実を知っています

それなのに、
この事実を、耳鼻咽喉科の医師でさえ、
理解されていない現状に愕然とさせられます

改めて、脳脊髄液減少症を見逃されて苦しんでいる
多くの潜在患者の存在を感じて、そら恐ろしくなります

さまざまな耳鼻咽喉科の症状が
脳脊髄液減少症でも引き起こされるという事実を、

日本中、世界中の耳鼻咽喉科の医師にも、

すべての診療科の医師にも知っていただきたいと思います

耳鼻科の医師の頭の中に

「脳脊髄液減少症性の耳鼻咽喉科症状」が
知識として存在しなければ、

そういった症状を訴えて、

耳鼻咽喉科を受診する患者を前にして、

いくら検査して、除外診断をしたとしても、

もともと医師の頭の病名リストとして存在しない
「脳脊髄液減少症」は見逃されてしまいます。

検査して異常がなければ「異常なし」か、

「精神的なもの」

「ストレス性」と
言われ、深刻な「脳脊髄液減少症」という病態が根っこにあることなど、

誰にも気がつかれないまま、放置されてしまいます。

偶然何か異常が見つかれば、

その異常を元にした病名が一応つけられ、

その病名にもとづいての治療のみがなされ、

 

その症状を出現させ続けている、

大元の脳脊髄液減少による、脳の機能障害という真の原因に誰も気づかないとしたら、

本当に恐ろしいことです。

 

放置されることで患者が2次被害、3次被害に

巻き込まれていくことを思うと、やりきれません。

症状の真の原因が脳脊髄液減少症であっても、
誰も気づけないとしたら、

本当に患者のその後は悲惨です。

医学を学んだ医師が、気づけないのであれば、

素人の患者は自分の症状の原因が、

もしかしたら「脳脊髄液減少症」によるものかもしれないと
気づく可能性はもっともっと低くなります。

のどの違和感、

首のしめつけ感、

飲み込みづらさ、
など、さまざまな耳鼻咽喉科の症状を訴える患者に対しては、

医師は、一般的な検査とともに、

常に脳脊髄液減少症の可能性についても、疑ってほしいものです。

そして、患者に、
過去に交通事故にあったことはあるか?

何か首を痛めるような衝撃を受けるスポーツはしていなかったか?

激しい衝撃や、暴力をうけたことはないか?

など、「脳脊髄液減少症」の問診もしっかりとするなど、

常に医師の頭の病名リストの中に、
「脳脊髄液減少症」という病名も加えて、

診断の際、思い出してほしいと思います。

そうでなければ、
心身の両面と、全身にわたる症状で、患者がさまざまな診療科領域を受診する可能性のある、脳脊髄液減少症は、

これからも、
いつまでたっても見逃され続けてしまいます。

消えない症状を抱えて
苦しみ続け、人生を振り回され続け、

無理解にさらされ続け、

精神的にも、

肉体的にも、

経済的にも追い詰められて、

耐え切れず命を絶つ患者の悲劇を
これ以上繰り返さないためにも、

交通事故や、スポーツ事故や、いじめや暴力などで

見えない「脳脊髄液減少症」という怪我を負って、

病名もわからないままほったらかされて、

進学も就職もままならなかったり、

不登校やニート扱いされたりする子供たちを

もうこれ以上出さないためにも、

子供たちの未来をつぶさないためにも、

 

すべての診療科のすべての医師に、

「脳脊髄液減少症でも、すべての診療科にわたる、

さまざまな症状が出るという事実。

知っていただきたい、学んでいただきたい、

そして、早期発見、早期治療に、

力を貸していただきたいと願っています。

 

参考:過去記事

首のしめつけ1

首のしめつけ2

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掃除機がけが楽になった!。

2008年05月19日 | ブラッドパッチ後の変化
最近、
掃除機がけが楽になりました。

あれほど、
すぐ疲れて、だるくて、掃除機が重く感じて、
ホースが重くて、動かすのが重労働に感じて、

以前は起きて立って掃除機がけができず、
寝転がりながらやっと掃除していたような、

掃除機がけ困難だった私が、

あれほど掃除機がけが重労働に感じていた私が、

最近
ふと気づけば、
毎日掃除機がけができるようになりました。
しかも、以前よりぐ~んと体が楽です。

しかも、体調がいい日には、

あこがれだった、「朝の掃除機がけ」もできるようになりました。

以前は、数ヶ月に1度やっと掃除機かける程度とか、

それも10秒、ひどいと5秒ぐらいですぐに疲れて、
やめていたし、

朝は体がこわばり、だるさがひどく、なかなか動き出せないため、

早朝に、
重労働の掃除機がけなどできなかったのです。

それが、最近は、
数分間、連続して、さほどひどい疲れも感じず、
掃除機をかけ続けることもできるようになりましたし、

体調がいい日は、朝から掃除機がけも可能になりました。

こうなってくると、
あれほど苦痛だった、掃除も楽しく感じてきました。

慢性的にだるくて、疲れが激しくて、
苦しくて、痛くて、体が重くて、の日々ばかりで、

元気だったころの、はるかかなたの事故前の自分の、

普通の人の体の、
普通の感覚を想像することすらできず、
忘れかけていましたが、

最近、
普通の人の体の感覚は、
この回復した感覚の、もう少し先にあるのかも・・・と、
想像できるまでになりました。

今も天候などに連動して、
体調が悪くなって寝込んだりと、体調にまだ波はありますが、

その波と波との感覚が少しずつ開き、

その一つ一つの波の落差が、
小さくなるのを感じています。

今までできなかったいろいろな事が、

少しずつ楽にできるようになり、
疲れにくくなりました。  

そのため、
今までできなかったことを、ついついやりすぎて、
疲れてしまったりしています。

こんな事を繰り返しながらも、

安定した体調と普通の体の感覚で、
ごく普通の「人」の生活が送れる日が

確実に近づいているのを感じています。



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再ブラッドパッチ

2008年05月05日 | ブラッドパッチ後の変化
経過は、きわめて良好です。

過去記事にも書きましたが、不調の原因を、
まずはとりのぞくため、

リスクを恐れず、治療を受けて
本当に良かったと思っています。

また、1歩に出口に近づいた感じです。

ブラッドパッチは、本格的な効果を感じるまでには
時間はかかる治療法ですが、

私の場合は、
確実に効果を感じています。

ブラッドパッチ後も、
天候の変化などに連動して、
悪化したような激しい症状の波があるため、

その症状のひとつひとつの波に目を奪われると
回復や効果に、なかなか気づけないものですが、

1年前の私、2年前の私と
長い目で自分の状態を振り返ると、

確実に動けるように、なってきています。

確実に起きていられる時間がのびています。

確実に症状の数が減っています。

ひとつひとつの症状の程度が軽くなってきています

これらの自分の経験から、
私はブラッドパッチは保険適用にするべき治療法だと
改めて感じています。

脳脊髄液減少症を否定する医師の皆さんは、
いくら医師であって、座学で医学知識を学んでいても、
体験という、体で実際に学んではいないのです。

私は医学の知識はなくても、
すべて体で実際に経験しているのです。

交通事故も
それ以来の長い長い原因不明時代の数々の症状も、

悪化時の耐え難い、
毎日が悪夢のような、身の置き所のない症状も、

そしてブラッドパッチの風船効果(急性効果)も
すべて体験しているのです。

つまり、
脳脊髄液減少症に関しては、

否定派の先生方の言い分より、
私の経験談の方が信憑性があると思います。

医師は、本に書いてある過去の知識から学ぶことも大切ですが、

今目の前にいる、生きた患者から真摯な態度で学ぶことこそ
一番大切なことなのではないでしょうか?。

一日も早く、
一人でも多くの医師の皆様が
医師として当たり前であるはずの

「患者の話に真剣に耳を傾け、苦しむ患者に手をさしのべる。」ことに
真剣に取り組んでいただきたいと願っています。

この病の症状は
人により差はありますが、

本当に身がよじれるほどに苦しい症状もあるのです。
その苦しみは、生きているのさえ、自ら放棄したくなるほどです。

緊急性のない症状だからと放置されたり、
後回しにされるべき問題ではないのです

一刻一秒をも争う病と、
なんら変わらないほどに、命の危険をもはらんでいる、
非常に深刻な病態なのです。

どうかその事に気づいてください。

ひとつひとつの症状の激しさや、

言葉に表現しにくい、
耐え難い痛みや苦しみ、感覚の異常を
いくら訴えても誰にも理解されず、

医師のも「気のせい」「精神的なもの」とほったらかしにされ、
あるいは精神科の薬漬けにされたり、

医師にも真の原因に気づいてもらえず、
別な病名をつけられ方向違いの治療をされよけいに
不調になったり、

一向に回復しないことで、
家族にも叱咤激励ばかりされ、苦しみを理解されず、
仕事もできなくなり、
職場を追われ、または学校へ行けなくなり、

追い詰められて、
ついに自ら命を絶つ方がたを
もうこれ以上ださないためにも、

どうか、心あるみなさん、
脳脊髄液減少症患者を助けてください。

力を貸してください。
お願いします。


それから、今、
苦しい最中の方がたへも
伝えたいことがあります。

私は今まで、
ひとつひとつの症状の苦しさや
体調の波
無理解に絶望しそうになる日もあったけれど、
今も、時々、そういう時もあるけれど、

ただただ、ひたすらに生き延びて、

自分の持ちうる感覚を研ぎ澄まし
自分の命を守る本能を信じて、

かすかに見える光をたどって、

自分を救い出す方向へ、自分の信じた方向へと
確実に1歩1歩進んできました。

だから、
同じ病に苦しむ方も、

他のいろいろな苦しみに人生を悲観している方がたも

あきらめるのは
まだ早い

人生最後まで、生きてみなければわかりません。

今、自分が何ができなくても、
人に何を言われても、何を思われてもいい、

とりあえず、自分の命を明日へつなぎとめること、
そのことだけができれば、

そのうちなんとかなるもの、
違う展開が待っていたりもするからと、
自分に言い聞かせて生き延びてほしいのです。

私は、死にたいほどに症状が苦しい時も、

医師や周囲の無理解や侮辱にさらされて、
精神的にまいりそうになる時も、

自分をなだめて、
とりあえず、今日一日を生きて、

自分の命をつなぎとめて、
やっとここまでたどりつきました。

周囲には、そんな風には見えなかったかもしれません。
普通に楽しく生きている人間に見えたことでしょう。

しかし、私は見えない症状と常に闘っていました。

自分だけは、自分の体が発する危険信号である症状を
信じてあげなければと思いました。

自分を最後に救うのは、
誰でもない、自分だと思います。

だから、
最後の最後で、自分が自分を見捨てないように、

毎日とりあえずでいいから、
生きてほしいのです。

今、病に限らず、
なんらかの事情で、死にたいほどに苦しい最中の皆様も、

どうか
自ら、生きることをやめたりしないで、
最後まで生き抜いてほしいのです。


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