脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

東京新聞

2013年01月31日 | 情報

1月29日

東京新聞の記事

東京新聞、東京新聞の記者さん、

実態を報道してくれて、ありがとうございます。

 

以前、

読売新聞が、軽度外傷性脳損傷の連載記事で、

ブラッドパッチ後、また症状が出たから、

「軽度外傷性脳損傷の医師を受診したら、

軽度外傷性脳損傷だった。なんて報道したことがあったけれど、

あの報道は、ある意味、脳脊髄液減少症に関しては、

世の中に正しい情報を与えなかったという点で、

非常に罪つくりだったと私は感じている。

 

そう思う理由は過去のブログにも何度もしつこく書いたけど、また次回。

 

脳脊髄液減少症についてはこちら

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NHK、きょうの健康「線維筋痛症」

2013年01月30日 | つぶやき

本日2回目の投稿です。

今夜のNHK「きょうの健康」で

「線維筋痛症」が取り上げられるみたいだけど、

どうせ、NHKは

「診断が、線維筋痛症の診断だった患者の中に、

その後、脳脊髄液減少症だと判明し、脳脊髄液減少症の治療で回復した例が実際にあった。」ことなんか

一切放送しないんだろうな。

どうせ、「激しい痛みの原因はまだわかっていません。」なんてことでまとめるんだろうな。

だからその番組を見た、

「原因不明の全身の激しい痛みのある患者たちは」

自分の症状は、「線維筋痛症かもしれない。」と思って、

「脳脊髄液減少症」の可能性には気づきもしないまま、「線維筋痛症の専門医」を受診してしまうんだろうな。

順番としては、原因もあり、治る可能性のある、脳脊髄液減少症の専門医を受診するのが

先がベストなのに・・・。

 

NHKは、今までも、

「きょうの健康」で慢性疲労症候群や、線維筋痛症については取り上げても、

脳脊髄液減少症については一切取り上げなかったから、

 

脳脊髄液減少症でも全身にありとあらゆる痛みが出ることなんかも、

今夜の放送でも

どうせ、一切触れないんだろうな。

 

先日のきょうの健康での「頭痛の放送」でさえ、脳脊髄液減少症については、

触れていなかったみたいだし。(1月22日放送の片頭痛はこちら。1月23日放送はこちら。片頭痛とか緊張型頭痛とか、もうわかってるから、お願いだから、せめて頭痛の放送の時には

脳脊髄液減少症の頭痛についても放送して国民に知らせてあげてよ。

 

脳脊髄液減少症については、無視を決め込まれている感じ。

 

かつて、どの医師にかかっても原因がわからなかった、全身の激しい痛みの症状の経験があり、

その後その症状の原因が脳脊髄液減少症だと判明し、

脳脊髄液減少症の治療を重ねて、その痛みが現在は消えている人がいたら、

ぜひ、

今夜の番組を見てほしいな。

そして、自分の体験と重なる点があったなら、

NHKにその体験を伝えてあげてほしいな。

 

よろしくお願いします。

 

脳脊髄液減少症が原因なら、治る可能性があるのですから、早くそのことの重大さにNHKに気づいてもらい、

NHKには、

脳脊髄液減少症という、激しい全身の痛みも、恐ろしいまでに激しい全身のだるさをを出す病態があることを、国民に伝えてほしいから。

 

NHKの健康番組に対するご意見はこちら

 

脳脊髄液減少症についてはこちら。

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 脳脊髄液減少症を知っていますか? 知らないでしょう?

2013年01月30日 | つぶやき

昨日のブログで紹介した

「脳脊髄液減少症を知っていますか?」

 

本日の、朝日新聞の一面の広告欄にも、

西村書店の「脳脊髄液減少症を知っていますか?」の本の広告が出ていますね。

地方によっては載っていないかもしれないけど。

確認してみてください。

 

「脳脊髄液減少症を知っていますか?」と聞かれて

「ああ、知っているよ。」と言う人は、最近は多いかもしれない。

特に、プライドの高い医師は。

 

でも、それはあくまで病名を知っているとか、頭痛があるとか、概要だけでしょう?

そんなのは私から見たら、

「知っているうちに入らないの!」

 

特に整形外科医とか頭痛外来とか、内科とか、神経内科医とか、耳鼻科医とか、眼科医とか、婦人科とか、精神科とか、心療内科とか、線維筋痛症や慢性疲労症候群の専門医とか、頭痛外来の医師とか、に私は言いたい。

 

あなた方の前に、症状を訴えてくる患者たちの中に、まずは自分の診察での直感で脳脊髄液減少症を疑い、脳脊髄液減少症の脳外科専門医に紹介状を書き、

脳脊髄液減少症だと診断がつき、その患者が、脳脊髄液減少症の治療で回復した例を100例積み上げられたら、

まあ、「脳脊髄液減少症について知っている」と言っているといってもいいかもしれないけど。

それぐらい、日常茶飯事に、あなた方の前に、脳脊髄液減少症患者は、なんらかの不定愁訴を訴えて訪れているはずだから。

 

自分たちの前に、頻繁に現れているかもしれない、脳脊髄液減少症患者の存在なんて、

想像もしていないでしょう?

私から見たら、そのことを想像もできないで、「脳脊髄液減少症を知っている。」とは言ってほしくはないのです。

 

 

本当の意味で、脳脊髄液減少症のことを知っている人たちは、

ほんのわずかしかいないと私は思います。

 

その信じられないほど多彩な症状とか、(脳が悪影響受けるんだもの当たり前のことなのに)

「頭痛がない髄液漏れ患者の存在」とか、

 

信じられないほどの激しいだるさや痛みが出て、

慢性疲労症候群や線維筋痛症と呼ばれるような症状に、

そっくりなこととか、

精神機能までやられてうつ病や統合失調症みたいになるとか、

まるで、

「不思議の国のアリス症候群」みたいな症状も出るとか、

視機能も、嗅覚機能も、触覚も、聴覚機能も、人のありとあらゆる機能がおかしくなるとか、

恐ろしいほどの高次脳機能障害が出るとか、

脳脊髄液減少症という病名だけからは想像もできないほどの

ものすごい症状の数々を、

知っている人たちは、身をもって体験して知った患者と、

その患者の話や様子からそういう症状の存在を

なんとなく第三者的に知った医師や家族など、のごく一部の人たちにすぎないだろう。

 

一番知っているのは、医師ではなく、経験した患者。

患者の声を皆で発信し続けましょう。

 

とりあえず今は、脳脊髄液減少症マンガを掲載してくれた

秋田書店の、「フォアミセス」に、あなたの体験した

脳脊髄液減少症体験をはがきにかいて送りましょう。

「フォアミセス3月号」の後ろに、感想を書いて送る宛先と、アンケートがついています。

アンケートの紙を張った、その隙間でもいいから、感想を一行でもいいから書きましょう。

 

どんな手段でもいいから、出版社に感想を送ろう。

ただ、マンガを買って読むだけで終わりではなく、

必ず感想を出版社に皆で送ろう。

そうすれば、反響はまた次の作品につながるかもしれないから。

 

文字を書くことや、はがきの投函も無理なら、

自宅からできるメールでも、

電話でも、

どんな手段でもいいから。

黙っていないで患者たちは声をあげましょう。

特に今まで何もしたことがない、そこのあなた。

少しの勇気を出して、

マスコミや出版社を動かし、脳脊髄液減少症について世の中に伝え続けようと

動いてくれている人たちに続こう!。

 

皆の小さな声も、集まれば大きな声になります。

この社会を、もっと脳脊髄液減少症患者にやさしい社会に導いていくのは、

誰でもない、

あなたの勇気だということ、忘れないで。

 

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脳脊髄液減少症を知っていますか?

2013年01月29日 | 情報

地方によっては載っていないかもしれないけど、

本日の読売新聞の1面の下の広告に、

西村書店

「脳脊髄液減少症を知っていますか?」

本の広告が載っていました。

 

他の新聞にも載っているのかもしれないけど。

確かめてみて。

 

西村書店さん、ありがとう。

脳脊髄液減少症マンガを掲載してくれたフォアミセスの秋田書店同様、

 

ここにも、

世間に関心の薄い、

認知度の低い脳脊髄液減少症について、

広く世の中に伝えようとしてくれる理解ある出版社と、その編集者の方がいたのですね。

 

ありがたいことです。

 

こういう少数だけど、

なんとかしようと動いてくれる人たちの存在に、

世の中まだまだ捨てたもんじゃないと心救われますね。

 

こういう行動を起こしてくれる人たちがいる世の中に、

希望も持てますね。

 

だから、今、どんなに症状が苦しくったって、

死んじゃだめだよ。

患者が絶望して、何も声を発せず、死んでしまったら、

脳脊髄液減少症を広めようとしてくれている人たちに、申し訳ないと思わない。

絶望しちゃだめだよ。

患者ができることは自分でも動いていこう。

患者が伝えないで、誰が脳脊髄液減少症のことを伝えられる?

 

本当は医師よりも、患者の方が、脳脊髄液減少症のことに詳しいはずだよ。

だって、体で実際に体験しているんだもん。

 

患者が各々の体験を、あらゆる手を使って、世の中に知らしめていくことが大切だと

私は思うよ。

 

いつか世の中に「がん」と同じくらい、脳脊髄液減少症の認知度が上がり、

がん対策と同じくらい真剣に、国をあげてその早期発見に取り組む時代がくるはずだから、

それを見ずに、あきらめちゃダメだよ。

 

世間の関心が高まれば、医師たちの関心も高まり、そうなれば、研究も進み、よりよい治療法だって見つかるかもしれないから。

リハビリ体制だって、

緩和ケア体制だって、

いつでもどこでも受けられるようになるかもしれないから。

 

 

それに、私はこの本を、

慢性疲労症候群とか、

線維筋痛症とか

軽度外傷性脳損傷と診断されて、「治療法がない」とされている人たちに、

ぜひ読んでもらいたいと思っています。

 

だって、その症状が、もしかして、それらの病名ではなく、

脳脊髄液減少症という新たな視点でそれらの症状の説明ができ、

検査で髄液漏れが見つかり、そう診断されたなら、

それは「原因不明で治療法もない病」なんかではなく、

「治る怪我」に変わるわけだから。

それだけでもう、全然違ってくるんじゃない?

 

そして、根気良くあきらめずに治療と検査を続ければ、

私のように少しずつ回復する可能性だってあるわけだから。

 

慢性疲労症候群とか、

それらの病名と診断する専門医が、必ずしも

脳脊髄液減少症に詳しいとは言えないと思うから。

 

脳脊髄液減少症について、あまり知らないくせに、

あなたがそんな病気であるわけないという「専門医」だっているはずだから。

 

だって、医学部の学生も学ぶことがない「脳脊髄液減少症の多彩な症状」を知っているのは、

脳脊髄液減少症と診断されて、治療で回復して、

「ああ、やっぱり髄液漏れだったのか」と体験から学んだ患者と、それを目の当たりにして、そういう患者に数多く接し、診てきた医師しか知らないわけだから。

 

 

この本に関する動画はこちら

(動画のBGMがうるさいな~。聴覚過敏の症状のある人はご注意を)

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「ゆりちかへ・・・」、今夜のドラマに思うこと。

2013年01月26日 | つぶやき

マンガ雑誌フォアミセスの3月号の

脳脊髄液減少症マンガ「お母さん生きて」について、

まだまだ書きたいことはあるのですが、

今日は、

今夜放送のドラマについて書きます。

今夜9時からの、

「ゆりちかへ ママからの伝言」の放送があります。

 

くわしくはこちらもお読みください。

1月25日読売新聞

 

「ゆりちかへ・・・」は

ずいぶん前、

私が治療で脳脊髄液減少症が回復してきて、

結構な時間、立っていられるようになって、本屋に行った時、

ふと立ち寄った闘病記コーナーで見つけた本です。

 

手にとると、地元の出版社から自費出版で出されたと思えるような、

見なれない名前の出版社から出ていたその本は、

 

がんで闘病しながら子育てをした、お母さんの気持ちがつづられていたものでした。

 

でも、すぐさま心に葛藤がわき起こり、

買ってまで読む気持ちにはなれませんでした。

 

そのわけは、

私と同じ思いをした脳脊髄液減少症の患者さんなら、

想像できるかもしれません。 

 

この本は、何度もマスコミで取り上げられ、そして今回

「感動の実話」としてドラマ化されました。

 

最近、

お子さんを思いながら亡くなっていったお母さんのことを書いた本、

「はなちゃんの味噌汁」も「感動の物語」として話題になりました。

 

 

回復するのが難しい病でありながら、

闘い抜いて、子を思いながら亡くなっていったお母さんたちだけが、

どうしてこれほどまでに、

「感動の物語」として、マスコミに取り上げられるのかと、

 

私の中に葛藤がわき起こるのです。

 

もう、それらのお母さんを死に追いやった病名は

世界中に知れ渡っているし、

世界中の研究者が、患者を救おうと各国の研究者たちが切磋琢磨して日夜研究に励んでいるし、

その病の深刻さは、充分すぎるほど、

世間にも医療界にも知識は浸透しているというのに・・・。

 

でも、

その病の過酷さの知識が世界中に浸透しているからこそ、

その病と果敢に闘いぬいて、たとえ命を奪われようとも、

最後まで子を思う母の気持ちに、

人々は胸を打たれるのかもしれません。

 

どんな病名の病であっても、

子を残して亡くなるお母さんたちは、それは無念だと思います。

 

だけど、普通に世間や医療に認知されている病の患者さんたちは、

亡くなるまでに、

医師はもちろん、家族も周囲も、

誰もがその病名の深刻さ、つらさを知りつくし、

患者を誰もが病人だと認め、

細心の心を配って扱ってくれ、

充分に医療に支えてもらい、家族に支えてもらったはずだと思うのです。

 

少なくとも、

脳脊髄液減少症患者が医師に言われるように

「あんたの症状は気のせいだ、思いこみだ、仮病だ」、と思われることも、

何の治療もされないまま、ほったらかされることも、

がんではあまりないと思います。

 

特に医療先進国の日本では。

 

でも、脳脊髄液減少症には

「いくら症状を訴えても、医師にも信じてもらえず、ほったらかされ、

怠け者、精神病扱いされ、

まともな治療さえ受けられない、家族にさえ、症状の深刻さをわかってもらえない。」という

信じられないことが、

いともたやすく起こってしまうのです。

 

誰にも病人だと気づいてもらえず、

その患者の症状、苦しみ、訴えが、脳脊髄液減少症だと医師にも気づいてもらえず、

気づいてもらえないから、病名もつかず、

その後は医師にいくら症状を訴えても、相手にされなくなる。

 

そして、医師が病人だと認めないから、

家族も

なまけ病、仮病だと思いこんでしまうこともある。

そうなって、

動けなくなったお母さんたちが、

寝たきりになって、家事も育児もできなくなって、

我が子を思って頑張って頑張って生きようとしても、

もう自分の力ではどうにもならなくなって、

苦しんで

苦しんで、

誰にも医療にも助けてもらえず、

ある日、呼吸困難などの何らかの脳脊髄液減少症の激しい症状や

脳脊髄液減少症が引き起こした硬膜下血腫で亡くなってしまっても、

あるいは、あまりの苦しさから自殺してしまったとしても、

誰も、そのお母さんの闘った軌跡や、

残していく子を思いながらの無念な気持ち、生きたかった気持ちは

闘病記に記することもなく、

世間が気づくことすらないでしょう。

 

そのお母さんのことを、マスコミも「感動の物語」として

とりあげたりもしないでしょう。

 

同じ病での死であっても、

がんと闘いぬいて子を思いながら亡くなっていったお母さんと、

脳脊髄液減少症で亡くなっていったお母さんとでは、

マスコミや

世間の関心度が、あまりにも違うと

私は感じるのです。

 

脳脊髄液減少症と闘ったお母さんの話は、

生き抜いたにせよ、

亡くなってしまったにせよ、

 

「感動の物語」としては、マスコミもほとんど紹介しないし、

出版されることも、ドラマ化されることもないと思うのです。

 

それはなぜかというと、

そもそも、

そういう病が存在することも、

その症状の過酷さも、

どんな風にその症状が日常生活を阻害するかも、

全く世間に知られていなからだと思うのです。

 

脳脊髄液減少症の深刻さが全く世間に普及していないから、

医療界にもまだまだ知識の普及が足りないから、

マスコミもテレビ局も、

脳脊髄液減少症のお母さんたちの話しを

伝えようともしないのでしょう。

 

そんな中、

脳脊髄液減少症のお母さんのことを、

そのお母さんが、症状に苦しみながらも、子を思い、生き抜く姿を、

漫画化してくださった意味は

大きいと思います。

 

多くのミセスが手にとるマンガ雑誌に掲載し、

今回のフォアミセス3月号の「お母さん生きて」の作品を読んで、

自分の症状や家族、知人の症状が、

脳脊髄液減少症に似ていることに、気づいてくれる人もいるかもしれない。

 

病名は知っていても、症状の深刻さを

このマンガではじめて知る人だっているかもしれない。

 

脳脊髄液減少症を発症したお母さんが、

もし、夫が単身赴任でいない世帯だったら、と考える人もいるかもしれない。

 

もし、同居で家事を代行してくれるお姑さんがいない核家族だったら、

周囲に知りあいもいない、

夫と転勤してきたばかりの土地での交通事故での発症だったら、

 

あるいは、

頼れる知人も、守ってくれる家族もいないシングルマザーだったら

 

といろいろな想定を考えて、

危機感を持ってくださる関係者の方もいるかもしれない。

 

秋田書店の皆さま、

漫画家の三谷さん、

体験を話してくださった患者さん、

ご尽力くださった関係者の皆さま、

重ね重ね、

感謝申し上げます。

 

皆さま方の勇気と行動力は、

必ず多くの人たちに気づきを与え、

早期発見に導き、救うと思います。

 

そして、マンガでは伝えられなかったことについても、

マンガからこの病の持つ問題点の奥深さに想像力を働かせて

考えてくださる人も現れるかもしれません。

 

ありがとうございます。

 

そして、

私たち全国の患者は、秋田書店に感想を届けましょう。

 

 

 

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マンガが伝えてくれたこと

2013年01月25日 | つぶやき

今回の、フォアミセスの脳脊髄液減少症まんが で伝えられたことと、

伝えられなかったことがあると思います。

 脳脊髄液減少症について伝えられたことは、書き出してみるとたくさんあります。

 

交通事故で脳脊髄液減少症になること。

だから、脳脊髄液減少症は誰にでもなる可能性のある事故後遺症だということ。

事故後一見、軽症に見えること。

衝撃を受けた直後は気を失っても、その後普通に動けることもあること。

でも、

だんだんと症状が出てくることがあること。

 

症状は体が出す異常信号なのに、病院に行っても普通の病気を想定した検査しかしないから、

「異常なし」とされてしまうこと。

だけど具合悪いから、患者は病院を転々とすること。

それでも異常なしと言われ続けるから、最後は精神的なものにされること。

そして、髄液漏れは疑われもしないまま放置され、

向精神薬や抗不安薬が処方されてしまうこと。

そうなると、ただでさえ髄液漏れで脳機能が落ちているのに、向精神薬の薬漬けになってしまうこと。

一見体に怪我がないように見えるのに、全身に痛みが出ること。

検査で異常が見つからないのに、症状を訴えるから、保険金目当ての詐病と思われかねないこと。

 時には、

家族にさえ、精神的なものなの?仮病?と思われてしまうこと。

洗濯など簡単な家事さえできなくなってしまうこと。

家の中の移動も大変になってしまうこと。

トイレに行くのもはっていくようになること。

紙おむつのお世話になるようになること。

一日を横になって過ごすようになること。

テレビの脳脊髄液減少症の報道を偶然見ていたりして、

はじめて病名を知り、インターネットで検索した人たちだけが

「脳脊髄液減少症」の情報を得られ、そこではじめて

「自分の症状はもしかしたら、

脳脊髄液減少症じゃないか」と気づけること。

病名がわかっても、その検査も診断も近くの病院では受けられないことが多いこと。

いまから5年前は、今よりもっともっと認知度も、医師に理解も少なく、

病院も少なく、受診さえも何カ月も待たねばならなかったこと。

ブラッドパッチには健康保険がきかないこと。

ブラッドパッチ直後に急に症状が和らぐことがあること。

でも1か月過ぎごろ、また再発したかのように症状がまた出てしまうので、

「効果がなかった。高額のわりにきかなかった。」と思いこんでしまう患者も家族もいること。

そうではないのに、そう思ってしまいがちなのこと。

普通の病気やけがの治り方と違い、

治療直後、急性効果がでても、しばらくして悪化したようになったりする、

そういう治り方をするという情報は、先に治療を開始し、次第に

回復しつつ回復した患者からしか得られないこと。

療養中は人の突然の訪問が身体的にも精神的にもきついこと。

座位を維持することがつらいのに、普通の人にはそのことさえ気づいてもらえないこと。

見た目ではわからない体のつらさに、周囲の人にはいろいろ言われてしまうこと。

母親が脳脊髄液減少症になると、家事も育児も、学校行事にさえ、参加できなくなること。

情報がない中、いつ治るともしれない中で、心が折れてしまいそうになること。

先の見えない苦しみと孤独感で死んでしまいたくなること。

時には家族の談笑さえ、「私の苦しみをわかってもらえない。」と孤独感にさいなまれること。

辛すぎる現実から、ただ逃げたい、それだけで死を考える患者もいること。

家族の理解と支えがなければ、検査にも診断にも治療を続けることが難しいこと。

患者一人の残された能力では自分を救いだすことさえ、難しいこと。

同病患者との出会いが支えになることもあること。

医師より何より、同じ症状を経験した患者に勇気づけられることもあること。

悪くなったりよくなったりを繰り返しながら治っていく特殊な治り方は、

体で経験した先輩患者しかしらないこと。

掃除機がけも、料理も、洗濯干しも、患者にとってとても重労働な作業であること。

でも、

少しずつ、自分でできることをやっていかないとリハビリにならないこと。

見た目なんともなさそうでも、天気に左右されること、

体調が悪いと思ったら、

必ず翌日、天気が悪かったり、台風が近づいていたり、

天気予報で低気圧マークが表示されていたりすること。

 

脳脊髄液減少症のことを、

世間に知らせようと、

たくさんの情報といろいろなメッセージが

まんがの中に描きこまれていました。

 

ありがとう。

体験をまんが家さんに語ってくださった方、

患者の置かれた現状や絵に表現するのが難しい症状を、

みごとにマンガにしてくださった三谷さん。

編集者の方、ご尽力くださった方、

みなさん、ありがとう。

ありがとう。

さあ、次は、まんがを読んだ感想を、私たちもまた秋田書店に送りましょう。

反響は、また次につながるはずだから。

 

〒102-8108

東京都千代田区飯田橋2-10-8

秋田書店 フォアミセス編集部

forMrs.スペシャル3月号(冬号)係

 

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前作と今回の脳脊髄液減少症まんが

2013年01月24日 | つぶやき

こどもの脳脊髄液減少症の症例をテーマにしたまんがも

合わせてご覧ください。

フォアミセス、 8月号 (2012年)

「なまけ病と言われて」

 

昨年のマンガ雑誌には、表紙に「脳脊髄液減少症の文字」はなかったからめだたなかったけど、

今回の3月号は、表紙に「お母さん生きて」のイラストと脳脊髄液減少症の文字が入った点、

よくなったね。

そうだよ。パーキンそう病とか認知症とか、もうすでにある程度医師にも世間にも

理解が進んでいる病気ならともかく、

病名さえ知らない人たちが多い「脳脊髄液減少症」は

文字だけでも

表紙に入れると目立つよね。

「脳脊髄液減少症って何?」って、

表紙の文字で、気になって手に取る人もいるかもしれないし。

 

本当に、そういうことを考えて一生懸命企画してくださった皆様たちの、

影のご尽力が、

伝わってくるようです。

 

ありがとう。

ありがとう。

 

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脳脊髄液減少症マンガを読んで抱いた思い

2013年01月23日 | つぶやき

前作の「なまけ病と言われて」

今回の「おかあさん生きて」も

正直なところ、

読んでそのストーリーに「感動」は全くしなかった。

感動に値することは、私の心には少しもわき起こらなかった。

 

それは

「甘い、

本当の脳脊髄液減少症の怖さ、恐ろしさ、悲惨さはこんなもんじゃない、」という感想しか

私はもたなかったから。

 

だけど、

強い感謝の念が湧いた。

 

まず、体験を漫画家さんに語ってくださった患者さんへの深い感謝。

 

そして、

漫画家さんへの感謝。

 

この理解されにくい脳脊髄液減少症の症状や問題点をまんがに表現するのは

かなり難しいはずなのに、

果敢にもそのことに挑戦し、漫画化して下さった漫画家さんに対する深い感謝。

 

そして、

脳脊髄液減少症に関する企画は、普通の出版社では受け入れてもらえないはずなのに、

実現させてくださった、出版社の皆さま。

編集者様のご尽力。

 

そして、全国で脳脊髄液減少症を伝え続ける皆さまたちへの感謝。

 

自分が診断がついて治療につながっても、それだけで終わることなく、

たとえ、回復して元どおりの生活のもどったとしても、それでめでたし、めでたしではなく、

 

今も「脳脊髄液減少症」の情報を全く持たず、症状に苦しむ他の誰かを思い、

脳脊髄液減少症のことを日本中に伝えようと、絶えず動いてくださっている人たちに対する感謝の気持ち。

 

マンガを読んでそのストーリーには感動はしなかったけれど、

強い強い感謝の念だけは、

確実に私の心にわき起こった。

 

ご尽力くださった皆様、

ありがとう。

 

たとえ、私の体験をまんが家さんに語って漫画化してもらったとしても、

私の体験より、さらに悲惨な経験をした人たちから見たら、

 

やはり「甘い」「あんたは恵まれている。」という感想しかもたれないだろう。

「よくがんばったね、前向きでえらいね。」なんて

称賛なんてしてもらえないだろう。

 

 

だって、

治療もされず、自分の症状の原因もわからず、

何が何だかわからないうちに苦しみぬいて死んでしまったであろう、

過去の交通事故被害者での髄液漏れの皆さまが 

あの世から、私を見たら、

ただただ羨望の目で見るに違いないだろうから。

 

「あんたはいいなぁ、恵まれていて。生き残れて。」と。

 

だから、

せめて、生き延びたものの使命として

自分の経験した範囲ででも、

伝えることをしていかなくては、

亡くなっていった人たちに申し訳ないと私は思う。

 

 

でも、一人の体験には限界がある。

一人の体験だけで脳脊髄液減少症の全貌を伝えることなど無理だ。

それは仕方がないことだ。

 

だけど、患者一人一人が、勇気を出して自分の体験を、

漫画家に、マスコミに、テレビ局に、女性誌記者に、

新聞記者に、

考えうる、ありとあらゆる人たちに語り続けていけば、

 

脳脊髄液減少症というもののすべての姿が、

やがて浮かびあがってくると思う。

 

そして、それが

全国民に当たり前に知識として浸透してくる日もくるだろう。

 

だから、皆で

自分の体験したことを、次々と伝え続けていかねばならないと思う。

 

闘病中だって、できることはあるはずだ。

今症状がつらいからって、自分には何もできないと思いこまないでほしい。

 

全国の患者の一人ひとりが

ただの患者じゃなく、

 

世界中の人たちがまだまだ知らない

脳脊髄液減少症のことを

 

伝える使命を持った人として、

自分は選ばれた人間なんだと、

思って行動を起こしていただきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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今回の脳脊髄液減少症マンガを読んで感じたこと。

2013年01月22日 | 心の葛藤

主婦向けまんが雑誌 フォアミセス 3月号の

「お母さん生きて」の脳脊髄液減少症の作品

世の中に送り出してくださるのに、

ご尽力くださった皆様方に

心から感謝いたします。

 

皆さま方の熱い思いだけは、

しっかりと私の心に伝わりました。

 

ありがたいです。

 

こうやって、一人ひとりの体験談が、どんどん世の中に伝わっていくことで、

やがて、脳脊髄液減少症とはどんなものかが、世の中に伝わっていくと思います。

 

ただ、前回の作品「なまけ病と言われて」

今回の作品「お母さん生きて」も

個人の体験を元にしているから、

脳脊髄液減少症のごくごく一部を表現したものでしかありません。

 

だから、特に私のような昔の交通事故の患者から見たら、

その内容は

「甘い!」としか感じられないのかもしれません。

 

本当の脳脊髄液減少症の抱える闇は、

もっともっと深く

見逃されているであろう患者の裾野はもっともっと広いはずです。

 

だけど、

マンガを読んだ人が

それが脳脊髄液減少症の症状や患者の苦しみのすべてであるかのように、

受け取ってもらっては困るのです。

 

たとえば、交通事故から間もなく頭痛が必ずあるとか・・・・。

必ず家族だけは守ってくれるとか・・・・。

 

頭痛のない患者だっているのに、

どんな病気にも例外はあるのに。

 家族にだって、守ってもらえない人たちだっているのに・・・。

 

そのことは、

とてもひとりや二人の体験談の漫画化では表現できません。

 

では、どうするか。

 

今後もさまざまな脳脊髄液減少症患者の体験談を漫画化していって、

いつか単行本の「脳脊髄液減少症シリーズ」の全15巻ぐらいにまとめていてもらうことが必要かもしれません。

 

かつてフォアミセスから出たことで、単行本化し、発達障害の理解を世の中に広めた貢献を残す、

マンガ「光とともに」が

 

繰り返し繰り返し「発達障害のこどもの特徴や目に見えない障害」を漫画で表現し、

世の中に伝え続けてくれたように・・・。

 

一作品や二作品ぐらいで、「目に見えない障害、症状」が世の中に理解されるはずがないのです。

 

漫画家の三谷美佐子さんには

脳脊髄液減少症のテーマをライフワークにしていただき、全国の患者を取材し

今後も患者の声を漫画化し続けてほしいです。

 

前回も、今回も、主人公は

高次脳機能障害も、それによる性格変化もなく、

それによって周囲や家族にいじめ抜かれることもなく、

症状の苦しさに

ただ自分が落ち込むだけで、やがて診断治療のつながり

前向きに生きるハッピーエンドたったけれど、

そんな患者ばかりではありません。

 

あまりのつらさに加害者を恨み、相手を同じくらいの苦しみを味わわせてやりたいとか、

殺してやりたいぐらいの憎しみにも苦しみ、

家族も恨み、嫌いになり、誰も信じられなくなり、

 

何の罪もない被害者が、

そういう感情を持つにいたるまで

精神的にも肉体的にも追い詰められていく人たちだっているのだから・・・・。

 

その人たちがそうなったのは、その人たちが悪いわけでも、

人間が悪いわけでも、

性格的に未熟なわけでもない。

 

被害者なのに、適切に助けてもらえなかったから、そういう状況に陥ってしまっただけなのに。

前向きに生きる患者は、恵まれているから前向きにもなれるのです。

前向きになりたくてもなれない患者のことも、

そういった人たちを責めることなく、

そうなった状況を理解してもらえるように

これからも脳脊髄液減少症をテーマに漫画化して描き続けてほしいです。

 

性格変化で、怒りっぽくなり、それも症状の一つでそうなっているのに、

そのことで、周囲にも家族にも医師にも嫌われて、相手にされなくなり

患者として優しくしてもらえない患者とか、

そういった点での切り込みは、

今までの二作品では

全く世の中に伝わっていかないと思います。

 

今までの二作品は、

あまりも家族に恵まれた患者さんの例でしかないから。

 

家族の理解も得られないとか、パートナーにも責められるような患者の悲惨さなど、

世の中に伝わりようがありません。

 

それに、

脳脊髄液減少症は、脳機能が低下する病です。

誰が見てもわかるような、手足の麻痺とか、

車いすに乗るような状況とか、

杖をつかざるを得ないような状況になる患者ばかりではありません。

 

私なんて、杖が必要なほどの半身麻痺にも関わらず、

脳画像を診た脳外科医から、

「そんな症状は医学的にありえない」と突き放されましたっけ。

 

まるであんたの演技だろう?仮病だろう?、と言わんばかりに。

 

マンガに書かれているような杖を医療機関で与えてもらえる患者は、

それだけでものすごく幸せなことです。

 

杖を持っていれば、何もしらない人でも、病人だと認めて見てくれますから。

普通に歩けるけど、全く普通に見えるけれど、

なんか自分では自分の体でないみたいとか、

手足の動きが、自分ではそれまでと違うとか、

高次脳機能障害で、

計算もできなくなるとか、文字も書けなくなるなどの症状だってあるのです。

ちょっと前のことだって忘れてしまう記憶障害

 

目の視界の変化、ゆがみ、異常、

味覚障害、

聴覚過敏、

平衡感覚がおかしい感じ、

まだまだある、外見ではわからない深刻な症状の数々

 

車いすにも載らない、

杖もつかない

見た目どこも悪くなさそうな、脳脊髄液減少症患者の患者本人にしか感じられない症状こそ、

漫画化してもらいたいです。

 

今回のマンガで伝えられたことは、

宇宙というものを全く知らない人たちに、

広大な宇宙の中で、

たった一つの星の特徴を紹介したようなものにすぎないと、

私には感じます。

 

今回のマンガで伝えられたことより、

伝えられなかった方が多い気がします。

まだ二作品だし、

一作品60ページではすべての脳脊髄液減少症の特徴を表現できないのは仕方ないけれど・・・。

 

私は、今後も

脳脊髄液減少症シリーズとして、

さまざまな人の体験を、連載し続けてほしいと期待しています。

 

 

 

 

 

 

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くじけないで

2013年01月21日 | つぶやき

詩集「くじけないで」の著者の柴田トヨさんがお亡くなりになりました。

101歳でした。

戦中戦後を生き抜き、命つきるまで、

私たちに「生きることの大切さ」を教えるメッセージを与え

勇気づけてくれた、

その生きざまに敬服いたします。

 

 

 戦争もない平和なこの日本の現代で、

たとえ、脳脊髄液減少症という怪我を負って、

症状や無理解で、死に逃げたくなるほど身体的にも精神的にも苦しい日々が続いていたとしても、

 

 

現代では

食べるものも、住むところもあり、

最近では、脳脊髄液減少症になっても、理解して治そうとしてくれる医師も存在するのに、

病名もあって病人として扱ってもらえるのに、

つらいからといって、決して自らの命を絶ってはなりません。

 

どんなにつらくても、くじけないで、

最低限自分の命を明日につないでいく勇気と自覚と覚悟ぐらい、

すべての患者に持っていただきたいものです。

 

脳脊髄液減少症の見た目ではわからない症状のすごさ、

すさまじさは

経験したものでないとわからない・・・。

 

その想像を絶する症状のほとんどを

私は経験して知っています。

 

でも、

私も本当につらいことがたくさんたくさんあったけれど、

「生きてきてよかった」と今、思います。

 

柴田トヨさんの残してくれた詩集の数々

闘病中の脳脊髄液減少症患者だけでなく、

いじめで苦しみ

自殺を考えるほど追いつめられている子供たちにも

読んでもらいたいと思います。

 

若い人の言葉でも、

60歳程度の人間の言葉でなく、

 

戦中戦後を生き抜いて101歳まで生きた人の言葉だから

その言葉に信ぴょう性が増し、

私たちの心に響き、

その言葉どおり、生きてみようという気持ちになるのだと思います。

 

以下、柴田トヨさんの詩「くじけないで」

_______________________

柴田トヨ作

「くじけないで」

 

ねぇ 不幸だなんて

ため息をつかないで

 

陽射しやそよ風は

えこひいきしない

 

夢は平等に見られるのよ

 

私 つらいことがあったけれど

生きてきてよかった

 

 

あなたもくじけずに

 

 

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フォアミセス スペシャル 3月号

2013年01月19日 | 心の葛藤

まんが雑誌 フォアミセス スペシャル3月号

「お母さん、生きて」という、

 

巻頭カラーで 「脳脊髄液減少症」のまんがが載っています。

読んでみた感想はちょっと複雑でした。

 

このマンガのモデルになった方がいることでしょう。

その方に感謝いたします。

まんが家さんも、出版社の皆さまも、

取材に応じてくれた医師も、

患者さんも、

みんな必死に脳脊髄液減少症のことを伝えようとしてくれている、その気持ちは伝わるんですが、

ただ、なんとなく、

同じ脳脊髄液減少症の患者の私にさえ、

うまくその病態の悲惨さが伝わってこないのです。

 

それはもしかしたら、私の心の葛藤が生み出すものかもしれないけれど・・・。

 

私の体験した脳脊髄液減少症の残酷さ、悲惨さとは

あまりにもかけ離れていると感じます。

 

病名もない時代、医師もこの病態の存在を想像もしなかった時代の

昔の交通事故での脳脊髄液減少症を発症した患者の悲惨さは

こんなもんじゃありません。

 

こんなもんじゃないんです。

 

まず、周囲の誰もに症状を信じてもらえず、医師にも、家族にさえも相手にされず、

病人と認められず、

「怠け者扱い、精神的なもの扱い」をされ続け、

あざ笑われ、バカにされ、コケにされ、罵倒され、気のせいだ、誰にでもそれくらいの症状はあると冷たく突き放され、

複数の医師に影で「精神的なものだね。」と目配せされ、叱咤激励され、続けるんですから。

何年も何年も、何年も、十何年も。 

 

その孤独感、絶望感は尋常じゃありません。

 

昔の交通事故被害者の中には、

そんな風に誰にも相手にされず、助けてもらえない中で

孤独と絶望の中、症状に耐えかね亡くなってしまった方はたくさんいたと思います。

 

その方々の思いまでは、

このマンガではまだまだ伝わらないなと感じます。

 

同じ脳脊髄液減少症とは言っても、経験したことは人それぞれだから、

不幸比べもできないし、する意味もない。

 

ただ、一人ひとりが自分の体験を語り伝えていくことでしか、

この病態の裾野や全体像を伝える手段はないんだろうな、とも思います。

 

過去に、髄液漏れに殺された人たちの声は現代には伝わらないから、

必然的に生き残った人たちだけの声が伝わることになんです。

 

震災での津波での報道でも同じことが言われていました。

 

どんなに津波の怖さを語っても、それは、生き残ったものの体験でしかないのだと。

 

死んでいった人たちの体験は、どんなものだったのか、どんな苦しみだったのか、もう、亡くなった人たちには伝えられないのだと。

だから、生き残った人たちそれぞれが、その体験を伝えていくしかないのだと。

 

本当にそうだと思う。

過去の交通事故での脳脊髄液減少症を経験しつつも、

幸いにも生き残った私たちが自分の体験からこの病の本当の怖さ、見逃される怖さ、

放置される怖さ、信じがたい耐えがたさの様々な症状、昔の悲惨さを

誰もが想像できるくらいに、

私たち昔の事故被害者や、現代の患者たちが声を上げることで、

伝え続けるしかないんだろうなと。

 

命を奪われたであろう人たちの苦しみを想像して自分の体験に重ねつつ・・・。

 

でないと、

最近の交通事故でのごくごく一部の、幸運続きの患者さんの体験談ばかりになってしまう気がして。

 

今回のマンガでは

事故からたった7カ月後に脳脊髄液減少症の診断にたどりつけ、病人と認められ、

自費であっても、家族の協力で治療を受けられ、

周囲の無理解にさらされる期間が、最小限ですんでいます。

その後は、医師にも

配偶者にも、家族にも、周囲の人たち、学校の先生や父兄にも

子供たちにも、支えられています。

それだけで、もう、昔の事故被害者の私からみたら、

うらやましくてたまらないんです。

 

本当の病名が見つからない期間が長いか短いか、

もうそれだけでスタートラインがかなり違ってくるから。

 

たとえ、どんなに症状がきつくても、闘病がつらくても、

病名がついて、病人と周囲に認められるだけで

もう、それだけで、どんなに恵まれていることか。

 

事故から、「もしかしたら、脳脊髄液減少症かも?」と気づき病院探し、医師探しがはじまるまでの時間が一年未満の人たちが

どれだけ幸運な人たちか。

 

病名もないころの、昔の患者では考えられないほどの幸せだと思います。

 

私にはその最低限のことが長い間なかった。

 

世間に理解が進みつつある現代の患者さんへの羨望と、

なぜ自分は現代ではなく、あんな昔に事故にあったのかという自分の運命を怨む気持ちと、

悲しみと、やり切れなさと、

 

昔の交通事故で、脳脊髄液減少症を発症しながら、

自分の病名さえわからず、誰にも理解もされず、孤独の中で亡くなっていった方々への誓いの気持ちと、

なんだか、複雑な思いがわき起こる作品でした。

 

でも、何も起こらないより、そういう様々な思いをわき起こす、風を起こすことが大切なんですよね。

そういう意味でも、

今回の漫画化、心から感謝いたします。

 

何もしないのでは、何も伝わらないし、いろいろな思いも感情も、風もわき起こりませんから。

(つづく)

 

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