脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

水俣病、「未認定」問題に思うこと 1

2009年07月05日 | 他の病名との関連性
脳脊髄液減少症で
「認められない苦しみ」を知ってしまった私は、

最近の、
原爆症や水俣病がいまだに認定されない
「未」認定患者さんたちの報道を知るたびに、

とても人事とは思えない思いで、
非情につらくなります。

症状や病の原因が
自分が自然に発症したものでも、
自分に落ち度があったせいでもないのに、

外部から与えられてしまった、害が原因で発症した症状なのに、

50年も60年も、症状を抱えて、しかも因果関係が認められずに生きてこられた、
未認定患者さんたちの、
「なかなか認められない」ことの悔しさ、悲しさ、理不尽さの思いを想像し、

心が痛みます。

症状が感覚障害やシビレなど、本人しかわからないものもあるため、

おそらく、今から50年前とか、60年前では、
今のようなMRIなど精密な医療検査機器も技術もなかった時代ですから、

今の脳脊髄液減少症の私たちより、もっともっと、
「原爆のせいや、水銀中毒のせい」ではなく、

あなたの体が自然に発症させた病」だ
「気のせいだ」として、

責められた人も大勢いたのだと思います。

今やっと、水俣病も、
「手足のシビレ」だけではなく、「口や舌のシビレ」も
認定の対象に入ろうとしているようです。

脳脊髄液減少症で、手足だけではなく、口の中やまわりや舌のシビレも感じていた私は、

水俣病という有名な公害病でも、
今まで、手足のしびれは認められて、口や舌のシビレは認められていなかった事実に、今回初めて知り驚きました。

いかに、患者が感じるだけの症状が認められにくいか、思い知りました。

中枢神経がやられる病で、手足のしびれだけが出るはずがないのに、
今まで認定基準に入っていなかったこと自体が
不思議でなりません。

今までの水俣病患者さんたちの「理解されない苦しみ」の
一端を、その一例だけでも垣間見た思いがしました。

当時の患者さんたちは、
加害者側からも、医師からも、国からも、世間からも、当初は相手にされず、
突き放されて、どんなにか孤独で絶望の中を生きてこられたことでしょう。

今から50年も60年も前の原爆や公害では、
その真相や、症状の真の原因に、患者本人すらも気づくこともできないまま、

あまりの体と心の苦しみに、自ら命を絶たれた方や、
無念のうちに、認められないまま孤独に死を迎えた方もあったのではないか?と
想像しています。


原爆症患者さんも、

水俣病患者さんも、

原爆や、チッソの公害が原因で、それらの症状が出たといくら言っても、

医師にも国にも公害会社にもわかってもらえなかったことは、
どんなにつらかったことでしょうか?

症状もつらかったでしょうが、

「症状が理解されない」、「原因との因果関係が認められず、後遺症と認められない」ことは

どれだけ患者の心をさらに傷つけ、病ませ、絶望へと突き落とし続けたことでしょうか?


私には、その方がたのつらさ、悲しみを想像しただけで、
胸がはりさけそうな思いです。


どうして、原爆症も水俣病も、50年も60年も、こんなにも長い年月、
過去の水俣病や原爆症患者でありながら、

認定されず、救済もされてこなかったのでしょうか?

そして、なぜ、今、また、
脳脊髄液減少症でも同じようなことが
繰り返されているのでしょうか?


交通事故で脳脊髄液漏れを起こすことは、
私の経験からもまぎれもない事実だと思います。

保険会社や否定派医師は、
いつまで交通事故被害者に原爆症や水俣病患者さんと同じように

さらなる「認められない苦しみ」を与え続けるおつもりなのでしょうか?

私はすでに、脳脊髄液減少症とわからないまま
人生の大半が過ぎて人生も終わりに近づいてしまいましたが、

今後の若い未来ある事故被害者での脳脊髄液減少症患者さんたちには、

水俣病患者さんや、原爆症患者さんたちの
未認定問題が患者さんに与える残酷さの教訓をしっかり生かして、

早い段階で、きちんと救済してあげてほしいと思うのです。


水俣病患者さん、原爆症患者さんたちも、

おそらく、手足や口や舌のシビレなど、本人にしかわからない症状が主だったために、
こんなに長くほったらかされてきたのだと思います。

脳脊髄液減少症患者もそうですが、
罪のない被害者を、さらに無理解で苦しめ続けるような

国や世間で、よってたかって弱った患者をさらにいじめぬくような行為は
今後は決して繰り返してはなりません。

ただでさえ、体や心が傷ついて苦しんでいる、
詐欺師でもなんでもない、普通の善良な本当の患者たちまで、
さらに苦しめるような行為は

もういい加減やめていただきたいと思います


私は、交通事故からの長い長い年月を、病名もはっきりしないまま、
脳脊髄液漏れの根本治療もなされないまま、

苦しい症状を抱えながらも、周囲から「症状はアナタ自身の問題」と責められながら、生きてきました。

それは症状の原因がわからなかったのは、私のせいではなく、
時代のせいなのに、
原因がわからないいというだけで、すべて患者のせいにされてきました。


長い年月、症状の原因がわからないままほったらかされ
生き抜いた末に、やっと「脳脊髄液減少症」とわかり、

こうなった理由がやっと理解できました。

それは、自分の責任ではありませんでした。

他人の責任で、こうなったのです。

それでも、何の補償もありません。

おそらく、原爆症や水俣病も、
放射能や、水銀という、症状の真犯人がわからなかった時期、
同じように、患者自身のせいにされていた時期があったのだと思います。


過去に、原爆症や水俣病の被害者の皆様に起こったことと同じことが
知らない間に、
私の身にも降りかかっていたということに気づいた時、

人間というものの中に潜む
「おろかさ」と「恐ろしさ」と「残酷さ」を思い知りました。


(つづく)







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