脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

投票日は不調・・・

2009年08月31日 | つぶやき
今日で8月も終わりですか・・・。

明日から9月・・・・

今年もあと4ヶ月・・・・・

どんどん私の残りの人生の時間が闘病だけに費やされて終わっていきます。

さて、

昨日の衆議院選挙の投票日は
台風接近の影響か、
一日中具合が悪く、とても起きていられず、横になっていました。

期日前投票をしておいて、本当に良かったです。

当日になって、こういうこともあるし、

体調が安定している健常者と違って、
自分の体調ですら先が読めず、

その日、その時になってみないと自分でもわからないのが
脳脊髄液減少症です。

一日寝ている私は、どこからみても、
ただのだらしがない怠け者オンナにしか見えないことでしょう。

しかも、しばらくしておきだして、行動している時の私の姿は、
どこも病人には見えないことでしょう。

まるで、都合の悪い時だけ寝込んでいる仮病のようです。


この体調の波のせいで、
先の予定もなかなかたたず、予定どうりに動くためには、

その行動を
助けてくれる協力者の存在がなければ、一人ではとても無理です。

「本人のつらさと見た目のギャップ」

「症状がつらい時とそれほどでもない時のギャップ」

「気候や気圧や生理周期や
水分摂取量などで、くるくる変わる体調の波」

「社会はもとより、医師でさえ認知度が低く、誰にでも起こりうる、
重大な病という認識がない。」

などなど、他の病にはない脳脊髄液減少症の特徴が、

理解されにくい、患者が冷遇されやすい、一因になっているのでしょう。


今回の選挙で当選された議員さんの中で、

このわかりにくい、理解されにくい、しかもかなり患者として冷遇されている
脳脊髄液減少症患者に

暖かい手をさしのべてくれる議員さんは
はたして、どれくらいいるのでしょうか?

逆に言えば、
この分かりにくい、理解されにくい脳脊髄液減少症に手をさしのべてくれる議員さんなら、

もっと分かりやすい病気や障害や問題点を抱えた人のことなら、
よりたやすく理解できるはずです。


ここ何年も進まない脳脊髄液減少症の公的研究はどうなっているのでしょうか?
多額の研究予算はどう使われているのでしょうか?
明細が見たいものです。

脳脊髄液減少症のブラッドパッチ治療への保険適用はいったいいつになるのでしょうか?
(公的研究班や研究員に関する情報は この過去記事内にリンクしてあります。)

患者はどんどん声をあげて現状を伝えて、
理解して助けてくださる議員さんが増えてほしいと思います。


ただでさえ、見た目でも、一般的な検査でも、病人として認められない、

脳脊髄液減少症患者の自殺を考えるほどのつらさ苦しさ、
精神的、経済的に追い詰められていくことなんか、
伝わりっこないですから・・・・

私なんか、脳脊髄液減少症に関してブログ3年書いていますが、
時には、同じ脳脊髄液減少症患者にすら、
理解されていないと感じることだってあるくらいですから・・。

黙っていては、
軽症患者や、闘病歴の浅い脳脊髄液減少症患者にすら理解されないものを、
健康な人や、柔軟な思考に欠ける石頭の医師になんか、伝わるわけがありません。

行政にもどんどん訴えてほしいです。

そういえば、「脳脊髄液減少症の県庁の病院情報」に関して
改めてまとめた記事を書いたのですが、まだ、UPしていませんでした。

次回UPしたいと思います。

ろくろさん情報

脳脊髄液減少症がナースのための医学誌の載っているようです。
でも、1冊3675円もするとは、医学関係の本は高いなぁ・・・・

買えないかも?

でも、読みたいなぁ・・・・。
ろくろさんによると、脳脊髄液減少症に関する記事は
Q89だそうです。


ということは、この本の編者のM先生も肯定派なのかも?
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投票日に思うこと。

2009年08月30日 | つぶやき
本日は衆議院選挙の投票日です。

皆さん棄権しないで、投票してほしいと思います。

そういう私は、実は
今まで政治に無知で、
あまり関心もなく、

今まで、脳脊髄液減少症の症状がひどくて、棄権したこともある
選挙嫌いの私でした。


でも、
今回は、すでに期日前投票をすませています。

投票日当日、
天候や気圧の変化で、具合が悪くて行く気にならなくなると大変なので、

体調のいい時を見計らって、人に一緒にいってもらえる時に
連れていってもらい、
先日、期日前投票をすませてきました。

実は、私は恥ずかしいことに、政治に関する、
一般教養がほとんどありません。

小選挙区と比例の違いとか、
衆議院と参議院の違いとか、
任期の違い、
役割の違いなどが
政治経済のテスト問題に出たら、

正しく答えられず、0点を取ることでしょう。

それほど、無知な人間です。

その上、選挙が大嫌いでした。

以前、脳脊髄液減少症の音に過敏になってしまう、聴覚過敏の症状や、
起きていられないほどの体の症状に苦しんでいた時、

小さな選挙で、町中を候補者名をうるさいほどに連呼され、

近くを選挙カーが通るだけで、その音も耳に強烈に響いて不快であることに加え、
その音の波動でさえ、体をしめつけるように感じ、非情に苦痛で
選挙カーが通るのもイヤでした。

しかも、家族が勝手に私の名前を書いた、応援する気もない候補者の後援会からしつこく電話がかかり、
勝手に書いた家族とケンカになったり、

電話の音や、運動員や候補者などが玄関のチャイムを鳴らすたびに、
具合が悪くて寝ている私は、本当に苦痛で、

選挙に対するいい思い出はほとんどありません。

家にひきこもって横になっていなければならないほどの
状態の時の病人にとっては

時には郵便局や宅配業者の配達まで、非常に苦痛です。

起きて出て行くという普通の健康な人にとっての行為が
とてもつらい行為だからです。

代わって出てくれる家族がいない
一人の日中は、本当につらいのです。

ましてや選挙関係や宗教関係の電話や訪問は本当に迷惑で、

それで、選挙も大嫌いになってしまいました。

しかも、投票に行くには、
脳脊髄液減少症のしんどい体で外出しなければならず、

着替えも身だしなみもままならないときには、人目も気になったし、

体力的にも気力的にも外出するのもおっくうで、

人に会うのもイヤで、

投票所にいる知らない役人や、
知っている人に会うのもイヤだという、
社会不安状態のような良くない精神状態で、
よけい家から外へ行く気になれず、

いくら、家族に投票を促されても、

どうしても、投票に行く気になれず、
棄権してしまったことも、正直ありました。

今思えば、脳脊髄液減少症によって、
かなり肉体的にも、精神的にも具合が悪かったのだと思います。


今、数年前の当時から比べて、
選挙カーの連呼も気にならず、苦痛に感じず、

音が体をしめつけるようにも感じず、
夏の光も眩しく感じず、サングラスも要らず、

候補者の選挙カーが通ると、
むしろわくわくドキドキし、誰だ誰だと身を乗り出し、
候補者の声にも、むしろ耳を傾け、

人に会うのも苦痛ではなくなり、
外出も苦にならなくなり、
投票所の知らない役人だろうが、知らない出口調査員だろうが、

身だしなみがきちんとしていない自分であっても、
知っている人に会おうが、どうどうとしていられる自信がつき、
誰に会うのも以前のように苦にならなくなり、平気になってきました。

時には、立って、候補者の演説を聞くことさえできるようになり、

自ら投票に行こうと思うようになっただけ、
肉体的にも
精神的にも、
かなり脳脊髄液減少症の症状が改善した自分を感じます。

脳脊髄液減少症の改善や、
ブラッドパッチの効果は

こうして数年単位で振り返ってみてはじめて
気づくことが多いのです。

目先の悪化や改善の並に目を奪われていると、
いつのまにか改善している大きな変化に気づけなくなります。


私がブラッドパッチを受けなければ、
今もなお、
聴覚過敏で、選挙カーの音にも演説にも耳をふさぎ、

体のしんどさや、
得たいのしれない、人に会うのも精神的につらい社会不安障害状態で

今回も、棄権してしまっていたかもしれません。

でも、今回は
脳脊髄液減少症を理解してくれそうな候補者(あくまで期待にすぎませんが)に
一票を投じることができました。

「投票に自ら、積極的に行く気満々になって投票できた。」という、

これだけでも、
私にとって、小さな小さな社会復帰だと感じています。

もし、投票した人の
その後の動向を観察していて、期待に反する人だったら、
私はもう二度と、その人や関連の党には投票しないつもりです。

これからも、できる限り、
たとえ脳脊髄液減少症の思考力でも、
毎回そのつど、自分の頭で必死に考えて投票したいと思います。


政治家は、国民の代弁者になりうる人たちだと思います。

だから、
他の脳脊髄液減少症患者の有権者の皆様も、
他の病の方がたも、
社会的に何か窮地にある方がたこそ、

一人ひとりが、人の意見に左右されることなく、
それぞれ自分の頭で考えた人で
「この人は」と期待する人に、

棄権しないで一票を投じてほしいと思います。

当選した政治家には
どんどん思いを伝えてほしいと思います。

自分の期待する政治家に、国民の思いを伝えて、
何が悪いのでしょうか?

何のために政治家がいるのでしょうか?

税金でお給料をもらっていて、
いろいろ優遇されている政治家には、

その分、しっかり国民の声に耳を傾け
国民の願いを実現させるべく、働いてもらわねばなりません。

きちんと働いてくれる政治家をきちんと選べるか、選べないか?

政治家を働かせるか、サボらせるか?は、
私たち国民の責任だと思います。

投票だけではなく、

その後も、政治家にはきちんと働いてもらわねばなりません。
政治家に、思いを伝えることも、問題点を伝えることもせず、
だまっていては損だと思います。

問題点を知らない政治家には、問題点に気づいた国民がそのことを訴えたり、
伝えたりしなければ、相手は何も気づけないしわかりませんから。

脳脊髄液減少症というわかりにくい、表現しにくい、伝えても伝えても
理解されにくい、

問題点が見えにくい、弱者の声を
肌で感じ取れないような政治家は、
想像力や、感性が低い政治家だと思います。

それを試すいいチャンスだと思います。

脳脊髄液減少症の否定派医師には、

過去の既成概念にとらわれて、新しい発想や
現実の、患者の苦しみを想像する力という、

思考に柔軟性がない方がたが多いように感じますが、

政治家にも同じことが言えると思います。

弱者の声を、
先入観や、既成概念や思い込みなしに、聞き取り、

弱者の思いを感じとり、

現実に存在する問題点を見抜き、改善していくパワーのある
政治家がこれからどんどん増えてほしいと思います。



まだ、投票がお済みでない方がたは、ぜひ、一票を投じるのをお忘れなく。


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ポカリスエットに続け!経口補水液、OS1

2009年08月27日 | 情報

まだまだ、否定派医師には言いたいこと の続きがたくさんありますが、

まずは一部地域の方がたへの

本日のテレビ放送のお知らせを。


今夜10時、テレビ東京系で
大塚製薬のポカリスエットの開発物語が放送されます。
(見られなかった地域の方、見逃した方は
こちらでどうぞ。)

「ルビコンの決断」
「まずいを、うまいに変えた、ポカリスエット大逆転のドラマ」


今では、
ポカリスエットを
スポーツ時に「おいしい」と感じて好んで飲んでいる方も多いと思いますが、

私が初めてポカリスエットを飲んだ時、
当時、甘いジュースしかしらなかった私は、

その汗のような奇妙な味に驚き、

「おいしくない、
こんなもの売れない。」と感じました。

それが今は他メーカーもポカリスエットに追従し、
次々とスポーツドリンクを出しています。

でも、アミノ酸や、プロテインの配合、
L-カルニチンや、脂肪燃焼などの機能性ドリンクが多くなり、

本来の基本の水分補給を第一の目的にした飲料は少なくなってきていると思います。

そのポカリスエットの大塚製薬が出した
さらに進んだ経口補水液のオーエスワン

確かに脱水の激しくない人には「おいしくない」かもしれませんが

激しい脳脊髄液漏れとそれに伴う頻尿で
水分と塩分、ミネラルがどんどん体から出てしまっている状態だった私には

とても「おいしく」感じました。

しょっぱくも感じません。

別に冷やさなくても、常温でもいけます。

そこで、先日、
この夏、家の外仕事に来た職人さんが

炎天下でダラダラ、ポタポタ汗をかいて作業していたので、

休憩時間に、
冷やしたオーエスワンを出してみました。

「味の感想を聞かせてください。しょっぱく感じますか?」と聞いたら

なんと答えは
「しょっぱく感じない。」
「スポーツドリンクを薄くしたような味に感じる。」と言ったのです。

やっぱりです。

脱水状態のひどい人にはしょっぱく感じない、まずく感じないようです。

人間の体とはよくできているもので、

体に不足しているものは自然に「食べたい、飲みたい」と思って、
体が欲するし、
食べたり飲んだりすれば、それを「おいしく」も感じるようです。

今も症状が少し悪化すると飲みたくなり、飲むとおいしく感じ、

症状が改善すると、自然にオーエスワンから遠ざかり、
飲みたくなくなり、飲んでもやけに塩分を感じ、しょっぱく感じます。

人間の体はうまくできていますし、
生き残ろうとする体の仕組みや本能には驚かされます。


逆に言えば、
オーエスワンが「まずい」「しょっぱい」と感じる方は
脱水症状が軽い方なのかもしれません。

つまり、
オーエスワンをしょっぱくも感じず、おいしく感じる私はまだまだ、
脳脊髄液減少症の患者の中では重症なのかも・・・・。

もしかして、脳脊髄液がまだ漏れているのかも・・・?

とにかく、私が人体実験で、
さまざまなメーカーのさまざまなスポーツドリンクを闘病中に試して

一番体にとどまり、体を潤す効果を感じたオーエスワン。



たとえ健常者や症状の軽い人には「マズイ」と思われても、
その補水機能の性能の高さは、脳脊髄液減少症患者の私のお墨付きです。

ぜひ、まずい、しょっぱいの世の評価の中を切り抜けて、

ポカリスエットの後に続いて,

その脱水改善機能の高さに気づいて、ぜひ広まって
多くの人を救ってほしいと思います。

真夏の選挙戦の脱水症状にも
効果的な飲み物ではないでしょうか?

(点滴は口から入れないからマズイと文句をいう人もいないし、
針を刺すのが痛いし、体が拘束されるのに、誰も文句もいわず、
医療行為だと効果がありそうだからがまんして受け入れてしまうのに、

手軽にできる経口補水療法が、
味だけで避けられて、補水効果が高性能でも利用しないのはもったいないと思います。)

そういえば、

先日ドラッグストアの
「新型インフルエンザ対策グッズ」のコーナーで
オーエスワンを発見しました。

新型インフルエンザ対策にも
発熱時にも、絶対、用意しておくといいと思います。

それに、
つい最近オーエスワンの違った使用方法も発見しました。

これは書いていいのか?悪いのか、まだ迷っているので、
またそのうちに・・・・


人々をあらゆる脱水状態から救うために、点滴に代わり、
がんばれオーエスワン

今は、当初のポカリスエットのように、
なかなか世間に受け入れられないだろうけれど、

きっとその良さはいつか
わかってもらえて、広く受け入れられる時がくると
信じています。


点滴信仰の日本でも、もっと経口補水療法、ORT
(oral rehydrafion therapy)が
普及してほしいと願っています。


そういえば、この夏、
脱水症状や、熱中症で亡くなったという悲しいニュースは
ほとんど耳にしなかったような・・・。

冷夏のせいでしょうか?

「スポーツ中に水を飲んではいけない」などという、
昔の常識が

非常識で誤りだと人々が気づき、

スポーツ時の頻繁な水分補給が
常識になってきたせいもあると思います。


一般人で健康人用のスポーツドリンクより、
さらに、水分補給力が高機能な、
病者用食品オーエスワンは

コンビニでも売ってほしいと思います。

だって、さっきまで健康な人だって、
スポーツの試合、炎天下での作業などで、
いつどこで脱水状態の「病人」になるかもしれないんですから・・・。

規制緩和で医薬品でさえ、管理者がいればコンビニで売れるようになったんでしょう?
だったら、よろしくお願いしますよ。

なかなか売っていなくて、手にはいらないんじゃ、
いざという時、話になりませんから・・・・・。

最近書いた過去記事
熱中症対策、脱水状態にオーエスワン

それでは、今夜10時の

「ルビコンの決断」よろしかったらぜひ見てみてください。

きっとオーエスワンの開発チームも
似たようなご苦労をされているでしょうから、それを想像しながら・・・。

 

 

 

 

 

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徳島新聞記事に思うこと。

2009年08月25日 | つぶやき
情報通ろくろさんのブログで知った

徳島新聞に載った徳島県医師会作成の、
脳脊髄液減少症に関するQ&Aの記事。


リンク切れに備えて
以下引用させていただきます。

『脳脊髄液減少症
追突されて15年続く後遺症 2009/8/23 11:55 メールで記事を紹介する 印刷する
【質問】 70代の男性です。15年近く前、後続の車に追突されて1週間ほど入院をしました。それ以来今日まで、耳鳴りや頭痛、右手のしびれ、めまい、物忘れなどの症状が続いています。最近になって「脳脊髄(せきずい)液減少症」という病気があることを知りました。症状や治療法について教えてください。また、県内で検査や治療はできるのでしょうか。

徳島大学整形外科 加藤真介(徳島市蔵本町)

症状にあった治療最優先

【答え】 15年近くも症状が続き、お困りのことと思います。追突事故の後、外傷は比較的軽微なのに、めまいや首の痛みなどの症状が残ることは「外傷性頸部(けいぶ)症候群」「むち打ち関連障害」と呼ばれていて、首や肩周辺の痛み、しびれ、耳鳴り、めまい、頭痛、嘔吐(おうと)、注意力障害などが起こります。

 こうした症状が出る理由は分かっていません。レントゲンやCT、MRIでとらえきれない頚椎(けいつい)、脊髄、脳の軽度の損傷や、自律神経のバランスの崩れなどが言われていますが、実証はされていません。このような中で最近、「脳脊髄液減少症」という病名がクローズアップされてきました。

 脳や脊髄は、軟膜・くも膜・硬膜の三層の膜に囲まれています。脳脊髄液はくも膜と軟膜の間に130ミリリットル程度あり、1日に数回入れ替わっています。脳・脊髄や脳脊髄液は、頭蓋(ずがい)骨、脊椎などの骨に囲まれて常に圧がかかっており、圧が下がると頭痛などが起こります。こうした症状は「低脳脊髄液圧症候群」と呼ばれ、腰に針を刺して下半身だけに麻酔をする腰椎(ようつい)麻酔の後で時々起こります。これは数日で改善しますが、ごくまれに自然に発生する場合もあります。

 最近、低脳脊髄液圧症候群では、脳に特徴的なMRI像があると言われるようになりました。逆にこの所見と起立性頭痛があっても、脳脊髄液圧が正常である場合もあり、起立性頭痛とMRI所見があれば脳脊髄液減少症と診断されるようになりました。

 数年前から、比較的軽微な事故で脳脊髄液が漏れ出して脳脊髄液減少症になり、これに対して硬膜外自家血注入法(ブラッドパッチ)が効果があるという報道に接するようになりました。しかし、私たちが手術のときに見る硬膜は簡単には破れません。また、激しい外傷で頚髄(けいずい)を損傷し、四肢麻痺(まひ)になった人には起こらず、軽微な外傷の場合に起こるのはなぜか、頚椎からはるかに離れた胸椎(きょうつう)や腰椎の硬膜で裂け目が生じるのはどうしてか、など疑問だらけです。さらに脳脊髄液減少症との診断の根拠となる画像所見は決して特徴的ではないと考える医師もいます。

 これらの混乱を解決するために、厚生労働省の研究班が両方の立場の医師や関連する学会の代表者を集めて、画像評価の診断価値について検討していて、数年以内に報告書が出る予定です。

 脳脊髄液減少症の治療ですが、症状にあわせた治療が最優先されます。全国のいくつかの施設では、むち打ち損傷後の頭痛に対してブラッドパッチが行われています。脊髄が通る骨の管である脊柱管と、脊髄を包む硬膜の間に自分の血液を注入して癒着を起こし、漏れをふさぐというものです。その効果については十分な評価ができていません。感染、麻痺、癒着などによってひどい状態になったという話も耳にするようになりました。確立した治療法とは言えないのが実情です。

 諸外国では、20年ほど前から大規模な研究が行われ、外傷性頸部症候群の有効な治療法の確立に向けて少しずつ進歩していますが、現時点ではご判断の参考になる十分なデータがないと言わざるを得ません。治療の選択の最終判断は患者さんがご自身に委ねられますが、特に、ブラッドパッチに関しては保険適応となっておらず、慎重に判断されることをお勧めいたします。』



以上徳島新聞記事より引用終わり。

みなさん、これ読んでどう思いますか?

回答者の先生のお名前は
ここのサイトの、左のアイコンの「国の動き」の
中の一番下にもあります。


あとここにも。
(微妙に当初の上のメンバーと変化していることに、お気づきですか?)


徳島の脳脊髄液減少症の県民患者さんたち、
この先生の意見で納得するのですか?

このままでいいのですか?


私は、
もし、脳脊髄液減少症研究班の先生のほとんどが否定派で

こんな風なお考えの先生が多いのでは
先が思いやられています。


脳脊髄液減少症という病態を肯定する
肯定派はS医師とN医師の2名だけって聞いてますが、

まさかあとは否定派で固めて、
脳脊髄液減少症研究班とは名ばかりで、

脳脊髄液減少症を闇に葬り去ろうとなんてことはしないですよね。


脳脊髄液減少症という病態に対して
肯定派と否定派が、そんな割合の研究者たちで

はたして公平な脳脊髄液減少症研究班といえるのでしょうか?

それでも公的研究班?

記事内にある、
「感染、麻痺、癒着、などによってひどい状態になった。」とは

ブラッドパッチという治療法のせいというより、
医師の技量のせいではないでしょうか?

それに、患者の体質や反応も一人ひとり違うし、
どんな手術にもある一定のリスクはつきものだと思います。

心臓手術だって、脳手術だって、リスクがゼロの手術なんてないんだから

メリットよりデメリットばかりをクローズアップすれば、
どんな手術もできなくなってしまうのではないですか?


ブラッドパッチが確立した治療法と言えないのなら、

それに代わる治療法で
私たち脳脊髄液減少症患者を救ってくださいな。


第一、否定派の先生方は、

どれだけの脳脊髄液減少症患者に直接接し、
実際に話を聞き、
実際に自分でRI検査を施し、

パイオニアの医師の指導をきちんと受けて、
実際にRI画像の読影をし、

自ら、ブラッドパッチの箇所を判断し、
実際に自ら施術し、

どれだけの患者をブラッドパッチで、
回復させているのでしょうか?

まさか、まさか、
そのほとんどの経験もなく、研究者に名をつらねたり、
ご回答されているわけではないですよね・・・・。


「手術の時に見る硬膜は簡単には破れない」とおっしゃいますが、

交通事故の衝撃を受けた瞬間の硬膜を見たわけではなく、
安静時の硬膜を見ただけでしょう?

一見頑丈な金属も、
一点にエネルギーが一時的に集中すれば、割れることは誰でもご存知のはずです。

木だって、コンクリートだって通常の安静時の頑丈さと
衝撃を受けた時のモロさを、
両方持ち合わせているでしょう?。

頑丈なものが、絶対に切断も破壊も不可能なら、

建築物だって
建築も破壊も両方なりたたないじゃないですか?

戦艦大和も、タイタニック号も
頑丈に造られ、「絶対に沈まない」と人々に信じられていたのに、

もろくも氷山の一撃や、攻撃に崩れ去ってしまったように、

頑丈にみえて、実は意外にモロいものは、この世の中に多いのかもしれません。

何もない時に丈夫なものでも、
衝撃が加わればもろいこともありえるでしょう?

そういうことが
人体の中でも起こったとしても少しも不思議ではないと思います。


どうして、医学の固定観念にそうこだわるのでしょうか?

医学は刻々と今までの常識が非常識になり、

過去の非常識が常識になったりする世界なのですから、

医師はもっと現実の患者の話を真摯な態度で聞いて、

「そういうこともあるかも?」ぐらいに柔軟な思考回路でいてほしいです。

患者が馬鹿で素人だと思っていると、
患者のいうことはすべて信じられなくなると思います。

患者は生きた教科書です。

医学の教科書にも書かれていない、貴重な教科書です。

少なくとも私は、
交通事故の、一見軽症に見える怪我で脳脊髄液減少症になり、
長年不定主訴に苦しみ、やがて激悪化し、外出もままならなくなり、

歩行も困難になり、

ブラッドパッチ治療を受けたからこそ、
ここまで回復したという現実があるのです。

そういう現実にも、きちんと正視してほしいです。

悪い情報ばかりではなく、
いい情報もきちんと仕入れてほしいです。


まずは、先入観を捨てて、
生身の患者の声に耳を傾けてほしいです。

プライド捨てて、
脳脊髄液減少症のパイオニアの医師に学んでほしいです。


真に
患者を救うための医師であり、
公的研究班であってほしいものです。


いつまでも脳脊髄液減少症の存在や
ブラッドパッチの効果を否定なんかしていないで、

私達患者を早く救ってくださいな。

患者の皆様も否定派先生たちに、
手紙でもメールでも電話でも何でもいいから、現実の体験を伝え、

ブラッドパッチで効果を感じた方はそれも伝え、

「どうか脳脊髄液減少症患者を助けてほしい」と直接お願いしてくださいな。



否定派先生たちは、私達現実に存在している脳脊髄液減少症患者の存在をあまり知らないだけだと思うのです。

実際に一見軽症の怪我で発症した患者の存在をご存知ないだけだと思うのです。

ブラッドパッチで回復した患者を見たこともないのかもしれません。

知れば、きっといつかわかってくれて、
力を貸してくれると思うのです。

人間そんなに冷たい人ばかりじゃないと信じたいです。

第一、交通事故で一番お世話になりやすい、整形外科の先生が
こんな風では、
早期発見が遅れ、

今後も出続けるであろう交通事故事故被害者の
脳脊髄液減少症患者たちが、私と同じ運命をたどって
人生を病に振り回され、患者が救われません。

脳脊髄液減少症の早期発見のためには、
絶対に整形外科の先生のご理解とご協力は必要なのです。

整形外科の先生、
そろそろ私たちの存在を認めてくださいな。

この事故後遺症の存在をきちんと認めてくださいな。

そして、
力を貸してくださいな。

よろしくお願いします。


どうしてもこの病態の存在や
発生条件を疑うなら、自分が事故に遭い、
この後遺症を負ってみれば、すぐわかります。

なかなか脳脊髄液減少症になれないなら、
発症するまで、
体に衝撃を受け続けてみれば、
いつかわかります。

私たちが嘘をついていないってことが・・・。

こういうことが現実に起こりうるってことが・・・。



ところで、
徳島県庁は他県のように脳脊髄液減少症の病院情報を公開していないのでしょうか?

虹の橋クリニックに出張される美馬先生の外来だけですか?

もしかして、徳島県、遅れてる?

徳島大学がこれでは、
どこの病院も怖くて、
脳脊髄液減少症治療に名乗りをあげられないのでしょうか?



徳島大学の脳神経外科先生方は何しているの?

整形外科と同じ考えなの?

基本方針の、
「患者様に世界最高レベルの脳神経外科医療を提供します。」
「最高の技術と優しい人間性を有する脳神経外科医をめざしています。」
って、
言葉だけにしないで実行してくださいね。

優しい人間性を有する医師こそ、
脳脊髄液減少症患者が心から求めていますから・・。





徳島新聞社こちら

徳島新聞に対するご意見のEメールアドレスはこの記事の一番下。


徳島大学整形外科

徳島県医師会へのご意見はこちら
(徳島新聞掲載のこの健康相談記事は、医師会にゆだねられて医師会の医師が交代で書いたものが、新聞掲載されているようですね。)

ちなみに ここに書いてある「睡眠時頭痛」って私脳脊髄液減少症で経験してます。
おそらくこの回答者の先生は知らないでしょう。
脳脊髄液減少症で睡眠中に頭痛で目が覚めることがあるなんてこと。)


追加、

徳島県民の皆様、

「病院・医院に対する不満や苦情などがありましたら、何でも結構ですから徳島県医師会までご一報下さい。」ですって・・・。
徳島県医師会HPの医療ホットラインに書いてありましたよ・・・。

電話受付 (088)655-1184

月曜日~金曜日(祝祭日を除く)

10:00~16:00  だそうです。

どしどし、お気持ちをお伝えください。

伝えなきゃ、患者の気持ちにいつまでも気づいてもらえませんし、
何も変わっていかないから。

「子供の心の電話」なんて相談窓口まで用意されているけど、
この分じゃあ、徳島県の医師たちは
「こどもの脳脊髄液減少症について」なんて、
まったくご存知ないのかも?

それでは、みんな心の病にされてしまいます。

がんばれ!徳島県、徳島県医師会、!
根はいい県なんだろうから、
他県に遅れをとらないで、脳脊髄液減少症患者を救ってあげて
ください。

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「パニック障害」そっくり病 

2009年08月23日 | 他の病名との関連性
ファイザー株式会社さんが
パニック障害の「製造販売後臨床試験」の協力者を募集しているという
新聞の全面広告を読みました。
(目にしたのは一部の地域の方のみだと思いますが)


しかし、パニック障害と同じような症状が、
脳脊髄液減少症の多彩な症状のひとつとして起こることを
気づいている方は
パニック障害の研究者の中にはほとんどいらっしゃらないことでしょう。

それを知っているのは、
パニック障害様の症状を経験し、

のちに脳脊髄液減少症とわかったり、ブラッドパッチを受けて
それらの症状が消えた経験を持つ、脳脊髄液減少症患者だけだと思います。

他の病気にさらに間違われやすいのは、パニック障害よりも
「脳脊髄液減少症」だと思います。

なにしろ、他の病気と間違われやすくやっと真の病名が「パニック障害」
かと思ったら、脳脊髄液減少症だったりするのですから。




以下、
ファイザー株式会社さんの新聞全面広告記事、
一部転載させていただきます。

     

『それは満員電車の中で、突然起こったのです。

胸がドキドキして息ができなくなり、
「このまま死んでしまうのではないか」という恐怖感。

これがパニック障害の始まりでした。』

パニック障害の製造販売後臨床試験にあなたもご協力ください。

製造販売後臨床試験とは、すでに厚生労働省から承認を受けて、治療に使われているお薬について、
さらに効果や安全性を患者さんにご協力いただいて確認するための試験です。

より良い治療法を提供できるよう、製造販売後、臨床試験は決められた基準に基づいて世界中で行われています。



こんなパニック発作を経験したことはありませんか。

私達は、パニック障害で思い悩んでいる方を対象に
臨床試験を行います。

パニック障害とは、原因となる他の病気がないのに、
突然耐え難い恐怖と不安に襲われ、
激しい動悸や呼吸困難、発汗、めまいといった発作症状が繰り返され、
「またあの発作が起きるのではないか」と不安でたまらなくなる病気です。

以下のパニック発作の特徴をチェックして、
「もしかして、・・・」と思った方は
フリーダイヤルへお電話ください。

【パニック発作の特徴】

1、心臓がドキドキする。(動悸、脈拍数の増加)

2、汗が出る。

3、からだが震える。

4、息切れしたり、息苦しさがある。

5、喉に何かつまったような窒息感がある。

6、胸の痛み、胸のあたりの不快感がある。

7、吐き気、おなかのあたりの不快感がある。

8、めまい、ふらつく感じ、気が遠くなる感じがする。

9、今、起こっていることが現実でないような感じや、
  自分が自分でないような感じ(離人症状)がする。

10、コントロールを失うこと、または、気が狂ってしまうこではないかとの恐怖   がある。

11、このまま死んでしまうのではないかという恐れがある。

12、体の一部がジンジン、ビリビリとしびれる感じがする。

13、寒気がする、または熱っぽく感じる。


     

以上、転載おわり。


私はこのチェック表のほどんどの症状を、脳脊髄液減少症で経験しています。

当てはまらないと思われるものは、「汗がでる。」という項目ぐらいでしょうか?

ブラッドパッチするまで、逆に汗がほとんどでませんでしたから・・・。

回復して、汗がやっと出るようになりましたから。

でも、脳脊髄液減少症は、体温調節機能を狂わすとしたら、
逆に汗が出る人もいるのかもしれません。



だから、
私は自分は「パニック障害」という別の病名も抱えているとは思っていません。

脳脊髄液減少症の一症状としてこれらの症状をとらえています。

また、
「死ぬのではないか?」と思うほどのさまざまな症状が
外出先でたびたび出れば、

また、あの発作が起こるのではないか?恥をかくのではないか?
と不安になるのは人としてごく当たり前で自然なことだと思います。

それなのに、これらの症状が「精神的なもの」だという考えが、
周囲の見方の根底にあれば、

検査で何でもないというのに
「死ぬのではないか?と不安になること自体が
病的な精神状態だ。」と捉えられてしまうのでしょう。

よく、
脳脊髄液減少症の他に、症状ごとに、
さまざまな病名もつけられている患者さんもいらしゃるようですが、

私は、私につけられるべき病名は
大元の病名の「脳脊髄液減少症」ひとつで充分だと思っています。


脳脊髄液減少症は、多彩な症状が出るため、
診断名をつけるのに、
「科学的検査の裏づけがあまりいらない、
医師の判断によってつけられてしまいやすい病名」なら、

うつ病、非定型うつ病、更年期障害、男性更年期障害、自律神経失調症、睡眠障害、頚肩腕症候群、パニック障害などなど、

いくらでも症状ごとに病名がつけられてしまいます。

その症状のひとつひとつ,
つけられた病名ひとつひとつに振り回されていると、

その病の本性が見抜けないことがありますので
ご注意ください。

脳脊髄液減少症は、多彩な症状を隠れみのにして、

患者本人にも、医師にも
脳脊髄液漏れや脳脊髄液減少という病態をなかなか気づかせない
手ごわいヤツなのです。

だまされないで欲しいと思います。


新しい病に立ち向かう薬の開発はありがたいものですが、

パニック障害とそっくりの症状が

脳脊髄液減少症の症状のひとつとして現れるという現実を
ファイザーさんや、パニック障害の研究者の皆さんは、ご存知なのでしょうか?


脳脊髄液減少症は
パニック障害とそっくりの症状がでます。

私は、
パニック障害と診断されている方、
または自分は「パニック障害」ではないか?と考えたり
そう思い込んでいる人たちの中に、

実は、脳脊髄液漏れや、脳脊髄液の減少によって
そのような症状が出ている人が必ず混じっていると思います。

それは、脳脊髄液減少症と診断された私は
それ以前、
パニック障害と見まごうばかりの予測のできない動悸やめまいや
死ぬのではないかと思うほどの呼吸困難など、

パニック障害と診断されてもおかしくない症状の数々を経験しているからです。

それはまるで、電車の中で突然起き、まるで外に出た時だけ起こる、
心の病であるかのように誤解されやすい症状です。

今、考えてみれば、朝起きてから、立位の状態が続き、
出勤や通学のために外出し、

脳脊髄液が漏れていれば、立位や座位の体制になってから、
人によって、15分後とか、30分後、1時間後、2時間後~数時間後など、

症状の程度に応じて、
体を起こしてからしばらくして時間差で症状が出始めますから、

その症状が出始める時が、電車内での立位、座位の時であったと考えれば、

脳脊髄液減少症でそういう症状が起こりはじめた時刻が、
たまたま電車内であった、ということも考えられます。

そういう考え方は
パニック障害の研究者たちはお持ちでないと思われます。

おそらく、朝起きてから脳脊髄液が漏れ続けてその漏れがある一定の閾値に達して症状がではじめた場所がたまたま電車内だった、とか
外出先だった、などという発想はお持ちでないと思われます。

パニック障害は、その場所だから、何らかのストレスを感じて症状が発症したというお考えの医師や研究者が大多数なのではないかと思われます。


脳脊髄液減少症患者は、
動く物を目で追っていると車酔いのようになり、酔いやすいのです。

のように、
不特定多数の人たちが、ランダムに動くような場面にいて

多くの人の動きが同時に目に入ると、

脳がその目から入った映像を処理しきれない感じで

動くものを見ていると気持ちが悪くなって吐き気がしてきたり、
動悸や息切れ、めまいがしてきます。

立っていられなくなり、
座り込みたくなってしまうこともあります。

そういう意味でも、人がめまぐるしく動く場面の、

駅や電車内で脳脊髄液減少症の症状がひどくなり、気分が悪くなることは
脳脊髄液減少症でも起こりえることで、
その状態を「パニック障害」と捉えられても少しも不思議ではないと思うのです。

検査をしても異常がないのに、
これらの症状を訴える人たちに対し、

脳脊髄液減少症という病態の概念を知らない人や医師が、
「パニック障害だ」と思い込んだとしても無理はありません。

患者自身も、脳脊髄液減少症という概念を知らず、
自分に何が起こっているのかわからなければ、

その症状だけひとつをとれば、パニック障害という病名がついたら、
それを鵜呑みにしてしまうことでしょう。


でも、もし、
脳脊髄液が漏れていたるためにそういう症状が出ているとしたら、


いくらパニック障害の薬を開発しても、
それを試しても、
対症療法に過ぎず、

根本的な症状の問題解決はならないと思うのです。

もし、脳脊髄液が漏れているなら、それをブラッドパッチで止めるのが
先です。

ブラッドパッチで「パニック障害」と見まごうばかりの
そっくり症状が
私のように次第に少しずつ消えることがあるのですから・・・・。

ぜひ、
パニック障害の治療薬の開発や治療に関わる研究者の方がたや、
医師の皆様には、


脳脊髄液減少症で、「パニック障害」と呼ばれている症状にそっくりの症状が出ることは事実なのですから、

それををきちんと把握した上で、薬の開発をしていただきたいと思います。

特に、ファイザーさんは、
頻尿や、EDや、成長障害、パニック障害など、脳脊髄液減少症でも起こりうる病に取組まれているようですから
なおさらです。

よろしくお願いします。


なお、もし、
私と同じで、
脳脊髄液減少症でパニック障害と同じような症状の経験がある患者様がおられましたら、

ぜひ、コメントをお願いいたします。


脳脊髄液減少はパニック障害そっくり病です。


脳脊髄液減少症と診断された場合、
パニック障害というまた別の病を抱えたと考えるのではなく、

脳脊髄液減少症の一症状としての症状だととらえる患者さんは、
私ひとりではなく、他にもいるように思っています。

パニック障害という病態は、心の病、精神的なもの、ストレスのせいというより、

脳の機能障害が原因ではないか?

その原因として、脳脊髄液減少症があるのではないか?と
私は感じています。



最後に、
ろくろさん情報・・・愛知県津島市の脳脊髄液減少症情報

皆さんのお住まいの市町村はこういう風に、情報公開してくれていますか?


追加
どうやら、ファイザーが売り出したパニック障害のお薬は「塩酸セルトラリン」というSSRI(抗うつ剤)らしいですね。

なあんだ、抗うつ剤か・・・。ガッカリ・・・。
もっと違った画期的なものだと思った・・・。

だから、病名にこだわらず医師たちが、診療科の枠を超えて、学会の枠を超えて、もっと、原因不明の病については情報交換してほしいのです。


最後に、
私の回復への第1歩は、
「脳脊髄液減少症だった。」と知ることから始まりました。

真実に最初に気づくのは自分を一番知っていて、
自分と一番付き合いの長い、自分だと思います。
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脳脊髄液減少症で起こる肩こり、肩の痛み

2009年08月19日 | 症状の説明
(リンク先はパソコンでご覧ください。)

今週のNHKきょうの健康のテーマは

「肩のこりと肩の痛み」のようです。


でも、脳脊髄液減少症でも、

激しい肩こり、肩の痛みがでます。

詳しくはこちらをお読みください。

このことは
大部分の整形外科の医師も知らず、

おそらく、症状を経験した脳脊髄液減少症患者さんしか、
この事実を知らないことでしょう。

だって、そのことは、家庭の医学に書かれていないし、
医師は大学で学んでいないし、

NHK今日の健康の肩こりや肩の痛みのテーマの時でも、
放送されませんから・・・

一般人が単なる肩こりごときで
脳脊髄液減少症かも?なんて気づける確率はごく低いと思われます。

脳脊髄液減少症でも、ガチガチに肩がこったり、
肩の痛みで腕があがらなくなったり、

まるで、整形外科対象の症状のような、

頚肩腕症候群のような五十肩のような症状がでるんです。

そんな症状が、まさか脳外科分野の
脳脊髄液減少症で起こるなんて、

医師も知らない、家庭の医学にも載っていない、
NHK きょうの健康でもやらないんだから、

一般人が知るわけがありません。

肩こりの原因のひとつに、「脳脊髄液減少症」があることは、
ここにも一言も書いていないし、

もし、脳脊髄液減少症性の激しい肩こりなら
ブラッドパッチで治る可能性があるとか、

肩こりの治療法のここにもどこにも書いていませんからね・・・・

知っているのは、
事故後に脳脊髄液減少症になって、そのうち時間差でだんだんと
肩がガチガチになるほどの肩こりに悩まされ、

さんざん、整形外科通いや、針治療や、マッサージや温泉通いしても延々治らず、

それがのちに、「脳脊髄液減少症という病名が判明して、
ブラッドパッチ治療を受けたら、他の多彩な症状とともに、
激しい肩こりが治ったという経験のある患者しか知らないことでしょう・・・。

脳脊髄液減少症でも
「ガチガチの肩こりや脱臼しているのではないかと思うほどの肩の痛み」がでます。

そのことはくれぐれもお忘れなく、

最初に脳脊髄液減少症かも?と気づけるのは患者さん自身だと思います。

     




話は代わりますが、記事追加します。


先輩患者ろくろさんのブログからの横流し情報です

一人でも多くの方がたに読んでいただきたいから
こちらでも紹介させていただきます。


「むちうち症が治らない時に疑うべきは意外と知られていない脳脊髄液減少症 1」

「むちうち症が治らない時に疑うべきは意外と知られていない脳脊髄液減少症 2」

書いたのは
長野 修 さんという医療ジャーナリスト。(さすが医療ジャーナリスト脳脊髄液減少症について書いてくださりありがとうございます。

明治大学政経学部卒。新聞社、出版社などを経てフリーに。

医療、教育などを中心に執筆。作家としても活動中で、
平成17年『朱色の命』で「日本海文学大賞」を受賞。だそうです。

「朱色の命」という小説は
ご自身の病気体験が元になったようです。「朱色の命」の小説もこちらから読めるようです。


しかも、神奈川県茅ヶ崎在住とは

長野修さん、
脳脊髄液減少症のS医師は
時々茅ヶ崎の病院に行っているようですよ・・・

長野さんのお近くにお住まいの方、
ぜひ教えてあげてください。

ぜひ、直接また取材してみてくださいね。

他の医療ジャーナリストさんも、
もっとどんどん記事にしていただけたら嬉しいです。

見た目でわからない病や、医師が大学で学んでいない病名は
なっかなか理解されず認知が広がりませんから・・・・。

ろくろさんのブログも、
ブログ内の検索枠にいろいろな症状などのキーワードを入れてぜひ、
お読みください。

病歴が長い先輩患者さんのブログには
この病に関する貴重な体験や気づきや情報、鋭い視点での病の捉え方がたくさん書かれていて、大変参考になります。
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山梨県の病院情報

2009年08月16日 | 情報
山梨県の脳脊髄液減少症に関する情報が
2009年8月13日に公開されたようです。

山梨県庁福祉保健部健康増進課

山梨県内対応病院一覧

皆さんがお住まいの県の対応はいかがですか?

きちんと患者さんの声に真摯に耳を傾けたり、
病院や、脳脊髄液減少症についての情報をきちんと公開したり、
県民市民に伝えてくれたりしてくれてますか?

さらに、
この病を一刻も早く、一人でも多の人々に伝え、早期発見に至れるよう、

行政として何か実際に行動を起こしてくれていますか?

他県の病院情報
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熱中症対策、脱水状態に、オーエスワン!

2009年08月15日 | つぶやき
今日は終戦の日です。

終戦の日に思うことはいろいろつきませんが、それはまたいつか・・・・。



暑いです。

とにかく、きのう今日と暑いです。

バテてます。

しかし、生きてます。


大塚製薬の経口補水液、OS-1で、なんとかしのいでいます。

思えば、
脳脊髄液減少症の症状が最悪だったとき、とにかく自力では家から
外出するのもままならず、

「病院に自分ひとりで行ける人、
病院でじっと座って順番待ちが出来る人、

待ち時間や診察や、
検査や会計までの時間を平気で耐えて、
また自力で家に帰れる患者さんたち。」が

もうそれだけで、「とても健康人」に思えてしかたがなかった時期がありました。


「本当に具合が悪い人は病院へは自分でいけない。」

「たとえ、誰かに連れていってもらったとしても、
行き帰りも含め、一連の病院受診のすべての流れに体が耐えられない」ことを

脳脊髄液減少症が激悪化して初めて知りました。

だからといって、重病扱いしてもらえ、簡単にどの病院でも入院点滴してもらえる病ではないことは嫌というほどわかっていましたから、
とにかく自宅で耐えるしかありませんでした。

そんな病院にも一人でいけない時期の私を救ってくれたのは
オーエスワンでした。

苦しい症状が襲うと、とにかく、これを飲んで横になることで
しのいできました。

薬はほとんど頼りませんでした。


もし、オーエスワンがなかったら、

私は健康な人好みに作られた
甘くてカロリーの高いスポーツドリンクや、

本来の「水分補給の機能より」、
プロテインやアミノ酸などの
「他の機能」に重点を置いたスポーツドリンクしかなく、

ただの水よりましだと、飲み続け、


さらに、
甘い分カロリーまで高いスポーツ飲料に頼れば、頼るほど、太ってしまい

(実際オーエスワンに切り替える前はスポーツドリンクを毎日飲んだために、
かなり太ってしまいました。

その割に普通のスポーツドリンクでは
脳脊髄液減少症の症状緩和に効果がみられず(これは、申し訳ないですが、
私はさまざまなメーカーのスポーツドリンクで実験済み)


大変つらい闘病生活を余儀なくされたことは間違いありません。


大塚製薬工場さん、良くぞこのしょっぱさのドリンクを作ってくださいました。

さすが、点滴を製造しているメーカーさんだけあります。

激しい脱水で塩分がどんどん失われていて、塩をなめてまでいた
私にぴったりの
口から飲む点滴と言ってもいい、
「経口補水液オーエスワン」

本当に私は何度も何度も助けられました。

不思議なことに、

OS-1のしょっぱさが、それほど感じず、まるで水のように
塩気が薄く感じる時と、
しょっぱく感じるときがあり、


体から塩分が失われ、
塩分をより体が欲している状態の時は、
「しょっぱく感じない」のではないかということに気づきました。


つまり、
オーエスワンがしょっぱく感じる人は
脱水状態も、それによる塩分が体から失われることも
あまりひどくはない人なのだと思います。

人間の体とはよく出来ているもので、
体に不足しているもの、
体が求めている物質を含むものは、おいしく感じるようです。


ところで、
最近、炎天下でお仕事されている方が、

ペットボトルの水をがぶ飲みしているのを目撃しました。

「水だけとってもダメです。塩分もとらなきゃ」って

自分の脳脊髄液減少症での
脱水状態の療養生活から体で学んだ知恵を教えてあげたくなったけど、

いきなり知らない人間が近づいていって、
そんなことを言ったら、

商品セールスや
何かの勧誘と間違われそうだから、やめときました。

でも、この時期、
本当に、炎天下でお仕事する方や

製造業などの工場で高温の現場でのお仕事を余儀なくされる方、

ガラス職人さんのように、
いつも高温の炉のそばでのお仕事の方とか・・・・

炎天下でのスポーツをする方がたの脱水や

熱中症や脱水が私はとても心配なのです。

毎年、夏に、それで命を落とす方がでるから・・・・。

炎天下で激しいスポーツをする子供たちや青年たち、
そして、それを監督する大人たち、の
はたしてどれだけが、
水分補給の正しい知識をお持ちなのでしょうか?

この暑さ、
熱中症や、脱水での事故が起こらないことを

心から願っています。



知っておきたい知識

体に必要な水

高齢者の脱水状態

経口補水液(ORS)、経口補水療法(ORT)とは?



詳しくは、
これらの情報が載っている以下のサイトをご参考ください。

オーエスワンWEBサイト
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医師が危ない!

2009年08月11日 | つぶやき
(この記事はかなり以前に書いたままUPしていなかったものなので
リンク切れしているかもしれません。)

高知新聞記事

「医師が危ないトップ」
密着 高知医療センター脳外科

第一部

(1)燃え尽きそうや

(2)疲労で起きられず

(3)後継者が激減

(4)防波堤崩壊

(5)想像越すヘリパワー

(6)既にデパート化


第二部、過酷な現場

(2)救急車来る

(4)当直明けも延々

(5)誰も彼も忙しい

(7)サマワを実感

(8)脳外科だけじゃない。

(9)小爆発相次ぐ

(ホームページでは(8)になってますが(9)の間違いではないでしょうか?)

読者の声上


その他の記事がお読みになりたい方は

医師が危ない、トップからお読みください。

M先生とは

脳脊髄液減少症公的研究班の研究員15名のうち、たった2名と言われている
脳脊髄液減少症「肯定派」医師のひとりだと思います。

その後研究班の中で、肯定派に転じた医師を私は知りませんが、

あとの残りのほどんどの医師の、脳脊髄液減少症否定派医師の先生方が
心を入れ替えて、
患者たちの声に真摯に耳を傾け、肯定派に転じてはもらえないのでしょうか?

脳脊髄液減少症研究班でありながら、脳脊髄液減少症を否定する先生ばかりで
本当に患者を救うための、本当にフェアな研究ができるのでしょうか?

まさか、否定派先生たちがよってたかって肯定派の医師の主張を封じ込めて、
このまま脳脊髄液減少症を闇の葬ろうとなんかしてほしくはありません。

もし、そんなことをしたら、否定派先生たちの医師として人間としての
資質を私は疑います。

そんなことを平気でする人間は、もはや医師ではありません、
苦しむ患者を見殺しにする人間と同じです。

いますぐ、脳脊髄液減少症否定派の先生方は、目を覚ましてください。
医師としての心を思い出してください。

ブラッドパッチして治った患者が実際にこうして
体験を書いているのですから、

脳脊髄液減少症の治療経験も全くないとか少ない自らを棚にあげて、

既成概念や先入観にとらわれて、

脳脊髄液減少症の存在自体や、交通事故で起こることや、
ブラッドパッチの効果を否定し続けるのは
やめてほしいものです。


否定し続けることは
「自分は新しい概念を取り込めない患者のためより
自分の主張やプライドや名誉や利益や地位を気にする医師です」って、

自ら公言しているようなもので、
ご自分にとっても、この先いいことないと思います。

M先生は

現在は

岡山旭東病院、脳外科に移られたようです。


少しでも労働条件が改善し、
休日も取れて、お体が楽になっていただけたらと願っています。

そして、できれば、
これからも脳脊髄液減少症患者を救い続けてほしいと思います。

第5部 難局の向こうに

(1)山形の強烈改革(K先生ってたしか、
脳脊髄液減少症の主任研究者でしたよね。はじめて脳脊髄液減少症がとりあげられた脳神経外科学会での記者会見で、脳脊髄液減少症患者からの手紙を握り締め、なんとかしたいとお話されていたそのお姿からは、
脳脊髄液減少症患者に理解のないお医者様には見えませんでしたが、その後どうなのでしょうか?もしかしたら、一生懸命になって取組んでくれているのかもしれませんが・・・・)

(2)報酬の差別化図れ

(3)現場救済策次々


(4)青森も残業200時間

(5)10年前、崩壊の危機

(6)壮大な理念の下に

(7)幹部去り誤算次々

(8)天国と地獄の差

9)異色の経営理念

(10)激戦地に来たわけ

(11)赤字批判は筋違い

(12)カテにもえる40歳

(13)「何もかも」は無理

(14)あいまい、長時間労働

(15)試練耐え巨木へ





話はそれますが、
この病院の
院長のひとりごと を読んで感動しました。

(2007年12月10日発刊)NO.37
「心は体を癒し、アートは心を癒す」
 
(2008年3月3日発刊)NO.48
「アートと癒しについて」

(2008年3月17日発刊)NO.50
『「自分がして欲しくない事は自分も人にしてはならない」
人間が生きていくうえで、自分が他人にして欲しくないことを人にしてはならない。 これは、人が人間として生きていくゴールデンルールです。』


これを読んで、「脳脊髄液減少症否定派の医師にも読ませたいと思いました。」
「、自分がされていやなこと、悲しいことを、平気で患者にする医師なんて、医師として失格だと思います。いえ、医師である前に人間として失格です。」


脳脊髄液減少症に詳しい脳外科の先生がいて、

絵画が飾られるなど、癒しに満ちていて

元レストランのシェフが作るおいしい病院食、

そして

院長先生がこんな方なら、

RI撮影に必要なガンマーカメラも
MRIも1,5テスラや、3テスラの高性能MRIがある

この病院

きっとより多くの脳脊髄液減少症患者を心身ともに治し続けて

助けてくださる病院となり、

日本全国から患者が集まる病院に成長していって欲しいと願います。

この病院がタテマエと本音が同じなのか違っているのか
実際に行ったことがないのでわかりませんが、

この病院の経営理念にあるように、

「患者が安心して体をあずけられ、
医師も幸せに働ける」病院であってこそ、

はじめて、患者も質のいい医療を受けることもでき、

患者は人によって傷つけられた心も体も

疲れきっていない元気な医師や医療スタッフという
人の力によって癒されて治っていくと思います。

こういう考え方の病院が増え、
病院で働く人たちが心も体も元気で、ゆとりがあり、

それではじめて、
患者を癒すパワーを充分に発揮できるマンパワーあるれる
病院になってほしいと思います。


私がブラッドパッチで何回かお世話になった病院も、
夜勤の看護婦さんは人数が少なすぎて、ゆとりがないように思いました。

そのゆとりのなさが、患者にもつたわってきて、
思うことも遠慮していえないことがたびたびでした。

話かけると、他の病室からのナースコールが手元でなって、
そのたびに看護師さんの表情が落ち着かなくなり、

私のところから心が離れていくのを感じ、
淋しい思いをしました。

看護師さんが安心してもっとゆとりをもって、しあわせに、健康的に
お仕事が続けられるような体制も
患者のためにも、医療スタッフのためにも必要だと感じました。

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本日でブログ満3年。

2009年08月08日 | つぶやき
立秋を越え、暦の上では秋になってしまいました。

残暑お見舞い申し上げます。

本日2009年8月8日をもって、
ブログを書きはじめてから満3年がたちました。


ここまで続けられたのも、
ひとえに読者の皆様が暖かく見守り、
時にはげまし、共感してくださったおかげだと
心から感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。

また、私がブログを始めるきかっけになったのは

すでに、ブログでこの病のことを
発信してくださっていた
先輩患者さんたちの存在の影響です。



当時孤独なひきこもり闘病中だった私は
ネットでの、
同病患者さんとの言葉のやりとりだけが、
唯一の外の人たちとの交流でした。

時に、愚痴ったり、弱音をはかせていただいたり、
皆様のブログのコメント欄におじゃましては、

どれだけ励まされ、勇気づけられ、
癒され、なぐさめられたかわかりません。

今の私があるのは
当時支えてくださった、名前もお顔もわからない
ネット上の同病患者様のおかげです。

その当時は本当にお世話になりました。

3年たって、
最近では同時の皆様にはすっかり、ご無沙汰しておりますが、
その後お元気でしょうか?


当時私を支えてくださった、同病患者の皆様には
本当に心から感謝申し上げます。



皆さんとの出会いがなかったら、
私はブログをはじめようとも思わなかったし、
こんなに続けてこれなかったと思います。



顔は見えないけれど、

私と同じ患者さんが、この日本のどこかで
同じように脳脊髄液減少症の苦しみと闘っている人がいる、

そう思うだけで、「私ひとりじゃない。」と思え、
生きる勇気がわきました。


しかし、当時、ひとたびネットから離れ、
現実にもどれば、

近くに理解ある医師もなく、
肉親も社会も、この病に無関心、

医学界さえ、否定派の医師が大多数でした。

そんな中、本当に精神的にも孤独死しそうな思いでした。




そんな中同病患者さんのブログを訪れると、ほっとできました。

もし、すでに脳脊髄液減少症のことを
ブログやHPに書いていた先輩患者さんたちに出会えなかったら、


私は、ブログでこの病のことを書こうなんて考えなかったことでしょう。

なぜなら、
今までいくら言葉を尽くして人に伝えても、
医師に訴えても信じてもらえないことを、

ブログなんかで世間に訴えたところで
信じてもらえるとは思っていませんでしたから・・・。



同じ病気仲間と
ネットというツールで出会える時代がきたことは、

本当に幸いでした。

インターネットがある時代に脳脊髄液減少症とわかったことと、
インターネット環境を与えてくれた家族に感謝しています。

もし、ネットがなかったら、

私は症状の苦痛と、孤独さと、果てしなく続く症状や


いつ終わるともしれない闘病期間の長さに
絶望感に押しつぶされていたことでしょう。


当初はブログは3ヶ月続けばいいと思ってはじめましたが、

皆様の励ましをうけて、
本日で3年も続けてこれました。

これもひとえに皆様の励ましのおかげです。
ありがとうございました。




この3年長かったような、短かったような3年間でしたが、

やはり体感的には長く感じます。

10年ぐらいたったように感じています。


正直今までの人生の中で一番といっていいほど、
とてもつらいつらい3年間でした。

生き地獄といっても過言でもない時期もありました。


たかがブログですが、苦しさの中にありながら、
これほど何かが続けられたことは、
私の人生の中で今まであまりありませんでした。


ささやかですが、苦しくとも生き延び、
自分の思いを書き続けられた
私なりにがんばれたこの3年間は、

これからの自信につながりそうです。


布団に寝ているだけで、

呼吸をしているだけで、

自分が存在しているだけで、

自分の体や手足の重みや重力を体に感じるだけで、

衣類や布団の重さだけで

耐え難い苦痛を感じるほどの時もありました。


家の中の移動でさえ、
家の中をはって歩き、または、おしりを床についたまま移動し、

トイレで、台所で、
玄関で、ところかまわず横になりながらの
家事をしていたこともありました。

階段までの距離が
目測で計れず、踏み外しそうになったことも何度もありました。

家の中で幼児のように、伝い歩きをすることもありました。

呼吸がうまくできず、
溺死するときの人は、こんな苦しさかと思ったこともありました。

たった一人の日中に
症状にひたすら耐えながら、
家事をこなすことは、
本当に孤独な戦いのようでした。


首が締め付けられるように苦しく、

絞殺される断末魔の人は、こんな苦しさかと、思った時もありました。

家族や周囲や社会の無理解に、死んでしまいたいと何度も思いました。

そんな中で
ブログを書き続けながら、何とか生き延びることができました。


ブログを書くことで、
いくらかでも正直な思いや、本音や、気持ちを吐き出せ、
私の闘病を支えてくれていたのかもしれません。

そして、まとまらない頭の中を必死に文章にまとめようとすることや
打ち続けることは、どうやらリハビリにもなったようです。

最初のころの幼稚な文章と比べると、
だんだんと文章が大人っぽくなってきたようにも感じます。

最初のころは、いくつかの文章を同時に書き、推敲しながら
やっと数日がかりでUPしていたものが、

最近では、調子がいいと、
その日のうちに書いてUPすることもできるようになりました。

ブログで、考えを文字にまとめようと頭を使うこと、
思いを人に伝えようとすることは、いい脳のリハビリとなりました。



でも、
外見的には病人に見えないのが脳脊髄液減少症の悲惨さです。

周囲からは、

働きもせず、お気楽にパソコンで遊んで暮らしている、
怠け者、

あるいは、ネット依存症の
社会から交流を断った、ひきこもりの女に見えたことでしょう。

でも、実態は、私は毎日毎日、綱渡りのように、
不安と絶望の中を必死に生きる喜びをわずかでもさがしながら、
この3年生きてきました。


実は、当時は
パソコンに向かうことさえ、
ブログをはじめることさえ、大変でした。

まず、座った姿勢が長く保てませんでした。

次に、電磁波過敏症なのか、座位の姿勢のせいなのか、
パソコンの前にいるだけで、気分が悪くなりました。

次に、
他人のブログを見ても、色が派手だったり、文字が小さかったり、
白さで眩しかったりすると、画面を見続けることが
困難でした。

ブログの編集画面での文字も小さく、打つのもつらいものでした。

文章がまとまらず、何度打ち直しても、
ダラダラと同じことの繰り返しになってしまうこともたびたびでした。

健康な人にとっては、
簡単にはじめられるはずのブログでさえ、
私のような世代の
しかも、脳脊髄液減少症患者には過酷な代物でした。


自分もブログを始めようと決心したのは、
同病患者さんのブログにおじゃましていたころからでした。

ブログをはじめる数ヶ月前でした。

はじめる日は、
数字の8の「八」のように、末広がりに
この病気が認知、理解されていくことに
願いをこめて、
8月8日似始めようと心にきめました。

それまでに、
もともとは苦手なパソコンに向かい

思考力の落ちた頭で何度も事前に登録の説明を読み、
登録の練習さえして、準備し、

3年前の今日8月8日に、ブログをはじめたのです。

はじめるだけで、とてもエネルギーを消費しました。


パソコンにむかうことさえ、
とても難しいものに感じました。

その上、脳脊髄液減少症のため、頭は混乱し、
文字は長く連続して読めず、途切れ途切れの説明を理解しつつの
ありさまで、

ブログをはじめるための登録さえ、なかなか理解できず、
実行もできず、何度も投げ出しそうになり、

当然、一日ではできるはずもなく、
何ヶ月も前から、予行練習をして登録した覚えがあります。

その上で、
やっとブログをはじめることができたのです。

もともとパソコンが苦手な私でした。

電磁波過敏症だったのか、座位の姿勢のせいなのか
パソコンの前に
座っているだけで気分がわるくなりました。

他人のブログを見ても、
テンプレートの色が原色だったり、文字が小さかったりすると

もう、それだけで、目がチカチカし、
文字を読む以前に、脳が拒否をしました。

そういう自分を感じるたび、

これは、重い脳脊髄液減少症の人には
この病のことを訴える手段さえ、奪われているにちがいない、

しかもブログをできる環境にある、
しかもブログをできる能力を残された患者は
その中のさらに一部だ、

ならば、できる患者が、できる範囲で、実際に体験して知っている範囲で
この病のことを語らなければ

どうしてこの病の症状の過酷さが伝わるだろうか?と思いました。


長期放置された患者が、

症状を抱えながら、ブログをはじめるのも、続けるのも
さまざまな困難を伴いましたが、

ブラッドパッチ後の闘病中の苦しみの最中に、
「絶対この病の症状を世間に伝えてやろう」との強い思いで
ブログを続けました。

さすがに、
同じ脳脊髄液減少症患者さんの無理解を知った時は

同じ脳脊髄液減少症患者さんにさえ、わかってもらえないことを書いても、
健康は人たちや
無理解な社会になんか伝わりっこないと、

ブログをやめようと嫌になったこともたびたびでした。

精神的にも抵抗力が落ちていて、

さまざまな困難に耐え抜いて前に進む能力が
健康な時より落ちているように感じ、

心は傷やすく、他人にたいして、不安感や不信感もまだまだ消えませんでした。

そのことは、
パソコンに向かうのもつらい時期で
短時間しかすわっていることさえできませんでしたが、

それでも、
寝たり起きたりを繰り返しながら、書き続けました。

今まで、
大勢のコメントやメールくださった皆様、

お忙しい中にもかかわらず、
匿名の私のメールでの訴えに、

真剣にお返事くださった皆様方

本当にありがとうございました。



ここまで根気よく治療してくださった主治医の先生方、

いつも優しいお世話になった病院スタッフの方、

私の唯一の理解者であり支えてくれる身近な人。


私を理解しようと、努力してくださっている人。

そして、

このブログでであい、私の話相手になってくださり、
交流してくださったすべての人たちに、

感謝いたします。


また、
この3年私のことを
理解しようとしてくださった現実世界の皆様、

本当にありがとうございました。


私は皆様たちに、どんなことで恩返しをしたらいいのかわかりません。

今はただ、
ここで感謝の言葉を述べることしかできません。


でも、
3年前よりは
脳脊髄液減少症の理解が広まってきた感じはします。

これもひとえに、
患者に理解を示し、支えてくださっている健康な皆様、

動けない患者に代わって社会に訴えてくださっている患者様のおかげです。

私はこうしてブログでしか
この病のことを伝えることができませんでしたが、

私がブログを書いてきたことも
無駄ではなかったかなと思いたいと思います。


近い将来、
交通事故での被害者である、脳脊髄液減少症患者が
私のような目にあわないで正当に支援され、

早期に適切に診断され、治療され、

ドクターショッピングや病名探しの迷路に迷い込むことなく、

方向違いの治療に医療費を払うこともなく、

健康保険も効かないような自費治療でしか治らないというような
非情な目にあうこともなく、


医学界と国と社会から、全力で、

あたたかく、患者や被害者の社会復帰を助けてもらえる日がくることを
心から望んでいます。

必死でブログにこの病での体験、気づき、思いを
書きつづってきた3年間でしたが、

3年間でも、脳脊髄液減少症のすべては書ききれませんでした。

まだまだ、症状はありますし、
書きたい思いや内容は山ほどあります。


でも、昨年の秋以降
実は、体調が悪化しながらも意地になって突っ走ってきたので、
(昨年の秋は、本当に絶好調でした。もっと、日常生活で
いきなり無理せず、あの状態を保っていればと悔やまれます。)

これからは、
少しお休みをいただきながら、ゆっくり行こうかと思います。

その間、私の書いたこの3年間の
過去の記事でも参考にしていただけましたら
幸いです。

人は誰でも明日の命の補償はありませんから、
何時死んでしまうかもわからない中で、

しかも、回復につれ、
どんどん忘れていく脳脊髄液減少症の記憶が消えないうちに、

毎日書き続けても、書いても書いても書ききれないほどの
脳脊髄液減少症の話を

生きているうちに、少しでも多く書き留めたいと
突っ走り続けて書き続けてきました。

たとえ、一時的におやすみしても、
脳脊髄液減少症の物語は、「未完」で終わらせたくないのです。

どうせなら、
この病で体験したことを、書きつくしてから死にたいと思っています。

そうでなければ、
脳脊髄液減少症の真の怖さはつたわらないと思うから。


世間は、そろそろお盆休みですね。


私も少しお休みをいただきましょうか?

その間、
もし、更新したくなったら、

以前書いたまま、UPしていない記事がたくさんあるので、

しばらくはそれをUPしていこうかと思っています。


それではみなさん、
楽しいお盆休み、夏休みをお過ごしください。


皆様、夏ばてには注意して、
栄養とって、カロリーとって、
塩分とって、
体を休めて、睡眠とって、
水分補給も気をつけて、どうかお元気で・・・。

同病患者の皆様の一日も早いご回復と、

それ以外の皆様の、ご健康も心からお祈りいたしております。

今日は蒸し暑さで不調で、

文章がうまくまとまりませんが
このへんで失礼します。(後で推敲します。)


3周年目の感謝のごあいさつまで・・・・

では、また。


ちなみに、一年前の今日にも同じようなこと書いてます。
ブログ2周年

2年前の今日も同じようなこと書いてます。
ブログ1周年。
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64年目の原爆症認定

2009年08月07日 | つぶやき
(本日二度目の投稿です。
前記事は昨夜12時過ぎに投稿したので、本日の日付になっています。)



原爆が落ちて、から64年目にして

原爆症と認定だなんて、なんというひどい話でしょうか?。

患者さんは原爆症のため、体も心もおつらいはずなのに、
裁判でやっと『原爆症」だと認めてもらえるなんて、

今までどれだけおつらい思いをされてきたことでしょう。

それまで「原爆症」だと認められなかったということは、
「原爆症」だと認めてもらうことで受けられる国からの支援が
ひとつも受けてこれなかったということなのでしょうか?

交通事故で脳脊髄液減少症を発症しながら、「異常なし」と
見逃され続けてたった数十年の私でさえ、
ここまで生き抜くことが困難の連続で
本当につらかったのに、

64年という時間は
なんという長い長い年月でしょうか?

その間、その方がたは、いったいどれほどの身体的
精神的苦痛を味わい続けて生き抜いてこられたのでしょうか?

想像を絶します。

どうして認定までこんなに時間がかかったのか?

水俣病や、
脳脊髄液減少症のように、

症状が自覚症状ばかりだったり、
症状との因果関係が証明できないとか、
きっとそんなことで、今まで認定が遅れたのでしょう。

何の罪もない市民が、
原爆雲の下で放射能をあび、
目に見えるやけどや怪我の他に、

体の内部を傷つけられて、
目に見えない怪我を負い、ここまで国の無理解を生き抜き、
認定までたどりついた患者さんは

全体の認定されるべき被害者のいったい
何パーセントなのでしょうか?

多くの原爆被害者の患者さんたちが、
原爆との因果関係も認められることなく、
さまざまな体の不調に苦しみながら
命を落としていったことでしょう?

64年目にして、認定を受けられた患者さんは
ごく一部の患者さんにすぎないことでしょう。


目に見えない怪我を体の内部に負った患者たちが
病として認定されない、

その原因となった事との因果関係が証明されないなどという、
こんな残酷なことは
今後は、何も原爆でなくても、繰り返してはなりません。

人を最初から、保証金目当ての詐欺師だなとど、
見る風潮が当たりまえに蔓延しているから、
同じようなことが繰り返されるのです。

詐欺師より、善良な普通の人の人数の方が多いのでは
ないですか?

似たような悲惨な目にあう人たちを
今後出さないためにも、

もっと普通の罪もない患者被害者の声に
真摯に向き合う社会を
築いてほしいものです。

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ギラン・バレー症候群そっくり病

2009年08月07日 | 他の病名との関連性
大原麗子さんがすでに
お亡くなりになっているのが発見されたそうです。
長くギラン・バレー症候群で闘病されていたそうです。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。



この病名を聞いて、急にいろいろな記憶がよみがえってきたのですが、

そういえば、
まだ、この世に、「脳脊髄液減少症」なる病名が存在していなかったころ、

私の症状の原因を自力でさぐるべく、

必死に医学書でさまざまな病名や症状を調べていた時、

もしかして、
ギランバレー症候群かも?」と思ったことがありました。

症状がとても似ていたから・・・。

私の症状は、手足の筋力低下や麻痺は左右対称とは言い切れなかったけれど、
むしろ非対称であったけれど、

その他ののどの痛みや腫れ、
微熱、感染症にかかりやすくなる、感覚鈍麻
シビレ、痛み 、呼吸障害

顔面が無表情になる症状
(今思えば脳脊髄液減少症の症状のひとつの顔面神経麻痺)
や目の障害などの脳神経症状や、

ろれつがまわらないなどの構音障害や
飲み込みにくい、むせるなどの嚥下障害などの球麻痺症状、

さまざまな自律神経障害

手足の脱力、麻痺などの症状は
とても、似ていると感じました。

ただ、違うと感じたのは、
症状が両側に左右対称に出る(両側性)ではなく、

私の場合半身に症状強くでたりして、左右非対称であったり、

両手に同時いシビレや脱力がでたりと、少し症状の出方が違っていることぐらいで
あとの症状はとても似ていると感じました。

だから、何か、脳神経に関する病だとはうすうす感じていましたが、

まさか、その後、脳脊髄液が漏れていたとは当時は
気づけるはずもありません。

なにしろ、脳脊髄液減少症の病態の存在自体に、世界中の誰も気づいていない時代ですから。

症状はギランバレー症候群に似ていると自分では感じていても、
当時、受診した神経内科の医師からは
その病名ははっきりとは出てきませんでした。

どうやら医師は「ギラン・バレー症候群とは違う」と感じていたらしいのですが、

では、いったい私のこの症状の原因は何?と悩みました。

症状は確かにあるのに、病名がはっきりしない・・・・

そんな状態で
長い長い年月が過ぎていきました。

時は流れ、
「脳脊髄液減少症」という病態に
世界中ではじめて気づいてくださったS医師が現れた時代まで生き抜き、

ついに、自分の症状が
「脳脊髄液減少症」に似ていることに自分で気づき、
RI検査を受けるところまでたどりつき、
私は「脳脊髄液減少症」だったと判明しました。

真の病名が判明して、
やっと、本当の治療のスタートラインに立てたのです。

発症から、病名判明まで、長い長い年月がたってしまっていました。

その間、もし健康だったら?、
もし、もっと早く病名が判明して治療を受けていたら?、

何より、あの交通事故にあっていなかったら、
私の人生はどうなっていたのか?と、考えてしまうと

今生きているのさえ、つらくなってしまいます。

人間はひとつにつながった体です。
体のどこかが不調になっても、似た症状が出る病はたくさんあると思うのです。

それなのに、
医学の教科書にもどこにも載っていない病名だけは
医師も患者も気づかない。

既成の病名の症状にあてはまらないと
「異常なし」と切り捨てられるのです。

医学の教科書に載っている病名なんて、
人間の歴史の中で気づいたごく一部の病気だけにすぎないのに、

まるで教科書に載っている病だけが、
人間の病のすべてであるかのように、思い込んでいるかのような医師たち。

脳脊髄液減少症の病名が存在していなかった時代は
交通事故も多数発生していたはずだから、

脳脊髄液減少症患者は、私以外にも大勢いたはず、

その人たちは、症状の程度にもよるけれど、

今どうしているのかとふと思うのです。

自然治癒した方もいるでしょうが、
重い症状を抱えていた人もいたでしょうし、

症状を抱えながらも一家の稼ぎ手として働かなければならない人もいたでしょうし、

親にも先生にも医師にも症状をわかってもらえなかった子供たちもいたことでしょう、

次第に症状が悪化して、起きていられないほどになって、
寝てきりになってしまった、
当時の脳脊髄液減少症患者さんたちは、今、いったいどうしているのでしょうか?

現代まで生き延びて、

真の病名や、ブラッドパッチ治療に
たどりついた人は
当時の脳脊髄液減少症患者の全体の何パーセントなのでしょうか?

きっと、ごく一部の幸運な患者しか、
病名にも、治療にもたどりついていない気がします。

もし、今も当時の患者たちが生存しているなら、
早く、脳脊髄液減少症という病態が存在することに、気づいてほしいです。

そして、
医療現場では、もう、何十年も苦しんできた患者さん優先で
治療をしてあげてほしいです。

だって、
病名がない時代を生き抜くことは
もうそれだけで本当に苦痛に満ちたことだったはずですから・・・

せめて、
治療を優先してあげて、一刻も早く、少しでも体を楽にしてあげて
ほしいと願っています。


「ギラン・バレー症候群」という病名に、
また、孤独で、体もつらかった時代を思い出してしまいました。

過去を思い出すと、
あまりの理不尽さに、今生き続けることさえ、嫌になってしまいます。





    

ところで、
大原麗子さんは、本当に「ギラン、バレー症候群だったのだろうか?」

私は最近医師のつける病名が
すぐには信じられなくなってきています。

その医師一人の頭の中にある病名ですから、
医師の頭の中にはない病名はつかないわけですから・・・・。

人間がつけた病名なんて、あってないもんだと思うこともあります。

病名なんていらなくて、

「健康、調子がいい」、と「具合が悪い」の

2種類の分類だけでいいと思うこともあります。

柳澤桂子さんが著書で言われているように、

病気か病気でないかは、
医師が決めるのではなく、本人だと思います。

それにしても、
ギランバレーの症状は左右対称が、
脳脊髄液減少症ではむしろ左右非対象である以外は
本当にほどんど症状がそっくりです。

上のリンク記事読んで、ギランバレーの検査は脳脊髄液を抜いて検査するようで、

もし脳脊髄液減少症の症状なのに、ギランバレー症候群を疑われて
脳脊髄液抜かれて検査されたらと思うとおそろしいことになると思い、

思わず、ぞっとしました。
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高齢者の性、脳脊髄液減少症患者の性

2009年08月04日 | 情報
今日も一日ダウンしていました。

数時間眠っていたのか、倒れこんだまま意識を失っていたのか
不明です。

気づいたら3時間たっていました。

でも、
どうしてもお伝えしたことがあるので今から書きます。

昨日の読売新聞、

医療ルネッサンスで
シリーズ「高齢者の性」の7回シリーズが始まりました。

過去記事はネットでも読めるようになるので
1週間後ぐらいから順次、この記事もネットで読めると思いますので
公開に気づき次第、リンクしたいと思います。

現在連載中の記事はネットでは読めませんので関心のある方は
きのう、きょう、と明日からの読売新聞記事
「医療ルネッサンス」でお読みください。

高齢者の性の問題は、
脳脊髄液減少症患者が抱える性の問題と
重なる部分が多いと思います。


脳脊髄液減少症は、体の症状が強烈だと、
性の症状やその問題はなかなか表に出てこないと思います。

脳脊髄液減少症になると、
性反応性機能減退したり、時には全く消失したりもします。

そのことは
あまり多くの成人患者さんも脳外科の主治医にも
語っていないのではないでしょうか?。

まして、女性患者は男性脳外科医には
婦人科的なことや
こうした性の悩みは特に話づらく、

診察では
脳脊髄液減少症の痛みやだるさの症状の訴えに終始していて

ほとんど性機能の異常については、医師にも報告できていないのが
現状ではないでしょうか?

でも、高齢者の性の問題と同じことが
脳脊髄液減少症患者にも現実に起こっています。

しかも、パートナーが
同じ性機能が低下した高齢者ではなく、

若かったり、
元気はつらつの健常者だったり、

脳脊髄液減少症の症状や体のつらさや、性欲の減退や性機能の低下
性反応の消失に、
全く無理解な相手だったするのです。

私の想像ですが、

そういうパートナーを持ち、人知れず苦しみ悩んでいる
誰にも相談できずに悩んでいる脳脊髄液減少症の患者さんが
多数潜在しているように思います。


その苦悩は、表にでてこないだけに、
医師にもあまり知られていないと思います。

この現実に、脳神経外科の医師は、もちろん、
婦人科医や、男性更年期障害の専門医なども、
もっと関心を持っていただき、

脳脊髄液減少症の性機能低下の症状が引き起こす
深刻な男女関係や体の問題の存在にも気づいていただき、

ご理解いただき、もっと相談しやすい体制を考えていただき、
(性のさまざまな症状についても患者が直接口に出すことなく
医師に伝えられるよう、
任意で答えられるような質問を、問診票に用意するとか。)

もう少し支援体制、相談援助体制にも
関心を持っていただきたいと思っています。

過去記事
EDとLOH症候群と脳脊髄液減少症
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脳脊髄液減少症、最近の情報

2009年08月03日 | 情報
ろくろさんのブログからの
横流し情報です。

熊本日日新聞記事

三重県の情報

青森県鶴田町の情報

愛知県岡崎市の情報

いつも最新情報ありがとうございます。

今日は暑くて、気づいたら、
今まで眠り込んでしまいました。
(眠り込むというより、もしかして意識を失っているというほうが
近いのかも?と最近思う。)

社会復帰はいつになるやら・・・・・

持病のある人は、
寝ている間に脱水症状を起こすことがあるから、
寝る前に水分を取るなど注意が必要だそうです。

脳脊髄液漏れが止まっているかどうかまだわからない
頻尿もまだ、時々ある私みたいな脳脊髄液減少症患者は

慢性的に脱水症状だから
特に注意が必要ですね・・・きっと・・・。

NHK今日の健康 要注意 熱中症

熱中症対策には、塩分の入った
しょっぱいお味の「オーエスワン」
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シングルマザーの死 2

2009年08月02日 | 心の葛藤
川村さんの唯一の救いは

「がん」という世間に認められた病であったために、
脳脊髄液減少症患者のように、病以外のよけいな苦しみ、
たとえば、「病に対する無理解」「症状軽視」などの苦しみには
それほど会わずにすんだのではなかった?と思えることです。


病の症状や未来への不安などだけでも苦しいのに、

病の症状のつらさ苦しみ重篤さが、
医師にも誰にも理解されない、

見た目で病人に見えない、
普通の検査では何も異常がでないということは、

脳脊髄液減少症患者のように、
苦しい症状を訴えても、

「検査で異常がないんだから、気のせいだ」とか
「そんな病気なんてありえない」と医師にも相手にされなかったり、

「そんな病は命を落とすほどの深刻な病なんかじゃない」とか
「そんな病は、気のもちよう」などと、

叱咤激励され、

精神的なものからくる症状と誤解され、
はては何かの目的のための仮病とまで疑われ、

世間の無理解に苦んだり、
健康保険が聞かないとか、
「病の苦しみが医師にも世間にも認められない」という
病以外のそういうよけいな苦しみは

病自体のつらさをはるかに越えるつらさです。

そういう思いだけは、
川村さんは経験しないですんだと信じたいです。


癌という病に関しては、その重病さも深刻さも闘病の厳しさも
医師の知識の共通認識も、
緩和ケアも支援体制もある程度整っていて、

脳脊髄液減少症ほど、病以外のことで、精神的に苦しめられることは
少なかったのではないかと思えることが、

せめてもの、救いだと思いました。


脳脊髄液減少症患者はブラッドパッチ治療をしても、

ささいなことで症状が悪化したり、
再発してしまうと、

「何やってんの?
せっかく高い自費のブラッドパッチで治療したのに?
えっ?また再発?悪化?
なに、再発させてんの?また、ブラッドパッチ?

自費の高額の治療費どうすんの?
貯金あんの?

馬鹿だね~
調子にのって何か無理したんでしょ?
結局は自分の不注意なんだよね・・・」的な意味を感じる

周囲のあきらかに、あきれたような対応を
感じたりもしますが、

癌患者さんが、もし再発しても、症状が悪化しても、
周囲に同情されることはあっても、
あきれられたり、責められたりすることは、あまりないのではないでしょうか?

再発して、脳脊髄液減少症患者のような冷たい目で見られることは
あまりないと思います。

再発するだけでも、悪化するだけでも、患者本人はつらいのに、

ましてや周囲からそんな冷たい、責められるような目でみられたとしたら、
患者はとてもつらいはずです。

川村さんが、癌が再発された時、
周囲から心配されることはあっても、

脳脊髄液減少症患者のように、「何再発させてんだよ」的に
あきれられることも、
周囲から責められるような視線や態度をとられることも、
そんな目にはあわなかったと信じたいです。

再発後も、
精一杯医療スタッフや、周囲の人たちに暖かく支えられていたと
思いたいです。

そうでなければ、
もし、脳脊髄液減少症患者のような扱いを受けていたなら、
あまりにつらすぎます。


でも、この記事を読むと
乳がんを発症し、闘病しはじめたころは、
元の配偶者の理解にも恵まれず、苦しまれたようです。

一般の家庭の主婦でも、
風邪を引いて寝込んでいても、
旦那が何もしてくれず、「めしは?」と言ってくる。

「熱があって起きられない夕食を作れない」というと、
「じゃいいわ、外で食べてくる。」と自分だけのことだけ考えて
寝込んでいる夕食のことまで考えが及ばない夫がいて、

そういうことの積み重ねが離婚につながることもあると
聞いたことがあります。

風邪でも、冷たくされると悲しく相手の人間性を疑ってしまうのですから、

もし、
重大な病になった時に、一番身近な配偶者にその病のことも
症状の苦しさも、心の葛藤も全く理解してもらえないとしたら、

毎日の闘病の日々を、暖かく支えてもらえないとしたら、

患者にとって、それもまた、
病自体の苦しみを上回る苦しみになってしまうと思います。


一番わかってほしい人に病の苦しみをわかってもらえない、
理解してもらえない、

支えてもらえない心の苦しみは
病自体の痛み苦しみよりつらいことは、
私も体験して知っています。

ましてやそれが、夫婦の別れのきっかけになるのでは
あまりにつらいことです。

脳脊髄液減少症患者さんも、
家族や、配偶者の理解と支援に恵まれている方ばかりではないと思います。

今も、病名さえわからないまま、思うように仕事や家事ができないことを
配偶者に責められている人もいるかもしれないし、

脳脊髄液減少症だと病名がわかっても、なお、症状を理解されずに、

健常者と同じことを求め続けられ、精神的に追い詰められていく
患者さんもいると思います。


せめて、
はやく、はやく、「がん」と同じ程度にまで、
脳脊髄液減少症もその病の深刻さや、治療の必要性、
闘病中の経済的、日常生活的支援の必要性に
社会が気づいて、助けて欲しいと願っています。


多くの脳脊髄液減少症患者も、
病の苦しみが配偶者や家族にさえ、理解されず、

もちろん専門医以外の地域の身近な医師にも理解されず、
人間不信になったり、友人を失ったり、離婚したりしていると思います。

そういうことが続いて、
私のように、もう誰も信じられないという状況に
陥ってしまう人もいると思います。

川村カオリさんも、
もし、闘病中にそういうつらい時期があったのなら、

どんなにか悲しかったろうと思うし、

癌を抱えながら、シングルマザーになる決断をした時は

どんなに苦しく心細かったろうと思います。

それでも、なお、精一杯がんばったのは強い方だったのだろうと思います。

脳脊髄液減少症の脳脊髄液漏れを止める
唯一の治療であるブラッドパッチ治療にさえ、健康保険は聞きません。

癌にも健康保険の聞かない治療はあっても、健康保険がきく治療もあるはずで、
「唯一の効果のある治療法に健康保険がきかない」なんて
残酷な思いはせずにすんだろうとも思います。

病だけでも苦しいのに、
病以外の精神的、経済的なことで患者が苦しむような社会は

もういいかげん変えてほしいです。

政治家のみなさまも、医師の皆様も人事だと思わず、
明日はわが身だと考えて行動してもらいたいと思います。

川村カオリさんが
離婚前に、身近な人に理解されない苦しみがあったとしても、
お子さんを残して逝かれる苦しみがあったとしても、

最後は医療や社会の病の理解に支えられていたと信じたいと思います。


報道によると、唯一の理解者は
7歳の娘さんだったようで、

その娘さんの母を思う言葉のひとつひとつは
テレビを通して聞いているだけで、
私の心まで癒してくれました。

どんなに重い病であっても、

どんなに命に限りがある病であっても、

どんなに見た目には健康そうにみえても本人はつらい病であっても、

大切なのは、その患者さんがいつも人として尊重され、大切に扱われ、

たったひとりでいいから、
苦しみを理解しようとしてくれ、

苦しみによりそってくれる人がいてくれることだと思うのです。

最後まで、その人らしく、精一杯生きることができるよう
できれば周囲からもチームで支援してもらい、

思い残すことはあっても、

少しでも患者がやすらかなおだやかな気持ちで、
生を全うしていけるような社会づくりが

どんな病であっても、望まれることだと思います。


川村カオリさんは

17歳になった、娘さんへのメッセージを曲に残していったそうです。

7歳の子を残して、逝かなければならない母の気持ちは
心おだやかであるはずがありませんが、

自らの死が近づくことを受け入れながら、
最後になってしまったコンサートもこなし、
彼女は精一杯のことを成し遂げて、やすらかに亡くなっていかれたとように
思います。



また、癌に限らず、

この国に同じ様に存在するであろう、
病を抱えた、お父さん、お母さんたちを思い、

お子さんのためにも、病と闘っておられる、
特にシングルマザー、シングルファザーに対する、
何らかの支援策を

政府にお願いしたいと思います。

特に、一部の医師にはいまだに病とさえ認められていない
脳脊髄液減少症に親がなると、そのお子さんたちが受ける影響は多大です。

父親や母親が脳脊髄液減少症になってしまって、働けない、

家事ができない、
買い物にもいけない
学校行事にもいけない、
授業参観にも、運動会にも見に行ってやれない、

立っていられない、座っていられない症状があると
入学式にすら、体育館での椅子にも座っていられないはずです。

パートナーが脳脊髄液減少症に理解して支援してくれればまだ幸せですが

そうでなく無理解で、
怠け者扱いされて離婚に至ってしまうような不幸にまで
子供達が巻き込まれてしまわないように、

この恐ろしい、影をひそめた見えない悪魔のような病
「脳脊髄液減少症」から
患者や家族を守っていただきたいと思います。

どうかこどもの幸せのためにも

癌や、

脳脊髄液減少症患者の早期発見、早期治療、
唯一の治療法であるブラッドパッチ治療の早期健康保険の適用、

ヘルパー支援、経済的支援、闘病中の緩和ケアなど、

医療福祉で、癌患者様と同じように、

脳脊髄液減少症患者支援策をお願いしたいと思います。



ここで、
書いている記事内容と相反する自分の行動を告白いたしますが、
私は、もう何十年も、乳がん検診を受けていません。

人には早期発見早期治療で、生きてほしいと思うくせに、
自分にはそう思えないのはなぜなのでしょうか?

行政からの案内が来ても、がん検診はずっと拒否し続けています。

とても行く気になれないのです。

それぐらい、脳脊髄液減少症での長い長い放置期間は
私を医療不信と、他の病気に対する恐怖を失わせてしまったようです。

乳がんの早期発見早期治療を必死で訴えて
多くの人たちの命を救おうと一生懸命になってくださっている
癌患者さんたちの気持ちを踏みにじってしまうようで
非常に失礼なことだとは自覚しておりますが、


すでに脳脊髄液減少症で苦しみぬいていて、
癌検診に行くだけの気力も体力もなかったのもありますが、

脳脊髄液減少症とはわからない時代
苦しい症状をすでに抱えて生きているだけでつらかったのに、
これ以上、
他の病を検診などで探しあてたところで、なにが得だというのだ?
という気持ちもありました。

他人の交通事故という暴力によって起きた
こんな理不尽な脳脊髄液減少症という病に振り回された、納得のいかない人生が

早く自然に終わってしまえばいい、早く寿命が尽きてしまえばいいと、
心のどこかで願っていたのかもしれません。

脳脊髄液減少症でこんなに苦しい人生が
他の病で死ねるのなら、その方が今のまま生きるよりも
楽かもしれないと、心のどこかで思っていたのかもしれません。

それほどまでに、
長い長い年月、
脳脊髄液が漏れ漏れでありながら、
「異常なし」と医療から見放さされ、

「健常者」としてあたりまえのことをこなし、
生きてこなければならなかった私は、

心が病んですさみ、疲れきり、
人間不信、医療不信、検査不信になっていて、

自らの命さえも、大切に思う気持ちすら、
脳脊髄液減少症に奪われかけているようです。

そういう私という患者の心の傷をご理解いただき、

こんな愚かな考えを持ち、検診を拒否し続け、

脳脊髄液減少症の主治医以外、誰も信じられず、
誰にも心の本心を語れなくなり、

どうせ、語っても、疑われ、馬鹿にされ、信じてもらえないと思ってしまっています。

がんから身を守る気力も失いかけ、
もう、脳脊髄液減少症という「認められない病」で苦しんだんだから、
いまさら、どうでもいいよと投げやりになり、

何年も乳がん検診も子宮がん検診もしていない
自分を大切にできていない
私をお許し願いたいと思います。

でも、そんな投げやりになっていた私ですが、

今回の川村カオリさんに、
命の大切さ、生きることの大切さを、

改めて教えていただいた思いです。

他人の交通事故という暴力によって、
健康な体だった私は脳脊髄液減少症になり、
私の人生の大半をだいないしにされてしまったけれど、

それでも、「脳脊髄液減少症」なんて病気の概念のない時代を生き抜き、
今やっと、病名のある時代にたどりついた・・・・

それだけでも、生きてきた意味があったと思います。

やっとやっと、本当に長い長い年月を生き延びたおかげで、
MRIやRIなどの医療機器の発達、普及した時代にたどりつき、

苦しみの症状に「脳脊髄液減少症」という病名がつき、

私の訴えが、仮病でも、精神的なものでも、気のせいでもないと証明され

発症から、十数年後に主治医とも出会え、
やっと晴れて「病人」と認めてもらえた。

私の周囲に支えてくれる人もわずかながらいて、
今こうして、生きて、ブログも書かせてもらえる環境がある、
だから、
今生きていることの幸せに感謝しながら、

逝きたくても生きられなかった人の分まで、
心も体もつらくとも負けないで、

とりあえず、今日一日を生きることを
積み重ねたいと思います。

シングルマザーの死・・・・・

その衝撃的な悲しみが私に教えてくれたこと・・・・


とにかく、生きなさい・・・

どんなにつらくても、
自然に命尽きるまで、生きなさい・・・・ってことかな。

川村カオリさん、
なげやりだった私に、生きていられることの幸せを
教えてくれていありがとうございます。

そのうち、
乳がん検診も受けてみようかな?

せっかく、脳脊髄液減少症で
数々の危機に見舞われ殺されそうになりながら生き延び
治療にたどりつき回復傾向にある自分を、

残りわずかな人生、少しでも長生きさせてあげようかな?

そう一瞬だけでも思ったりします。


最後に

川村カオリさんのご冥福と、

残されたお子様の健やかでたくましい成長をお祈りし、
お子さまの周囲の皆様の暖かなご支援をお願いしたいと思います。

川村カオリさんのブログ

コメント (11)
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