脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

最近のいい傾向 3

2007年05月28日 | ブラッドパッチ後の変化
今日も歩いてきました。
50回目です。

最近のいい傾向を書きましたが、
ここまで、はじめてのブラッドパッチから1年と数ヶ月。
自力で散歩に行きはじめて、半年以上が過ぎました。

体を起こしていられる時間も延び、
移動に車椅子のお世話になることもなくなりました。

月単位の悪化の波にも、動じず、
経過をじっくり見守ってくださった、主治医に感謝しています。

改善したと感じる事柄は、
つまり、以前はそうではなかったということです。

見えない怪我の、見えない症状と毎日格闘していると、
どうしても改善しない、残っている苦しい症状にばかり
関心がいきがちです。

でも、先日、思いがけず、聴覚過敏の症状の改善を自覚して以来、
よく振り返って考えてみたところ、
これだけ最近のいい傾向が見つかりました。

まだまだ、さまざまな症状も残りますが、
回復がどこかで止まるまで、経過を観察したいと思っています。

でも、あいかわらず、
朝、目覚めると手足がしびれています。

かまわず立ちあがろうとすると、
足が立たず、つかまり立ちで、やっと立ち上がります。

まるで、
要介護の高齢者のようです。

いつも背中がずっしりと重く、鈍痛があります。

首や半身がしめつけられる時もあります。

それに、あいかわらず、近くに友達もいず、
精神的にも孤独で、きついです。

一日の中でも、調子に波があり、
今日は午前の散歩時とは別人のように
動けなくなり、横になりました。

まだ、漏れているのかもしれません。

2度目のブラッドパッチは、保険適用になってからと
待っているのはちょっと辛すぎます。
いつになるかわかりませんし・・・。

でも、改めて振り返ってみると、
たった1回のブラッドパッチのでも
けっこう回復しているようです。

ゆっくりで、気がつかないほどの少しずつの変化ですが・・・。

ブラッドパッチ治療をしてくださった主治医のためにも、
治らない症状だけでなく、治った症状もきちんと意識して気づくように努め、
その事実を医師にきちんと伝えたいと思います。

どんな病気も怪我も、
医師や薬は、回復へのきっかけを作ってくれるだけで、
治すのは、自分の自然治癒力なのだと思っています。

根本原因の脳脊髄液漏れは、
何度かのブラッドパッチできちんと止めてもらい、

あとは、くじけることなく、悲観することなく、あきらめることなく、

「平静の祈り」の言葉のように、

自分で「変えられることは、変えていく」努力をして、
自分の動物としての「自分を癒す力」を
信じたいと思います。

もし、自分の力でも、主治医の力でも、変えられない現実にぶつかっても、
悪化してしまっても、

自分に変えられないことは、そのままに
自分の人生の一部として受けいれたいと思います。

今までも、そうして、生き残ってきたのですから、
できないことはありません。

今与えられている、日常の中にもころがっている
小さな幸せを探し出しながら、

今生きている、この一瞬を味わいながら、
これからも、日々を過ごしたいと思っています。

気持ちが少し前向きになってきたのも、
「いい傾向」でしょうか・・・

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最近のいい傾向 2

2007年05月26日 | ブラッドパッチ後の変化
今日は晴れて朝から暑い日でした。
目のまぶしさと少々の半身のシビレは感じましたが、
家族と公園1周歩いてきました。

49回目です。

土曜の公園は多くの人でにぎわっていました

森の中で、ヒナを育てているらしい白い鳥の巣と、
水の中にいるタガメを見ました。

先日は、道の真ん中をお散歩しているヘビ君にバッタリ会いました。

いろんな動物との遭遇も、脳にいい刺激を与えてくれます。

さて、昨日の続きです。
以下が最近改めて振り返って気づいた、私の体調の「いい変化」です。

 呼吸が楽になってきた。

 体のしめつけ がやわらいできた。

 心臓の苦しさが和らいできた。

 半身の違和感、シビレが和らいできた。

 普通のハブラシで歯を磨くことができるようになってきた。

 お風呂にゆっくり入れるようになってきた。

 きちんとした洗髪が、自力でできるようになってきた。
 横になる時間が減ってきた。(一日のトータル1時間~3時間の日あり。)

 味覚障害が改善し、食事がおいしく感じられるようになってきた。
(特に味覚が鮮明。)

 舌のシビレ、苦さが軽減した。

 頻尿が治まってきた。(春にまた悪化していたのが。

 低血圧が改善し、上が100を越える日が多くなってきた。

 胸が大きくなってきた。

 目のまぶしさ が以前より改善して、サングラスの使用頻度が少なくなってきた。

 電話、ドアチャイム、メール、FAXなど、外部からの接触に対し、異常にドキッとして精神的に負担だったが、だんだん人との接触が苦痛ではなくなってきた。

 火の消し忘れが減ってきた。

 感情の激しい波(激怒、大泣き)がおさまってきた。

 再び、杖の使用頻度が少なくなってきた。(2月に転倒してから再び杖のお世話に。)

 再び、運転して自力で公園散歩に行けるようになった。

 昨年秋に比べ、ほぼ倍の距離を散歩できるようになってきた。

 聴覚過敏が治まってきた。

 鼓膜の痙攣のような、うるさいポコポコ音がほとんどしなくなった。

 最近、口の渇きがなく、唾液がよく出るようになった。

 唾液分泌に伴い、飲み込みづらさがなくなってきた。

 長い年月、あまり出なかった汗が、散歩すると出るようになった。

 泣いた時はもちろん、あくびをした時も涙が出るようになった。

 髪の毛の量が増えた。

 異常な眠気で日中何時間も眠りこむことが少なくなってきた。

 つめが普通に伸びるようになった。

 以前に比べ、読めない、書けない状態が改善してきた。

 以前に比べ、話や文章の「堂々巡り」がなくなってきた。

 車のブレーキで、首が振れた時、吐き気が少なくなった。

 眼振を感じることが、少なくなってきた。

 体のあちこちの小さなピクピクケイレンがおきなくなってきた。

 「不思議な半身マヒ」の出現時、その程度が軽くなってきた。

 ときどき、手の感覚が「ゆうれいの手」から「自分の手」に感じるようになった。

 背中の痛みと首のしめつけ で息が苦しいまま眠りにつく時、
  毎晩口から自然に出た「神様助けてください。」の言葉を
  最近言わなくなっていた。
  つまり、明日死んでいるのでは?と思うほどの
  死にそうな呼吸の苦しさが軽減した。

 生理周期がきちんとしてきた。

 基礎体温のグラフが、きちんと2層にわかれるようになってきた。

静かでない、早い曲でも、イヤでなくなった。(以前はゆっくりした、静かなメロディしか脳が受付なかった。)

 月経時の出血に伴う、症状の悪化が軽減した。

生理痛の激痛がなくなった。

 生理前の高温期の頭の重さがなくなった。
         以前は頭痛もひどかった。
          事故後6年ごろから、頭痛は治まってきたが、頭重感は残った。

元気な人、働いている人、自分に持っていないものを持っている人、幸せそうな人を見ても、心が動揺しなくなってきた。

 寝る前、脊骨にそって、塗っていた、市販の痛み止めゲルを使わなくても寝られるようになった。

 電話で用件をきちんと言えるようになってきた。

 猫背が治ってきた。背筋が伸ばせるようになってきた。

朝の一番はじめの尿が黄色になってきた。
       頻尿時はいつも無色透明。つまり濃縮してきた様子。(6月4日)

運転時、いつもより、スムーズに走れるようになってきた。(6月7日)
       




まだ、あるかもしれません。
気がついたら、追加します。

(つづく)
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最近のいい傾向 1

2007年05月25日 | ブラッドパッチ後の変化
今日は雨なので、散歩にはいけませんでした。

でも、ここのところ、よく歩いています。
2月に転倒してねんざした足首は、やっと痛みが消えてきました。

再び、杖を持たずに歩けるようになりました。
今度は転ばないように気をつけます

20日の先週の日曜は家族と公園を歩きました。

日曜の公園は、平日とはまったく違った表情をしていて驚きました。

お天気もよく、大勢の人々が思い思いに新緑の公園を楽しんでいて、その賑わいと活気はまるでリゾート地にいるようでした。

平日の閑散とした公園しか知らなかった私は、
休日の公園は別世界に見えました。

その後も、3日連続で公園歩いてきました。

昨日は天気もよく、朝のうちに散歩してきました。
昨日で48回目です

でも、午後から、目がショボショボしてきて、夜には
おなかの皮膚が、触れるだけで痛い「繊維筋痛症」状態に・・・
夜はダウン。

今朝は、まだ、少し痛みがおなかの皮膚に残っていて、下着が触るだけで
ビリッとくる感じがして、そおっと着替えました。

そのうち痛みが治まってきたので、(こういう変化が自分でも不思議
様子みながら、家の中でストレッチ運動を約1時間しました。

症状に波はありますが、
5月に入ってから、全体としていい調子です。

昨年末から、今年4月ごろまで、
季節の変わり目もせいか、気圧の変動のせいか、
お天気の激変のせいか、とても低調でした

全国的にも、今年の春は、多くの患者さんが悪化したようです。

私は4月の中旬ごろから、持ち直し、
5月ごろからぐっと楽になり

呼吸困難や、体の締め付けも和らぎ、
波はあるものの、全体的に昨年よりはもちろん、
今年の1月~4月より、症状は治まっていい傾向にあります。

月の単位でいい状態の中にも、
週のうちでも、一日のうちでも症状の日内変動があり、

天候によっても、生理周期によっても、
症状の波があり、
毎日すべていい傾向のみではありません。

ひどく悪化したような症状が一時的に出ることもあります。

でも、最近、聴覚過敏の改善に気づいたように、

食べている時、お風呂に入っている時、歯を磨く時などに、
ふと「あれ?」
以前と違う、いい傾向の自分に気づいたことが何度かありました。

その、最近のいい傾向を、
忘れないうちに書き留めたいと思います。

(つづく)
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平安の祈り

2007年05月19日 | アファメーション
神様、お与えください。

自分に変えられないものを、受け入れる落ち着きを・・・

変えられるものは、変えていく勇気を・・・

そして、その二つのものを見分ける、賢さを・・・






この言葉は、

私が交通事故の目に見える後遺症と
「脳脊髄液減少症」とはまだわからない不可解な症状の数々と、
それが招きよせる、人生の試練にあえいでいた時、

とある病院で、偶然出あった社会福祉士で精神保健福祉士の方が
私に教えてくれた言葉です。

この言葉の、作者は知りません。

ここでいう神様とは特定の宗教の神様ではなく、
自分を包む、宇宙のような、偉大な存在の意味のようです。

ずいぶん、この言葉に助けられました。

この言葉は、
アディクション問題を抱えた方がた(拒食、過食、自傷、ギャンブル、買い物、アルコール、ドラッグ、暴力、恋愛、などの嗜癖問題に苦しむ方がた)が、

依存を抜け出し、自分を大切にして
回復していくためのグループミーティングなどの際、
「平安の祈り」として使われていたものです。

私は、この言葉を、
「変えられない過去や、変えられない人を変えようとして、
もがき苦しみ、
自分に残された限られたエネルギーを無駄に使うより、

変えられる自分、変えられる未来、
変わる可能性のある人や事柄を変えるために、
その限られた自分のエネルギーを有効に使うこと。

そのためには、
変えられるものと、変えられないものの二つを、
きちんと見分ける賢さが必要。」

という意味に受け止めました。

自分の体と、自分のこれからを大切にして生きるために、
アディクション問題を抱えた方がたが、
この言葉を何度も自分に言い聞かせて回復を目指していたように、

私もこの言葉を自分に言い聞かせて、
必死で生き抜いてきたことをふと、思い出しました。

最近は目の前の苦しさに、その時のことを忘れていました。

改めて、自分に言い聞かせたいと思います。

 いたずらに、自分のエネルギーを浪費して、
疲弊し、心傷つくことなく、

いつも、
心が平安でいられるように・・・




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元気そう?  3

2007年05月18日 | つぶやき
昨日は雨でした。
朝の血圧は上が86、下が48で、低血圧でした。
何度計ってもその辺の値でした。

最近調子がよく、上が100を越えることが多かったので、
昨日はちょっと低すぎでした。

今日は晴れです。
朝の血圧は上が113、下が69でまあまあです。

動けるうちに、公園2周杖なしで歩いてきました。
44回目のリハビリ散歩です。

今日はちょっと目がまぶしく、
サングラスを時々使用しました。

さて、
見た目、「元気そう」って見られることの、
複雑な気持ちの続きです。

最近の回復期に、また違った形で「元気そう」に見られることの不利益を
感じました。

ブラッドパッチ治療を受けてから、回復し始め、
少しずつ外出できるようになってきた時、
私は一時的な元気な姿を、人に見られることで、
さらなる誤解にさらされることに気がつきました。

調子よくスタスタ歩いている時の私は、

たまたま調子のいい日の
24時間のうちの朝起きてから、3時間以内の、
さらに、たった1時間の間だったりします。

でも、そういう私を目撃した人は、
その元気で調子よさそうな私の状態が、
24時間、毎日ずっと続いていると思い込むことでしょう。

しかし、実際は家に帰る車中は、
もうすでに、脱力する腕で、必死の運転だったりします。

家に帰って数時間眠り込んでしまったり

午後から夕方にかけて、半身マヒのような状態になったり
足ももつれ、膝折れし、家で転倒するほどの状態になったりします。

両手両足の脱力と、
体全体がナヨナヨとしぼんだ風船のような状態になり
呼吸困難で苦しくて、動けなくなっていることもあるのです。

そんな私を、外部の人は誰も目にしません。

そのため、
「元気なのに、仕事をやらずに家でひきこもっている。
精神的な病?。地域の役さえ、やりたくないから、
病気を理由に逃げている?。
都合の悪い時だけ、病気を装っている?。」

などと周囲の方がたに思われてしまうこともあるようです。

実の母にさえ、一度公園リハビリに付き合ってもらって、
スタスタ歩く私を見て以来、
不調で動けず、苦しくて助けを求めても、

順調に回復しているんじゃなかったの?
あの公園歩いた姿は何だったの?
お母さんは先生(ブラッドパッチした主治医)にあなたのことまかせてあるから、
もう安心しているのに。」と
けげんそうに言われました。

まさか、同じ日に、半身マヒ状態や、寝たきり脱力状態になって、
さまざまな不定愁訴が出て、
タオル一枚たためない状態になるなど、

「脳脊髄液減少症」の過酷な症状の実態を知らない医師や、健康人には
想像もできないことでしょう

無理もないこととは思います

でも、
肉親にまで症状の波が理解されず、
見た目「元気そう」にしか見えない、この病気の理解されづらさを、
ひしひしと感じ、

世界中でたったひとりぼっちになってしまったかのような
寂しさと孤独を感じて悲しくなります。・・・・・・・

信じてくれない人も体験してみれば、本当にこういう病態があることが、
一発で理解できるはずなのですが・・・。

やはり、人は身を持って体験したことからしか、学べないのでしょうか?

でも、人の持つ「想像する力」も信じたいと思います。

多くの人が、脳脊髄液減少症のつらさを想像して、
暖かな思いやりの手を、差し伸べてくださる日がくることを
心から願っています。

(まだつづく・・・


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ミミズと再会

2007年05月16日 | 四季の風景
きょうも公園リハビリ散歩してきました。
43回目です。

昨年の今ごろは庭にさえ出ず、
ほとんど家の中に引きこもりの日々。

誰もこない、ひとりぼっちの日々・・・。
・・・今もですが・・・

昨年の今ごろの私は、
ブラッドパッチ後の、一時的な悪化というか、
ブラッドパッチ前の元の状態の戻ったような苦しい状態で、
寝たり起きたりの日々でした

その上、目のまぶしさがひどく、カーテンを閉め切って、
さらに、室内でサングラスもするほどでした。

庭にもめったに出ず、
もちろん、ブログなんて書く気力も体力もなく、
同病の方のブログを訪れるのがやっとでした。

人とのネット上での接触も怖く
コメントを書くのさえ、ためらわれ、
なかなか一歩が出せませんでした。

そんな私が、こうして、ブログを書き、
皆さんとお話しているとは・・・・
自分でも驚きです。

これも、皆様のご支援はもちろん、

ブラッドパッチの、
目には見えない効果かもしれません。

脳機能向上による、
精神機能の向上、と、コミュニケーション能力の向上、
そして、生活の質の向上とでもいうものでしょうか

症状も目に見えなければ、検査にでない上、回復も目にみえないなんて
つくづく、
「脳脊髄液減少症」の患者も、
治療する医師も、浮かばれないと思いました。

さて、
おととい、庭で土を掘り返していたら、
ミミズが数匹、土の中から出てきました。

今年になってはじめてのミミズとの再会です。

昨年秋、庭の土中から、姿がみえなくなったミミズ。

以来、飼っているうなぎのえさは、
買った釣り用のミミズでした。

それは、20匹くらいで600円もするので、
むしろ、人間の食用えびの方が安いと、冷凍えびやイカもやっていました。

しかし、うなぎは、喜んで食べてくれません。

しかたなく食べている感じ。

そんな中、ミミズの発生は今か今かと待っていました。

おととい、やっと庭にミミズの姿を発見し、
これで、うなぎのえさに、秋まで困らないとひと安心しました

昨年夏、ほとんど家から出なかった私を、
庭へと誘い出してくれた、ミミズ。

まさにうなぎのえさのミミズ捕りでリハビリしていた、私。

苦しい闘病の日々に家の庭で
うなぎのえさの、「ミミズ探し」というささやかな楽しみ。

なんという、わびしい趣味かと笑われそうですが、
本当に昨年はこのミミズに助けてもらったのです。

うなぎのえさ代節約としても、

ひとりぼっちの苦しい闘病中の
ささやかな楽しみと気晴らしとしても・・・

そして、あまりの苦しさに家にこもっていた私を、
外の光の下へと連れ出してくれ、
外気浴や光療法のリハビリ誘い役としても・・・

本当に、ミミズにはお世話になりました。

日中にミミズ探しで庭に出て、外の光を浴びることは、
体内時計を整える意味でも、
脳脊髄液減少症の睡眠障害や、数々の自律神経の失調状態を改善する意味でも、
いい影響を受けたことでしょう。

それにしても、
ミミズって、今頃発生するのですね。

見つけたミミズはまだ小さいから、
これから夏にかけて大きく成長するのでしょうか?

ミミズは卵で冬を越すのでしょうか?

誰かご存知の方教えてください

昨年の夏、まだ、自力で散歩にも行けなかった時期、
ささやかな楽しみを与えてくれた、ミミズちゃん、

暖かくなって、また現れてくれて、再会できて、うれしいです。
私もおかげさまで、
昨年より、ずいぶん自力で行動できるようになりました。

ミミズちゃん、
すみませんが、また、うなぎのえさになってやってください

まだ、私、
うなぎのえさ代も稼げないもので・・・

追記:
小さいながらも、数匹捕獲したミミズをさっそく水槽にいれると、
うなぎは目にも止まらぬすばやい動きで、ミミズを捕らえ、パクパクと
食べ、半年ぶりのミミズの味を堪能していたようでした。

食べっぷりが、他の物と全然違います。
スキスキぶりが、その行動でわかります。

どんな味がするんだろう?
ミミズの黒焼きが、昔、薬になったと聞くけど、
脳脊髄液減少症にも、効くんだろうか?
ふと、そんな考えが浮かびました。



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元気そう?  2

2007年05月15日 | つぶやき
今日も朝のうちはお天気だったので、公園散歩に行ってきました。
2周歩けました。

今日で42回目のリハビリ散歩です。
9ヶ月間で、42回って、多いのか、少ないのか・・・?

でも、帰ってきてから、さっきまで2時間ほど眠ってしまいました。
しばらく動けませんでした。

ちょっと2周はきついのかも・・・・
様子みながら続けます。

さて、先日の続きです。
脳脊髄液減少症の症状のつらさ、苦しさは
近くで見ている家族にさえ、見た目ではなかなか理解されません。

昔の話ですが、
母にさえ、都合の悪い時だけ具合が悪くなるかのように思われ、
何度、けげんそうな顔で見られたことか。

先日まで調子よく動いていたのに、
吐き気やめまい、頭痛などが急にひどくなり、自力で病院まで行けず、
母の運転で、泣きわめきながら、病院に連れていってもらったことがあります。

その時車の中で、母に言われた、
「この間の、あの元気は何だったの」という
けげんそうな言葉が忘れられません。

当時、生理周期で症状が悪化するのをすでに感じていて、
通っていた大病院の婦人科にいきました。

その日、母の運転でやっと病院にたどりつきましたが、
結局「異常なし」で帰されました。

当時、私だって、同じことを自分に聞きたかった。
「この間の、あの元気はなんだったの?」と。
「なんでこんなに具合悪いのに、異常なしなの?」と。

今考えると、
暑いのに水分摂取が少なくて、脱水気味になったか、
あるいは、長時間立位でいたための、

「脳脊髄液減少症の症状の悪化」と理解できます

症状が出たり消えたり、移動したり、変化したりの不定愁訴は
今思えば、脳脊髄液減少症の特徴で
「脳脊髄液減少症」特有の症状の波だったと理解できます。

しかし、当時の私には知る由もありません。

自分自身でさえ、
「どうして、こんなに体調に波があるのか?」と疑問でした。

先の予定がまったく立ちませんでした。

友達の誘いを受けても、すべて断るしかありませんでした。

当日になって、キャンセルするより、迷惑をかけないと思ったからです。

断り続けるうち、一人二人と友が減っていきました。
気づけばひとりぼっち・・・・。

今も親しい友達はいません。・・・・・・・

脳脊髄液減少症は、患者(被害者)を社会から孤立させ、
「人間関係も破壊する非情な病」だと思います。




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新緑の公園

2007年05月14日 | ブラッドパッチ後の変化
いい天気です。

公園を散歩してきました。
今日は半身のシビレを感じないので、杖を持たずに歩きました。
昨年秋からリハビリをはじめて、ここの公園散歩は41回目です。(たぶん・・

2月に転倒して足を怪我して以来、
花粉症と、季節の変わり目の、春の体調悪化も重なって、
数ヶ月間、なかなか公園散歩に行けませんでした。

最近、気候も安定し、花粉もなくなり、体調がまた上向きになってきたので、
お天気も体調もいい日には、
午前中になるべく歩こうと思っています。

夏に向けて、
体をシェイプアップしたい、女心も出てきました。

公園はすっかり新緑に覆われ、
まるで、初夏の装いでした。

昨年秋の、私のリハビリ散歩に楽しみを与えてくれた
新緑のもみじや桂の木にも再会しました

森では、春セミがにぎやかに鳴いていました。
まるで、夏のようでした。

季節の移り変わりを感じました。

昨年の今頃は、自力で、運転も外出もできませんでした。
長時間、体を起こしていることもできませんでした。

助手席でも、体を倒していなければ、車に乗っていられませんでした。

昨年のゴールデンウイークは
隣町へのお花見でさえ、車椅子をレンタルしました。
歩行移動がわずかしかできなかったからです。

今年は歩いて行ってきました

昨年の今ごろは、
口が苦くて、舌がシビレて、気持ち悪くて、アメばかりなめていました。

今は、口蓋や舌の違和感は時々でるものの、
ほとんど気にならない程度です。

ブラッドパッチして1年たってふりかえると、

脳脊髄液減少症の多彩な症状が、ずいぶんと回復していることに
改めて気づきました。

ブラッドパッチの効果は、年単位で見て、はじめてわかる気がします。

最近のいい変化は、けっこうあるので、
また、後日書いてみたいと思います。



(ここにたどりつくまで、事故から、ン十年の年月が・・・・・
私の人生、返してほしい・・・・。)

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元気そう? 1

2007年05月12日 | つぶやき
きのう、とある方に久しぶりに会い、
「お元気そうで・・・」と言われました。

社交辞令だと思うし、
闘病中の私を励まし、気遣う言葉なのはわかります。

でも、とても複雑な気持ちになりました。
ちょうど、脱力が出始め、だるさや半身のシビレも感じていたからです。

この病になってから、
どんなに苦しい時でも、
「元気そう」と言われるたびに、

「なぜ?こんなにつらいのに、元気そうに見えるのか?」と
疑問が湧きました。

でもよく観察してくれる身近な人は、
本当に具合の悪い時の私は、老婆のように見えるといいます。

具合が悪くなってくると、目が泳いでくるらしいです

でも、そんな時でも、自分の顔を鑑で見ても、
とても自分が具合が悪いようには見えません。

この病はどんなにだるく、苦しくシビレていても、
「健康そう」・・・・
または、「元気な人が病を演じているように」見えるのは、なぜなのでしょうね?


私もよく、健康で元気な人に
「お元気そうで何よりです。」と社交辞令で使います。

でも、その言葉は、病人ではない健康な人に使ってこそ、
意味があるように思っています。

私自身、
「脳脊髄液減少症」の見えない症状で、やっとの思いで生きている時に
「元気そう」と言われた時の、
なんともいえない、複雑な気持ちを体験してみて、

他の多くの病気と闘っている人には、何と声かけしたらいいのかと
考えてしまいました。

改めて考えると難しいです。

まさか、「具合悪そうですね。」という言葉が
患者に「苦しみを理解された。」と思わせるお見舞いの言葉とも
思えないし・・・。


「お元気そうに見えますが、その後体調はいかがですか?」といえば

患者は「実はまだ、症状に波があって困ってます。」とか言いやすいのかもしれません。

「元気そうね。」って決め付けられて言われるから、
反論の予知も与えられず、

「このつらさをわかってもらえない。」と
複雑な思いを持ってしまうのかもしれません。

また、
「きっと見た目ではわからないつらさもあると思いますが、
少しは楽になられましたか?
という声かけなら、

患者は
「実は、まだ不調なんです。」という、
本音の言葉言いやすいかもしれません。

「脳脊髄液減少症」の激しい症状や、
多彩で複雑で、ものすごい苦しさを体験している最中ですら、

見た目では周囲には「元気そう」と言われてしまう、つらさ悲しさ

この病の苦しさが理解されない、伝わりづらいことを、
改めて感じます。

きのう会った人には、
「昨年よりは、お元気そうに見えますが、調子はいかがですか?・・・。」と言われていれば、

私も素直に、「そうなんです、昨年よりはずいぶん楽になり、回復しています。
とうれしい気持ちで返答できていたかもしれません。

言葉って難しいですね。

病気で心まで、ナイーブになっていたり、
傷つきやすい立場の、患者にかかわる医療関係者の方がたは、
充分な配慮ある言葉が必要だと思います。

まだ、病名もわからないころ、

当時は自力で病院まで行けたので、
具合が悪くなると、やっとの思いで受診して、

やっとの思いで待ち時間を耐え、
やっと順番が来て、医師に苦しい症状を訴えても、

「あなたの顔が笑っているから、・・そんな苦しいはずがない。」と
医師に言われたことがあります。

当時、苦しみの原因も、病名もわかりませんでしたが、
(まさか髄液が漏れていたとは・・・)

当時も、つくづく、この苦しみは人にも医師にも
わかってもらえないのだなぁと思い、孤独に打ちひしがれました。

この病の苦しさを伝える難しさは、今も感じ続けています。

それにしても、医師たちは、
特に交通事故にかかわる医師たちは、
医学部で
「詐病患者に注意せよ」とでも教育されているのでしょうか?

詐病患者にだまされることを、警戒するより、
真の患者を見逃さないことの方が、

大切だと思うのですが・・・

つづく・・・・。

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聴覚過敏の回復?

2007年05月08日 | ブラッドパッチ後の変化
今日はいい天気でした。
今も室内の気温が26℃あります。

今日、隣が工事で、パイプをガンガン投げる金属音がしました。

しかし、
うるさいなぁ・・・とは思うものの、
ふと気づくと、

あの「脳脊髄液減少症」特有の
「普通の音が不快な高い波長に変化して、
脳を直撃するような音に聞こえる症状を、
感じないのです。

庭にでていて、
カーンガーンと、パイプ投げる高い金属音、鈍い金属音(普通の人でも不快な音なのに・・・)が

耳と脳を近くで直撃されても、・・・・以前と違う。
耐えられる範囲・・・・・平気・・・。
(以前は食器の触れ合う音ですら、耐えられなかったのに・・・。)

えっ・・・・・

これって、脳脊髄液減少症の「聴覚過敏」が回復したってこと?

でも、こういう回復って、なかなか気づかないかも・・・?

脳脊髄液減少症の多彩な症状たちは、
まるで忍者のように、ぬき足、さし足で、
気づかれないように次々と近づいてくるけれど、

去るとき(回復する時)も、
患者本人に気づかれないように、
抜き足、さし足で、こっそり去っていく感じがします。

残った苦しい症状は常に意識してしまうけど、
無意識なうちに治ってる症状は、
本人すら意識しづらく、気づきづらいようです。

劇的には治らない上、治ったことすら患者が気づかないとしたら、

治らない症状ばかり訴える患者を相手に、
経過観察する「脳脊髄液減少症」治療に取り組む医師たちは、

大変だなぁ・・・・
めんどうだろうなぁ・・・

患者に「治らない!」って思われて責められたら、
浮かばれないだろうなぁ・・・・

本当は、気づかないうちに無くなってる症状があるのに・・・

脳脊髄液減少症治療に取り組む医師たちは、
他の医師に批判されたり、
押し寄せる患者の対応に追われ、休む暇もなく、
大変で、地味な仕事で、
その成果も見えづらく、
やりがいも感じづらいだろうなぁ・・・・・

それでも、研究や治療に取り組んでくれる医師たちは

きっと、苦しんでいる人たちを救ってあげたい、という医師としての気持ちが
大なり小なりあるからなのでしょう。

この気持ちがゼロでは、
こんな大変な患者にきっと手を出さないと思います。

見てみぬふりの方が楽にきまってるもの。

手術で劇的に治ったり、
死が迫った命、助けて感謝される方が、
脳外科医はやりがいあるだろうに・・・

でも、困難な脳腫瘍を手術で治す医師の手も「神の手」かもしれないけど、
ブラッドパッチで、私をここまで治してくださった主治医の手も
私は「神の手」だと思っています。

技術の難易度とか、
患者に緊急性があるとか、ないとか、
生命にかかわるかどうかで「神の手」かどうかが決まるのではなく、

患者を苦しみから救い、
患者に新しい人生を与えた、という意味では
同じだと思っています。

でも、私は、ここまでくるのにブラッドパッチから1年以上かかった・・・・

たぶん、この先また、悪化の波もくるでしょう。
どこまで回復するのか、医師も私も、誰もわかりません。
人体実験中です。

ひとりでも多くの医師の皆様方が、
いまも苦しみ続ける多くの脳脊髄液減少症患者のために、
治療や研究にお力をお貸しくださることを
心から願っています。


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脳脊髄液減少症ガイドライン2007

2007年05月04日 | つぶやき
4月にメディカルレビュー社からはじめて出された、

脳脊髄液減少症ガイドライン2007」を
読み始めました

高次脳機能障害と思われる症状で、
スムーズな連続した読書が今だできない私ですが、
スポット的に読んでいます。

そのつど感じたことを、日々これから
コメント欄に書いていきたいと思っています。

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自動車関連企業の皆様へ 2

2007年05月03日 | つぶやき
繰り返しになりますが、

交通事故で起きるのに、
「見えないケガ」のために、
普通の検査では「異常なし」のために、
医学界で病気と認められない病の「脳脊髄液減少症」の存在を
どうか知ってください

どうか学んでください

厚生省が「病気」と認めなければ、
その治療を認めなければ、医療費さえ健康保険も適用にならないのです。

交通事故の何年にも及ぶ、重い後遺障害でありながら、
今までの患者は、その必死の訴えを医師には真剣にとりあってもらえず、
保険会社はその補償はおろか、医療費さえ支払おうとしないのです

私たちは何もウソは言っていないのに、

一部の悪意ある詐病者の行為を、
すべての不定愁訴患者に最初からあてはめて、
疑いの目で見る傾向が、医師や保険会社に今もあるのです

患者は医療機関をめぐり、検査をしても「異常なし」と言われ続け、
さまざまな病名をつけられ、
症状ごとに薬を処方され、薬漬けになり、
さらに心身のバランスを崩していく・・・・・

方向違いの治療法では回復するはずもなく、
体調悪化はやがて、仕事や家庭の関係性まで破壊していく・・・

やがて、自力で医療機関にいけないほどに、悪化することもある、
本当に恐ろしい「見えないケガ」なのです。

一部の医師たちが、必死に私たち患者を救おうと、
手を差し伸べてくださっていますが、

いまだ多くの医師が、しらんぷりをきめこんで、
苦しむ私たちを救うための行動を起してはくれません。

そのため、患者は思うように住所地で、診てもらうことも、
悪化時の苦しみを軽減させる治療も、
受けることさえままなりません。

日本にいながら、医療難民のようなのです。

保険会社も、被害者の真実の訴えを信じてはくれません。

自動車事故と、この病態の因果関係が科学的に証明されていないからです。
そのため、今までの交通事故被害者は泣き寝入りです。

私もこの病名がわかるまで、
苦しんで苦しんで、そのことに対し、なんの補償も、
なんの適切な治療も受けられずに、誤解されながら、
人生をメチャメチャにされながら生き延びてきました。

あんまりです。

皆さんが造り、売っている車が、
こんな、一見表には出てこない、社会的不幸を作りだしていることを
知っていますか?

命は助かっても、見た目が健康そうなだけに、
健常人と同じ行動を求められ、
生き地獄のような毎日を送っている、
被害者たちの存在を知っていますか?

被害者が、心ない医師や、保険会社や、周囲の無理解に
どれだけ苦しめられているかを、ご存知ですか?

この病名を何らかの方法で知り、
この病態に自分の症状が似ていることに気づき

家族や協力者の助けと、
受診するための交通費、宿泊費、医療費を払えるだけのお金と、
移動  の身体的苦痛に耐えうる患者だけが、

この治療に取り組む、数少ない遠方の医師まで、たどりつけるのです。

思考力の落ちた頭と、思うように動けない体で、
ここまでたどりつける患者たちは、
全体のごくごく、一部だと思います。

それ以外の、多くの事故被害者は、自分の症状の真の原因にも気づかず、
医療に放置され、見捨てられ、

怠け者扱い、仮病扱い、ニート扱い、登校拒否、出社拒否扱い、されて、
社会のやっかいもの扱いされ、

うつ病扱い、別の数々の病名扱いされて、
最後には、問題のある人間と見られ、
放置されているのです。

やっと治療に取り組む医師にたどりついても、
一部の医師に患者が殺到するため、
治療まで、数ヶ月待ち、半年待ち、一年待ちも本当にあるのです。

しかし、待てるような状態でない患者もいます。

私も検査待ち、治療待ちを必死で耐えましたが、
本当にあの世に、吸い込まれてしまいそうでした

治療に取り組んでくださっている数少ない医師も過重労働状態で、
すがる患者も苦しくて必死で、この病態をとりまく環境は本当に大変なのです。

見てみぬふりは、
今までのむちうち症の扱いで、もう充分です。

しらんぷりをしないで、
多くの医師たちに一刻も早く力を、
貸してほしいのです

苦しむ患者のためにも、
過重な労働を強いられている、一部の人の心ある医師を救うためにも・・・

すべての医師がこの病態の存在を知り、学び、

患者が、この病態の可能性について気づくチャンスが増え、
いつでも、どこでも、検査も治療も受けられ、
波のある、非常に苦しい状態に対し、
現代医療の恩恵が当たり前に受けられ、

日常生活がままならない患者には、
社会福祉での生活支援も受けられ、

社会全体で、この問題の抱える深刻さに気づき、
患者を支えてくれるシステムがほしいと願っています。

患者が、高次脳機能障害による事故や、
周囲の無理解や症状の苦しさに耐えかねての自殺で
患者が命を絶つことが
もうこれ以上ないよう、助けてください。

そのためには、
この病態の発生メカ二ズム解明が必要だと思うのです。

研究施設を持つ企業の、
皆様のご理解とご協力が必要だと思うのです。

お願いします。
どうか、この病態を知ってください。
どうか、この病態が自動車事故でも起こることを
衝突実験装置を使って、証明してください。

医師だけの研究では、事故との因果関係を証明するのは
本当に難しいと、
私は強く感じています。



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自動車関係企業の皆様へ 1

2007年05月02日 | つぶやき
国内大手自動車メーカー、トヨタ、ニッサン、ホンダ、や
その他自動車メーカー、JAF、などにお勤めの、

自動車の衝突実験施設
での研究に携わる研究者の皆様へ、

お願いがあります。

私は交通事故被害者です。

交通事故で目に「見えないケガ」を負いました。

その、「見えないケガ」のせいで、
事故からの長い人生を
症状の苦しみに加え、無理解と誤解と偏見にさらされながら生きてきました。

その見えないケガとは、「脳脊髄液減少症」です。

自動車衝突実験にかかわる研究者の皆様の多くは、
まだこの病名をご存知ないかもしれません。

どうか、皆様に、この「見えないケガ」
「脳脊髄液減少症」の存在を知っていただき、

この病態の研究にお力を貸していただきたいと心から願い、
ここにメッセージを書いています。


「脳脊髄液減少症」の医学的研究はこれからです

でも、私は医学的な視点だけではなく、
衝突実験研究者の皆様方のご協力も必要だと思っています。

皆様方が、車に乗る人を事故から守るべく、
今までも、ヘッドレストの改良や、エアバックの開発など、
研究をしてくださってきたことは、
本当にありがたく思っています。

また、最近では、歩行者予知や、危険予知システムなど、

さらに、交通事故による悲劇を減らすべく、
さまざまな取り組みをされていることは、
事故被害者として、本当にありがたく、感謝で一杯です

「人の命」を守る車づくりは大切です。

でも、「人の人生」を、事故被害から守る研究も大切です。

命が助かっても、「見えないケガ」により、
後に命を失う危険もある後遺症である、

「脳脊髄液減少症」の存在を
ぜひ皆様方に知っていただきたいのです。

事故後、じわじわと現れる多彩で非常に苦しい
「脳脊髄液減少症」の症状により、苦しみ続けていても、

なんの補償も、適切な治療も受けられず、
「気のせい」と放りだされてきた、
多くの罪もない被害者の存在を知ってください

その苦しい症状を、
いくら検査しても「異常なし」と言われるため

絶望し、症状の誤解や、無理解に耐えられなくなり、
命を断ってしまいたくなる気持ちは、私はよくわかります。

また、高次脳機能障害も出ると、思考力低下、記憶障害による、
不慮の事故で、
命を奪われる可能性も高くなるのです

その事実を、どうかご理解ください。

交通事故時に命が助かるだけでは、不十分なのです。

見えないケガ「脳脊髄液減少症」の病態解明が進み、
より良い医療と社会的支援を待ち続けている、
多くの被害者がいるのです。

事故後じわじわと、
間接的に命の危険にさらされる
「脳脊髄液減少症」の研究は急務です。

衝突実験にかかわる、皆様方のご協力があれば、
きっと、この研究に取り組む医師の助けになると思います。

まだまだ多くの医師がこの病態の存在を認めてくれません。

ましてや、事故との因果関係は認めてくれません。

真の被害者である患者の必死の訴えを
頭から、疑いの目で見る医師もいます。

ですから、せめて、皆様方は
この病の「存在」だけは、知ってください
学んでください

事故被害者の声に、真摯に耳を傾けてください

交通事故後に起きる、
「むちうち後遺症」と今まで言われ、軽んじられていた中にいた
「脳脊髄液減少症患者」が、苦しんで苦しんで、苦しみぬいて、

仕事も失い、家庭も崩壊し、周囲に怠け者扱いされ、
結果的に自殺や高次脳機能障害による事故で、命を落としてしまうことは、
今後、断じてあってはなりません

交通事故が引き起こした、見えないケガが招く、
2次被害、3次被害を出してはなりません。

事故被害者を、二重、三重に苦しめないでください。

車の衝突で、どうしてそういう症状がおきるのか?なぜそうなるのか?

研究に取り組む医師と、その発生メカニズム解明の研究に
お力をお貸しください。
医師だけの研究での、解明は難しいと思います。

それが、ひいては安全な車造りにも、
人に優しい企業としての
信頼にもつながると思います。

決して企業のマイナスにはならないと思います。

この、交通事故による「見えない深刻なケガ」の存在を
多くの車づくりにかかわる皆様、
衝突実験に携わる皆様に知っていただき、
脳脊髄液減少症研究にご支援いただきたいのです。

友人、知人、家族、に、自動車関連企業にお勤めの方がいましたら、
この「見えない交通事故後遺障害」の引き起こす「認められない病」である
「脳脊髄液減少症」の存在をぜひお伝えください。
脳脊髄液減少症に苦しむ患者を助けてください。

「脳脊髄液減少症」については、画面左のブックマークにまとめてあります。ご参考ください。

よろしくお願いします。


つづく・・・・




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