脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

汗だく体験 2

2007年08月31日 | ブラッドパッチ後の変化
昨日今日と朝から寒いぐらいの涼しさです。

今日で猛暑の8月も終わりです。
明日から9月、いよいよ秋ですね。

さて、この夏の汗だく体験での気づいたことの続きです。

25日も外出した際、
汗だくになりました

汗がでるようになった今
かつての微熱、冷え性という症状も、
脳脊髄液漏れによる体温調節障害だったのではないか?ということに
やっと、気が付きました。

昨年、汗の玉が胸ににじむようになって、
今まで汗が正常に出ていなかったことに、
うすうす気づきはじめていたのですが

今年夏、汗が吹き出し流れ落ちる新たな体験をしてはじめて、
改めて、今までが異常で、
汗の出るようになった自分に気がつきました。

本当に汗だく体験は驚きでした。

気温の暑さや運動で体温が上がると、
一生懸命汗を吹き出させて、
自分の体温を下げようとしている自分の体に感動さえ覚えました。

そういう意味では、
この猛暑が気づきのきっかけになりました。

この夏、必要に迫られて外出した時などのたび、
まず汗をかく自分の体に驚き、
次に大量の汗にまた驚き、とにかく驚きの連続でした。

普通の人にとってはあたり前であった「汗が出る」という現象が、

私の体は今まで正常に機能していなかったことに、
改善されて気づくまで、まったく想像もしませんでした。

私の場合、
脳脊髄液減少症の症状は、長い時間をかけて、
抜き足差し足忍び足の犯罪者のように、
ゆっくりと近づきいろいろな症状が出てきたので、

自分も気がつかないうちに体がだんだんおかしくなっていて、
汗が出ない体の異変に、長い間自分でも気がつかなかったのです。

事故から、昨年までの長いなが~い年月
この、「汗がかけない異常」が単なる体質と思い込んでいました。

もし、ブラッドパッチ治療を受けず、
体が汗がでないままだったら、

自分の体が「見えない怪我」の影響で
汗が出にくい状態に「させられていた。」という事実にさえ、
気づくことはなかったと思います。

今だからこその気づきが、たくさんあるのです。

それを、皆様がたにお伝えしたいと思っています。

汗が出せない症状は、本人もほとんど自覚できないため、
とても気づきずらいと思います。

発熱という症状は、たとえ微熱であっても、
体温計などの普及で、わずかな変化も気づきやすいと思います。

でも、発熱の原因として、
細菌感染とか、炎症等は医師も患者も想像はできても、

まさか、脳脊髄液漏れが原因の
脳機能低下による、体温調節障害だとは、
なかなか気づかず、想像もしないことでしょう。

さらに、
自分の汗が正常に出ているかいないかについては、
汗の量を計ることも
目で確認することもなかなか難しく、

体感が主なだけに、
自分でも本当に気づきずらい症状だと思います。

汗の出方、体感の暑さ寒さは人との違いはなかなか比較しづらいし、

ましてや、医師も、患者が正常に汗がでているか、
なんて考えることも、問診することもあまりないと思います。

を出して体温を下げようとしたり、
寒いとガタガタ体を震わせてて体温を上げようとしたり、
人の体が体温を一定に保とうとする機能は、

脳がいい環境におかれてはじめて、
脳が元気に正常に機能するのであると、
今ならよく理解できます。

でも、ブラッドパッチ治療を受けず、
ずっとあのまま、汗をかけない状態だったら、

自分の体の異常に気づかないまま、
死ぬまで「私は汗をかきにくい体質」と思い込んで終わっていたでしょう。

思い込みは怖いです。

真の原因を見過ごす可能性があります。

時には全く違った視点から、自分の症状を再検討されることを
おすすめします。

今年、夏の公園を歩き、走り
汗だくになったことは、
自分の持つ体の機能を改めて知った日となり、
夏のいい思い出になりました。

最近は気候の変化か、また不調で寝込む日も多いのですが、
歩ける、走れる日もあったのも本当です。

もし、同じような症状に悩み、原因不明の微熱や冷え性の方が、
実は、私のように、脳脊髄液減少症が原因で、
自律神経の異常や体温調節障害を起こしているなら、

漏れをそのまま放置して、
症状だけを、薬や治療でなんとかしようとしても、
根本原因の解決にはならず、症状も改善しないと思います。

回復のきざしのない方は、
「脳脊髄漏れ」という可能性も、ぜひ視野にいれてみてください。

私は、この病名にたどりつくまで
脳も、脳以外の体中をいくら検査しても、
この病態に無理解な医師をいくら複数個所受診しても
最後は「原因不明」と言われるだけでした。

その受診行為自体、検査行為自体が、体の負担となり、
受診によって体を起こしている時間の長さや、脱水につながり、
症状悪化してしまったこともあります。

だからこそ、情報を集め、
自分の症状をよく検討し、
的を絞って必要最小限の医師を受診したほうがいいと
私自身の病院めぐりの体験から思います。

微熱や低体温、異常な暑がり、寒がり、冷え性の症状のある方は、
婦人科や内科を訪れるのも大切ですが、そこで原因がはっきりしないなら、

「体温調節の中枢である脳は元気か?」という視点で
脳脊髄液減少症に詳しい「脳神経外科」を受診してほしいと思います。

私もさんざん婦人科通いしましたが、今思えば、
婦人科疾患ではなく、
体の各部位の総元締めである「脳の置かれている、環境悪化(脳脊髄液の減少)」に原因があったのです。

脳が「くるし~よ~」と悲鳴をあげていたのです。

ご自分の体の出す必死の「SOSメッセージ」を読み取って、
ぜひ脳外科にも相談してみてほしいです。

もし、私のように、暑がり、寒がり、冷え性、のぼせのような症状の原因が
体温の調節機能の総元締めである「脳」にあるのなら、
「脳」が元気になれば症状もゆっくりと治まってくるはずです。

この病態に関しては、本人ですら気づきづらい症状ばかりのため、
たとえ医師であっても他人が気づきようがないのです。

最後に自分を救うのは、決してひとりの医師の「診断名」ではなく、
「自分の気づき」だと思います。

もし、私と似た症状があり、原因不明とか「精神的なもの」と
医師に言われ、一向に改善傾向がないのであるなら、

ぜひ、ご自分の体温調節機能が正常に働いているかどうか?、
その体温調節機能をつかさどる脳は、
いい環境で元気に正常に働いてくれているのか?

暑かった夏の終わりに、
一息ついて、
改めて一度考えてみてはいかがでしょうか?

一見ささいな症状に見える「暑がり、寒がり」「冷え性」「汗がでにくい体質」
の真の原因が
もしかしたら、私のように、

「脳脊髄液漏れ」によるものかもしれませんから・・・




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残暑お見舞い申し上げます。

2007年08月27日 | 小さな幸せ
残暑の厳しい毎日ですが、
皆様お元気でお過ごしでしょうか?

私は、体調の激しい波があり、寝たり起きたりしながらも、
体調のいい時を見計らって出かけては、
暑い夏を楽しんでいます。

先日、あまりにも蒸し暑く、
扇風機が熱風を出しているように感じた日、

思いがけず、散歩に誘われて、
ある場所から10分ほど歩き、
生まれ育った地の湧き水を飲む機会がありました。

幼いころ、よく遊びにきた、澄んだ水の湧き出る場所。

そこは今から100年ほど前は有名で、大勢の人に親しまれ、
にぎわった歴史ある場所。

でも、そんなことなど、まるで夢のように、
今は訪れる人も少なく、ひっそりと静まりかえっていました。

当時の建物もなくなり、環境は変わっても、
こんこんと湧き出る清らかな水だけは、当時と変わらないようです。

水面の盛り上げっているところ(写真右上)から、
コポコポと水面から盛り上がるように湧き出る水を
手ですくって飲んでみました。

目が覚めるように冷たく、澄んだ味でした。

普段飲んでいる水道水とは全く違う、
まろやかで、なめらかで、清らかなおいしい水でした。

手を入れると10秒もすると痛くていれていられなくないほどの冷たさでした。
端のほうですくって顔を洗いました。

タオルを濡らして、首筋や腕や体を拭くと、
猛暑でじっとりとにじんでいた汗が、すーっと引いていきました。

この清らかな水を毎日飲めば、
常に脱水ぎみの
脳脊髄液減少症の私の体を潤し、癒してくれそうな気がしました。

今住んでいる土地の水道水はとてもまずいので、
浄水器を通した水を煮沸して、さらに麦茶にして
味と香りをつけてごまかして飲んでます。

脳脊髄液減少症の患者は、まずい水道水より、
自然のおいしい清らかな湧き水を
毎日、好きなだけ、思いっきり飲めたなら、
回復も早いのかもしれないなぁと思いました。

水の湧く場所というのは、何かマイナスイオンのような
何か空気中に癒しの物質がただよっているような感じで
そこにいるだけで、心地よく感じました。

しばらくそこにいて、水を飲んだり、体を冷やしたりしていたら、
涼しくなったせいか、なんだか気分よく、
体調さえよくなってくる感じがしました。

短い時間でしたが、
自然の癒しの力を感じた
とても気持ちのいい散歩になりました。

なるべく薬に依存せず、
自然の力をできるだけたくさん借りて、少しずつ元気になりたいと思っています。
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汗だく体験 1

2007年08月22日 | ブラッドパッチ後の変化
毎日暑いです。

昨年のちょうど今ごろの8月19日の記事にも今まで自分が汗が出ていない状態にあったことについての気づきを書いたのですが、

今年は、
「汗が流れるように出るようになった。」
自分の体の変化に新たに気づきました。

8月9日のことです。
家族の用事で早起きしました。

朝から気温が上がっていましたが、
その日はいつもより、過ごしやすい朝でした。

ひさしぶりに「公園に行きたい」という気持ちになり、
自分の気持ちに素直に従って
朝8時半ごろ歩いてきました。
たしか59回目の公園リハビリ散歩です。

その日はなぜか体が軽く感じ、飛び跳ねたいような気持ちになり、
坂道だったこともあって、タッタッと走ってみたら、
100メートル、200メートルと走れるのです。

歩き、また、走り、で
トータル5回くらい繰り返したので、500メートル弱は走った気がします。

ひさしぶりだったので、
無理のないよう、いつものコースより小回りに歩きました。

歩いていると、額になにか触れる感じが・・・・
なんだろうと思っていると、
額を流れる汗でした。

こんな感覚は交通事故以来、もう何十年も忘れていたので、
最初は「汗が流れる感覚」ということに気づきませんでした。

汗の流れる皮膚感覚が、

皮膚の上を虫が、はうような、   
何かが皮膚を伝うような、
何かが触れるような、なでるような、そんな風に感じました。

汗が流れる感覚は、長い間忘れていた、とても新鮮な皮膚感覚でした。

歩きながら、持参した2本の500ml入りペットボトルの麦茶
すべて飲み干しました。

飲んでも飲んでも汗は流れ
気づくと、額だけでなく、首から胸から汗だくです。
首にまいたタオルもしめってくるほどでした。

車にはさらに1本、スポーツ飲料も持参してありますが、
それは飲まずにすみ、
具合が悪くなる前にと一目散に家に帰りました

自宅に戻り着替えると下着もびっしょりです。
さっそくシャワーを浴び着替えました。

その後も、この夏、暑い最中にどうしても用事があり、家族と出かけた際、
ダラダラと汗が流れる自分の体に驚きました。

今までの自分は、どんなに暑くても、汗がにじむ程度で
「流れる汗」というのはほとんど記憶にありません。

「滝のように汗が出る」という表現は、
こういう時に使うものなのか、と思いました。

あんなに何年も汗がでなかった体が、
汗だくになる体に変化したのは、
やはり「ブラッドパッチ後の変化」としか思えません。

だって、私は他に特別な治療は受けていませんから・・・。
特別な薬も飲んでいませんし・・・。

脳脊髄液減少症と気づく前、
あらゆる科の医師の診断で考えられる処方薬や漢方薬、
マッサージ、針、灸、健康補助食品など、いろいろためしましたが、
こんなに汗が出るようになることなど、ありませんでした。

「脳脊髄液減少症」と気がつかなかった数十年の間、
汗が出ないのは、
私がそういう体質だからだと思い込んでいました。

周囲でダラダラ汗かく人を、
「お化粧が崩れて大変そうだなぁ」
「太った男性の汗だく姿は見ているだけで暑苦しいなぁ」などと
冷ややかな目で見ていて、

汗だくにならず、
「いつも涼しい顔をしているね。」と人に言われる自分の体質が
ちょっと自慢でもありました。


でも、汗がでないということは、生体にとってとても危険なことで
「体温調節機能の低下」による影響だとは、不覚にも気づきませんでした。

汗がダラダラ出る人が正常で、汗がでない自分が異常だとは
思いませんでした。

交通事故後の私は
異常に冷房に弱く、寒がり、暑がりで、周囲に首をかしげられました。
原因不明の微熱も低体温も、ほてりも異常な冷え性も、
おかしな症状をいろいろ体験してきました。

冷え性の漢方もいろいろ試しました。
しかし、今ほどの効果はありませんでした。

夏でも普通の冷房の会場には寒すぎていられませんでした。
冷房された公共の会場は、いつも長袖で周囲の人の快適な温度とつりあうのです。

は人より厚着で、
皆と同じ暖房空間で快適温度がつりあうのです。

寝る時も寒い寒いと雪だるまのようにフリースを厚着して、湯たんぽや電気毛布のお世話になって家族にあきれられました。

今思えば、人より、体温調節機能が衰えていたのだと思います。

交通事故後数年間は足先が冷えて冷えて、なかなか寝付かれませんでした。

健常者は寝る時、自律神経の副交感神経優位になり、
足先がポカポカしてきて眠くなることから、

そのころの私は、自律神経もおかしくなっていて、
正常に機能していなかったものと想像できます。

不眠に悩む方は、安易に睡眠薬に頼る前に、
この時の私のように、
体が「交感神経から、副交感神経にうまく切り替われない状態にある。」のかどうか考えて、もし、その傾向があるなら、
ぬるめのお風呂に入ったり、副交感神経優位になるような工夫をためしてほしいです。

私はその後、副交感神経優位になるような生活の工夫をためして、
薬は使わず、眠れるようになりました。

これらの体の異常が、
まさか脳脊髄液漏れが原因と思われる、
「脳機能低下による体温調節障害や自律神経系の失調」だとは、当時は気づくはずもありません。

昨年夏、いつもより汗が出る自分の体の変化に気づき、
はじめて、今まで汗が正常に出ていなかったことに気づきました。

それに気づいた瞬間
長年の不可解な症状の謎が解けた思いがしました。

だから、「汗をかかない」というささいな症状や、
異常な冷えとか、冷房に弱いとか、微熱とか
寒がりとか、肩こりとか、目の奥の眼精疲労のような痛みとか、
生理不順とか、慢性疲労とか、頭痛とか、前頭部がヘルメットをかぶったように重いとか、体のあちこちの不可解な痛みとか、
一見どこにでもある、ありふれた不定愁訴の症状の影に

「脳脊髄液減少症」が隠されていることもあることを、
ひとりでも多くの方に一刻も早く知ってもらいたいと思っています。

そして、今の主治医のつけた「病名」だけを鵜呑みにしないで、
もし、今の治療で治る気配がないのであれば、

まったく別の視点でご自分の症状を再検討してみて、
もしかしたら、
「脳脊髄液漏れ」という別の病態が原因かもしれないことに
一刻も早く気づいてほしいです。

そして、専門医の
セカンドオピニオンやサードオピニオンを聞いてほしいと願っています。

さんざんドクターショッピングして、たどり着いた医師に
やっともらった「病名」が、また違っていたなんて
考えたくもないでしょうが、

医師だって人間です。
知らない病態の病名はつけられないのですから・・・・。

脳脊髄液減少症の詳しい症状を知る医師はまだまだ少数です。
「原因不明」の「不定愁訴」という似た症状に、
別の病名つけられている方がたがいる可能性があると
私は思っています。

とても心配です。

私のように、動けなくなって、起きていられなくなるまで、
気づかずにいると大変ですから・・・。

自力で受診できなくなってから気づいては、
協力者がいない限り、
脳脊髄液減少症専門医を受診することすら大変困難になりますから・・・

すでに別の基礎疾患が判明している方も、
すべて基礎疾患のせいにしないで、
「脳脊髄減少症」に似た症状はないか?、
転倒やスポーツ事故、交通事故後に症状が悪化した経験はないか?、

基礎疾患と同時に「脳脊髄液減少症」も起こしていないか
再検討してほしいと思っています。

少しでも早く、少しでも症状が軽く動けるうちに・・・

(つづく)

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えりもの灯台まつり

2007年08月16日 | つぶやき
森進一さんの歌う「襟裳岬」の歌詞には

「えりもの春はぁ~。何もない春ですぅ~。」ってあるけど、

えりもの夏は「何もない」夏ではないみたいです・・・。花火もあるし・・・

えりもの灯台まつり



でも、交通事故の多い北海道では、
おまつりにも行けないで苦しんでいる
「脳脊髄液減少症」の被害者や患者たちがたくさんいることでしょう。

交通事故ではなくても、
転倒や転落事故、スポーツ事故など、
なんらかの衝撃を体に受けて、実は体の内部に
「脳脊髄液漏れ」という怪我を負っているのに、
誰もそのことに気づかず、

同時に負った、血が出たり、皮膚が裂けたり、骨折したりと
「目に見えたり、X線検査でわかる怪我」は真剣に治療してくれても、

目に見えない、検査に出ない症状は、
「原因不明」とか「精神的なもの」とか言われたり、
または、「他の病名」つけられて、
治らず、苦しみ続けている方がたがいるはずです。

(私も事故後、目に見える怪我だけを治療され、見えない怪我は「気のせい、精神的なもの」とまともに向き合ってもらえず放置され続けました。)

一人でも多くの方がたが
「脳脊髄液減少症」という病態が存在することを
知ってもらい、
原因不明とされて、治らない方に「もしや?」と、
最後考えてもらいたいです。

患者自身の気づきより何より、
一刻も早い、医師の皆様のご理解とご支援もいただきたいと思っています。

「脳脊髄液減少症」に理解を示し、ご自分の専門分野での知識と経験を
なんらかの形でこの病態の治療と研究に生かしてくださる医師の方がたが、
北海道にも、全国にも、
もっともっと増えてくれますように・・・。


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交通事故被害者の皆様へ

2007年08月13日 | つぶやき
東名高速道路で玉突き事故という悲しい事故 をテレビニュースで知りました。
(参考↓)
産経スポーツ
日刊スポーツ

海へ出かける途中で渋滞で停車中、後ろから追突され、
後部座席で亡くなられた
お母さんと赤ちゃんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

また、同乗していて前の座席で助かったご主人とお子さんの容態や心中を思うと、
胸が張り裂けそうです。

命は助かっても、この「脳脊髄液減少症」になってしまって、
闘病や無理解でさらに苦しむことのないよう、祈るばかりです。

私は交通事故  のニュースをテレビで知るたび、
軽症とされた方がたの中に、実は、
重症ともいえる「脳脊髄液減少症」をじわじわと発症する可能性のある
体の内部の見えない怪我を負っている人がいるのではないかと
心痛めています。

今回の事故で、追突したバスに乗っていた乗客の皆さん、
玉突き事故に巻き込まれた被害者の皆さん、
そして、すべての交通事故被害者の皆さん、
どうか今、見た目に怪我がなくても油断しないでください。

交通事故や転倒など体に受けた衝撃で起こる、見えない怪我である
「脳脊髄液減少症」という怪我もあることを、ぜひ知っておいてください。

今、たとえ一人の医師の判断で「軽症」と診断されたり、
自覚症状がほとんどなくても、

1ヵ月後、2ヶ月後に
異常な眠気や不眠などの睡眠異常、激しい倦怠感、だるさ、首や背中の痛み、肩の異常なコリ、ふわふわめまい、ゆらゆらめまい、微熱、吐き気、頭痛、頭重、耳鳴り、思考力の低下、全身のさまざまな種類の痛み、など、
一般的な検査をしても「異常なし」と言われる症状が出てきたら、

「脳脊髄液減少症」を疑って、脳脊髄液減少症専門医を受診してください。
私はRI検査で脳脊髄液漏れとわかりました。

気力がわかず、何もやる気になれず、「うつ病」と間違われることもあります。

整形外科で、「軽症」と診断されても、症状が続くなら、
ぜひ一度「脳外科」を受診してください。

でもたとえ「脳外科医」であっても、
脳脊髄液減少症の病名だけ知っていて、
詳しい症状を知らない医師もまだ大勢います。

それはこの病態がまだ、医師の間で充分認知されていないからです。

ぜひ、
脳脊髄液減少症に詳しい病院や医師を探して、受診してください。

脳脊髄液減少症治療に取り組む医師はまだ少なく、
現在治療する医師に患者が殺到し、全国の治療施設も医師も
大変受診しずらい状態だと思いますが、

近所に理解ある医師がいるなら、その医師の治療と協力を受けながらでも、
あきらめないで受診待ちして相談してみてください。

今までむちうち症で全治2週間などど軽んじられてきた被害者の中に、
その後何年も何十年も苦しみ続ける
「脳脊髄液減少症」という体の内部で見えない怪我を負っていた例があります。

私もその被害者の一人です。

事故から時間がたてばたつほど、さまざまな症状が出現し、
重症化します。

一般的な検査をしても、異常は見つかりません。

悪化すると、体を起こしていることさえ、苦しくて難しくなります。
思考力の低下、記憶障害などもでます。

放置すればさまざまな症状で2次被害3次被害を生む恐ろしい病態です。
早期発見、早期治療がとても大切だと自分の体験から感じています。

脳脊髄液減少症は、外傷としては目に見えない上、
症状が事故後すぐではなく、じわじわと時間差で現れることも多いため、
本人すら、事故との因果関係に大変気づきづらい、
非常に理不尽な怪我後遺症なのです。

くれぐれも事故後のささいな症状を、見逃さないでください。

私が最初に感じた自覚症状は、
事故から1ヶ月後から数ヶ月後に現れていた

「異常な眠気」だけでした。
それは、一日中眠くて眠くて夜以外にも、昼間から夕方まで、何時間も眠ってしまう傾眠症状でした。

今思えば「脳脊髄液漏れ」で脳が危機を感じ、また脳脊髄液減少により
脳機能が低下して起こった「異常な眠気」だったのだと私は考えています。

これが「交通事故」による怪我のせいだと、
どうして当時の患者自身が当時気づけるでしょうか?。

世界中の一人の医師も、「交通事故で起きる脳脊髄液減少症」の散在に気づいていない時代の交通事故被害者は、多くが「保険金目的の仮病扱い」されてきたことでしょう。
私自身も、あの時代に事故に巻き込まれた不運とはいえ、
症状を医師にも信じてもらえず、
「気のせい」「あんたの性格のせい」と冷笑され、放置されてきたのは、悔しいです。

次に自覚した症状が約1年後からの「異常なまでの肩のコリ」でした。
頚から肩、肩甲骨の下がコチコチの板のようになる激しい肩こりで苦しみ、
針やマッサージに通いました。
まさに「頚肩腕症候群」状態でした。
しかし、針やマッサージで一時的によくはなっても、すぐ元にもどってしまいました。整形外科で治療を受けても、決して治りませんでした。

「脳脊髄液漏れ」を止めずにそのままにしていては、
いくら治療を受けても薬を飲んでも治らないのは当たり前だったと、
今になって、やっと気づいています。

症状が頭から足先までの全身と、精神状態にまで及ぶため、各診療科を受診すれば
その受診した医師ごとに、さまざまな病名がつけられてしまいます。
その診断名を信じて、どんな治療を受けても一向に治りません。

現代医療は臓器ごと、体の部位ごとの縦割り医療です。
だから、全身に及ぶ病態は原因がつきとめづらいのです。

ほとんどの医師は症状を訴えて受診してくる患者に対して、
自分の専門分野の臓器や身体各部位ばかりしらべて、
その臓器や精神をコントロールする中枢である「脳」という存在を
忘れているかのようです。

脳を浮かべている脳脊髄液という環境がいい状態か?悪い状態か?
(脳が正常な量の脳脊髄液に浮かんでいるか、そうでないか?)などの視点で
症状を診てくれる医師はかつては皆無に等しかったのです。

脳がおかれている環境がなんらかの原因で悪い状態になっていれば、
その部下である身体各部位や、精神状態が
健康な状態を保てるはずがありません。

それを、身体各部や精神に作用する薬を飲んだところで、
ただでさえ、悪化した環境におかれている脳を
さらに薬物で無理やり変化させようとして苦しめる結果になりかねません。

医師も患者も、症状の根本原因に誰も気づかず、
各部位の症状に振りまわされて、治そうとやっきになっても、
治らなかった意味が、私は事故から長い時間を経過してやっとわかりました。

医師も、患者も
自分の体と精神のコントロール中枢が「脳」にあることを忘れないでほしいです。

それを忘れて、各身体部位だけの症状に気をとられていては
真の原因を見逃すこともあります。

この病態に関することは、このブログのブックマークにまとめてあります。
また症状の一部はカテゴリーの「症状の説明」に書きました。
似た症状がないか参考にしてください。

どうか、私のような交通事故被害で、
長年「精神的なもの」「気のせい」扱いされ、放置され、
きつい激しい多彩な症状だけでなく、周囲の無理解にも苦しむ被害者が
これ以上出ませんように・・・・


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ブログ開設、1周年

2007年08月08日 | つぶやき
今日で、ブログを始めてちょうど1年がたちました。

数字の「八」の字のように、末広がりに、
「脳脊髄液減少症」という病態の認知が広がっていくようにとの願いをこめて
昨年の今日、八月八日にブログをはじめました。

私がブログをはじめたわけについては、
昨年の8月9日と、 

昨年の8月14日に書いてあります。

ブログ開設前から、おつきあいくださった患者仲間の皆様方、

ブログを始めてから、来てくださった皆様方、

理解しようとして読んでくださった、同じ患者の皆様方はじめ、
一般の皆様方、
医師の皆様方、
医療関係者の皆様方、
マスコミの皆様方、

ありがとうございました。

そして、
診断名は違っても、同じように、
医師や周囲の「無理解」や「複雑な症状の苦しみ」を抱えている皆様方、

おそらく、パソコンを見るのも書くのもつらい中、
励ましや応援、共感のコメント書き込んでくださった皆様方、

私の、心身共に不安定な状態の中での記事や、
脳機能の障害による、
とりとめのない、まとまりのない長い文章や、感情的な文章に
おつきあいくださったすべての皆様方、

本当にありがとうございました。

おかげさまで、途中休み休みでも、1年続けることができました。

私の拙い文章でも、
一患者の生の声が社会にわずかでも届けば幸いです。

当初は3ヶ月のつもりで書きはじめました。
根気が続かなかったので、3ヶ月が限度だと思っていました。
それが驚いたことに1年続きました。

いつも調子がいいわけではなく、
「もうダメだ。」と思うような日もあって、
家事や、自分の世話や、リハビリ散歩をこなしながら記事を書き、
絵を描く作業は想像以上にエネルギーを使いました。

それでも、なんとかこなして1年も続けられたことに、
自分でも驚いています。

ここまで続けられたことは、症状が以前より回復しただけでなく、
楽しみながら書いてこれたからだと思います。

苦痛だったら、たぶんこれほど続きませんでした。

体はしんどくても、楽しく続けてこられたのは、
おつきあいくださった皆様のおかげです。

無事、目標を達成でき、ほっとすると同時に、
皆様への感謝の気持ちで一杯です。


私は確かに孤独な患者でしたが、
同じ患者さんとの交流がしたくて、ブログをはじめたわけではありませんでした。

「この病気の存在を、自分の体験を、一人でも多くの人に伝えたい・・・。」
ただそれだけでした。

でも、計らずも多くの同じ「脳脊髄液減少症」の患者さんや、
似た苦しみを抱えた患者さん方に
ブログを通じて知り合えました。

皆さんの存在を知って、
「苦しいのは自分ひとりではない」との思いが湧き、
ずいぶんと励まされ、心癒されました。

長い長い年月、苦しみと医師や周囲の無理解にさらされ、
人間不信になり、人との交流を避けてきた私にとって、

この1年は、「人って、人生って、捨てたもんじゃない。」と、
思えるようになり、皆さんから力をいただいた1年でした。

自らメールアドレスを非公開コメントで送ってくださったり、
暖かなメールをいただいたり、
現実の連絡先を教えてくださったりと、

こんな、どこの誰だかわからないような私に
どうして、信頼して連絡してくださるのか、最初はとまどい、
不思議でした。

でも、そういった方がたの存在が、
閉ざされた私の心をさらにノックし続けて、
刺激してくださったように感じています。
皆様には心から感謝しています。

でも皆様方のご好意にも沿うこともできず申し訳なく思っています。

自分を明かさないまま、
個人的に。皆様と交流を深めることのないまま
ここまできてしまった失礼をどうかお許しください。

私は、自分のエネルギーを、
限られた患者仲間の皆様との交流に使ってしまうのではなく、

社会全体の人々や、無理解な医師たちに向けて、
発信し続けたかったのです。

家事と自分の世話の、残りのエネルギーを
この病態の存在とその見た目からは想像できない苦しさや、
患者の気持ちを、伝えるために使いたかったのです。

日々、生活のほかに、書くためのエネルギーを確保するので精一杯でした。

皆さんと現実に話したりする、心のゆとりも体力もありませんでした。

でも、ネット上での皆様との交流のおかげで、
人との交流のワクワク感も思いだし、
「人を信じる心」も以前よりかなり回復しました。

今も家族以外、一日誰とも話さない状態ですが、
最近ではだんだんと、実際に外に出て、人と交流したくなり、
スポーツクラブなど、体のリハビリと人との交流も兼ねて
何かをはじめようかとまで思うようになりました。

知らないうちに、皆さんが私の心のリハビリをしてくださっていたようです。
ありがとうございます。

最初のころは、不特定多数の方に読まれることの恐怖や抵抗感で一杯で
おそるおそる書いていました。

一部の患者仲間の皆様方にだけ読んでもらいながら、
少しずつ読まれることに慣れていきました。

そのうち、
「同病以外の一般の方がたに、
脳脊髄液減少症の見た目ではわからない苦しさを伝えたい。」

「一人でも多くの方がたに、
この病態の存在を知ってもらいたい。」と思いはじめ、

他の方のブログを訪問して書き込みしたり、
マスコミ等ににメールしたりしはじめました。

そんなどこの誰かもわからない匿名患者の私の必死のメールに
真摯に向き合い、
きちんと実名でお返事までくださる医師や
マスコミ関係者の皆様が何人もいらっしゃいました。

この病態に取り付かれ、今まで無視され、冷笑され、放置されてきただけに、
こんな私に、お返事を実名でくださる方がたの存在が信じられない思いで、
驚き、感動し、ありがたくて涙がでました。

この病気のことを、一人でも多くの人に知ってもらいたいので、
限られた特定の人しか来られない場所に書くのではなく、
いつでも、誰でも、自由に検索して来て、
読んでもらえたらと思ってここに書き続けてきました。

でも、パソコンやブログの環境自体が「来れない状態の方がた」には
どうしたら、この病態の存在をお伝えできるのかと、
心痛めています。

きっと今も、治らない症状をご自分を責めながら、
今も苦しみ抜いている方がたもいると思うと、いたたまれません。

私は原因がはっきりしない数々の症状に、
「そんな症状があるのは、あなたの性格が悪いせい。」
とまで、医師にののしられましたから・・・・

私はRI検査で、脳脊髄液漏れがわかり、
今までの症状は「自分のせいではなかった。」とわかっただけで
本当に救われました。

それだけでも、生き延びてきてよかったと思いました。

だから、こういう病態が存在することを、
もっとテレビや新聞でも報道してほしいと思っています。

ひとりでも多くの人に、教えてあげてほしいです。

いつか、
社会も認知が進み、いつでもどこでも医療援助が受けられるようになったら、
いつか、もっと心も体も回復して、ゆとりが出たら、

私も同じ患者の皆様と個人的にも、メールでも電話でも
もっとお近づきになれる日が来るかもしれません。

もし、その時まで、お互い忘れなかったら、
いつか皆様と乾杯したいです。

その日がくることを、
楽しみにしています。

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掃除機がけ困難 2

2007年08月07日 | 症状の説明
今日も朝から暑いです  

夏バテしないように、朝からしっかり食べました。

今日の朝の血圧は上が115で下が73でした。
私にしては高いです。調子がいい一日になるかもしれません。

さて、きのうの続きです。

私はいつも疲れた状態なので、なかなか掃除ができません。

掃除よりも、
生きるために優先順位の高い、食べること、入浴することなどに先にエネルギーを使わざるをえないため、掃除はどうしても後回しになってきました。

調子のいい日や、調子のいい時間帯に数分間ずつ
ちょこちょこっとやることを重ねることしかできません。

最近は調子がいいと掃除機がけも時々できるようにはなりましたが、
それでも毎日はとてもできません。

以前は、いつもいる居間でさえ、何日も、何週間も、1ヶ月も
ほとんど掃除機がけができませんでした。

以前は居間以外の部屋は寝室でさえも、何ヶ月も掃除機がけができない状態です。

生活のために一日に最低限こなさなければならない家事とか、
自分の食事とか、入浴とか、着替えとか、排泄とか、
そんな生きるのに最低限のことにエネルギーを使い切ってしまって、
掃除機がけとか、かたづけとか、そこまでエネルギーが
なかなか及ばないのです。

掃除機を引っ張り、ホースを動かすという
健康な人にはなんでもない「掃除機がけ」の行為が、
まるで、重く長い縄を振り回す行為のように、重労働に感じてしまうのです。


掃除機のない時代に生きた方がたの掃除の労働を思ったら、
こんな便利な掃除用機械がある時代に生きているというのに、
それすらだるくて使いこなせないなんて、本当に情けなくなります。

掃除機のホースが、
雨でぬれてたっぷりと水を含んで重くなった太く長い綱を持ち上げ動かしているようにずっしりと重く感じ、
すぐに腕や全身の激しい疲労感で、続けるのが困難になり、やめてしまうのです。

掃除機のスイッチを入れて、30秒も動かさないうちに、
激しい疲労感でやめてしまいます。

そのため、一度の掃除機がけで部屋全体を掃除機がけできません。
一度にかけられるのは部屋の一部分だけです。

部屋の一部分を数十秒、掃除機をかけてはやめる、
これを繰り返すことで部屋を掃除してきました。

掃除機のコンセントはさしたまま中断し、
少し休んで、またできる時にスイッチいれて、数十秒掃除機がけをする。
それを何回か繰り返すのが、「私の掃除機がけ」なのです。

調子がよくて掃除ができそうな日は
一日中掃除機を出しっぱなし、コンセントを刺しっぱなしにしておいて、
余力気力が出た瞬間のタイミングにあわせて数秒掃除機がけをします。
そういうことを繰り返す掃除の仕方がここ数年続いています。

だから、掃除機は出しっぱなし、コンセントは刺しっぱなし。

掃除機出しっぱなしのだらしがない人間と
家族は思っていたことでしょう。

とても他人には見せられません。

でも、一見だらしがないようですが、そうするしかなかったのです。

なぜなら、
いちいち30秒とか1分の掃除機がけのたびに、掃除機を出したりしまったり、
コンセント抜いたり、コード収納したりという行為ですら、
激しい疲労を感じてしまうからです。

そういうささいな行為ですら体力を使ってしまうからです。

考えた末、
寝たままコロコロできる、粘着テープのカーペットクリーナを
あちこちに置いておいて、
ゴミが気になった時、寝っころがったまま、コロコロと掃除していました。

これがけっこう髪の毛とかゴミとか取れるので便利なのですが、
うまく動かない手でゴミのついたテープをはがすのが、
また一苦労でした。

最近は調子がいいと、連続して数分間掃除機がけができるようになりましたが、
それでも、隣人の朝の掃除機の、
威勢の良い、何分も何分も継続してリズム良く続く、吸引音を聞くと、

明らかな自分との違いに気づかされます。

普通の人にとって、朝の掃除機がけなんて、
疲れの対象なんかにはならず、
まさに「朝めし前」なんだなぁ、ということに改めて気づかされます。

普通の健康な人は、起きてすぐ、
朝から、ガンガン何分も何分も掃除機を動かすことができるという
そんな当たり前のことさえ、すっかり忘れていました。

いつか私も朝から元気良く威勢よく、
掃除機がけできる人間になりたいと思います。

私のささやかな目標です。(ささやかすぎる

時々、元気で軽やかだったころの自分の記憶をたどり、
体が軽やかで快適だったころを思い出そうとします。

でも、交通事故以来、いつも重く疲れた体の状態にある記憶しか
よみがえりません。

掃除機がけすら、激しい疲労感やだるさでできない人間がいることを、
医師にも一般の皆様にも、ご理解いただきたいと思います。

日常のささいな行為ですら、重労働に感じてしまう人間がいることを、
ご理解いただきたいと思います。

けっしてだらしがないわけでも、怠けているわけでも、
好きでノロノロダラダラしているわけでもなく、
もちろん仮病でもなく、

脳の機能低下と思われる症状で、
自分の体が思うように動かず、

鉛のように腕も足も重くだるく、手足が脱力し、
背中が痛く、体のあちこちがビリビリジンジンしびれ、
時に体のあちこちが重く深く痛み、
時に電流が走るような痛みも出現し、

一口では表現できない、多彩な症状に日々耐えていて、
「動きたくても動けない。「やりたくても、できない」状態にいる人間が
存在することを、
すべての人に知っていただきたいと思います。

私は幸い、
この掃除ができないことでは、家族は目をつぶっているようで、
ときどきしか責められませんが、

もし、テキパキ効率よく動けなことを、
周囲の人々に責めつづけられるとしたら、
どんなにつらいことでしょう。

あらゆることがスムーズにできないことを、「病気のせい」とは理解されず、
その人の性格や人格や、怠慢のせいとされ、
職場や家庭で責め続けられるとしたら、
もはやつらくて生きてはいけないことでしょう。

何らかの脳の機能障害で
そういう状態の方が人知れず苦しんでいるはずです。

もし、そういう方が身近にいたら、
健康な人間の不注意や怠慢と見る前に
こういう病気の人間もいること、一瞬思い出してください。

なんらかの原因がある方と察したなら、
思いやりの目で見て、暖かく手をさしのべ、支援してあげてほしいと思います。

数分の掃除機がけすらできないほどの、
見た目からでは想像できない、普通の検査にもでない、
非常に激しいだるさ、倦怠感、脱力、痛み、重苦しさなどの
深刻な症状を呈する病態が存在することを

一刻も早くあらゆる診療科のすべての医師が認知して、

研究と、よりよい治療法の開発にお力を貸していただきたいと
心から願っています。

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掃除機がけ困難 1

2007年08月06日 | 症状の説明
毎日暑いです。
でも、夏だなぁと感じます。
短い夏をいろいろと楽しみたいと思います。

暑いので朝から窓を開けていると、
毎朝6時半、決まって隣の家から、掃除機の音が聞こえてきます。

私はどんなにだるくても、朝6時半前にはなんとか起きて、
居間に移動し、居間にしいた布団にしばらく横になっています。

そして、次第に体を目覚めさせ、
ゆっくりと体を動かせる状態にもっていきます。

体温をはかり、ゆっくり起きて座って血圧を測り、
起きて水分を取り、
私の朝がはじまします。

その時にきまって、隣の家から掃除機の音が聞こえてくるのです。

毎朝きまって早朝。
朝の掃除機がけが隣の奥様の習慣らしいです

どうやら、夏休みで子供たちが
寝ているうちか、ラジオ体操に行っているうちに、
奥さんが掃除をしてしまうらしいです。

朝、横になりながら、隣の家の掃除機がけの音を聞くのが私の日課です。

その音を聞き終わった後、
自分の腕も重く、他人の腕のように感じる腕を少しずつ動かしながら、
ゆっくりと起き出します。

けっこう音がうるさく、早朝から迷惑といえば迷惑ですが、
私はすでに目が覚めているのであまり気にはなりません。

それよりも、
その音を横になりながらぼんやりと聞くたびに、いつも
「すごいなぁ」と関心しています。

何がすごいって、
朝から掃除機がけできるってことが・・・・・。

私は起きてすぐはひどい低血圧もあり、
起きた時から激しい倦怠感で、トイレにいくのも必死です。

朝はだるくて、テキパキ動けず着替えもできないので、
私は、決してパジャマでは寝ないほどです。

朝起きてすぐ動ける服を着て夜寝ます。

そうでないと、
朝の自分の着替えという行為ですらも、
ただでさえだるい朝のよけいな仕事となり、
負担に感じてしまうから・・・。

私の朝は自分の体を起こすのと、
家族の朝食の準備を時間内になんとか手抜きでするのが精一杯です。

もちろん自分にご飯を食べさせる自分の世話の仕事もけっこう疲れます。

家事は私の代わりにやってくれる人がいないとはいえ、
交通事故の後遺症で立てないころから、足に装具をつけて立ち、
休まずこなしてきました。

やらざるを得なかった、というのが正直なところです。
人は、それぞれに置かれた自分の環境を受け入れなければなりません。

毎朝必死で自分の体を起こし、
健康な人には些細な労働を重労働に感じながら、
朝の家事をこなしてきました。

そういう状態ですから、
起きてすぐ、朝食前に掃除機がけをするなんてことは、
私にはとても無理なのです。

なのに隣人は簡単に毎朝やってのけている。

つくづく、健康人と、
見た目健康そうで、中身は重病人のようなだるさ痛さ、苦しさの状態の
「脳脊髄液減少症」患者との違いを改めて思い知ります。

私にとって、「掃除機がけ」という行為は本当に重労働なのです。

(つづく)

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夏の一日

2007年08月05日 | ブラッドパッチ後の変化
今日も朝から暑いです。

私の夏の一日がはじまります。

ブラッドパッチして1年が過ぎ、
いまだに症状の波はあるものの、

症状の波はうねりながらも、3ヶ月、6ヶ月、半年、1年単位で
次第にその荒々しさと激しさを弱め、

昨年の夏よりかなり動けるようになり、
行動範囲も広がりました。

でも、回復はゆっくりで、自分でもとても気づきづらいものです。

時に悪化したようにもなるため、
日々の苦しさばかりに目を奪われて、
気持ちが沈んでしまうこともあります。

その遅々たる回復を自分で改めて気づくためにも、
皆さんに知っていただくためにも、

今日の夏の一日を
書ける範囲で、また時間を追ってコメント欄でつづりたいと思います



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