脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

死に至る病

2008年10月29日 | つぶやき

患者さんを、おどかすつもりも、

不安をあおるつもりもありませんが、

脳脊髄液減少症は、

死に至る病だと私は思っています。

 

そう思うのは、

自分の今までの経験からです。 

脳脊髄液減少症は

正しく診断され、

早期発見、早期治療がなされれば、かなりの確率で治り、

恐ろしい病態ではないと思いますが、

 

正しい診断、治療が遅れれば、遅れるほど、

症状の真の原因に気付くのが遅れれば遅れるほど、

放置されればされるほど、

いろいろな意味で、(症状の苦しさや、症状が生む失業や経済苦、家庭崩壊、人間関係の崩壊、周囲の無理解による絶望感、

二次的に起こるうつ病、それによる自殺、脳脊髄液減少症の高次脳機能障害による、不慮の事故死なども含め)

死に至る可能性がある病だと感じています。

 

早期発見、早期治療すれば治り、

おそるるに値しない病ですが、

発見が遅れ、治療が遅れれば遅れるほど、

命を奪われかねない恐ろしい病という意味では、

 「脳脊髄液減少症」は

「ガン」に似ていると、思います。

 

そのことに気付けるのは、

この病の死にそうな激しい症状を経験したり、

何十年も病名が判明せず、

周囲に苦しさを理解されず、人生を破壊され続けたり、

事故死しそうになったり、事件や災害を引き起こしそうになったり、

理解して支えてくれる、家族、友人知人、配偶者もなく、

あまりの孤独感と、

あまりの症状の苦しみ、医師や周囲の無理解に、

自殺を考えるほど、

追い詰められた経験のある患者だけかもしれません。

 

脳脊髄液減少症は私の回復経験からも、

これだけ、ブラッドパッチで治るなら、

すでに、治療法未確立ではない

と思います

 

少なくとも私の中ではすでに確立しています。

どうやれば良くなるか、経験から学んで、だいたいわかってしまいました。

治療法は確立されつつあるのに、

それを一部の否定派医師と、

医学界が認めようとしないだけだと思います。

 

私の中では、私自身の治療からの回復の経験が

エビデンス(病気にかかった人に実際に使って確かめられた,この医療内容がいいという証拠そのものに

他なりません

 

患者の生の体験は医学界では

「この治療が良いと思える根拠」には認められないのですか?

体験した生の患者の声より、

過去の医学の常識にこだわりますか?

今後の研究を待ちますか?

 

自殺しそうなほどに、痛みや脱力や身体的、

精神的苦痛に苦しみ

一刻一秒を必死で耐えて生きている患者を前にして、

治療に取り組もうとしない医師の皆様は、

そんなに医学的、科学的根拠がはっきりさせることの方が先なのですか?

  まず、何とかして目の前の患者を救おう、患者の苦痛を取り除こう、と動くのが

先ではないでしょうか?

それが医師の仕事なんじゃないですか? 

人の苦痛を取り除く治療の

安全確認のために、

医学的根拠がはっきりするまでは、と

患者をほったらかしにしたまま、何年も時間がかかってしまって、

その間に、何人もの患者が苦痛に耐え切れずに、

 絶望の中、自らの命を絶ってしまっては

 

本末転倒だとは思いませんか?。

 

脳脊髄液減少症はほうっておいても

すぐには死なない病、

 

どうせたいしたことのない

不定愁訴ばかり。

 

患者の訴える症状はおおげさなだけ、

ほうっておいても大丈夫。

などと思って

のんきにかまえてはいませんか?

 

この病で追い詰められて

精神的にも肉体的にも、

緊急性がある場合もあることに、

まだ、気づけませんか?

 

 脳脊髄液減少症なんてありえないなどと、

いつまでも否定しているのでは、救える命も救えません。

線維筋痛症や、慢性疲労症候群や

その他不定愁訴症状を伴う病の

医療にかかわる医師たちが

脳脊髄液減少症の可能性については

無視し続け、頭から否定していたのでは、

救える命も救えません

  この病を否定する医師たちのプライドや、

学会ごとのメンツや、病名ごとの壁や、

 企業の営利優先、自己保身が、

脳脊髄液減少症研究の足かせとなっているとしたら、

救える命も救えません。

 

人命優先のために、

協力しあってもらえませんか?

患者を救うことで、心をひとつにしてもらえませんか?

 

脳脊髄液減少症は

治療もされずに、ほうっておかれれば、

死に至る可能性のある、

深刻な病態であることに、

そろそろ気づいてください。

 

まだこの病をよくご存知ない医師の皆様には、

この病が早期発見、早期治療されないまま

放置されれば、深刻な事態が発生しかねないことを

肝に銘じて、

もっと真剣に、早急に、この病を学んでください。 

命を救うために、

一刻一秒を争う病があるように、

 

脳脊髄液減少症も、同じ様に、

死に至りかねない、深刻な病態なのです。

 

患者の命が失われないためにも、 

早期発見、

早期治療が

本当に大切な病態でもあると思います。

 

いますぐ患者救済のために、

医師の心をひとつにして、

一刻もはやく、治療に国全体で取り組んで、

一人でも多く、

一秒でも早く、

患者を苦痛から解放してあげてください。

 

交通事故でこの病になっても、

保険会社は被害者を助けてくれるどころか、

さらに追い討ちをかけるように、誰にでも詐病を疑い、

精神的に痛めつけ、苦しめ続けるような仕打ちは、

もうやめてください。

 

否定派の皆様が、現実を直視しようとせず、

患者の生の声に耳を貸そうとせず、

自分に都合の悪いことは無きものにしようとして、

研究がなかなか進まないまま、

そうやって、無理解で患者を苦しめている間にも、

苦しみぬいて、追い詰められて

命を絶っていく事故被害者もいるはずです。

 

これでは

ただでさえ、肉体的、精神的、経済的に弱り

力尽き、まいっている患者を、

皆で寄ってたかっていじめ殺しているようなものです。

 

私は、幸い今、回復しつつありますが、

それでも、あの交通事故からの何の補償もない、

症状に振り回され周囲に誤解され否定され続け、

破壊され苦しみ続けた、

私の今までの人生は、

いったいなんだったのかと考えると、

つらくて、つらくて、消えたくなります。

 もう原因がわかり、すべて私のせいではなかったとわかっただけで、今まで生き残ってきたかいがあった、

もう、人生充分、もういいから、

この悲惨な人生リセットしたい、と思うことが、今でもあります。

 受けた心の傷は、今でもなかなか癒されません。

 

だからこそ、

脳脊髄液減少症の

早期発見、早期治療を訴えているのです。

ただでさえ、事故という不幸に巻き込まれた被害者の人生を、

さらに脳脊髄液減少症にじわじわと何年もかけて破壊されたり、

周囲の無理解に苦しめられつづけないように・・・。

  この病に無理解な医師や保険会社の

ひどい仕打ちは今後は

二度と繰り返してほしくはありません。

 

まだ、この病の治療に取り組んでいない、医師の皆様、

殺到する脳脊髄液減少症の患者治療に

一生懸命取り組んでくださっている、

一部の心ある医師の皆様にかかる、

過重な負担を減らし、

過労死させないためにも、

 

 

勇気を出して、

私たち患者に救助の手をさしのべてください。

 

できる範囲でけっこうです。

患者の相談にのるだけでも、

苦しみに耳を傾けるだけでも、

一緒に検査や治療ができる医師や病院を探すことでも、

痛みの対症療法でも、

精神的ケアでも、

なんでもけっこうですから、

 

まず、脳脊髄液減少症という病態を

ガイドラインなどで学んで、

その上で、ご自分のできる範囲で

患者救済にお力をお貸しください。

 

どうか、勇気を持って、

1歩を踏み出してください。

 

生き証人の、

患者のひとりの私の体験も

ひとつのエビデンス(治療がよいと思える根拠)です。

 

死なないですむ患者を

みすみす死なせないためにも、

 

一人でも多くの医師の皆様、

世間の皆様の

ご理解とご協力をお願いします。

 

お力をお貸しださい。

 

よろしくお願いします。

 

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