脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

秋の夜長は「ミステリー」

2006年11月27日 | ブラッドパッチ後の変化
今日は朝から雨

晩秋の一日は短く、
あっという間に真っ暗になり、
あとは長い夜です。

秋の夜長にミステリー小説でも読破したいところですが、
残念ながら、
本を1冊理解するだけの気力も読解力も
私には、まだありません。

それに、もともとテレビでさえ、
サスペンスドラマとか
殺人事件や血生臭いドラマは嫌いで、見ませんし、

ましてやミステリー小説など、
今まで読んだこともありませんでした。

元気なころ、深夜までふとんの中で読んだ小説は、
みな、平和で安心できる物語ばかりです。

でも、交通事故にあって
「脳脊髄液減少症」にとりつかれて以来、
小説など、頭が混乱してなかなか理解できなくなり、
本は縁遠くなりました。

学びや仕事上で、読もうと思えば
なんとか苦労して読めることもあるのですが、
娯楽としての読書は
ほとんどなくなりました。

寝ながら読もうにも、手がだるくて単行本でさえ
本を持ち続けることが、つらく感じるのです。

文章を理解する能力が極端に落ち、
特にこの1年は、
まとまった文章を理解するのがとても困難でした。

そんな私でしたが
この秋、
とある短編小説が、なんとか読めたのです。

その短編小説とは「アタミステリー

森村誠一さんが、熱海市の観光促進のために
毎年この時期、発表される短編小説です。

http://www.city.atami.shizuoka.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1150434845651&SiteID=1116397943912&FP=toppage

昨年、
「脳脊髄液減少症」の研究に取り組む病院のある街
熱海市のHPを見ていて、
熱海市の企画である
森村誠一さんの短編推理小説の「アタミステリー」の存在を知りました。
この企画は今年で4年目のようです。

歴史ある温泉街、
昔から、病気や怪我に苦しむ人を癒してきた湯治の街、熱海。

もう少し動けるようになったら、あちこちの温泉地に
湯治と観光に行ってみたいと思っています。
(今は温泉に湯治には行けないので、「行ったつもり」で
自宅のお風呂で温度を変えて一日何度か湯治を試しています。

そうして見つけた「アタミステリー」でしたが
昨年は思考力があまりに低下していて、
さまざまな症状もひどく、
読もうとする気力も起きませんでした。

でも、どんな小説なのか?ということだけは
この1年ずっと気になっていました。

今年は、秋になって体調が上向きになり、
散歩を始めたころ、
この小説のことを思い出しました。

今回は
ブラッドパッチ治療の効果なのか
「読んでみたい。」という気持ちがわき
再度、この小説を探しました。

9月のある日のことです。
今年の短編小説「アタミステリー」を
プリントアウトして、
寝ながらじっくり読んでみたのです。

普通の文章でさえ、以前は文章が数行でわからなくなり、
投げ出していた私

ましてや、複雑に人物がからむストーリーの推理小説など
以前は読む気力さえ、最初から沸きませんでしたし、
読もうとしても、とても最後まで読めなかったでしょう。

目だけ文章を最後まで追ったとしても、
たぶん内容は理解不能で
ましてや推理などはできなかったでしょう。

しかし、今回は
読もうとする気力が起きただけでなく、
なんと最後まで読み通せたのです

しかも、犯人は誰だろうと
私の脳が考え始めるではありませんか!

母もその小説が読みたいと言い出し、
母にも渡すと、熱心に音読していました。

しばらくして、二人で横になりながら、
小説の最後にある、私にとって難解な設問の答えも
考えはじめました。

犯人はあの人かも、この人かも・・・と母と推理しあいました。

そして自分なりの推理と設問の答を
母と、あれこれおしゃべりしあいました。

あの日は久しぶりに
母との穏やかな楽しいひとときでした。

こんなしみじみとした時間が
もっともっとほしいと思いました

母に時に怒りをぶつけてしまう私ですが、
怒りをぶつけられる人は母だけで
他の誰にも、本心はぶつけられません。
だから、母の存在は私にとっては貴重です。

時に怒りをぶつけてしまいながらも
こうして本音を話したり、
同じ話題で話をしたりもできることに感謝もしています。

母なりに私を思ってくれているのはわかっています。
悪気はなく、ただピントがずれている母。

心が近づいたり
離れたりしながらも
母とだけは、もう少し距離を縮められそうな気がします。
まだまだ希望は捨てません。

あの短編ミステリーが読めた日、
母と寝転びながら、推理をしあったあの秋の日、

あんなに思考が働かなかった
ぼやけた私の脳が、少しいい方向へ変化したのに気がつきました。

気力も思考力も
以前より、回復している自分に気づいた瞬間でした。

本人にしかわからない、微妙な改善なのですが
なんだか、すごい変化に感じ、
とてもうれしく思いました。

読もう、としてもなかなかできなかった私。
文章が、なかなか理解できなかった私。
しなければならない課題を、やらなければといくら思っても
すぐに取り組めず、こなせなかった私。

そんな私が、少しだけ、まともになったことを
この短編ミステリー小説が気づかせてくれました。

この小説が読みこなせた、あの秋の日は、
希望を感じた瞬間でもありました。

熱海市観光課さん、ゆかいなネーミングの楽しい企画をありがとう!
森村誠一さん、私でも読める短いミステリーをありがとう!

母との
おもいがけない穏やかなひとときを与えてくれた
「アタミステリー」

皆さんも「秋の夜長にミステリー」してみませんか?

まもなく締め切りなので、この小説は消えてしまうかも?
興味のある方は、プリントアウトはお早めに!


アタミステリー紀行 新生の館

コメント (84)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

つたわらない

2006年11月23日 | 心の葛藤
つたわらない。

どんなに苦しみを訴えても、
どんなに思いを伝えても、

どんなに願いを伝えても、
どんなに力を貸してと頼んでも、

どんなに新聞記事を見せても、
どんなにテレビ報道を見てと言っても、

「脳脊髄液減少症」の苦しみはつたわらない。

つたわらない。
つたわらない・・・。

症状の深刻さも、過酷さも。

つたわらない。

毎日毎日、綱渡りのように生きていることも、
死に逃げ出したくなるほどの、終わりのない苦しみも。

つたわらない。

見た目では、病人に見えない私の言うことは
何もつたわらない。
何も信じてもらえない。

加害者はもちろん、
肉親さえ、みんなしらんぷり。

親兄弟にさえ、つたわらない。

無関心な人たち。
無理解な人たち。

もう、怒る気力もわかない。

誰か私に代わってこの人たちに気づかせて!。

自分がしていることの罪の重さに気づかせて!。

今もなお、一瞬の自由を除いては
生き地獄のような苦しみは続いているのに、

必死で生きている、
何の落ち度もない、
交通事故被害者の私がここにいるのに、

社会も、医師たちも、肉親たちもしらんぷり。

親も兄弟もみな自分のことで精一杯。
気持ちも関心も、外ばかりに向いて、
自分たちのことや、他人の世話ばかりに一生懸命で、

死にそうな思いで、助けを求めている
身内の人間の存在に気づかない。

気づこうとしない。

まるで
そばで私が溺れているのに、見て見ぬふりして、知らないふりして
自分たちだけ楽しそうに、
砂浜で談笑しているかのように、感じてしまう。

私の方へなかなか目を向けてくれない。

無理に目を向けさせても、
この苦しい状況が、つたわらない。

いくら言葉を尽くしても
どんなに泣いて訴えても、

経験しないかぎり
この複雑な苦しみは、つたわらない。

励ましの言葉ひとつ、
いたわりの言葉ひとつ、
かけてくれない。

病気のことを、自ら学ぼうともしてくれない。

なんとか伝えようとすると、迷惑がられる。

無理解な社会や加害者に対し、
一緒に怒りに震えてもくれない。

今までも
まるで、この状態を私の未熟さが招いたかのように
冷笑され、あざ笑われ、
バカにされ、さげすまれ、
努力が足りない、だれでもつらい、気のもちようと言われ続け、
医師にさえも、家族にさえも、まともに相手にされずに、
ここまで生きてきた。

今までも、不幸な事故を嘆く私に、

「加害者だって、わざとぶつけたわけじゃないんだから、許してやりなよ。」と
全く誠意のない加害者をかばって、私をたしなめた私の実の兄弟。

耳を疑う言葉だった。
まさか、血のつながった兄弟が、
私より加害者をかばう発言が出るとは
信じられなかった。

世界中の人を敵にまわしても、
肉親くらい私の味方になってほしかった。

親たちも兄弟たちも
この人たちは幸運すぎて、健康すぎて、
何もしらない。
何も知ろうとしない。
想像しようともしない。

長い長い年月の、
精神的、肉体的な想像を絶する苦痛の果てに、
生き残って、
「脳脊髄液減少症」の診断名をもらっても
いまさら、私の周囲の人たちは何も変わらない。

何もわかっていない。
この病気の恐ろしさ、ひどさ、苦しさを。

自分になんの落ち度もないのに
目に見えない怪我をしたために、
何年も何年も「症状と無理解」に苦しめられる過酷さを・・・。

戒められるべきは加害者なのに、
被害者の私が責められる。

事故の不幸を嘆き、加害者を憎み、無理解な社会や家族を恨み
働けない動けない、疲れやすい、いつも具合の悪い私は、
いつもいつも周囲から「低い評価」で責められ続けてきた。

「大切な家族をこんな体にして」と一緒に怒ってほしかったのに、
「そうだね、悔しいね。」と一緒に泣いてほしかったのに、
悔しさも、怒りも、悲しみも、一緒に感じてほしかったのに、

そんな人は肉親にはだれもいない。

まるで私が、
「加害者を許すことのできない、未熟な人間。」であるかのような
「過去にいつまでもとらわれ、前向きに生きられないダメな人間。」
であるかのような言い方で、責める兄弟。

親子って何?
兄弟って何?

決して、暖かな救いの手をさしのべてくれない、
決して親身になって、力を貸してくれない、
思いやりの言葉もかけてもらえない。
血のつながった私の親と兄弟たち。

そんな人間は私はもういらない。
そんな人間たちとは、もう、かかわりたくない。
私の人生には、そんな人間は必要ない。

あなたたちとつながっているものは、遺伝子だけ。

もう心は・・・・つながっていない。

つながっていたくない。

溝は埋まらない。

もう、あなたたちには何も期待しない。
期待しなければ、失望もしない。
悲しみもわかない。
憎しみも復讐心もわかない。

何もいらないけれど、
せめて「共感」だけはほしいと
最後まで願っていた。

本当は、今も願っている。

しらんぷりの加害者よりも、
しらんぷりの医者たちよりも、

しらんぷりの肉親の存在は、

より私を、
苦しめ続けている。

コメント (45)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食用菊

2006年11月19日 | 闘病の工夫
食用菊を食べた。

「脳脊髄液減少症」の吐き気やムカムカ症状になると

なぜか、酸っぱいものが食べたくなる。


食用菊を少しの塩でゆでて、酢と砂糖で味付けした

菊の酢の物を作ってみた。


紫の菊はゆでると真っ白になるけれど、

ざるに上げて、容器に移し、酢をかけたら、

たちまち、まるで手品のように

鮮やかな赤紫色になった。


鮮やかな赤紫色の、食用菊の酢の物は

ほろ苦い秋の味。


酸っぱいものを食べると、目が覚める思いがする。

ムカムカや吐き気も治まって、気分もスッキリする。


頭痛がひどい時も、よく酸っぱい物を食べてきた。

こうやって工夫しながら、薬にも頼らず、

我ながら、よく何年も耐えてこれたなぁ。


いつか、なんにも耐えなくてもいい日がくるのだろうか。


菊の酢のものをたくさん作ったら、

一緒にたくさんできた、きれいな色の菊の香りの甘酢。

グラスに入れて、水で割って氷を浮かべたら

菊サワードリンクのできあがり。


鮮やかな色と菊の香りのジュース。

癒しのマイドリンク、またひとつ完成。


苦しくなると

こうして、ひとり必死で、

自分の体をいたわっている。









コメント (51)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリア-な体験

2006年11月13日 | ブラッドパッチ後の変化
昨日も今日も晴れです。
きのうも今日も公園に行きました。

きょうで18回目です。
朝のうちに歩いてきました。

きのうの朝、公園に向かう途中で
いつもと違う体験をしました。
忘れないうちに書いておきます。

運転して通るいつもの風景が
クリアーに見えたのです。

天気がいい日の朝日に照らされて
鮮やかに見えたのかもしれないと思い
同じ時間にきょう行ってみましたが
昨日のほうが鮮やかに見えました。

カメラや双眼鏡のピントが合ったみたいに
くっきりはっきり見えたのです。

視力が良くなったというより、
なにか、映像が現実みを帯びて、
「いきいき」と迫ってくるような感じです。
見え方がいつもと違っていたのです。

別な世界に迷い込んだように
景色がとてもきれいに見えました。
あまりの映像の美しさに正直びっくりしました。

まるで、
細かいところまで描きこまれた,
「スタジオジブリのアニメの背景画」みたいに
車を運転しながらでも、ゆっくりと映像がうごいて見えました。

運転を再開しはじめたばかりの頃は
車窓の流れる風景に、
脳がついていけないような、
運転しながら、
あれもこれもと、運転の動作や、見える景色や、通行人や
目から耳から入ってくるさまざまな情報を
一度に処理できないような、感じがありました。
情報処理能力が低下しているような感じです。

ひたすら前しか注意が払われないような運転で、
景色を見るゆとりもなかったのですが
「運転に慣れてゆとりが出ただけ」とは思えない
クリアーで美しい景色に見えました。

運転しながらなのに
まるで、くつろいで「映画の美しい映像」を見ているような感じでした。

きょうは、そこそこ体調よかったのに
昨日のような感じはしませんでした。

これもブラッドパッチで脳脊髄液が増えてきた証でしょうか?
昨日のほうが、今日より脳脊髄液が多かったのでしょうか?
だから、昨日のほうがキレイに生き生きと感じたのでしょうか?

謎です。

脳脊髄液減少症が起こすさまざまな症状は
とても、表現しきれません。

長年、「ゆがんだ映像の世界」に住まざるをえない状態だったことについても
いつか書いてみたいと思っています。

(それが、なかなか書く気にならないのですが・・・悲惨な過去を振り返りたくないのかも?)


コメント (41)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はしるロボット

2006年11月11日 | ブラッドパッチ後の変化
今日は雨で公園には行きませんでした。
土日は人に会いそうで、もともと行ったことはないのですが
きょうはなぜか行きたい気分だったので残念です。

でも、昨日はいい天気だったので、
朝のうちに公園に行き一周半くらい歩いて帰ってきました。
リハビリ公園散歩16回目です。

先日、テレビの「きょうの健康」の再放送で
高齢者のウォーキングについて放送しているのを見ました。http://www.nhk.or.jp/kenkotoday/2001/20061101/index.html
高齢者でなくても、
「脳脊髄液減少症」のリハビリにも当てはまりそうです。

ウォーキングのコツは「楽しく快適に」だそうで
・腕を大きく振る。(上半身も運動するため)
・つま先を上げる。(転倒しないため)
・平らな場所を選ぶ。
・天気が悪い時、体調の悪い時は休む。

というもので、なるほどと思いました。
さっそくきのう実行してみました。
すごく上半身に効きます。

先日悪化以来、はじめて少しだけ走ってみた私でしたが、

実は
私に「走りたい」という気持を最初に起こさせたのは
ずっと片思いで心に住み着いていた
走るロボット、「ASIMO」くんです。
(ロボットには片思いできる私。

テレビのCMで偶然見かけた「走るASIMOくん」。
インターネットでいろいろな映像を見つけては
走る映像を何回も見ていました。

走る願望が、映像になっていたからでしょうか?
何回見ても、不思議に飽きません。

元気で健康に恵まれ、スポーツしている人間の姿は
自分がみじめに感じてしまい、
今年の冬季オリンピックでさえも
つらくて見ていられなかった私です。

これが人間のランナーの映像では、
まったく心惹かれなかったと思います。

むしろ、つらくて目をそむけたでしょう。

しかし、ロボットの走りは、なぜか私を惹きつけました。

「ロボットが走れるのだから、人間の私に走れないはずがない!。」と
勇気づけられ、やる気がでました。

ひとりぼっちで、
体が苦しくて、耐えられなくなりそうで
もう、歩けないんじゃないか、
走れないんじゃないか、と落ち込んだ時、

何度も、何度も、ほほえましいASIMOの走りを見て、
勇気づけられ、心なぐさめられてきました。

夏のころは、まだ、散歩もはじめていなかったし、
パソコンの前に長く座っていられず、
もちろん自力で外出もできず、
にこもりきりの状態でした。

でも、映像をなんども見るうちに
自分も「ASIMOのように、いつかきっと走れる。」
そう、思い始め、
「きっとできる。」と自分に言い聞かせて、
映像を見ながら、何度もイメージトレーニングしてきました。

時々、家の中で足踏みをして
ASIMOの走りの、まねをしてみたりもしました。

その思いが、
公園で走っている人たちを見続けているうちに
だんだんと高まってきました。

そしてついに、あの日、頂点に達したのです。

公園に行くと、いつも、何人かの走る人と出会います。
あの日も
私を、白髪の高齢の男性が、走って追い抜いていきました。
ちょっとくやしい気持ちでした。

そして杖がとれて間もないのに、
その人を追いかけたいという衝動にかられました。

じっとこらえて歩いていたのですが、しばらく行くと
広い芝生の上を、1人で気持ちよさそうに走る人に出会いました。

そしてついに、走りたい気持ちが頂点に達し、
その人と反対方向でしたが
数ヶ月間イメージトレーニングしてきた「ASIMO走り」を
実行しました

ASIMOと同じ体勢で、同じくらいの時間と距離を走ってみました。
念願の「ASIMO走り」をわずかですが実現できました。
(今冷静に考えると、100メートルは走っていないようです。
100メートル走った気分になっただけで、数十メートルかもしれません。)

昨日の2回目の走りは
走って、歩いて、走って、歩いてと何回か多めにやってみました。

ASIMOの走り方は、
ゆっくり腰を落として、手を構えてから
「走るぞ」って気合いを入れたようにしてから
ラン、ラン、ランという感じで楽しそうに走ります。

まるで感情があって、
走ることを楽しんでいるかのようです。

技術者にとって、
ロボットを走らせることは、並大抵の苦労ではなかったことでしょう。

ロボットを立たせることや、
転倒させずに安定して歩かせるだけでも、バランスが大変なのに、
走らせるなんてすごいと思いました。

映像を何度見ても感動しました。

しかも、あんなに、ほほえましい、かわいい走り・・・

おねえ走りでも、
マラソンランナー風の力強い走りでもなく、

本当に楽しそうに、
まるで小学生が、ランドセルしょって走っているみたいに
タン、タン、タン、ラン、ラン、ランという走り方。

じっと見ていると、ついつられて走りたくなります。

人間の走り方を、まねしたはずのASIMOの走りが
逆に、私の「走りたい」という気持ちを引き出し
私のリハビリのお手本となりました。

ASIMOを創った方がたは、
ASIMOの走る姿が、まさか、
「歩けない、はしれない状態の人間に、
勇気や希望を与え、やる気を引き出す効果」があるとは
気づいてないかもしれません。

ASIMOをもっともっと
事故や病気で、歩けず走れず絶望している人に、
ぜひ見せてあげてほしいです。

きっと私と同じように
「ロボットにできるのだから、私にもきっとできるはず。」とか
 「ロボットを作った人々のような力が、私にもきっとあるはず。」と思い、
勇気と希望がわくかもしれません。

それにしても、人間ってすごいです。
走るロボットをつくったこともすごいですが
普通に走る人間が「すごい」と感じます。

手の動きと足の動きの調和、体の重心の移動、
一瞬、空中に浮く体
倒れないバランス、体の微妙なひねり
これらがすべてに調和されて、初めて、歩き、走ることができる。

ロボットには難しい走りを
健康な人間は、いとも簡単にやってのける。

本当に人間の脳や体はよくできていると思います。
動物も走りますから、
当たり前のことですが・・・・改めて感心します。

ロボットが走るという技術は、歩く以上に難しいから、
ASIMOも、歩きから走りに進歩するのは、
私のリハビリ以上に、本当に大変だったと思います。

技術者の苦労話を、ドキュメンタリーのような番組で
ぜひ、もっと詳しく知りたい思いです。

私に「走りたい。」という気持ちをくれたASIMOくん。
交通事故で痛めた足と、脳脊髄液減少症のダブルパンチで
立てず、歩けず、車椅子だった私が
やっと少しだけ、君の真似して走れたよ

走るといっても、体調のいい日の
起きて数時間以内の午前中の、
1時間弱の散歩のうちの、数秒のわずかな時間です。

午後や夜は、
今でも苦しくなって、横になることの多い私です。

でも、走れたことで、また意欲も沸きました。
孤独なリハビリは大変ですが、
少しづつ、前に進んで行きたいと思います。

いつか、ASIMOのようなロボットが
孤独なリハビリ散歩に、一緒に付き合ってくれる日がきたらいいなぁ。

走る勇気と、やる気をくれたASIMOくん、
そして、ASIMOを創ってくれた、技術者のみなさん、

ありがとう


http://world.honda.com/ThePowerofDreams/run/mov-run-60.html

http://www.honda.co.jp/HDTV/ASIMO/cm-circle/

http://www.honda.co.jp/ASIMO/kids/story/index.html



コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目標達成

2006年11月08日 | 日記
今日で、ブログをはじめて、3ヶ月になりました。
当初の「ブログは3ヶ月は続ける。」目標は達成できました。

これも、はげましていただいた皆様のおかげです。
ありがとうございました。

何をやっても続かない私にしては、よく続いたと思っています。

しかし、あまりに多い私の「脳脊髄液減少症」の症状は、
この3ヶ月ではすべて書けませんでした。

苦しい最中には、普通の文章以上になかなか書けないものです。

苦しさのピークが過ぎてしばらくして、初めて、
その苦しかった症状が冷静に振り返られるようです。

昨日は、低気圧が日本列島を北上したようで、
こちらも午後から暴風でした。

昨日は気圧のせいか、だるくて、呼吸が苦しく、
朝から不調で、午後から眠気とだるさでずっと眠ってしまいました。

風の音がすごくて昼寝から覚めました。

北海道で竜巻発生とは驚きました。
お亡くなりになった方も、一瞬の事で
何が起こったのかわからなかったのではないでしょうか?

つくづく誰しも、明日の命の保障はないのだと思いました。

時々、あまりの試練の多さ、つらさに、人生を投げ出したくなりますが、
与えられた命は大切に生きないといけないと
改めて思います。

今日は、天気もいいせいか気分もよく、
午前中は、公園に散歩に行ってきました。

昨日の暴風で、
木の葉や松ぼっくりがたくさん落ちていました。
もみじも赤くなってきました。

おとといも散歩に行ったので、今日で15回めです。
前回と今日、なんと、杖なしで歩いてきました。

杖もなにも支えなしで、こんなに長距離歩くのは
約1年半ぶりです。

今まで、途中で疲れたり、脱力が起きたり、
上り坂や下り坂が不安で、杖を持って歩いていましたが、

11月6日(月)に初めて、杖を車に置いて
公園一周歩いてきました。

一度できると自信がついて、今日も杖なしで歩いてこれました。

この病気には、走ることがいいのかわかりませんが、
今日は、念願の「走ること」を少しだけ(100メートル位)
ゆっくりとやってみました。

なんとか走れました。
「走る」という動作が久しぶりで、新鮮な感じがしました。

いつか、公園をランニングしている人みたいに
公園1周走れるようになりたいと思います。

公園の自然だけでなく、
公園を歩く人、走っている人にもいい影響を受けています。

心も体も波はありますが、くじけないで、
これからも
少しずつでも、前進していきたいと思っています。


コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元気な脳になる!

2006年11月05日 | 日記
東京電力の「Graph TEPCO 11月号」に
「元気な脳になる!」という特集記事を見つけました。

脳年齢診断テストは、めんどうなのと、
結果に落ち込みそうなのとで、やりませんでしたが、
「元気な脳になる!4つのメソッド」という記事は
とても参考になりました。

「おいしく楽しく食べる、運動する、休養する、感動する。」ことが
脳を元気にするそうです。

特に、「恋」は脳にいいようです。
しかも、片思いのほうがホルモンが多くでるという説もあるとか・・・。」
試すのは勇気がいります。

「脳脊髄液減少症」のダメージが長い私の脳。
なんとか少しでも「元気な脳」に近づきたいです。
やはり、恋をするしかないか・・・。

興味のある方は、下記でどうぞ。
字が小さく目がチカチカしますが、
読みたいとこだけプリントアウトすると、読みやすいかな?。

↓Graph TEPCO 11月号「元気な脳になる!」
 リンク先の「Graph TEPCO」の表紙をクリックして、スクロールすると
 内容が読めます。
 
http://www.tepco-switch.com/life/g-tepco/index-j.html

コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銀杏(ぎんなん)

2006年11月04日 | 四季の風景
先日公園を歩いていると

黄色く色づいたイチョウの木の下に

梅の実ぐらいの大きさの、イチョウの実が落ちていた。


ふと、足を止めて、イチョウの大木を見上げた。

青い秋空と、イチョウの黄色のコントラストはきれいだけど、


見上げていたら、

「来年のぎんなんの季節には、私はどうしているのだろう?。」と

期待と不安、希望と絶望の入り混じる、

もの悲しい気持ちになった。


足元のイチョウの実は、

臭いがきついけれど、

少し拾って、持って帰ってきた。


家に帰って、

ホースで水をかけて、熟した実をはぐと、

中から白い種が出てきた。

やっと、売っている「ぎんなん」の姿になった。


今日になって、

その「ぎんなん」を食べてみようと思った。


毎日が「連休」の私には、

11月の3連休のありがたみもなく、

だれも来ない、どこにも行けない、ひとりぼっちの時間は、

ただ、体の苦しさと向き合うだけ。


そんな時間をまぎらわすため、

自分で拾って、自分で実をむいて、洗ってあった白いぎんなんを、

自分でフライパンで炒って、殻を割った。


出てきたのは、

透き通った、エメラルドグリーンの中身。

キラキラとして、本当の宝石のように美しかった。

食べてみると、深い緑の味。


今まで何十年も生きてきて

秋に自分で拾った「ぎんなん」を食べたのは、

今年がはじめて。


「脳脊髄液減少症」にならなければ

公園にリハビリに散歩に行って、自分で拾ったぎんなんを、

こうして味わうこともなかっただろう。


でも、

ひとりぼっちの連休の午後に

ひとりぼっちで、味わう「ぎんなん」は

なんだか、せつない味がした。    






コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミツバチのおくりもの

2006年11月02日 | 小さな幸せ
今日はくもの多いお天気でした。
どうやら、先週から風邪をひいていた家族に
今週、風邪をうつされたようです。

昨夜からのどが痛みます。

あれほど、
「外から帰ったら、うがい手洗いをして!」と頼んでいたのに、
ろくにうがいもせず、風邪ひいて私にうつして、頭にきます。

薬嫌いの私ですが、漢方の風邪薬、
「小青竜湯」を食前に飲んでます。

「脳脊髄液減少症」になってから、
伝染する病気は、なんでも簡単にうつってしまうようになりました。
感染しやすいのです。
免疫力が落ちているとしか思えません。

おとといの10月31日(火)は散歩は休みましたが
昨日、今日と公園へ散歩に行けました。

昨日は晴れで、昼ごろ行って歩いてきました。
昼間の公園は、多くの人たちがいて、
鳥たちも森の木漏れ日も、
また朝とは違った表情を見せてくれました。

「もみじ」もずいぶん赤く色づいてきました。
でも、午後苦しくて寝込みました。

今日はくもりがちのお天気でしたが
昨日より体調がいいので、気持ちよく歩けました。

ブラッドパッチ後半年たってから、
きょうで自力散歩リハビリは13回めです。

今日も、午後は3時間ほど横になって眠りました。
風邪の影響もあるのか、眠気とだるさの症状が最近強いです。

不調になると、
時々弱気になったり、過去を嘆いたり、加害者を憎んだり、
加えて日々の生活上の悩みで、
もう死んでしまいたいと、思うことも正直あります。

でも、
孤独な闘病生活の私を
「自然との素敵な出会いや発見」が支えてくれています。

そういうものにふれた時、
「生きている喜び」を感じます。

さて、きのうの夕方、
そんな、自然との素敵な出会いがありました。

これからのお話はきのうの夕方、
「ミツバチさん」との出会いからはじまるお話です。


きのうのことです。
散歩から帰って、苦しくなって横になったまま
眠ってしまった私。

夕方になって、
洗濯物を取り込まなければならないので
しかたなく起きて、
脱力する両腕で、やっとの思いで洗濯物をとりこみました。

秋は洗濯物に、いろいろな虫がついてきたりします。
てんとう虫とか、カメムシとか・・。

昨日は、取り込んだ洗濯物の衣類に
1匹のミツバチがくっついてきました。

殺すのもかわいそうなので、
ティッシュで包んでティシュごと庭へ放り投げて
明日、庭のティッシュを片付けようと思いました。

そうすると、虫は自力で逃げるので
虫がついてくると、いつもそうしています。

でも今日のミツバチは
後ろ足になにやら黄色い物をつけています。

良くみると、花粉団子です。

ティシュでそっとミツバチをそのまま包んで、外に出そうとしたのですが
弾みで小さな花粉団子が足から取れて、
部屋の布団の上に落ちてしまいました。

ミツバチを包んだティシュをそっと外に出して逃がし、
その残された花粉団子をじっと見ました。

小さなミツバチの後ろ足からポロッと取れてしまった、
小さな小さな花粉だんご。

米粒の半分ほどの大きさの、
小さな小さな濃い黄色の
少し、しっとりと湿った感じの「花粉団子」。

「どんな味がするんだろう?」そう思った、次の瞬間

私はなんのためらいもなく、
その花粉団子を口に入れていました。

すると・・・・。

思わず、目を見開いてしまいました。

じんわりと味わったことのないような甘い味が舌に広がりました。

まるで、
高級なクッキーかケーキの粒を、口にした時のような
上品な甘い味でした。

まさか、米粒半分くらいのあんな小さな花粉団子が
こんなに素敵な味を体験させてくれるとは
想像もしませんでした。

しばし、感動しました。

生まれて初めて、
天然の蜂の採り立て、作りたての「花粉団子」を味わいました。

しかも、
ミツバチさんが自ら部屋まで運んできて落としていった、貴重な品。

また、
そのような少量の花粉を
充分に味わうことのできた自分の味覚と脳にも
驚きました。

やはり、「脳脊髄液減少症」の味覚障害が
回復してきたのかもしれません。

少量でも、いろいろな味を感じ分ける、
人間の味覚って、すばらしい能力だなぁと
改めて思いました。

花粉団子をネットで調べたら、
れっきとした健康食品なんですね。

知らなかった。

このところ、体調がすぐれない私に、
ミツバチさんからの
思いがけない、素敵な貴重なプレゼントでした。


[ミツバチさんへ]

小さな体で、
きっと、一日がかりで働いて、夕方になって
巣に持ち帰るはずだった花粉団子だったのでしょうね。

せっかく集めた花粉団子、
私がもらって食べちゃってごめんね。

でも、すごくおいしくて
幸せな味がしました。

今まで食べた、どのクッキーよりもケーキよりも、
どんな高級なお菓子よりも、
上品なこくのある、甘い素敵な味がしました。

生まれて初めて、
直接ミツバチさんからプレゼントもらって、味わえて
すごくうれしく、幸せなひとときでした。

ごちそうさまでした。
おかげで昨日は元気づけられました。

今日は、風邪ひいてたのに
昨日より、少し体調回復したのも
きのうミツバチさんからもらって食べた、
あの小さな花粉団子の効果かもしれないと思っています。

ミツバチさん、
自然の滋養強壮の貴重な薬、
ほんとうに、どうもありがとね。




コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする