私は今、私生活でいろいろあって、
ここにあまりこれなくなった。
でも、伝えたいこと、書きたいことはいつもいつも山ほどある。
私だって、人間だから、
いつ事故で死んでしまうかわからない。
今私が死んだら、
あんなことも伝えたかった、書いておけばよかったと悔いが残り、
死んでも死にきれないかもしれない。
だから、今、少しここにこれるようになって、
今まで遠慮して書けなかったことも、
勇気を持って書こうと思う。
今年は、一日一日を、悔いのないように、
過ごしていきたいから、書く。
私は、
慢性疲労症候群や、線維筋痛症と診断されている人の中に、
脳脊髄液減少症が原因で、そのような症状が出ている人がいると
確信している。
それは自分の症状に基づく確信だ。
専門医も、「これらの病名の根っこはひとつではないか」と本に書いている。
患者の私も、自分の症状の体験から、そうではないかと思う。
しかし、そのことの認知さえ大きく広がらないのは、
一部の患者にも責任があると思っている。
具体的には、
先に慢性疲労症候群や、線維筋痛症と診断され、
その後、脳脊髄液減少症の検査を初めて受けた結果、
脳脊髄液減少症と判明したにもかかわらず、
『もともとあった慢性疲労症候群に加えて、新たに「脳脊髄液減少症」という病が重なった。
もともとあった疾患である、線維筋痛症に 、「加えて」脳脊髄液減少症も見つかった。
脳脊髄液減少症と診断されていたけれど、なかなか症状がなおらないと思ったので、
整形外科医の軽度外傷性脳損傷の医師を受診してみたら、
軽度外傷性脳損傷と診断された。』
あるいは、
『もともと診断されていたそれらの病名に、合併症として、脳脊髄液減少症が起こった。』
という
患者側のとらえ方だ。
そして、そのとらえ方を、マスコミを通じて、広く吹聴する、患者たちの存在。
自分たちはよかれと思ってマスコミに出てくださっているようだが、
二つ以上の病名を出すことで、それらの関連性をにおわせ、それらの病態の理解を広めるためには、
一見、効果的に思えるが、
脳脊髄液減少症の症状の理解という点では、
私はむしろ、逆効果に感じる。
脳脊髄液減少症の症状が、いかに、他の疾患と誤診されやすいかが、
ひとつも伝わらない感じがする。
脳脊髄液減少症の症状の知識がなく、
苦しんでいる患者をよけい混乱させ、余計、他の病名に誤診する医師に向かわせ、
脳脊髄液減少症だと気づかせることをさらに遅らせる危険さえ感じるからだ。
確かに、それらの疾患は根っこが別の可能性もあるし、
現に、外傷を合併している例もあるだろう。
けれど、
画像にも傷が写らない、一般的な検査で異常が認められない、
だけど、
脳脊髄液減少症と同じ症状があるのだとしたら、
まずは、
脳脊髄液減少症の検査や治療を受けてみる価値はあるだろう。
先に診断されたからと言って、
「原因不明、治療法もない」病名を、自分の症状の原因として採用するのは、
脳脊髄液減少症の検査や治療を徹底的に試みてからでも、
遅くはないだろう。
もちろん、
患者が、自分の症状に、どの病名を「採用」するかは、
その人の勝手だ。
私だって、
つけようと思えば、
いくらだって、自分の今ある症状に他の医師のいろいろな見解の
「病名」を採用できる。
でも、
私はたまたま、自分の症状の名前として、
「脳脊髄液減少症」を採用している。
これが、自分のすべての症状を表わすに一番ふさわしい、統括できる、と思っているから。
だけど、私のような患者ばかりではないはずだ。
いくつも病名がつくことを拒まない患者もいるはずだし、むしろ、
その方が都合がいい場合もあるだろう。
医師の間にも、世間一般にも、
脳脊髄液減少症よりも何十年も前から、
原因不明の痛みやだるさ、数々の症状に対して、
つけられてきた病名が、脳脊髄液減少症よりも強力に、
今も医師や患者の間で幅を利かしていると感じる。
その中で、
「脳脊髄液減少症だって同じ症状がでるんですよ、治療での治る可能性があるんですよ。」
ってことは、
一度別の病名に誤診されて、
脳脊髄液減少症の治療で完治した経験を持つ患者しか、完治した患者しか
言う資格がないのか?
そんなこともないだろう。
「原因不明治療法もない。けれど症状は脳脊髄液減少症と同じ」という患者たちが、
前の医師の診断名を
いつまでも引きずっている患者の存在は、
脳脊髄液減少症でもそれらの症状が出て、治る、ことに、
気づきはじめている人間にとっては、
むしろ、脳脊髄液減少症の誤解を
広めかねないと
危機感さえ強く感じる。
病名が提唱されてからの歴史が長い病名の方が、
医師にも患者にもすでに受け入れられ、
新しい病態が、ふろくみたいに言われるのは、
それは、病名が提唱されてからの歴史の差で、しかたがないとは思う。
でも、
勇気を持って、
「慢性疲労症候群や、線維筋痛症や、軽度外傷性脳損傷と先に別の医師に診断されていたけれど、
私の症状にふさわしい病名は脳脊髄液減少症でした。
今までの診断は脳脊髄液減少症の知識のない前医の誤診、脳脊髄液減少症の見逃しでした。
なぜなら、
新たな視点で診断治療を受けた、脳脊髄液減少症で、今まで苦しんだ症状がきれいに消え完治したのだから。」
と言えるような患者が多く出てこなければ、
本当の意味で
世間の多くの人たちに、
いろんな不定愁訴を出し、検査しても原因不明と言われる症状の影に、
脳脊髄液減少症という原因が潜み、
治療で回復するという事実を、
気づかせることはできないだろうと思う。
そうでなければ、いつまでたっても、
「脳脊髄液減少症でも、
それらの原因不明、治療法もないような病名の症状と、全く同じ状態になる。」という事実が
世間一般に知識として、
広がっていかないと思う。
でも、それはなかなか難しいと思う。
だって、慢性疲労症候群とか、線維筋痛症とか、
軽度外傷性脳損傷と診断する医師は、
その多くの医師が、
たとえ、脳脊髄液減少症には詳しい臨床経験ももたない批判的な
かつ、プライド高い医師であったとしても、
普通の医師には相手にされないような一般的な検査にも出ない、
患者の苦しみに寄り添おう、理解しようとして、
なんとか病名をつけよう、治してあげたいと思ってくれた、
根は
心優しい医師たちのはずだから。
患者たちは、
誰にも理解されない、その自分の苦しみを理解しようとしてくれた先生たちを、
「脳脊髄液減少症を見逃した、誤診した。」と
非難するようなことを、大声あげていえる患者は
あまりいないはずだと思うから。
だから、作家の柳澤桂子さんも、
「前医の診断は誤診」とは
はっきりは書けなかったのではないか?
あのような著書も多数ある作家の方が、
もう少し具体的に、
前医の批判も恐れず、
義理や人情に縛られず、
勇気を持って、
脳脊髄液減少症が誤診されていくプロセスを、
それによって、
どんどん症状が悪化し、寝たきりになっていくプロセスを
きちんと書き残しておいてくれたら、
どんなに脳脊髄液減少症のことが、
わかりやすかく世間一般に伝わっただろうと
非常に残念に思う。
もう、高齢になってしまった作家に、
別の病名をつけてケアしてくれた前医の義理や人情を踏みにじってまで、
脳脊髄液減少症のことを書けとは、言えないし、
もう、それは望めまい。
だから、せめてこれからは、勇気を持って
「今までの診たては誤診だった。私は脳脊髄液減少症だった。その治療で完治したのだから。」ときっぱり言える患者が出てこないといけないと思う。
「誤診体験を語る患者」が増えなければ、これから先も、
「脳脊髄液減少症がいかに他の病態と似ているか、誤診されやすいかが、」伝わっていかないと思う。
当たり前の話だ。
俳優がみんながみんな、悪人の役は嫌だと言っていたら、
ドラマも映画もお話にならない。
だれかが、
憎まれ役をかってでなければ、
真実は伝わらないこともある。
私も、この記事で、自分の今ある症状の病名として
「脳脊髄液減少症とは別の病名」を「採用」して
納得している患者さんたちに、
非難されることを覚悟で、
あえて、
私の考えを書いている。
あくまでも、自分の経験にもとづいた、
私個人の考えなので、
あしからず・・・。