脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

明日、7月1日の脳脊髄液減少症の講演会について

2012年06月30日 | 情報

明日7月1日は

 

鳥取県主催の

脳脊髄液減少症研修会が開催されます

チラシはこちら

 

皆さまふるってご参加ください。

__________

あと、

 

第20回 国際医療福祉大学熱海病院 公開講座

後援:熱海市

 

も、明日7月1日開かれます。

ただし、

※すでに申し込みの締め切り日はすぎています。

 

 

 

「熱海病院開院10周年記念公開講座」

熱海病院で今、できること

 

13時~16時30分

司会 池澤善露(上席副院長)  栗山 学 (副院長 泌尿器科教授)

① 当院放射線検査の先端技術  橋本 和明(放射線 診療放射線技師)

② 糖尿病治療の最前線   山田 佳彦  (内分泌代謝科教授)

③高齢者にやさしい血液浄化法:CAPD  栗山 学 (泌尿器科 教授)

④脳脊髄液減少症  篠永 正道  (脳神経外科教授)

 

_____________

脳脊髄液減少症は一番最後か~

前の先生方の講演で、時間が押せ押せで16時を過ぎて、

脳脊髄液減少症について、話す時間がなくなったりして。

 

それにしても、

日曜日まで駆り出される先生のお体が心配です。

いつ休むんだろうか。

 

医師の負担を減らすために患者ができることは、

些細な症状悪化で大騒ぎしないこと。

医師に無理難題を突き付けないこと。

 

くだらないことで医師の仕事を増やさないこと。

自分で考え付く限り、治る努力をすること。

自分でできる治る努力もしないで、治らない治らないと医師ばかりを頼らないこと。

病を治すのは自分。

医師や薬は、それを補助するにすぎないことを自覚すること。

医師や薬に頼り過ぎないこと。

 

__________

 

 

あなたの県もなんらかの脳脊髄液減少症研修会、開催されていますか?

えっ?全く開催されていない?

そりゃ~大変だ。

遅れた県だ。

 

 

脳脊髄液減少症に対して勉強不足の医師たちがごっそりいる可能性がある県だ。

髄液漏れ見逃されて、誤診されて、

方向違いの治療を受けている患者たちや、

精神科の薬漬けになっている患者たちも

たくさん潜んでいる可能性のある県だ。

 

そりゃ~大変だ。

なんとかしなきゃ!。

 

なんとかするのは、

その県のここのぞいてる、そこの、あ、な、た。

あなたが黙ってたんじゃ、何も変わらない。

 

 

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パーキンソン症候群としての脳脊髄液減少症

2012年06月29日 | つぶやき

最近、昨年の「髄液漏れ」に限局した診断基準が広まったせいか、

「脳脊髄液漏出症」という病名にこだわる医師がいるようですが、

私はあくまで、「脳脊髄液減少症」という言葉が、

自分の症状に一番ピッタリくると思って、当分こちらの病名を使い続ることにする。

 

自分の体感からも、髄液が減るために起こる症状で、たとえ髄液漏れが止まっても、

髄液圧が低い状態といった、髄液が減少していると思われる状態が続くと、

症状も続くことから、

やはりこの疾患は、「髄液漏れ」をも含む病名として、

「脳脊髄液減少症」が一番ふさわしいと感じている。

 

ところで、

昨日の、

新、総合診療医ドクターGを見て思ったのだが、

脳脊髄液減少症は、パーキンソン症候群に含まれるのだ

と思った。

 

パーキンソン症候群とは

『他の病が原因となって、パーキンソン病に似た症状が出るものをいう』

とのことだ。

 だとしたら、

私が体験した髄液漏れの症状は

間違いなく「パーキンソン症候群」にあてはまる。

 

若年性アルツハイマー病や

慢性硬膜下血腫

正常圧水頭症も

パーキンソン症候群に含まれるという。

 

髄液が増えすぎて起こる

正常圧水頭症が

「パーキンソン症候群」に含まれるならば、

 

その反対の髄液が減ることによって、水頭症のような

認知機能の低下や、歩行障害や尿失禁といった

パーキンソン病に似た症状が起こる、

脳脊髄液減少症だって、

パーキンソン症候群に含まれるではないか!

 

髄液漏れの場合、報道される患者さんはあまりにも最近の事故の方が多く、

「起立性頭痛」やめまいが強調されて報道されているために、

他のパーキンソン病に似た症状はあまり知られていないと感じる。

 

もしかしたら、これらのパーキンソン病に似た症状は、

髄液漏れたまま、長く放置された私のような患者にしか体験しない症状なのかもしれない。

 

さらに、

脳脊髄液減少症で人体に起こる症状の詳細を知らない神経内科の医師たちは、

脳脊髄液減少症のパーキンソン病と非常によく似た症状の存在すらよく知らず、

パーキンソン症候群としての、

脳脊髄液減少症の存在に、

気づいていないのではないか?

 

逆にいえば、

パーキンソン病は原因不明で脳の最深部に異常が起き、

神経伝達物質が異常になって症状が出るそうだが、

もしかしたら、

髄液漏れにより、脳が正常な量の髄液に浮かべないことにより、脳が重力で下にさがって、

脳がひしゃげて、それで、脳の最深部が圧迫されて細胞に異常をきたし、

神経伝達物質に異常が出る可能性だって

ゼロじゃないんじゃないか?

とか、素人ながら、いろいろと想像する。

 

だって、髄液が減るという病態に関して、

研究されはじめたのは、ごく最近なんだから。

 まだまだ髄液が関する未解明の病が

潜んでいる可能性があったって

なんら不思議ではない。

 

いろんな症状の影に

髄液漏れが原因となって潜んでいる可能性だって

あるんじゃないかとも思う。

 

実際、

私が髄液漏れで経験した症状は、

パーキンソン症候群と重なる症状が多い。

 

たとえば、以下の症状や特徴は脳脊髄液減少症でも経験しました。

●歩行失調

・足の動作がうまくいかない。

・小刻み歩行、(大きく歩幅がとれない。)

・足のすくみというか、足を出しているつもりが出せていない、太ももが上がらないのと、足首の先が上がらず、足が前に出ていないのに、出ているつもりで転ぶ、ささいな地面の起伏につまづきやすく、転びやすい、)

・突進歩行(とまでは言えないかもしれないが、歩きだすと、前につんのめっていく感じ、一歩一歩がしっかり踏みしめられない感じ)

●尿漏れ(切迫性尿失禁)(ひどい頻尿や多尿によるものと、足がもつれること、手が動きにくいことがあいまって)

●認知機能の低下

●平衡障害

●平衡障害と足の異常で坂道が怖い、手すり、杖がないと、怖い。

●抑うつ症状 なにもかもがおっくうで人に会いたくもなくなる。やる気がでない。

●便秘(直腸が蠕動運動を起こさなくなった感じで自然に出なくなる感じ)

●仮面のような無表情の表情

●顔が動かないし、舌が動きにくいから、しゃべりにくくもなる。

●字が書きにくいし、しゃべりにくいし、気力が低下するから、自分の苦しさを医師や周囲に訴えることさえ

つらくてできなくなる。

●体が思うように動かない感じ

●化粧や料理、洗濯、入浴、掃除、ドライヤーで髪を乾かすなど、なにもかもがおっくうでいろいろなことが苦手になった感じ。

●手を使うことが苦手、

字を書きにくい、

手の細かい動きがしにくい、

はしが使いにくい、

着替えが苦手、ボタンがかけにくい、

料理での細かな手の動きがうまくいかない。

 

加えて、頭も働かず手順も混乱し、すべてが疲れて疲れて苦痛。疲れて最後までやりとおすことができず、途中で中断せざるを得なくなる。

●動作が緩慢になる。てきぱき動けないため、同じ仕事量でも多量に感じてこなせなくなる。

これらの症状が出たり消えたりする。

 

 

私の場合、これ以外にも、さまざまな症状もあるし、

番組に出てきたパーキンソン病の患者とは違う症状もありました。

 

違うところは、やせる時期もあったけれど、

甲状腺機能低下症のようなそっくりの症状とともに体重増加の時期もあったところ。

 

多発性硬化症のように、症状がよくなったり悪くなったり、その症状が消えたり出たりと

症状に波があるところ。

 

今回の長崎大学大学院教授の

池田正行先生は問診の鬼だという。

その先生の言葉が心に残った。

 

「問診とは、患者の症状を聞くだけではない。

検査ではわからない病気が世の中にはたくさんある。

問診ではじめて患者さんがどこが困っているかという、核心を知ってはじめて、

診断できる、

そういう病気がいっぱいある。」

「初期のパーキンソン病の場合、MRIを撮っても診断できない。

あの高い機械を使ってもパーキンソン病と診断できない。

だけども問診でこうやって診断できたわけですよ。」

 

脳脊髄液減少症についても、

多くの患者に接した医師が症状を聞きだし、それをまとめ、

多くの医師に広め、

 

すべての科の医師たちは、

今後はしっかりとした問診だけで、その症状の根本原因である

脳脊髄液減少症が見抜けるまになってほしい。

 

そういう問診だけで、髄液漏れの可能性に早期に気づき、

より詳しい検査へ導けるような医師ががこれからどんどん増えていってほしいと思う。

 

昨夜のドクターG「体が思うように動かない」は

来週の木曜の午後4時5分から再放送されます。

見逃した方はどうぞ。

 

 

なお、幻冬社から

ドクターGの本が出ています。

「医者は病気をどう推理するか?」

 

普段出会う医師は、患者の症状ひとつだけに関心を示し、(特に自分の専門科の症状のみに関心)

他の症状は無関心でどうでもいいといった感じで、

症状から病を総合的に推理する能力、探偵能力が欠けている医師が大半ですね。

 

もっとも、

普通のクリニックで一人の患者にたっぷり時間をかけて問診なんてやってたら、

クリニックつぶれちゃうから、

無理なんでしょうけど。

 

患者の主訴に対して、どんどん診察して診断して薬を出して患者の数をさばかないと

終わらないし、

経営的にやってられないのはわかりますけど。

 

 

 

 

 

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今夜10時 NHKで「新 ドクターG」

2012年06月28日 | 情報

今までこのブログでも、

総合診療医ドクターGについて

何度か記事にしてきました。

(過去記事を読みたい方は、右上のブログ内検索で「総合診療医ドクターG」で過去記事を検索してみてください。)

 

患者の症状から、病名を推理する

病名推理エンターティメント

ドクターGの新シリーズ

今夜からはじまります。

 

この新シリーズに先駆けて、

今までのドクターGの再放送が、

ここのところ

毎週木曜の午後4時5分からずっとあったのですが、

見るたび、私は思いました。

 

NHKの連続テレビ小説の

女医さんの物語の

梅ちゃん先生」を見ても思いました。

 

どう思ったかって?

こう思いました。

 

医師を志す若い人たちは

先輩医師から、こんな風に、

こんな症状の時は、この病を疑え、

こんな症状の影に、こういう疾患があり、こういう処置が有効、だと

何度も繰り返し教えこまれていくのに、

 

交通事故で起こる外傷性の髄液漏れの症状の多彩さ、ものすごさ、

信じられないほどの想像を絶する苦しさ、

高次脳機能障害の恐ろしさなんて、

その見抜き方、診断の仕方、画像の読み方、治療の仕方なんて、

現在、大学の医学部で教えてくれる人もいないわけだから、

すでに卒業して医師免許持って仕事している、今いる医師たちが、

たとえ、外傷性の髄液漏れ患者に遭遇したとしても、

 

その症状から、髄液漏れだって

すぐ見抜けるわけないな』

と。

 

 

まあ、今回のドクターGのシリーズにも

脳脊髄液漏れは取り上げられないと思うけど。

 

あまり期待しないで見るつもりですが、

本日の番組内容を見ると、

『「体が思うようにならない」

仕事をまじめに頑張る54歳の保険外交員の女性。

夫と始めた社交ダンスがささやかな楽しみだ。

そんな彼女が、ひと月前に会社で転び、

頭を打って以来、体が思うようにならなくなったと感じている。

しかし振り返ると、1年前から仕事でミスが重なったり、

料理が面倒くさくなったりして、何かとおっくうに…。

彼女を襲った病名は?』

とある。

 

「転倒、頭を打った、仕事のミス(注意力判断力の低下)、気力の低下、何もかもがおっくうになる、

体が思うようにならない。」って

それって髄液漏れの症状でもあるから、

もしかして・・・・?

今夜こそ?って

淡い期待をしてしまいます。

 

録画セットして見ることにします。

その後も

「痛くて死にそう、立つとくらっとする、息が苦しい」

などと、

髄液漏れでも起こりうる症状が取り上げられますから、

もしかして

今回のシリーズこそ、脳脊髄液減少症が取り上げられるのでは?と

期待してしまいます。

 

視聴者の皆さんの意見次第によっては、

今後番組で取り上げられるかもしれませんから、

取り上げられるまえ、

みんなでまたNHKに要望を伝えていきましょう!

 

NHKは、公共放送として、

ためしてガッテンとか、

NHK特集とかでも、

髄液漏れという事故後遺症の存在について、

詳しくわかりやすく、1時間番組で取り上げ

しっかりと国民に伝える義務があると思いますから。

 

その義務は、まだ果たされていないのですから。

毎日新聞など新聞社が放送して

広く伝えようとしてくれているのに、

NHKだけがあまりにも無関心でしたから。

 

 

なお、ここのところ、この新シリーズドクターGの再開に向けて、

毎週木曜午後4時05分から、

『ドクターG選』 として、

以前のドクターGの再放送がありましたが、

本日も午後4時05分から、

総合診療医 ドクターG選「突然意識を失った」

再放送されます。

 

______________

番組終了後追記

病名はパーキンソン病でしたね。

パーキンソン病の症状は、私の経験した髄液漏れでの症状そっくりなので

改めて驚きました。

 

もしかしたら、パーキンソン病にも髄液はかかわっているのかもしれません。

番組詳細はこちら。

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STOP! 脳脊髄液減少症の見逃し

2012年06月26日 | つぶやき

長期天気予報によると、

この夏は暑くなりそうです。

 

STOP熱中症 

教えて!「かくれ脱水 」委員会

の新聞広告を見ました。

それを見て、私は思いました。

 

脳脊髄液漏れ患者は、慢性脱水状態みたいになるわけだから、

それこそ、

さまざまな症状に隠された、

「かくれ脳脊髄液漏れ患者」を見逃さないでほしいと。

 

たとえば、ここに書かれている

脱水症を起こしやすくする変化③は

まさに、脳脊髄液減少症でも起こる症状なのだから。

 

私の経験からも、

髄液漏れ患者は、吐き気やおう吐や下痢が起こるし、

自律神経はおかしくなるし、

体温調節機能は低下し、汗は出にくいし、

かつ、抵抗力も落ちてきます。

その上、髄液漏れて、頻尿になると

常に脱水状態のようなもので、

のどはカラカラになり、目は渇き、汗が出なくなり、

さらに具合が悪くなるといった、悪循環に陥り、

 

特に夏場は脱水症状になりやすく、

熱中症にもなりやすいと思います。

 

つまり、

かくれ脱水に 隠された、髄液漏れ患者を見逃さないでほしい。

と思いました。

 

乳幼児でも、

高齢者でも、

脳脊髄液漏れは起こるのです。

 

たんなる脱水、たんなる熱中症ではなく、

その影に、

それらになりやすく、重症化しやすい、髄液漏れ患者が隠れていることにも、

気づいてほしい。

『教えて!かくれ脱水委員会』の医師たち は、

どれだけ脳脊髄液減少症の知識をお持ちでしょうか?

 

隠れ脱水の早期発見や、

熱中症予防を訴えるなら、

それと同時に、

それらの症状を普通の人より引き起こしやすい、

高齢者や乳幼児だけでなく、

「かくれ脳脊髄液減少症患者」に対しても、

興味関心を持っていただきたい。

 

脳脊髄液減少症に対ても、よく勉強してほしい。

 

教えて!「かくれ脱水」委員会 の協力企業の中に、

オーエスワンで早くから私たちを助けてくれた、大塚製薬工場が入っています。

大塚製薬工場さんは、脳脊髄液減少症患者の存在に、

早くから気づいていたはずです。

 

そうならなおさら、「STOP熱中症」のための

「かくれ脱水」の啓蒙だけでなく

「STOP 脳脊髄液漏れの見逃し

STOP 脳脊髄液減少症の医師の見逃しによる重症化」

と、

「かくれ脳脊髄液漏れ」の啓蒙に協力してほしいと思います。

 

 

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本日午後1時50分から、NHKで 「水俣からの問いかけ」

2012年06月24日 | 情報

NHKスペシャルアーカイブ

シリーズ 環境 ②

「水俣からの問いかけ」

本日 午後1時50分から(70分)

この番組中紹介されるのは

NHKスペシャル

「戦後50年 その時 日本は 

第4回 チッソ・水俣 工場技術者たちの告白(1995年7月1日放送 59分)

 

以下番組ホームページから

6月環境月間のシリーズ2回目は、日本の「公害の原点」といわれる水俣病の問題を改めて見つめる。

1956年に公式確認され、この7月末で、水俣病未認定患者救済の申請が締め切られるなど、注目を集めているこの公害病は、

チッソの化学工場の廃液に含まれる有機水銀が、魚など自然界の食物連鎖で起きたものである。

このような形のメチル水銀中毒は世界初で、「ミナマタ」は世界にその名を知られた。

しかし、加害企業であるチッソが責任を認めるまでには、長い歳月がかかった。

番組では、戦後50年の1995年に放送されたNHKスペシャル「チッソ・水俣 工場技術者たちの告白」を視聴し、命や安全と企業の問題について、福島第一原発後の視点もあわせて考えていく。

水俣を長年見つめてきた石牟礼道子さんや6月11日に亡くなった原田正純さんからのメッセージも交え、

環境汚染と人間について現地・水俣から問いかける。


ゲスト:姜 尚中さん(東京大学大学院教授・熊本出身)
※桜井洋子キャスターが、水俣にて現地収録

 
<ご覧いただくのは>
■NHKスペシャル「戦後50年 その時 日本は 第4回 チッソ・水俣 工場技術者たちの告白」
(1995年7月1日放送 59分)

以上NHKの番組ホームページから。

 

 

脳脊髄液減少症についても、

いつか損害保険会社社員たちの内部告発的な、告白が聞きたいものです。

 

 

 

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脳脊髄液減少症患者は「語りべ」となる勇気と覚悟をもとう。

2012年06月22日 | つぶやき

6月23日は

沖縄県が定める慰霊の日です。

本日22日(金)深夜、関連番組があります。

また本日のNHKで

86歳の沖縄の戦争の語りべ

宮城巳知子さんが、

 

体力の限界から

319回目で、最後となる、若い人たちへの「平和授業」の話題の放送がありました。

 

宮城巳知子さんについては、こちらのブログ記事をどうぞ。

10年前の琉球新報記事はこちら

戦争の悲惨さを知るには、たった一人の体験者の話を聞いたからと言ってわかるものではない。

悲惨さが十分わからなければ、

また過ちを繰り返しかねない。

 

多くの戦争経験者の中で、死んだ人たちは無言だ。

生き残った人たちも、思いだしたくもないつらく悲しい過去を、

語り続ける勇気と覚悟がある人たちは

全体の戦争経験者のごく一部の人たちだと思う。

 

でも、

その人たちがそれぞれに、自分たちの体験を語りついでくれたからこそ、

その人たち一人ひとりの経験したことがが、次第に集まってはじめて、

戦争の全体像、悲惨さが浮かびあがってくると思う。

 

脳脊髄液減少症だって同じだと思う。

 

マスコミで報道される患者の体験は、その人だけのものだ。

一人の体験だけで、

脳脊髄液減少症のすべてがわかるはずがない。

 

多くの患者の声や体験が集まってはじめて、

脳脊髄液減少症の全体像が浮かびあがってくるはずだ。

 

戦争で経験した悲惨さが、一人一人違うように、

私たち患者が経験した脳脊髄液減少症の症状も悲惨さも、その苦しみの長さも、ひとりひとり違う。

 

でもその一人ひとり違う体験が集まって

はじめて、

真相が見えてくるのだ。

 

戦争体験者が、今まで命をかけて、

苦しみと悲しみを乗り越えて、

戦争の悲惨さを語り続けてくれたように。

 

若い人たちに「戦争」という過ちを繰り返さないように

戦争で生き残った方々が、

亡くなった方を思い、

生き残った者の使命として、体力の限界まで「平和への思い」を語り続けてくれたように。

 

私たちも、患者ひとり、ひとりが、語り部となって、

実名で、体験を語る勇気をもとう。

誰にも理解されず、

病名にも治療にもたどりつけないまま、

孤独の中亡くなっていったであろう、過去の交通事故被害者の髄液漏れ患者たちのためにも、

生き残りとして、

助かったものとして、

使命感を持って、「語り部」となり伝えていこう。

 

事故の外傷後に我が身に起こったことのすべてを。

それが交通事故であったがために、

他の原因より、さらに無理解と理不尽さに苦しめられてきたことを。

一人ひとりの体験を、どんどん語りはじめよう。

勇気を出して。

 

それが、私たちに与えられた使命だと思う。

 

戦争を語り続ける人たちと同じで、

これからの若い人たちに

同じ苦しみ、同じ過ち、同じ悲しみを繰り返させないために。

 

 

 

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脳脊髄液減少症について、何もわかっていない無知な医師を絶滅させよう!

2012年06月21日 | つぶやき

脳脊髄液減少症の患者の生の声にも耳を傾けようともしないで、

実際に治療にも積極的にかかわっていないで、

脳脊髄液減少症患者の、検査診断治療の症例数も、経験もほとんどないくせに、

批判だけする医師がまだまだいるのは残念だ。

6月10日の東奥日報記事でむかついた。

それは、

脳脊髄液減少症について、ほとんど興味関心がないマスコミが多い中で、

一部の記者さんたちが、勇気を持って、髄液漏れ患者の実態について、

伝え続けてくれたことに対し、批判的な医師の記事が載っていたからだ。

個人攻撃はしたくはないが、

新聞記事に対して怒るのは自由だろう。

 

無理解な医師の存在に、

私は怒り狂っている。

 

県内の髄液漏れ患者の生の声だけでなく、

そういう医師の存在すらも、ありのままに、うまく私たち患者に伝えてくださった、

東奥日報の菊池賢 記者様、

ありがとう。

 

あなたもまた、勇気ある記者のおひとりとなって、

今後とも取材を続け、伝え続けてほしいと思う。

 

かつて、水俣病の実態を全国に伝えつづけた記者さんがいたように。

 

ネット上だけでは読めない、あの記事の続きを、

ここに公開させていただく。

そして、そののち、私の意見を述べさせていただき、

今までがまんしてきたが、

もうがまんの限界なので、爆発させていただく。

 

 

以下、東奥日報 6月10日づけ記事

「国が診断基準提示、先進医療を承認

保険適用膨らむ期待

脳脊髄液減少症に苦しむ本県患者

一層の理解、支援訴え」

(中略)

↑の記事の続き

 

『「前進」「未解明部分も」

医療関係者 見解さまざま

脳脊髄液減少症については県内の医療関係者の間でもさまざまな見解がある。

青森県臨床整形外科医会の大竹進医師(青森市)

「医学的にまだ不明な点が多い。

受傷メカニズムや病態が解明されることを期待している。」として、

「薬、点滴、リハビリなどの一般的な治療は保険適用になっており、整形外科であればどこの保険医療機関でも受けられる。

ブラッドパッチの治療成績は、必ずしも安定していないが、(先進医療承認などの国の動きは)

一歩前進と評価している。

治療方法の一つとして有効性が明らかになることに期待したい。」と話す。

 

県立中央病院(青森市)の 西嶌美知春副院長(脳神経外科)

「脳脊髄液減少症については否定はしないが、

マスコミ先行で症状がクローズアップされ、

実態が解明されていない面もある。」と指摘。

「症状を訴える患者は、深刻でつらそうなので、親身になって相談に乗る体制は必要」と語る。

同病院では脳脊髄液減少症を訴え受診する患者が年間7、8人おり、画像検査などを実施し、

必要があれば仙台医療センターに紹介している。(菊谷 賢) 』

 

 

以上、東奥日報6月10日記事より。

こんなとんでも医師の存在を、私たちに知らせてくれた、菊谷記者さん、ありがとう。

あなたは勇気ある記者さんですね。

 

記事中登場する医師の皆さま、

東奥日報記者の取材に対して、

脳脊髄液減少症患者に理解があるような、一見無難なコメントだけど、

本家本元の脳脊髄液減少症患者の私の目はごまかせないよ。

 

一番頭にきたのは、青森県立中央病院の、脳神経外科の副院長の言葉だよ。

「脳脊髄液減少症については否定はしないが、マスコミ先行で症状がクローズアップされ、

実態が解明されていない面もある」

だと。

なんだよ、その言葉は。

それでも、県立病院の副院長の言うことかよ。

脳神経外科の言うことかよ。

私は激怒しましたよ。

 

あなたが勉強不足で脳脊髄液減少症のことを何もわかっていないから、

そんな言葉がでるのでしょう?

少なくとも私はそう感じましたよ。

 

「脳脊髄液減少症については否定はしないが」ってそりゃ否定はできないわね。

だって、脳脊髄液は漏れる、それにより症状が出るということが、現実に存在し起こるってことは、

厚生労働省の脳脊髄液減少症の研究班が、認めてしまったんだから。

 

このごに及んで、「脳脊髄液減少症については否定しないが、」なんて言っているようじゃ、

「私は勉強不足の脳外科医です。私は最先端の医療には、勉強不足でまったく無知です。」って

自ら告白しちゃったようなもんだわね。

 

あ~残念。

まさか、「(脳脊髄液減少症という病態の存在には)否定はしないけど、」なんて言葉を

今だに吐く医師がいるとは。

それに、

「マスコミ先行で症状がクローズアップされ、

実態が解明されていない面もある。」って言葉もむかつく。

 

勇気あるマスコミ関係者が、

今から何年も前、

交通事故での髄液漏れの存在に対し、否定派医師がほとんどだったころ、

批判やバッシングを覚悟の上で、

伝えてくれたからこそ、

私は脳脊髄液漏れだと気づけて、専門医にたどりつけたんだよ。

 

なのに、そのマスコミを悪者にするのかい?

 

あなただって、マスコミが報道してくれなきゃ、脳脊髄液減少症患者の具体的な症状なんて知らなかったろう?

 

実際の診察の現場でも、なかなか髄液漏れの診断がすでについた患者の話はあまり聞けないし、

治療で回復した患者の話なんてもっと聞けないだろう?

 

医学部でも脳脊髄液減少症患者にどんな症状が出るのか習ってこなかっただろうし、

教科書にも書かれていない。

では、どうやって、実際の患者の症状を知るんだよ。

 

マスコミ記者が、実際の患者を取材して、文字にしたり、ニュース報道でもしてくれない限り、

あなたがた医師だって、

患者の現実を知りようがないじゃないか。

 

それなのに「マスコミ先行で症状がクローズアップされ」ってなんだいその言葉は。

全然患者の現実をわかっていない。

 

マスコミ報道で、自分の不可解な症状の原因が、髄液漏れかもと気づき、

治療に結びついたケースが、どれほどあるのか、全くわかっていない。

 

勇気ある記者さんたちが、

自分たちができることは何か考えた末に、批判を覚悟で書き続けて下さった脳脊髄液減少症に関する報道で、

私たち患者は、どれだけ救われ、どれだけ励まされ、勇気づけられてきたかわからないというのに。

 

人の命を救うのは、医師だけではないんだよ。

おごるんじゃないよ。

 

マスコミ記者だって、情報を人々に伝えることで、

人の命を救うことができるんだよ。

 

それなのに、脳脊髄液減少症について伝え続けてくれたマスコミ記者さんを批判するなんて、

私は絶対に許せない!。

 

自分たちは私たちを見て見ぬふりして、真摯に話も聞こうとしなかったから、

「マスコミ先行」に感じるだけじゃないのか!。

 

「脳脊髄液減少症に対して」こんな不勉強で、無理解な考えの副院長がいるような県立病院なんて、

世も末だね。

私は絶対行きたくないね。

 

「同病院では脳脊髄液減少症を訴え受診する患者が年間7、8人おり」というけれど、

それは、

マスコミを通じて、自分の症状が「もしかしたら、髄液漏れじゃないか」と

自分で気づいて、自分で受診してきた、ごくごく一部の患者にすぎないだろう。

その一部の患者ですら7、8人もいるって、ことは、

 

あなたの病院の、精神科や小児科や、内科や、耳鼻科や、眼科や、婦人科に、

それぞれ、髄液漏れの症状とは気づかず、受診している潜在患者がもっともっと

たくさんいるってことなんだよ。

なんで、そのことがわかんないんだろう。

イラつくな~。

 

髄液漏れ患者の症状も詳しくしらないで、

そんな風で、画像診断だけで、仙台医療センターに紹介すべき患者を見抜けるとは

私には思えないね。

 

この病態はね、ものすごいいろんな症状が出るんですよ。

 

もし、起立性頭痛がないから違うなんて思いこんでいたら、その人を悪化させ、やがて死に追いやるよ。

症状を知らなきゃ、正しく問診もできないし、

正しい診断だってできないじゃない。

 

総合診療医は問診だけで、たいていの病名の目安がつくというけれど、

髄液漏れ患者を数多く診てきた医師なら、

画像診断の前に、問診だけで、髄液漏れかどうかだいたいわかると思うよ。

 

また、次にむかつくのが、

青森県臨床整形外科医会の大竹進医師の言葉、

「医学的にまだ不明な点が多い。

受傷メカニズムや病態が解明されることを期待している。」という一見無難な見解。

 

この言葉の中にも、

私は「この先生、あんまりこの病態について知らないな。」と感じた。

整形外科医なんだから、

「受傷メカニズムや、病態が解明されることを期待している。」なんて

他力本願なこと言っていないで、

自ら、「整形外科医として、症状を訴えて私のところに受診してくる患者さんを

これからは注意深く観察して、

受傷メカニズムや病態が解明されるよう、研究班の先生方にも情報を提供していこうと思います。」

ぐらい言ってよ。

 

「病態が解明されることを期待している。」なんて

「おらしらね~」と言われているみたいに、私には感じちゃうよ。

 

それに「ブラッドパッチの治療成績は必ずしも安定していないが、(先進医療承認などの国の動きは)一歩前進と評価している。治療方法の一つとして有効性が明らかになることに期待したい」って何よ。

 「ブラッドパッチの治療成績は必ずしも安定していない」って何よ。

 

あなた、髄液漏れ患者に対して、

いったい何例ブラッドパッチしたことあんのよ。

整形外科医たちだけの集まりでの情報だけをうのみにしていない?

 

実際の脳脊髄液減少症患者の症例数豊富な医師の話を聞いたことないんじゃない?

それに、

ブラッドパッチ治療は、腰椎麻酔後の針穴からの髄液もれ による、

起立性頭痛などの治療として、保険適用で昔からあったはず。

医学界でも認められていたはず。

麻酔科医なら、常識だったはず。

 

それなのに、交通事故後の外傷によって起こる髄液漏れに対して有効だということはなかなか認められず、

なかなか保険適用にもならず、急に批判や慎重になる医師がいるのは、不思議きわまりない。

 

そのおかげで、治療が自費になり、その自費の治療が受けられず、苦しみ抜いて亡くなった人だっているだろう。

そんな患者の苦しみがまったくわかっていないから、

この「ブラッドパッチの治療成績は必ずしも安定していないが、(先進医療承認などの国の動きは)一歩前進と評価している。」という、

人ごとみたいな言葉になってあなたから出てくるんだろう。

 

命がけで、何年も困難に耐え抜いて、バカにされながら、冷笑されながら、

訴え続けて、一歩前進させたのは誰なんだよ。

 

私たち患者と、脳脊髄液減少症の専門医たちじゃないか。

 

評価するなら、ここまで訴え続けた患者と脳脊髄液減少症の専門医を「評価」してほしいよ。

 

ここまでくるのに、どれほど待たされ、どれほど無理解や症状に耐え抜いて、訴え続けてきたんだよ、

 

私たち患者の苦しみを考えたことがあるのか?

何を「評価」しているんだよ。

いったいあなたは何様なんだよ。

評価している暇あったら、

実際に医師として、今日からできることをはじめてよ。

 

あなたの目の前に、腰痛を訴えてくる患者はいないですか?

あなたの目の前に、手足のしびれを訴えてくる患者はいないですか?

あなたのところに、首の痛みを訴えてくる患者はいないですか?

 

そういう患者の中に、髄液漏れ患者が潜んでいるんだよ。

かつて、髄液漏れとわかるまえ、整形外科通いしていた私がそうだったから。

そうして、

整形外科医に髄液漏れを見逃されて、

髄液漏れ患者は次第に症状が悪化し、歩行困難、寝たきりになっていくんだよ。

 

働けなくなり、稼げなくなり、日常生活ができなくなり、病名がつかないから怠け者とののしられ、

家族にも症状を信じてもらえず、

それで患者が自殺したら、

見逃した医師は、間接的人殺しだからね。

 

それを肝に銘じて、もっと髄液漏れについて勉強してください。

そして、

めんどうでも積極的に患者を診察するように努めてください。

 

そうすれば、生の患者の教科書から、脳脊髄液減少症という疾患がどういうものか、

次第に教えられ、わかってくることでしょう。

 

もう、これ以上、脳脊髄液減少症について、不勉強で無理解な医師を存在させ続けないでくださいよ。

 

脳脊髄液減少症について、

何もわかっていない、わかろうとしない医師を、理解ある医師に変えていけるよう、

患者が根気よく、訴えていきましょう。

 

いつか、必ず、脳脊髄液減少症に対し、無知で無理解な医師が絶滅するその日まで。

根気づよく、

絶え間なく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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てんかんと差別、病気と差別

2012年06月20日 | つぶやき

本日NHKハートネットTV「カキコミ深層リサーチ」で

午後8時から

「てんかんと向き合う」の2回目が放送されます。

 

病気と差別

 

何の罪もない人が、たまたまその病になったというだけで、

その病気の症状のせいで、

周囲の無理解と無知から、誤解や偏見や差別が生まれ、

長い歴史の中で、繰り返されてきた過ち。

 

ハンセン病しかり、水俣病しかり、てんかんしかり・・・・

 

特にてんかんに関しては、

私は子供のころから、

「差別」を身近に感じていた。

 

それは、私の母親が

「あとで気がつくてんかんもち」という言葉を自分や人に対して

発するのをよく聞いたからだ。

 

それはどういう意味かというと、

「ぼんやりしていて、物事を忘れていたり、忘れものをしたり、失敗などして、後でそのことに、ハッと気がつく」

人を笑いとばす意味の言葉だ。

「まるで、てんかん患者さんみたい。」というわけだ。

 

私はこども心に、どうして、こんなたとえ話が日常的に発せられるのだろうと思った。

今考えると、私の母のそのまた前の世代から、

こういった「差別言葉」が日常的に何のためらいもなく、普通に使われていたのだと思う。

 

それを思うと

てんかん患者さんに対する差別は、

今にはじまったことではなく、長い長い歴史があるのだと感じる。

 

てんかんと診断されていた人間が、

それを隠してクレーン車を運転し、

小学生6人を死亡させたあまりにも悲惨な交通事故。

(その発作を起こす病を招いた本当の原因は他にもあるのではないか?

たとえばなんらかの外傷など・・・

だって、幼いころ、その親が虐待していたと裁判で親自ら発言していたようだから。)

 

その後、ご遺族が起こしたその人が働いていた職場を訴える裁判や、

てんかん患者に対する無申告運転の厳罰化などの署名が提出されたニュースは

なぜか私の心を暗く沈めた。

 

私は何の罪もない交通事故で、

髄液漏れという目には見えない事故後遺症を負い、

それを長い間見逃されてきた被害者だ。

 

たとえ、命は助かっても、「あの時事故で死んだ方がむしろ楽だったのではないか」と

思うほど苦しんできた。

 

だから、悲惨な交通事故で

朝行ってきますと元気で家を出た、我が子を失くした親の、怒りも悲しみも苦しみも、私は

十分に想像はできる。

 

病気や症状を隠して、就職し、運転をし、しかも、あんな大きなクレーン車を運転する仕事にまでつかなくても、

よかったのにと、本人の無自覚への怒りも私にも起こる。

 

怒りの矛先を、その成人した人間だけでなく、その家族や親や、

その人間の職場に向ける気持ちもわかる。

 

その運転手の病を申告されず、

知らなかったという職場の責任を問い、

職場に損害賠償を求める気持ちもわかる。

 

交通事故被害者の気持ちは、私は命は助かったけれど、

同じ交通事故被害者として、

遺族の怒りや悲しみは十分想像はできる。

 

それなのに、

なぜか私は、患者側の気持ちや、その職場の人の気持ちや、家族の気持ちをも、

同時に想像してしまう。

 

その署名提出により

多くのてんかん患者さんがさらに、悩み苦しむことも想像してしまった。

 

その病気になってみないと、社会のその病気に対する無理解はわからない。

けれど、

なぜか、私にはてんかん患者さんたちの、世間からの冷たい視線や無理解の中にある苦しみも、

想像することができる。

 

同じ脳外科の病で、

同じ社会の無理解と、症状による日常の生活しにくさを感じたり、

無知な周囲の誤解と偏見を恐れているからか。

 

本当の意味で、

こんな悲惨な事故や

悲惨な事故の悪循環を繰り返さないためには、どうしたらいいか、ずっと考えている。

 

それは、患者を厳しく取り締まることだけじゃない気がする。

運転免許取得時の申告制度の徹底と、無申告での運転の厳罰化だけじゃない気がする。

 

病気の人が、病気を隠さなくても安心して生きていける社会の構築が先だと思う。

 

病人が、安心して治療を受けられ、安心して社会復帰できる社会。

その仕組みなくして、本当の問題解決にはならないと思う。

 

 

長い歴史で繰り返されてきた、病気の正しい知識がないための、社会からの患者への差別。

誤解と偏見。

その過ちを、脳脊髄液減少症に繰り返してはならない。

絶対に繰り返してはならない。

 

そのためには、

患者自身も患者の家族も変わらなければならない。

脳脊髄液減少症になったことを、隠すことなく、

毅然とした態度で、訴えていなければならない。

 

隠そうとする気持ちが、

さらなる誤解や偏見、差別、を生むことにも気付くべきだ。

 

脳脊髄液減少症が治るなら、治らない病より

なおさら隠す必要なんかぜんぜんないのだ。

 

風邪にかかったことを隠す人はいない。

ケガで骨折したことを隠す人もいない。

それは、治療でやがて治る病だから、本人は安心して周囲に公表できるのかもしれない。

 

周囲も安心していられるのかもしれない。

 

ならば、脳脊髄液減少症も隠す必要なんて全くない。

 

脳脊髄液減少症は治るのだから。

 

 

脳脊髄液減少症の認知が、

日本全国、世界中に徹底すれば、 

診断治療する医師が増えれば、

早期発見、早期治療なに至れる患者が増え、

完治の確率はもっともっと上がるはずだから。

 

なに?

完治していないあなたの言い分なんて信用できないって?

交通事故での髄液漏れも、

長年の見逃され体験も、

数々の症状の苦しみも、

何も経験していない医師の言い分より、

実際の患者の言い分の方が

信ぴょう性があるにきまっているじゃない?

 

もう一度、いいます。

髄液漏れは治ります。

脳脊髄液減少症は治ります。

 

でも、それには、根気とコツと、お金と時間と、この病を治せる医師の正しい判断と治療と

自分自身の心構えが必要だけど。

 

根性論ではどうにもならないけれど、

患者が自分で何の治るための努力をせず、

根性ゼロで、医師や薬まかせで治そうと思ってもなかなか治らないけど。

 

てんかん患者さんの声に耳を傾けることは、

私たちにとっても必要なこと。

 

病になったために差別を受けることがないように、

悲惨なことが繰り返されないように、

 

今度は同じ差別や偏見が

脳脊髄液減少症に起こらないようにするために、必要なことだと思う。

 

ここにも書いてあるけど、

正しい知識を得て、

 「症状は多様で、ひとくくりのイメージにしてはいけない」のは

なにも、てんかんだけではない。

 

脳脊髄液減少症だって、

「症状は多様で、ひとくくりのイメージにしてはいけない」んだから。

 

「脳脊髄液漏れ患者は、起立性頭痛が100パーセントある」という考えは

まさに、多様な脳脊髄液漏れの症状の一つだけを取り上げて、

ひとくくりのイメージにしてしまった、間違いの典型例だと思わない?

 

水俣病だけでなく、てんかんからも

過去からの学ぶべき教訓は

たくさんあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

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本日6月19日の朝日新聞文化面に「原田正純さんを悼む」

2012年06月19日 | 情報

本日19日の朝日新聞に

水俣病患者支え続けた 笑顔「原田正純さんを悼む」

と題して、

「苦海浄土 わが水俣病」で

水俣病の現実を描いた、作家の石牟礼 道子(いしむれ みちこ)さんの言葉が載っています。

ぜひ、お読みください。

 

石牟礼さんの文章から以下一部引用

「人見知りの強い私が、水俣のことをご相談するのは、限られた患者さんたちと、

人の生くべく道を身をもって示してくださった原田正純先生だった。」

(中略)

『母親の胎内というものは、侵すべからざる神聖なところで、外界からの毒物は侵入しないというのが

当時の医学的定説であった。

二人の小児患者を持つ母親から「おこられて」、胎児性がありうると考えはじめたと

先生はおしゃっていた。』 (中略)

『最近はこんなこともおしゃっていた。「この症状はただの病気じゃなかですもんね。

殺人ですよ。

公害のなんのちゅう名前をつけて、原因ははっきりしとります。

チッソを公の機関と思ってる人がいるんでしょうか。いるんでしょうね。

これはれっきとした犯罪です。

これを取り締まらずして他の個人犯罪ばかりを追っかけるのは府に落ちんですよ。

水俣の被害者は、こんな世間に、どれだけ遠慮していると思いますか、そうでしょ。・・・・・(つづく)』

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ご注意!台風4号接近中

2012年06月19日 | 情報

私は今まで、低気圧に、何度も殺されそうになりました。

大げさでなく、本当に。

だって、脈拍が異常に多くなったり、呼吸ができなくなるんだもん。

はたからみれば、まるでパニック障害のようで、急を要するようには

見えないかもしれませんが、

本人は本当に苦しんでいるのです。

 

髄液が正常な人は、低気圧の時は、体調が悪化しても、古傷が痛んだり、気分がどんよりしたり、

眠たくなったりする程度でしょうけど、

ひどい人でも頭痛、めまい、関節痛程度でしょうけど、

 

髄液が減っている患者にとって、低気圧での症状悪化は、そんなもんじゃないんです。

 

本当におおげさではなく、命を取られるかと思うほど、意識失うほど、

激烈に症状が悪化することがあるんです。

全身に激痛も走ります。

手足の関節が全部もぎ取られそうな痛みです。

本当なんです。

 

本日は、朝から水分をガンガンとって、

最悪の場合のためのオーエスワンと、体への自主的加圧の準備できてます。

低気圧で症状を出さないためには衣服を緩めてゆったりさせるという意見もありますが、

私の場合は逆、

最悪の時は、体を締め付け自主加圧します。

それで楽になった経験が過去にあるから。

詳しく書くと長くなるから、このへんで。

 

昨年の5月28日放送の

世界一受けたい授業

「バイオウェザー 梅雨の病気前線に気をつけろ!」 をご参考ください。

福岡義隆先生のプロフィールはこちらこちら

先生や気象病を研究されている他の先生方は、

既成の病気と気圧の関係には詳しくても、

 

脳脊髄液減少症患者の、低気圧による、激烈な症状悪化を

ご存じないんだろうな。

きっと・・・・・。

 

ぜひ、その福岡先生の知識を、

脳脊髄液減少症の専門医の先生と、共に脳脊髄液減少症と気圧との関係の研究に

生かしていただきたいな。

いであ株式会社 バイオウェザーニュースはこちらこちら

 

医学気象予報 病気と天気の不思議な関係

健康と気象

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ありがとう、神戸新聞と記者さん。

2012年06月18日 | つぶやき

 

神戸新聞に先週金曜日、脳脊髄液減少症講演会の記事が載りました。

 

2012年6月15日 神戸新聞記事

神戸新聞と言えば、

今から7年前の2005年にも記事にしてくださいました。

 

おそらく、最近の患者さんは、神戸新聞の功績を何もご存じないかもしれません。

 

まだ、医学界で「脳脊髄液減少症なんて事故後遺症はない」

「髄液はそう簡単には漏れない」などと

いう医師が大多数を占めていました。

 

脳脊髄液減少症患者治療にかかわる医師たちは、

いんちき医師とバッシングされ、

ブラッドパッチで症状が和らいだと経験を伝える患者たちは、

「おまじない効果だ。」「暗示効果だ。」と反対派の医師にバカにされていました。

 

あれから7年、

「ありえない」とされていた、髄液漏れという事故後遺症の存在が認められ、

おまじない効果、暗示効果だと批判されていたブラッドパッチが

先進医療に認定されました。

医学の常識は時代とともに変わることを、目の当たりにしました。

 

2005年当時、

脳脊髄液減少症という誰にでも起こりうる事故後遺症の存在について、

懐疑的な大多数の医師の意見を元に、

ほとんどのマスコミは、私たちの主張に見向きもしませんでした。

 

私たち当時の患者の声に、耳を傾けなかったし、

あまり記事にもしませんでした。

 

一部の新聞が、

ときどき連載したり、

記事にしてくれていました。

 

でも

そのくらいでは、認知度はなかなか上がりませんでした。

 

私は髄液漏れの記事が新聞に載ると、

ひそかに、髄液漏れに対して否定的立場の人たちから、

記事に対して批判がきて、

記者さんが記事にするのをやめてしまわないかなと心配していました。

 

 

でも、毎日新聞の渡辺暖記者は、

継続して、脳脊髄液減少症患者の声を記事にし続けました。

 

これと同じことは、

きっと「水俣病」でもあったのでしょうね。

批判を恐れて記事にしない新聞記者もいれば、

原田先生の側に立ち、患者の声を取材し、生の患者の声を聞き続け、

記者としてできることは何かを考え、批判や圧力を恐れることなく、確信を持って

水俣の真実を伝え続けた記者と。

いろいろいたのでしょうね。きっと。

 

脳脊髄液減少症について、

まだまだ社会に認知が低く、マスコミも報道に慎重だった2005年、

神戸新聞は果敢にも、むちうちとの関係について連載記事を書いてくださいました。

神戸新聞記者の津谷治英様が

早い段階から、おそらく患者の声を耳にし、報道の必要性に気付いたからでしょう。

 

「地方新聞記者の中に、脳脊髄液減少症について報道することで、

人々を救おうとしてくださる記者さんがいる。」

そう思うだけで、

当時、私は、

髄液漏れの激しい症状で動けないほどで、地元で救ってくれる医師もいない中、

死さえ考えた絶望の中で

その神戸新聞記事に光を見た思いでした。

 

一人の記者の一つの記事が

人に気づきや勇気や希望を与え、

人の命を救うこともあるのです。

 

 

おそらく、当時の記者さんも今も、

神戸新聞記者さんの中に、

原田先生と同じ視点で弱者に対し寄り添える人間性を持ち、

苦しむ罪もない弱者のために、

「記者として自分にできることは何か?」を考えることができる

記者が当時から神戸新聞にはいるのだと察します。

神戸新聞と記者さん、ありがとう

 

 

7年たった今も、当時の記事がネット上で消えていないのは、

この記事を広く人々に伝え続けなければという

神戸新聞社としての意思をも感じます。

ありがとう神戸新聞。

 

人間も捨てたもんじゃないですね。

人を傷つけ続け、苦しめ続けるのも人だけど、

人を助けようと動いてくれるのも人。

 

だから、どんなに激しい症状で、苦しくてたまらない状態の患者さんであっても、

けっして絶望して

早まって死なないように・・・。

 

2005年8月15日 神戸新聞記事 名医はどこに (上)

2005年8月16日 神戸新聞記事 名医はどこに(中)

2005年8月17日 神戸新聞  名医はどこに(下)

 

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15日(金)の深夜、原田先生 追悼番組のお知らせ

2012年06月14日 | 情報

●本日、6月15日(金)深夜、0時~(日付は16日土曜)

Eテレアーカイブス、「水俣、原田正純の50年

 

2010年5月16日放送 ETV特集 「水俣病と生きる、医師、原田正純の50年」 

第312回(2010年5月16日)のところをクリックください。

 

この番組についての過去記事はこちら

 

また、24日にも関連番組が放送されます。

 

●6月24日(日) 午後1時50分から午後3時 (70分)NHK Eテレ

■近畿地方ではEテレで6月30日(土)午前2:00~3:10【金曜深夜】の放送です。

シリーズ環境2 「水俣からの問いかけ」

以下番組ホームページから引用

『6月環境月間のシリーズ2回目は、日本の「公害の原点」といわれる水俣病の問題を改めて見つめる。

1956年に公式発見され、この7月末で、水俣病被害者救済の申請が締め切られるなど、注目を集めているこの公害病は、チッソの化学工場の廃液に含まれる有機水銀が、魚など自然界の食物連鎖で起きたものである。

このような形のメチル水銀中毒は世界初で、「ミナマタ」は世界にその名を知られた。

しかし、加害企業であるチッソが責任を認めるまでには、長い歳月がかかった。

番組では、戦後50年の1995年に放送されたNHKスペシャル

「チッソ・水俣 工場技術者たちの告白」を視聴し、

命や安全と企業の問題について、

福島第一原発後の視点もあわせて考えていく。

水俣を長年見つめてきた石牟礼道子さんや

原田正純さんからのメッセージも交え、環境汚染と人間について現地・水俣から問いかける。

ゲスト:姜 尚中さん(東京大学大学院教授・熊本出身)
※桜井洋子キャスターが、水俣にて現地収録』

________

以上、NHKホームページから。

 

水俣病を知ることは、水俣病の教訓を知ること。

水俣病の教訓を知ることは、

原田先生が伝えたかった水俣学を

脳脊髄液減少症の問題解決に、どう生かせばいいか、理解するということ。

 

水俣病とは何か、ただでさえ症状に苦しむ患者を何がさらに苦しめたのか、

私たちこそ、学び、知りましょう。

 

水俣病の教訓は、

今こそ、私たち脳脊髄液減少症患者の早期の救済に生かさなければ、

生涯かけて弱者に寄り添い続けてくださった、原田先生に申し訳ないじゃありませんか。

ぜひ、ご覧ください。

 

そして、脳脊髄液減少症との類似点についてと、

どう教訓を生かしていったらいいかを、考えてください。

 

お願いします。

 

 
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本日、原田先生のお別れ会

2012年06月14日 | つぶやき

本日、今、

原田先生のお別れ会がはじまっています。

行けないけれど、

私は家で先生のご冥福をおとといからずっと祈っております。

そして、

先生のご遺志を、水俣学をきっと、

脳脊髄液減少症に生かして、真実をこの社会に医学界に

認めさせてみせると、

決意も新たにしています。

 

それが、原田先生が、人生をかけて訴えてきたことの意味だと

私は信じているから。

 

 

昨日の6月13日づけの読売新聞の 熊本支局 水俣通信部の

大石健一記者の「原田先生」の記事が強く心に残ったので、

以下その記事を紹介させていただく。

__________________________ 

敬意胸に患者と向き合う

評伝

「病気の専門家は医者じゃなく、患者さん。

いつも患者さんに教えられる。」

原田さんは周囲によくそう話していた。

水俣病と遭遇したのは、公式確認から5年後の1961年。

医師免許を取った翌年のことだった。

 原因企業チッソが垂れ流したメチル水銀で汚染された不知火海(しらぬいかい)。

その沿岸で家にこもり「どうせ治らん」と診察を拒む患者のもとに足げく通った。

 幼い兄弟と母親との出会いが転機となった。

 魚を食べた兄は、「水俣病」とされたが、生まれつき体が不自由だった弟は

「小児まひ」と診断されたという。

 「私が食べた水銀がこの子(弟)に行ったとではなかですか」

母親の叫びが、「胎盤は毒物を通さない」という医学界の定説に疑問の目を持たせてくれた。

胎児性患者の証明に始まり、不知火海沿岸の住民健康調査、海外の水銀汚染調査など、原田さんの被害者救済への功績は大きい。

 原田さんを取材するようになって3年半。

がんなどを患いながら、被害者が国や原因企業チッソを相手に起こした訴訟では、家族に体を支えられながら法廷で証言し、法廷を出ると、

「水俣病に向き合ってきた自分の務めだ」とにこやかに語っていた。

 大半が50歳を超えた胎児性患者への思い入れは強いように見えた。

勤務先だった熊本学園大学を取材に訪ねた際、

患者の生活面にも話が及び、

「結婚率が低かつよねえ」と気遣っていたことが忘れられない。

 今年に入って病状が悪化したが、水俣病被害者救済法の申請が7月末で締め切られ、

「問題の幕引き」につながることを最後まで気に掛けていた。

半世紀にわたって被害者に寄り添った原田さんの姿は関係者の心に深く刻まれたに違いない。

(熊本支局水俣通信部 大石健一)

 

___________________________________

以上昨日の読売新聞記事から。

これを読んでまた感じたこと。

まず、

この記事書いた、大石記者は、ハートのある記者だなぁと感じた。

きっと、脳脊髄液減少症の問題点にも気付けるだけの感性を持った記者なんじゃないかと

感じた。

 

次に、原田先生のように、

「病気の専門家は医者じゃない患者だ。」と言えるような謙虚で患者から学ぼうとする医師は

現実には少ないこと。

多くの医師は、頭でっかちで、医学部で学んだことしか頭になくて、

それ以外は想定外で、

患者の話から、想定外のことを想像する力はあまりない人が多いってこと。

 

自分は医師だから、患者より医学については知識があり、

医師が患者に教えることはあっても、患者から学ぶことなどひとつもないと

思いこんでいる愚か者医師が多いってこと。

 

患者は無知でバカで、医師は病気の専門家だから、

患者の言い分より自分の医学知識の方が信じるに値すると思いこんでいる医師がいかに現代に多いかということ。

 

医学界の定説がいかに危ういものかっていうこと。

 

医学の定説なんて、時代とともに変化していくものなのに、

いつの時代もその定説にとらわれて、絶対視してしまう医師が多いってこと。

 

 

その医学の定説によって、救われるどころか逆に苦しめられる患者もいるということを、

忘れている医師が多いってこと。

 

定説に疑問を持たない医師が多いってこと。

 

「私が食べた水銀がこの子に行ったとではないですか?」と母親患者が医師に言葉を投げかけた時、

「そんなことは起こるはずはありません。」と、

もし、原田先生が「医学の定説を盲信していたなら、胎児性水俣病」という患者の存在は闇に葬られ、

何の救済策もなく、患者はもっともっと無理解に苦しみぬいたであろうってこと。

 

それは、原因企業チッソにとっては、胎児性水俣病なんて存在はない方が補償が膨らまなくてすむから、

そんな病はありえないと主張する医師を支援するだろうってこと。

 脳脊髄液減少症とほぼ同じ問題が、

過去に起こっていたことを、その問題の意味を、

私は脳脊髄液減少症になるまで、気付くことができなかったし、

今も健康な人たちには気づけないであろうこと。

 

そんな企業寄りの医師や医学界に、原田先生もバッシングされ続けたんだろうっなってこと。

それでも原田先生は負けずに、信念を貫きとおし、患者救済のために、

純粋に医師として生きたんだろうなってこと。

 

患者のためにと思って行動をしていても、

その患者にさえ、診察を拒まれ、非難されるなんてつらい思いまでして、

医学界の定説を覆すことの困難さに四苦八苦したはずのその苦しみといら立ちと怒りに耐え、

 

それでも長期的に患者のためになることや、

人として正しいと信じる方向へ歩むことをやめなかった

原田先生の、忍耐力とその信念の強さ。

 

この記事を読んで、

いろいろな思いが次から次へとわいてきた。

 

脳脊髄液減少症患者としても、見習いたいと思った。

 

全体の患者のうちで、声を上げた患者は、水俣病でもごく一部の勇気ある患者だろう。

脳脊髄液減少症だって同じだ。

すでに1万人以上が、脳脊髄液漏れと診断されているなら、

その1万人の患者が声を上げたっていいはずだが、

実際にはそんなにはいない。

 

脳脊髄液減少症患者のうちの、ごくごく一部の勇気ある患者たちしか

声をあげていない。

ちょこっと脳脊髄液減少症について世の中に訴えても、

そのあとは面倒だからもうやめた、

自分は回復したから、もう関係ない。

患者同士の付き合いで傷ついたから、患者会にはかかわりたくない。

そうやって、どんどん声を上げることをやめていく脳脊髄液減少症患者たち。

それは、

脳脊髄液減少症の患者を見てみぬふりしている医師たちと、

やっていることは同じじゃないですか?

 

ブログで嫌がらせコメント書かれたから、ブログ閉じます。

私生活が忙しくなったからブログやめます。

自分のプライバシーを守りたいから、なんて、患者たちがみんなこんな風では困ります。

私がこのブログ初めてからも、

脳脊髄液減少症についてさまざまな手段で世の中に訴える人たちが現れては

どんどん消えていった。

また、新しい人たちが声をあげてくれはじめても、

どうせなが続きしないで消えていくんだろう。

みんな自分たちの生活の方が大事だから。

 

 

原田先生の闘いを思えば、

自分たちの経験した病態について、闘ってくださっている医師を応援しないで、

患者や家族が立ち上がらないで、どうすんのよ。

自分たちのことでしょう?

継続は力、

いつか真実を知らしめる時がくるはずなんだから。

 

きっと歴史は、真実を白日の下にさらすはずなんだから。

いつかきっと、脳脊髄液減少症を否定したり、このごに及んで、稀だなんて

まだ、医学雑誌で言っている医師は、

いつか必ずその間違いに気づかされるはずなんだし、

人々の記憶に、

ああ、あの先生は、有名大学は出ていたけれど、

脳脊髄液減少症患者を無理解で苦しめた医師だったと、残り、

代々語り継がれていくんはずなんだから。

 

私たち、脳脊髄液減少症患者が、

水俣学を、水俣病の教訓を脳脊髄液減少症に生かし、

この事故後遺症に対して無理解で被害者を苦しめる社会を変えた時、

こんな事故後遺症はないとか、あったとしても稀だなんていう、無理解な否定派医師を

絶滅させた時、

原田先生は、天国で喜んでくださると信じています。

 

原田先生の生きざまは、「水俣病の教訓を、後世に生かせ」という

強烈なメッセージを感じます。

 

私たちが原田先生の遺志をつがないで、

誰がつぐの?

 

この10年間、

非難されても、医学界からバカにされても、バッシングされても、

脳脊髄液減少症患者を救済しようと我が身を犠牲にしてまで、治療し続けてきた医師を

私たち患者が応援しないでどうするの?

他の見て見ぬふりして様子見してきた多くの医師たちみたいに、

脳脊髄液減少症?

そんな面倒な患者にはかかわりたくないよ。

まして交通事故に関係すると裁判とか、意見書とか

ただでさえ忙しいのに、そんな面倒なことにはかかわりたくないよ。

あ~ごめんだね、脳脊髄液減少症患者なんて、

あたりさわりない病の患者を診て、稼いで医師として生活がなりたっていればそれでいいんだ俺は、と

放り出すことだってできたはずなのに。

それをしない医師の先生たちは、

原田先生と同じ、尊敬に値する、本物の医師なんだと思います。

 

 

原田先生の功績が認められ、のちに受けるさまざまな賞は、

原田先生が最初から賞を目的に地位や名声を優先して生きた医師ではなく、

純粋に医師として、患者と向き合い続けたからこそ、

後からついてきた賞なんだってことに改めて気づかされる。

 

 

地方によっては、原田先生についてさまざまな記事が載ったと思います。

原田先生のお別れ会は本日正午から。

________________________

原田先生、どうか天国で私たちを見守ってください。

過ちはこれ以上絶対に繰り返させませんから。

原田先生、私たちに力をください。

 

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薬漬けになりたくない 向精神薬を飲むこども

2012年06月13日 | 情報

今夜のNHKクローズアップ現代

夜7時半から

「薬漬けになりたくない 向精神薬を飲むこども」

今も日本のどこかにいるんだろうな。

脳脊髄液漏れてると誰にも気づいてもらえず、

向精神薬漬けにされているこどもたちが・・・。

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水俣病の教訓を、私たち脳脊髄液減少症患者こそがこどもたちへ伝えよう

2012年06月13日 | つぶやき

水俣市立水俣病資料館

「起きたことに学び」「失敗に学ぶ」って

脳脊髄液減少症でも同じことが繰り返されているのに・・・・

ちっとも過去の教訓が現在に生かされていない・・・・。

 

毎日新聞記事によると、

原田先生は、最後まで、「水俣病の教訓を次世代、特にこどもたちに伝えたい」と意欲を燃やしていたそうです。

原田先生のご遺志を、私たちが、次世代、こどもたちに皆で、実名で伝えていきましょう。

脳脊髄液減少症という水俣病と似た構図を持つ疾患を経験してしまった以上、

それぐらいの勇気と使命感を持ちましょうよ。

 ________________________

以下中日新聞記事より

原田正純氏死去 水俣病の教えは今も

 原田正純さんは、いつも水俣病患者のそばにいた。

患者に寄り添い、その暮らしから真実を読み取ろうと試みた。

弱いから見えるものがある。

原田さんが提唱した水俣学は、弱者に学べと訴える。

 水俣病とは、何だろう。

水俣病研究の第一人者、原田正純さんの生涯をかけた問いだった。

 水俣病多発地帯、ミカン畑に囲まれた熊本県水俣市湯堂の集落を、原田さんは「わたしの原風景」と書いている。

 半世紀以上前、熊本大学の若き医師として、朽ちかけた貧しい患者の家を訪ね歩いた。

診察を拒否する患者たち。

水俣病と診断されて、風評被害に遭うのが怖い。

大学病院の医師が診察を拒否されるなど、想像すらしなかった。

 しかし、原田さんは、その現実を直視した。

 「治らない病気を前にしたとき、先生たちに何ができるのですか」。

患者からのこの厳しい問いかけに、真っすぐ向き合うことにした。

 水俣病の原因は、チッソという化学会社が、水俣湾に垂れ流した有機水銀だ。

高度経済成長を牽引(けんいん)した、元は「国策企業」である。

これらは疑う余地がない。しかし、水俣病の正体は、いまだ判明していない。

政府と最高裁で病気の認定基準が違う。補償が膨らまないように、国が配慮しているようにも見える。

 水俣病はなぜ起きて、なぜ終わらないのか。

 原田さんは、自らを問い詰めた。

本当は極めて社会的、政治的、経済的な“水俣事件”を医学に独占させたこと、医学に丸投げしたことが間違っていたと気が付いた。そして「専門家とは何か」という新たな問いにたどり着く。

 「専門家と素人」の壁を取り払い、水俣病にかかわり合ったさまざまな分野の人の話をみんなで聞きながら、私たちの生き方や社会のあり方を見直そう。

そう考えて提唱されたのが「水俣学」だった。

人々の健康を奪い、地域のきずなを引き裂いた水俣の悲劇を繰り返さないために。

 原田さんの願いは、かなえられたのか。

私たちは今、原子力ムラに封印された科学に対する不信に揺れている。政府は原発再稼働へと急いでいる。

 福島で何が起こったか。

水俣学の手法で検証してみたらどうだろう。

情報を全面的に開示させ、私たち自身の暮らしに当てはめて、それぞれに考えよう。水俣学は、今に生きているのである。

 ______________________

以上、中日新聞記事より。

水俣学の手法で、脳脊髄液減少症についても検証してみれば、

何が起こっているのかわかるでしょう。

脳脊髄液減少症と診断され、それが周囲に知られて、風評被害に遭うのが怖い、

なんていう患者がいるなら、

それも、

水俣病の過ちを繰り返していることになるでしょう。

何も悪くない患者自身がまず、毅然とした態度を示さないと、また周囲の過ちをも誘発するでしょう。

_________

以下読売新聞記事より

読売新聞2012年6月13日 「原田さん、弱者支え50年」

 

 

原田さん 弱者支え50年

 常に弱い者に寄り添う医者だった。

水俣病の診察と研究に生涯をささげ、77歳で死去した元熊本学園大教授・原田正純さん。

訃報から一夜明けた12日、仲間の研究者は涙ながらに偉業をたたえ、被害者たちは「ありがとう」と半世紀以上にわたる支援に感謝した。

■被害者たち

 原田さんは1972年に第1回国連人間環境会議が開かれたスウェーデン・ストックホルムで水俣病の被害実態を訴えたことがある。

 その際、傍らに立ち一緒に世界に向かって声を上げた胎児性患者の坂本しのぶさん(55)は12日、

水俣市の通所施設「遠見の家」で記者団の取材に応じ、「いつもニコニコして何でも話ができる先生だった。本当に残念です。ありがとう。お疲れさま」とねぎらった。

 同市の別の通所施設で原田さんが理事を務めていた「ほっとはうす」では加藤タケ子施設長(61)が声を詰まらせた。

「この1か月は毎週、胎児性患者たちを連れてお見舞いに行った。『元気をもらったよ』と終始、優しい笑顔で応じていた姿が忘れられない」

 この施設に通う胎児性患者の加賀田清子さん(56)は、自らの携帯電話で撮影し保存していた原田さんの写真に見入り、「あまりに早過ぎる」と涙を流していた。

■熊本学園大

 

 熊本学園大の水俣学研究センターでは同日、センター長の花田昌宣教授(59)が、穏やかに笑う原田さんの遺影を横に記者会見した。

 原田さんは1999年に熊本大を退官し、熊本学園大の教壇へと移った。2005年のセンター開設と同時にセンター長に就任。補佐役を務めたのが花田教授だった。

 以来、2人は手を携えて水俣病問題を医学、環境、法律などあらゆる分野からとらえる「水俣学」の研究や講義に取り組んできた。

 花田教授は時折、涙ぐみながら会見し、「『弱い者とともに』を軸とする反骨の人だった」と尊敬する故人をそう表現。

さらに、水俣学について、「君たちが作り上げていくんだ」と言われたエピソードを紹介し、「気持ちを受け継ぎ、水俣病問題に取り組んでいきたい」と述べた。

 花田教授によると、原田さんは4月末に入院したが、5月6日に「自分の体になりゆきを任せたい」として退院。それ以来、輸血を受けながら自宅療養を続け、容体を聞きつけて来た人たちと面会していた。

 水俣病などの教訓を次世代の子供たちに伝える絵本の出版を企画していたが、かなわなかったという。

■行政関係者

 蒲島知事は12日、県庁で記者団の取材に応じ、「水俣病問題に一生涯をささげられた功績は非常に大きい。常識を覆して胎児性患者を発見し、水俣病を通して公害問題に世界的な貢献をされた。

残念でならない」と語った。

 宮本勝彬・水俣市長は「まことに残念な思い。水俣病の発生当初から患者に寄り添い、患者を支えてこられた。原田先生のご意思を大切にしていかなければならない」とコメントを出した。

 同市立水俣病資料館は13日、原田さんの活動の記録を展示する追悼コーナーを設ける。入館は無料。

◇水俣病・CO中毒 法廷証言100回超

 原田さんが治療、研究に没頭したのは、水俣病だけでなく、炭じん爆発事故による一酸化炭素(CO)中毒や、ダイオキシン類による油症にも及んだ。

 1960年に医師免許を取得し、すぐに遭遇した水俣病。続いて目を向けたのは死者458人、CO中毒患者839人を出した旧三井三池炭鉱三川鉱(福岡県大牟田市)の炭じん爆発事故(63年)だった。

 当初からCO中毒患者の診察を続け、患者の脳波測定の結果をもとにCO中毒が脳に障害を残すことを医師団として突き止めた。

 自らも胃がんや脳梗塞を患いながら、事故に関する集会やシンポジウムで壇上に立ち続け、「三池の経験を未来に生かすことが患者、家族に報いるせめてもの手段」と訴えた。

水俣病とCO中毒に関する訴訟で証人として法廷に立った回数は100回を超えた。

 CO中毒患者や家族、支援者らでつくる「三池高次脳連絡会議」議長の芳川勝さん(69)(大牟田市)は「診察だけでなく、患者の医療体制を整えるために一緒に上京して要望活動をしたこともある」と振り返った。

 また、北九州市のカネミ倉庫が製造した食用油にダイオキシン類が混入し、68年に表面化したカネミ油症問題では、「黒い赤ちゃん」とも呼ばれた胎児性油症患者を中心に検診にあたった。

長崎県五島市の患者団体「カネミ油症五島市の会」の宿輪敏子事務局長(50)は「長年、患者に寄り添って被害の大きさや公的救済の必要性を訴えていただいた」と感謝の言葉を述べた。

 ベトナム戦争で散布された枯れ葉剤によるダイオキシン類被害を調査するため現地に赴いたこともある。

2012年6月13日 読売新聞)

 

____________________

読売新聞 花田教授「水俣病の失敗繰り返さない」

 熊本学園大(熊本市)の水俣学研究センター長花田昌宣教授が9日、同大で開かれた日本地域福祉学会全国大会で基調講演し、水俣病と福島原発事故との類似点を挙げたうえで「水俣病の失敗を繰り返してはならない」と呼びかけた。

 花田教授は、水俣病が発生した際のチッソや国の対応の遅れを問題視。

不知火海沿岸の被害者の実態調査がいまだに実施されていないために現在でも水俣病が解決されていないとして、「すべきことをしてこなかったのが水俣病の歴史」と批判した。

 一方、福島原発事故も「不特定多数の広範囲な地域の住民」に被害を生んだことが水俣病と共通していると指摘。

「25年後にがんの症状が出たとしても原発との関係を証明するのは難しい」と述べ、広い範囲で放射能の被害を調査する必要性を強調した。

2012年6月10日 読売新聞)

______

↑この記事は亡くなる前の記事だから、

花田教授は、原田先生の死期が近いことをわかっていたのだと思います。

国の対応の遅れは、脳脊髄液減少症で、すでに繰り返されてしまっています。

水俣病の失敗は、目立たないところで、すでに繰り返されています。

原発事故だけに共通点があるわけではありません。

脳脊髄液減少症にも多数共通点があるのです。

 

交通事故からじわじわ症状が出てくる脳脊髄液減少症患者の場合、

その因果関係を、病で動けなくなってからの患者自身に証明せよというのは、あまりに酷で難しいことです。

_______________

 以下九州発、読売新聞より

 「生きているうちに解決を」

 

_______________________

これは私の意見

水俣病の患者がだんだん高齢化し、最後の患者がの一人が死ぬまで問題解決を引き延ばしていれば、

補償しなくてすむだろう、なんて、考えているやからがいるのだろうと思います。

公害病は、原因を絶てば新たな患者の発生は止められるのかもしれません。

問題解決を引き延ばし、認定基準を厳しくすることで、患者の命がつきるまで保障を逃れようとすることは、

可能なのかもしれません。

しかし、そんな考えがまかり通るような世の中にしてはいけません。

しかも、脳脊髄液減少症患者は、どんなに私たち過去の交通事故での脳脊髄液減少症患者が高齢化して、

こうして声を上げる力も次第になくなって、死に絶えていったとしても、

交通事故を完全に止めることなどできないのだから、交通事故での髄液漏れ患者は、毎日毎日今後も世界中で発生し続けるのですから。

いくら、問題から目をそらし、逃げようとしても無駄なのです。

いつかは、問題を直視し、本当の意味での問題解決を図らざるを得ない時がくるはずなんですから

 ________________________________

  以下毎日新聞記事

↓毎日新聞記事「常に患者の立場から」より引用

「さまざまな症状が表れるために病気のデパートといわれるカネミ油症では

常に患者の立場で原因を究明した。

原田先生の診断がなければ現在の新認定訴訟はなかった。偉大な医学者を亡くした」

 

↓毎日新聞記事 「患者から学ぶ貫き」

原田正純さん死去:胎児性水俣病を確認…患者から学ぶ貫き

毎日新聞 2012年06月12日 01時07分(最終更新 06月12日 01時45分)

 水銀汚染の恐ろしさを世界に知らしめ水俣病やカネミ油症患者の医療にも携わり、

国内外の公害問題で活発な発言を続けた原田正純さん(77)。

胎児性水俣病を確認して50年の節目の死に、関係者から惜しむ声が相次いだ。

 4月23日に原田さんの自宅を訪ねたNPO法人「水俣フォーラム」(東京)の実川(じつかわ)悠太事務局長は「病床でも『患者さんを1人にしちゃいかん』と繰り返した」と振り返り

「患者から学ぶ姿勢を貫き、それが差別され医療に対する信頼を失いつつあった患者の救いとなった」と

その死を惜しんだ。

 約50年前、原田さんの診察を受けた水俣病胎児性患者の永本賢二さん(52)=熊本県水俣市=は「体が痛くてものすごくきつかったが、原田先生はいつも真剣に診察してくれた。

先生が診てくれたから私たち胎児性患者の存在が認められた。ありがとうという言葉しかない」と語った。

 また、研究を共にした中地重晴・熊本学園大学教授(環境化学)は「本当にまじめな先生で公害被害者の立場に立ち、体制側に取り込まれないという信念を貫かれた。

生き方を尊敬している。皆で先生の思いを継ぎ、被害者の救済につなげていきたい」と話した。

__________________________________

以上毎日新聞記事から。

 

脳脊髄液減少症の患者たちは、自分たちを助けてくれた主治医が死ぬなんてこと、

今は考えたこともないんでしょう。

自分たちのことで精いっぱいで。

だから、主治医の命や体のことなんて、考えもしないで、

主治医はいつまでも生きていてくれると思いこんでいて、

自分たちの症状の苦しさだけを主治医に訴え続けているんでしょう?

 

自分たちのことだけ考えて、先生に無理難題を押し付けるんでしょう。

でもね、

人間である以上、医師だって、病気にもなるし事故にもあうんですよ。

不死身のスーパーマンじゃないんですよ。

誰にだって明日の命の保障は、ないんです。

たとえ、脳脊髄液減少症の専門医でもね。

そのことを忘れていない?

 

交通事故に遭う可能性だってあるし、急病で亡くなることだってあるかもしれない。

その時、

あなたはどうしますか?

悔いが残らないように、日ごろから主治医にしていますか?

感謝の言葉を述べるとか、主治医を応援するような声を上げるとか。何かしていますか?

 

その主治医が生きているうちに、患者が実名で、自らの体験を訴えることぐらいしなきゃ、

申し訳ないとは思いませんか?

 

このまま、水俣病の過ちを、脳脊髄液減少症で繰り返されるのを、黙って見ているのですか?

さまざまな圧力と闘いながら、脳脊髄液減少症患者を救おうとして下さっている医師たちの主張が認められないまま、主治医が亡くなってもいいとでもいうんですか?

今すぐ、自分たち患者にできることを、行動しないでどうするんですか?

自分たちの問題に、自分たちで声を上げ、立ち上がらなくて、どうするんですか?

誰かやってくれるだろう、じゃダメなんですよ。

誰もやってくれないですよ。

患者会がやってくれるから、まかせておけばいいじゃダメなんですよ。

自分は症状が重いから何もできないじゃダメなんですよ。

誰だって、多かれ少なかれ

つらい症状抱えて頑張っているんですから、

何か自分にできることひとつ、やってくださいよ。

どんなに重症だって、何かひとつぐらいできることはあるはずなんですから。

 

何もしないで、病人だけになりさがっている患者の存在を知ると、

私は頭にくるんです。

 

ただ、症状ばかりに耐えていないで、その痛みや苦しみをエネルギーに変えて、

どんな形でもいいから、訴えてくださいよ。

自分が動けないなら、家族や議員に働きかけてくださいよ。

代理として動いてくれるように。

 

たとえ家族だって、体験のない人には、髄液漏れの苦しさ悲惨さはわかるはずがないんだから。

本当は患者一人一人が今、今日から、できることをはじめましょうよ。

 

水俣病の教訓とはなんなのか?

水俣学が何を、後世に伝えようとしているのか、

一番わかっているのは、

私たち脳脊髄液減少症患者かもしれません。

水俣病の教訓を、私たち脳脊髄液減少症患者こそが、

自分の体験に重ねて、後世へ、子供たちへ伝えていかねばなりません。

__________________________________

 

 

日本経済新聞

47ニュース

「原田氏は、弱者によりそって生きた人だった」

 

________

↑医師という肩書の人たちは、たくさんいるけれど、

お金や名誉に興味関心がある医師はたくさんいるけれど、

弱者に寄り添う医師は、あまりいないと思う。

特に、国の政策や医学界の定説を否定してまで、患者の真実を訴えて続け、

患者を救おうと闘い続ける医師は、

ほとんどいないと思う。

____________

 

毎日新聞より以下

訃報:原田正純さん死去77歳…水俣病研究の第一人者

毎日新聞 2012年06月11日 23時54分(最終更新 06月12日 01時02分)

 医師として水俣病患者の診療や公害問題の解決を訴え、水俣病研究の第一人者だった原田正純(はらだ・まさずみ)さんが11日午後10時12分、急性骨髄性白血病のため熊本市東区長嶺南7の1の30の自宅で亡くなった。77歳だった。

 鹿児島県出身。鹿児島のラ・サール高、熊本大医学部を卒業し、熊本大大学院神経精神科教室へ入った。水俣病公式確認(1956年)から約5年後の61年、現地調査のため初めて熊本県水俣市を訪れ、母胎内で有機水銀を浴びた胎児性患者に接した。

当時の医学で胎盤は化学物質を通さないとされていたが、症例を集めて62年、胎児性水俣病の存在を立証した。

 患者29世帯が原因企業チッソ(東京)に損害賠償を求めた水俣病1次訴訟の原告支援を目指した水俣病研究会に参加し、73年の原告勝訴判決(熊本地裁で確定)につなげた。72年、スウェーデンのストックホルムで開かれた第1回国連人間環境会議に胎児性患者らと乗り込み、公害被害を世界に伝えた。

 ___________________

以上毎日新聞記事から。

 

その他毎日新聞関連記事はこちら

毎日新聞は、髄液漏れについても真実に迫った記事書くけど、

水俣病についても、原田先生と同じで、

弱者によりそった記事書く記者が多いなぁ。

感謝します。

 

原田先生のお別れ会は、

明日14日正午

熊本市東区月出8の1の5

玉泉院月出会館

喪主は妻 寿美子さん

 

原田先生、天国で私たちを見ていてください。

守ってください。

必ず過ちを正してみせますから。

 

 

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