脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

梅の香

2008年03月10日 | ブラッドパッチ後の変化
きのう、
梅の花の香りを、胸いっぱいに吸い込みました。

花粉症の私ですが、あまり症状もひどくなく、

梅の花に顔を寄せると、
甘い花の香りを感じるとることができました。

今までは花に、鼻をどんなに近づけて、香りをかいでも、
こんなに香りを感じられることはあまりありませんでした。

梅の花が、
こんなに香りが強いとは思いませんでした。

たまたま今回の梅の花が、
香りの強い花だったのでしょうか?

いいえ、きっと違います。

おそらく、今までの私の臭覚がおかしかったのだと思います。
嗅覚が弱まっていて、今まではうまく感じ取れていなかったのだと思います。



今、嗅覚が以前より正常に働くようになったから、
以前よりも鮮明に、
こんなに梅の花の甘い香りが感じられるようになったのだと思います。

だって、以前の、
一時的に味もわからないほどの、味覚障害も今はほとんど消え、

目の光過敏のまぶしさも、
耳の聴覚過敏の症状も、いまはほとんど感じないほど回復していますから。

おそらく、臭覚も、
気づかない間に徐々に回復してきていたのでしょう。


どうやら、私は視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚など、すべての感覚において
正常ではない、現実感のうすい世界にいたようです。

ブラッドパッチしてから、
激しい症状の波で悪化したようになりながらも、

ふと、闘病に日々を振り返ると、
今のような回復した状態に気づくことができます。

回復してはじめて、今までの異常に改めて気づくのです。
それぐらい、回復もゆっくりです。


脳に直接異常がなくても、
脳脊髄液の減少によって、さまざまな感覚障害もでるのです


その人にどんな視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚障害などの感覚障害があるかを、
検査することは難しいと思います。

第一、そういう感覚障害のある患者の苦しさ、深刻さが、
どんなに患者の人生の質を落とすかということに気づき、

患者のその症状に深い理解と関心を持って、
検査してくれる医師もほとんどいません。

脳脊髄液減少症の症状は、痛み、締め付け感、めまい、平衡感覚の異常など
本人だけが感じる感覚にまつわる症状が多く、

第3者に対し、その異常の事実をデータとして指し示すことが
かなり難しい症状ばかりです。

しかも、障害が常に一定に定まっているわけではなく、
症状に波があり、日によって、時間によって、状態はくるくると変わり、

時に正常のようになったり、時にひどく異常に感じたりするこの病態の特徴も、

この障害の理解を、さらに難しいものにしていると思います。


検査してデータ化することが難しい症状の上に、
検査するに値するような症状だと認識してくれる医師がいないのですから、

この障害は人知れず患者だけが抱え込む、苦しみとなりやすいのです。


私は幸いにも、真の病名にたどりつき、
ブラッドパッチ治療を受けて、

その後の激しい症状の波をサーフィンのように乗り越え、月日がたち、

今年の春は、ついに
梅の花の淡い甘酸っぱいような香りも、鮮明に感じられるほどに
臭覚も回復してきました。

「梅の花の香りが生き生きと鮮明に感じとれた・・・。」

ただそれだけのことですが、
とても幸せに感じました。

梅の花は
白、こいピンク、うすいピンクとあり、
その花たちに包まれ、
その香りを胸一杯吸い込んで、
脳がその香りを感じとると同時に、

クタクタに疲れきっていた心も体も、

優しい母親に抱きしめられて「よし、よし」って
頭や背中をなでなでされて、なぐさめられている時の子供のように、

安心しきった、穏やかな気持ちになりました。

今までも、
交通事故以来誰にも理解されない苦しみの中、

いつだって、つらいとき、

無条件に私をなぐさめ、励ましてくれるのは
自然の草花や木々たちや動物たちでした。

だから、私は人間なんかより、

自然や動物たちに、心を開いて生きてきました。

私がどんなに荒れたって、
私がどんなにヤケになっていたって、

死にたいほどにつらい時も、
どうしょうもないほどに落ち込んでいた時も、

自然は、
そんな私にいつだって優しく
いつも変わらず、そばにいて寄り添ってくれました。

ありのままの私を受容し、
なだめ、癒し、はげまし、勇気づけてくれました。

自然から元気をもらって
また生きようと思えたことも、
何度も何度もありました。

幸いにも私は、

一方的にですが、この自然や動物たちからの
「無償の愛」を感じとれたからこそ、

交通事故後に脳脊髄液減少症の病名をもらえないまま、
何年も何年も「異常なし」と放り出されながらも、

苦しさに耐え、
ここまで生き抜いてこれたのだと思っています。


自然に抱かれ癒されながら、 

自然に学びをもらいながら、

自然に元気や勇気をもらいながら、

倒れても、つまづいても、ころんでも、、

疲れて座りこんでもう1歩も歩けなくなってしまっても、

ふと足もとの一輪の雑草の花に勇気をもらって、

気をとり直し、休んで、力を蓄えて、

また、ゆっくりと力を振り絞って立ち上がり、


これからも、1歩1歩
前を向いて、回復をめざして、

進んでいこうと思っています。


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旅立ちの日に・・・

2008年03月07日 | アファメーション
音が出ます
    脳脊髄液減少症で聴覚過敏の症状のある方はご注意ください。

旅立ちの日に 

「旅立ちの日に」とは?・・・

合唱版

SMAP版①続きは右上の②へ

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早春に思うこと

2008年03月01日 | ブラッドパッチ後の変化
3月です。
希望と期待の春です。

昔々、交通事故に逢い、
それ以後のいろいろな不可解な症状に苦しめられ続け、
病院巡りを余儀なくされ、
検査に異常が出ないのに症状を訴える患者は医師にも嫌われ、
見放され、
冷たい目で見られ続けました。

医療からも放り出され、
誰にも理解されないまま、
ただひたすらじっと症状に
数十年耐えて耐えて生きてきました。

しかし、ついに
交通事故の怪我の後遺症が悪化して動けなくなり、
それに伴い、(脳脊髄液減少症)の全身症状も悪化してしまい、
寝たり起きたりのひきこもり生活になって、自力では家から出られず、
受診すら一人でできなくなったあの春から数えて、

実に数年目の春です。

こんなにも精神的にも身体的にも
いろいろな症状が日替わりで襲う病は今までにないと思います。


こんなに何年も自然治癒しない怪我は
そうめったにはないと思います。

やっと治療を受けてからも回復の速度がこんなにゆっくりで
波があり、
治癒にこんなに時間がかかる怪我は、
そう多くはないと思います。

こんなにも表現しづらい、
恐ろしいまでの不可解さをもった症状ばかりが襲う病も、
めずらしいと思います。

なにより、それほどまでの苦しみを患者被害者本人が感じているのに、
「元気そう」に見えてしまうこのアンバランスさを呈する病も
非常にまれだと思います。

痛みやだるさや、しめつけ感や、目の眩しさ
聴覚の過敏、感覚の異常などの、
本人だけが感じている症状が、
検査でデータ化できないものばかりであることも、
また、この病の無理解を増しています。

周囲にも家族にも、医師にもどこにも異常がないように見られやすく、
その苦しさが理解されないまま、
治療に健康保険もきかないまま、

これほどまでに、さまざまな面で
理解や支援に恵まれない病は
本当に稀だと思います。

一般的に世の中に重病と思われている病気に匹敵する
重い症状です。

それなのに、世の中の見方は
「たいしたことのない症状」と見た目で判断されています。

本人もまさか数々の体調不良の根本原因が
「脳脊髄液が漏れていることにある。」なんて、考えもしません。

あの時、動けなくなるほど悪化しなければ、
私は今も無理をして働き続け、

自分の症状の本当の原因について深く調べたり、
症状のすべてを含む病をパソコンで検索することもなく、

ただただ、ひたすら、治ったり悪化したりする体調に振り回されながら、
耐えるだけ耐えてなんとか普通の日常生活を維持するべく、
頑張り続けていたことでしょう。

時に高次脳機能障害での思考力低下、記憶障害や
感情のコントロールができないことで、
周囲に誤解されたり冷たい目で見られたり、ダメ人間扱いされたりしながらも、

それらの原因が
自分のせいではなく、脳の病態にあるということにも気づかないまま、
自分を責めつづけていたことでしょう。

あの日あの時、動けなくなるほどに悪化しなければ、
脳脊髄液減少症という病名にも気づかず、

ブラッドパッチ治療にたどりつくこともなかったでしょう。

そう思うと、
動けないほどに、交通事故後遺症が悪化して、
ほとんど寝たきり状態になり、
仕事をやめざるを得なかったことは、
当時は不幸と思いましたが、

長い目でみれば、幸運だったのだと気づかされます。

真の病名に気づくために、
治してくださる医師にたどりついて
今存在する中で最適な治療が受けられるために、

何か見えない力に導びかれるように、
まるで長年解けなかった謎が解けたように

私は「気づき
その「気づき」のままに
導かれて「脳脊髄液減少症」という病名にたどりつきました。

ブラッドパッチ治療を受けて以来、波はあるものの、
ものすごくゆっくりですが、体調が好転しはじめ

今は調子がいい日には自力で運転して
短時間ですが買い物もできるようになりました。

あの時の激悪化がなければ、
今の私はなかったことでしょう。

こういうことを「人間万事塞翁が馬」
「災い転じて福となす」というのでしょう。

この春は、さらに新たな気持ちで、
確かに存在するこの不可解で世に理解されない病に立ち向かい、

さらなる回復に向けての
希望の春
飛翔の春にしたいと思います。




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