脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

国に情けがあるのなら・・・

2009年07月09日 | 情報
以下はインターネットで見つけた記事の中の
「水俣病」を追求し続けている作家の石牟礼道子(いしむれみちこ)さんという方の文章だそうです。

私は石牟礼道子さんという水俣出身の作家さんは、
全く知りませんでしたが、
これを機会に、本も読んでみたいと思いました。

以下、内容を紹介させていただきたいと思います。






『この度、私共は東京に、日本という国を探しに参りました。

 と申しますのは患者の中に、

「東京にまで行ってみたばってん、日本という国は見つからんじゃった。」
とおっしゃる方々が沢山いらっしゃるからでございます。

これは我が民族におって由々しきことではないでしょうか。

考えてみれば、日本という国が無いとしても、人の世があり、

そこには人の情けというものがあって、
私どもも何とか生き延びることが出来たと思っています。

 その「なさけ」を求めて、
探しに来たのは、

議員の方々が人に選ばれた方々であるからでございます。

お願いですが、
日本という国の情けが何処にあるのかお教え頂きとうございます。

私共、水俣の者達は、
人類が体験したこともない重金属中毒事件に、
50有余年も捉われ続けております。

この年月は親子、祖父母、三代にも四代にも亘(わた)っています。

有機水銀を脳や身体に取り込んだ人間の一生を考えてもみてください。

 言葉もろくに話せず、
箸や茶碗を抱えるのも困難で、
歩くことも普通に出来ません。

女性の場合には下の始末も自分では出来ません。

これはあんまりでございます。

議員の方々には人類史上初めてと言われる
長い長い毒死の日々を生きている人々の日常をご推察頂けるのではないでしょうか。

 不知火海の汚染は世間が考えるよりは凄まじく、

私共発病者を初め、対岸の小さな離島の数々、鹿児島県の島々に患者が続発し、
今や万をはるかに超えました。

人間や魚の発病だけでなく、海底の食用植物の危険度についても国や県は調査しておらず、

一人の人間の胎児の時代から少年、青年、壮年、老年の経過については、

一部の研究者はおられますが、
国民は病状の実態について知らされておりません。

これからも患者の発生が続くと思われます。

 明治41年に始まったチッソは
高度成長期をはるか前にして世界史的な発展を遂げ、国策に寄与してきました。

それに対して水俣病の発生は一種の凶徴でした。

何しろ昭和7年から36年もの間、
有毒汚泥を不知火海に朝も昼も晩も流しつづけたのですから。

長い間には裁判を起こした患者もいて、
2004年には最高裁で熊本県と国にも責任があるという判決が下されました。

県と国は判決を殆ど無視して今日に到っております。

それかあらぬかこの度国会に提出される特措法案では

未認定患者を表向きは救済すると乍(なが)ら
チッソの分社化と地域指定解除を謡いあげております。

 こんな残酷な毒物を背負ったまま患者達は
認定、未認定に関わらずあの世へ行かなければなりません。

よくもこんな残酷な法案を作ったものです。

この様な法案を作って世界に示す民族性を私共は国辱と思います。

水俣病に本質的な救済というものはありえません。

何故なら一度身体に入った有機水銀は出ていかないからです。

せめて生き残った者が、この「人柱」たちを少しでも楽になれるようにさせて頂くというお気持ちになってくださらないでしょうか。

 水俣病は治療法が無く、不治の病となっています。

日夜苦悩している患者達を救済するどころか、
審査会にかけて棄却する方向に持っていきつつある様に思います。

処理しきれぬ程に増えた患者数に驚き、
なるべくなら早く死んでほしいと思って、長引かせているやに思われてなりません。

 せめて国が、できることは、
日々の生活の足しになるような慰謝料を差し上げることか、

治療法に取り組む医者を育てるとか、

棄却などという冷酷な言葉で処理しないように、

国力を挙げてお取り組み頂きたいと思います。

多くの人が選んだ議員様方にぜひともご協力頂きたいと存じます。


 今日は私共のために、貴重な時間を割いて下さり本当に有難く存じました。祈念を込めてお願い申し上げます。』

2009年6月29日
石牟礼道子



原文?1

原文?2



    

石牟礼さんが本当に書いた文章なのか?
微妙に違う文章のどちらの文章が原文なのか?
ネットだけでは確認はできませんでしたが、

誰が書いたとしても、この文章を読んだ私の感想は以下のとおりです。

チッソが当初必死に水俣病との因果関係を否定するさまと、

今まで公害病とさえ、認定されないまま本人だけが感じる
感覚障害などをかかえて生きてこられた被害者の
世間の無理解と冷酷さにさらされながら、
体の症状を抱えての生き地獄のような苦しみの人生が

私にはありありと想像できました。

そして、
交通事故では脳脊髄液漏れなど起こりえないと
否定派医師を担ぎ出して必死に否定している損害保険会社の行動と、
それにより、さらなる苦しみを与えられている
脳脊髄液減少症患者と重なりました。

公害や、事故そのものから与えられる心身の苦しみに加え、

社会や医学界の、無理解で無関心な冷酷な人間たちによって
さらに与えられる苦しみの恐ろしさと、

その長い長い苦しみの人生を患者が無理解に満ちた社会の中で
生き抜くことの困難さを
ひしひしと感じました。

水俣病の教訓、
そして、脳脊髄液減少症からの教訓は

絶対に今後に生かさなければならないし、

ただでさえ他から与えられた害によって、体を病んだ患者たちが

救ってもらうどころか、

無理解で冷酷で自分勝手で利己的な心無い人間によって、

さらに追いうちをかけるように
苦しめられるような残酷なあやまちは、

もう二度と繰り返してはならないと思いました。



苦海浄土わが水俣病

ツイッター記事

読売新聞熊本版7月3日記事


石牟礼(いしむれ)
さんは82歳なんですか?

読売新聞熊本版 7月4日記事 反対団体抗議次々…「チッソ救う法案必要ない」


読売新聞熊本版 7月8日版「水俣病法案参院委で可決…被害者から落胆の声」

6月29日、水俣病患者さんたちが座り込み をしたんですか?
暑いのに、お体はさぞかしおつらかったことでしょう。

私たち脳脊髄液減少症患者ももそうですが、
どうして、ただでさえ病を抱えて苦しんでいる患者が
さらに無理を重ねて世間や国に訴えなければこの病の残酷さをわかっていただけないのでしょうか?
なぜ、そこまでしてもなお、この国は患者を救ってくれないのでしょうか?

なぜ、企業との利害関係がからむ病を引き起こしてしまった患者たちは
いつの時代も、こうも冷酷な扱いを受け続けるのでしょうか?

水俣病の教訓は、今も少しも生かされていないと感じるのは
私だけでしょうか?


関連ブログ記事  その1

その2

その3

水俣病(・・・・削除?なぜ?)

人柱とは?
コメント (2)
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