これは昨年書いてUPしていなかった記事内容を手直ししたものです。
12月14日放送、
みんなの家庭の医学でも取り上げられていた、
非アルコール性肝炎(NASH)
ご存知ですか?
このNASHが、現在の脳脊髄液減少症と同じように、
過去に一人の学者が発表しながら、
当時の医学の常識から大きくはずれていたために、長年無視され、黙殺され、
やっと最近になって脚光を浴び、認められて、注目されてきた病気だってこと。
「アルコールを全く飲まないのに肝臓病になるなんてそんなことはありえない」という
それまでの常識をくつがえした新しい概念の疾患」だってこと。
11月7日のカラダのキモチでやっていました。
「常識を覆がえした、新肝臓病、非アルコール性肝炎 NASH」(アーカイブから11月7日をクリック)
ほんの数年前まで、肝炎はアルコールやウィルスが原因だと思われていましたが、
最近、アルコールも飲まず、太ってもいない人にも肝炎になることがわかってきて、
日本の医師たちの間にもその知識がひろがりつつあるようです。
しかし、非アルコール性肝炎という病態の概念について、最初に報告されたのは
今から、30年も前の1980年だそうです。
その18年後の1998年になるまで、最初の論文は
実に 18年も注目されなかった ようです。
NASH 非アルコール性脂肪肝炎の認知の歴史
ここにもあまり詳しく書かれていませんが、(詳しくは こちら)
医学は
いつの時代も、既成の医学概念や常識を
ひっくり返しながら進歩してきたようです。
いつの時代も、斬新な発見をした医師は
既成概念しか知らない、
新しい概念を非難することしかできない、凡人の医師たちに
バッシングや無視をされるようです。
1980年にアメリカのメイヨークリニックのルドウィヒが、報告したものの、
当時は受け入れられず、
メイヨークリニック内の学術誌に載っただけだったそうです。詳しくはこちら。やこちら。
これによると、1980年のその文献とは
『 Ludwig J, et al. Nonalcoholic steatohepatitis: Mayo Clinic experiences with a hitherto unnamed disease. Mayo Clin Proc 1980; 55: 434-438.
』
みたいです。
しかし、
その18年後の1998年になってLudwig(ルドウィヒ)の論文に注目が集まり、
やっと、ひとつの病態として医学界に受け入れられたそうですね。
メイヨークリニックといえば、1999年に低髄液圧症候群を最初に報告したMokri教授もそこではないですか!
既成概念にとらわれない新しい視点を持つ医師が、
米メイヨークリニックには多いのでしょうか?
新しい病気の概念を見つけるような
斬新な視点を持つ医師は
新しい病気を発見する能力のない、教科書どうりの既成概念しか持たない
非難することしかできない凡人の医師たちによって、
いつの時代も
こうして否定されつづけてきたのは
ピロリ菌の発見者の医師もそうでしたね。
たしかに疑ってかかることは大切ですが、時には、聞く耳を持ってその新しい概念を証明してみようと
みんなでとりくんでみることも必要でなないでしょうか?
いつの時代も
本当は賞賛されるべき、本当の発見者が
多くのニセの発見にまぎれてしまい、
バカにされ、認めてもらえないという目にあうのは、悲しいことです。
すごい発見と、そうでないものを、きちんと早期に見分けることは
人間はできないんでしょうか?
「脳脊髄液減少症 世紀の大発見か、大暴論か?」なんて本があること自体が私は許せません。
大暴論か?なんて言葉自体が患者として許せません。
まるで脳脊髄液減少症患者の私の存在自体を 大暴論だと非難されているようで人権侵害にさえ感じます。
他の病名に入れ替えて考えてみれば、「大暴論か」と疑いの言葉をかけられた
罪もないその病の患者の悲しみ悔しさ、怒りが想像できるでしょうか?
たとえば、「水俣病 世紀の大発見か、大暴論か?」
「薬害エイズ、世紀の大発見か、大暴論か?」
「サリン中毒 世紀の大発見か、大暴論か?」
これらは当初は病の原因がわからなかったり、誤解や偏見があっても、現在では原因と症状との因果関係がはっきりしているから、
今は大暴論ではないことがわかっているから、誰もそんなことを言う人はいないでしょうが・・・
交通事故被害者の脳脊髄液減少症患者の
あまりにも残酷で理不尽な実情を知っている弁護士さんなら、
絶対にこんな言葉で患者の心を傷つけたりはしないはずです。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_naki.gif)
新しい概念が疑ってかかられるのは、人間がわが身を守る本能として、
しかたがないこととはいえ、なんだかやりきれないです。
最初の発表から30年後の今では
日本の大学でもさかんに研究されているNASH。
しかし、1880年当時は、医学の常識ではありえないことで受け入れられなかったようです。
こう見てみると、
いつの時代においても、
既成の医学概念にはない、新しい概念を提唱した医師が
バッシングされたり、相手にもされず、無視されるというのは、
その発見が、今までの常識とかけ離れていればいるほど、
反発をくらうものなのですね。
それにしても18年後だなんて、
なんということでしょうか?
世間が理解する知識ももたない、18年も前に気づいてしまった
あまりにも斬新な視点を持ったすばらしい人間の
たどらなければならないしかたがない試練なのでしょうか?
、新しい概念を唱える人の中から真実をみきわめことのできる人が
社会にはあまりいないからだと思います、。
つまり、多くの人たちは凡人であり、
既成概念をそのまま信じることと、、新しい概念を非難することとしか
できないからだと思います。
そういう凡人が、医師の中にも大多数を占めるからだと思います。
それに、
新たな概念を「そういうこともあるかもしれない」と検証をする前に、
危険なものとして弾き飛ばそうとする、人の心にも原因はあると思います。
メンデルの法則を発表しても、誰にも相手にされず、死後十数年たって、やっと認められはじめたメンデルさんも認めもらえないままのご苦労を経験された人でした。
いまや、
アルコールを飲まない人でも、太っていない人でも、
脂肪肝が起こりうることは当たり前になっているというのに、
当時は
「そんなことがあるものか」!」と誰にも受け入れられなかったルドウィヒさんは
どんなに自分の主張が認められなかったことがくやしかったことでしょうか?
せめて生前にその功績を認めてもらえたのでしょうか?
消火器内科の先生の記事
「そんなことがあるものか!」と「あったとしてもきわめてまれだ」凡人の医師たちに非難され,
死なない病だと思い込まれ軽視されてきた、
脳脊髄液減少症の今までと重なる歴史を感じます。
どんな医療技術にも100%の患者に効果があり100%安全なもの、完全なものなんてないはず。
それなのに、どうしてこれほどまでに脳脊髄液減少症に取り組む医師や
ブラッドパッチ治療が非難されてきたのか?
たとえ今は不完全な治療法でも、
しだいに研究が進むことで思考錯誤しながらよりよい治療法が生まれてくるかもしれないというのに、
脳脊髄液減少症という事故後遺症の存在すら最初から否定して
患者を救おうとしていた医師たちとの対話ののスタート地点にも拒否して立たない医師たちがいたのは
非常に残念です。
2010年の4月まで、原因不明の体調不良を訴えた患者の訴えにより、
医師が「脳脊髄液減少症かもしれないと疑っての最初のRI検査」までもが
どうして2010年の4月まで、自費扱いされていたのか?
しかも、一部の脳脊髄液減少症患者が全国から集まる病院だけ社会保険庁ににらまれて健康保険適用ならず、検査までもが自費扱いで
ほかのめだたない病院での検査は健康保険扱いされていたのに。
こういった、あらゆる妨害とも取れる状況を生み出したのはなにか?
それは、
脳脊髄液減少症に対して誤解している人たちや
脳脊髄液減少症の存在をよくは思わない人たちや、
そして一番困るのが、
脳脊髄液減少症という事故後遺症の存在が広く世間に知られては困る、
脳脊髄液減少症と診断される人が増えては困るという
誤った考え方の一部の愚か者たちのしわざさと
私は思っています。
誤った考えのおろかものたちに、
医師や弁護士までまきこまれないでほしい。
医師や弁護士という、本来、病んで苦しむ人たちや弱者を救済する役割の人たちまで、
よってたかって脳脊髄液減少症患者を無理解でいじめてさらに苦しめないでほしい。
水俣病の過ちを、脳脊髄液減少症患者にくりかえさないでほしい。
お願いです。
患者を助けてほしい。
私たちはうそつきでも、
保険金詐欺師でもありません。
救済されるべき被害者であり、患者なんです。
よく見てください。
いつか必ず、世界中の医師が、脳脊髄液減少症に注目しはじめることでしょう。
その日は必ず来ると、患者として確信しています。
脳脊髄液減少症という概念の発見者の先生と
ともに、脳脊髄液減少症の治療に早くから取り組んできた先生がた、
それまで、どうかがんばってください。
脳脊髄液減少症患者の治療に早くから取り組み、救ってきた先生方のの主張が間違っていないことは、
少なくとも、
ブラッドパッチ治療で、ブログがで書けるまでに治していただいた
少なくとも私は
体で経験してすべてを知っているのですから・・・。