脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

「問題は当事者が認めるまで悪化する。」

2009年07月26日 | つぶやき

 

「問題は当事者が認めるまで悪化する。」

 

この言葉は

2009年7月18日付けの朝日新聞のコラム

経済評論家で公認会計士の勝間和代さんの

「勝間和代の人生を変えるコトバ」で紹介されたものです。

 

今私の気持ちにあまりにピッタリなので

一部内容を紹介させていただきたいと思います。

以下2009年7月18日の朝日新聞

「勝間和代の人生を変えるコトバ」からの引用です。

           

 

「わたしたちが触れたくない、見過ごしてしまいたいような問題を放置しておいても、

ごくまれに、、他人が解決してくれることがあります。

しかし、

多くの問題は当事者に放置されればされるほど悪化していくものです。

身近な例に「虫歯」や「花粉症」があります。

歯が痛くて虫歯になったような気がするとき、

「気のせいだ」とか「疲れているから」などと

放っておいては事態がよくなることは決してないのです。

(中略)

問題が起きていることを認めないと、

「選択的認知」といって、

自分に都合のいい情報ばかりを認識するようになって、

問題解決からどんどん遠ざかってしまいます。

 

(中略)

問題を認めると、

逆に、それを解決するための「選択的認知」を

はじめるようになります。

 

なぜなら、その問題は不快なので、なるべく早く解決しようとするためです。

虫歯や花粉症より深刻な問題は人間関係です。


 例えば、ドメスティックバイオレンスに苦しむ夫婦関係や、

パワハラに悩まされる上司との関係について、

当事者がその事実を認めず、

「相手は私のことを思いやって、あえてきついことを言ってくれている」

などと自分をごまかしてしまうと、

その関係はどんどん悪化していきます。


 最後は心身が傷つき、

取り返しのつかない局面にまで行き着いてから、

解決策にあたらざるを得なかったりするのです。

(中略)

私たちが

身の回りで起こっていることをごまかさずに、

素直に認めるには勇気が必要です。

 

しかし、問題を認めることで、

人生はよりよい方向へ変わっていくのです。

 

(以上経済評論家・公認会計士 勝間和代さんの言葉)

 

          

 

以上、朝日新聞記事から引用させていただきました。

より詳しい内容は

2009年7月18日(土)の朝日新聞記事

「勝間和代の人生を変えるコトバ、問題は当事者が認めるまで悪化する。」をお読みください。

 

まず、自らの問題を認知することは

アルコール依存症や薬物依存、

アディクション問題を抱える人たち

(アルコール依存症者やその家族、薬物依存、

過食拒食、リストカット、発作的に薬を大量の飲む嗜癖、

ドメスティックバイオレンスなどの

精神的身体的被害者でありながら抜け出せないでいる

サイクルにハマっているような問題を抱えた人たち)などが

回復に向かうための最初の1歩です。

 

そこに問題が存在し、それに自分が巻き込まれていることに

気がついてはじめて、回復のためのスタートラインに立つのです。

 

脳脊髄液減少症も同じこと。

 

患者がまず気づかなければ回復のスタートラインにもつけないのです。

「疲れているせい」だとか

それまでの医師がつけた病名を信じて、治療を受けても

いつまでたっても治らない「病名」を信じて、

その病名のわくから飛び出せず、

脳脊髄液減少症の可能性にさえ気づけないとしたら

脳脊髄液減少症の回復へのスタートラインにもつけないのです。

 

脳脊髄液減少症だとやっと気づいて、専門医にたどり着いて

詳しいRI検査やブラッドパッチ治療を進められても、

 

そこでまた、「否認」は起こります。

 

アルコール依存症者が

アルコール専門病院でアルコール依存症だと診断され

「断酒」が必要だと医師に言われてもなお、

 

「いつか普通に上手に量をコントロールできるように飲めるのではないか?」

「何も断酒しなくても、大丈夫なんじゃないか?」

「飲んでも失態を繰り返さない体になるのではないか?」

「今度こそ酒で失敗しないのではないか?」

「自分はアルコール依存症ではなく、普通の

ただの酒飲みなのにここに連れてこられて

そういわれているだけではないか?」

 

お酒をやめたくないから、

いろいろな自分に都合のいい選択的認知がはじまります。

 

脳脊髄液減少症患者にも似たようなことが

起こるようです。

 

「問題を認めない」、「否認」が起こり、

せっかく問題を認知して1歩進んだのに、

そこで足踏みしたりしてしまう患者さんも多くいます。

 

また、不安になって、

症状ごとにドクターショッピングをし、

症状ごとに病名をつけてもらい、

症状ごとに治療をしてもらい、薬をもらうことで安心してしまうような

逆もどりをしてしまう患者さんもいるようです。

 

でも、それは、

アルコール依存症者が断酒をせずに、

痛んだ肝臓を治療するために入院するとか、

薬を飲むとかして、一時的に症状を治したり、

お酒で起きた借金などを家族に肩代わりして表面的には解決してもらって、問題がきれいになくなったかのようにして

問題をごまかしている行為と同じことです。

 

本当の問題解決はお酒を断ち続けることなのに、

本人は自分のその問題を認めたくないから、

「自分に都合のいい情報ばかりを選択して逃げている。」のだと思います。

 

お酒を断つという自分の問題点を認識しない限り、

アルコール依存症は治らず、やがて、

アルコール依存症に殺されてしまいます。

でも、死因はアルコール依存症とはかかれず

肝硬変とか肝臓がんとか

別の病名が書かれることでしょう、

 

これは

たとえサイレントキラーである脳脊髄液減少症に殺されても

誰にもその真犯人が気づかれず、

同じことが起こると思います。

 

それぐらい深刻な病態であるのに、

本人も周囲もそのことになかなか気づかず

「否認」しつづけます。

 

この点が、

私がアルコール依存症と脳脊髄液減少症が

似ている点だと感じているところです。

 

「問題を当事者が認めていない」ということは

何の解決にもつながらないのです。

 

問題解決するのは医師ではないのです。

最初に問題を正しく認識して

自分を助け出す行動を起こすのは自分なのです。

 

患者も周囲も医師も「そんな病気であるはずがない」とか

「そんな病に自分がなるはずない」などと「否認」が起こりやすい病には

「問題は当事者が認めるまで悪化する。」というコトバが

 

ピッタリと当てはまると私は思います。

 

 

体調不良が続いているのに、確かに異常を感じているのに

医師の「異常なし」に疑問ももたずに「医師がいうのだから、

検査で異常がないのだから」「気のせいだ」と

自分に言い聞かせて無理に無理を重ねてガマンしているそこのあなた、

一人の医師のたまたま症状から思いついたにすぎないかもしれない「病名」を信じて、治らないのに延々その医師にしがみついているそこのあなた、

「問題は当事者が認めるまで悪化する。」という

この勝間和代さんのお言葉を肝に銘じて日々をお過ごしください。

 

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アルコール依存症と脳脊髄液減少症の類似点

コメント (1)
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