脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

Amazon.co.jpアソシエイトはじめました!

2020年12月19日 | 日記

 

goo blogに以前からあった「Amazon.co.jpアソシエイト」参加機能。

これも私自身の社会参加と、経済的自立の一歩と思い、はじめます。

私はあえて、ずっと使っていなかったのですが、

同じgoo blog の方々が使っているのを見て、私も、本日から試しに使ってみることにしました。

まずは、私が紹介したい「脳脊髄液減少症のおすすめ本」などのリンクを貼ってみます。

それらの本によって、自分の不定愁訴の原因が、実は脳脊髄液減少症かも?と気づく人も現れるかもしれないから。

ですが、ここはあくまで商品を売るためのブログではありません。

脳脊髄液減少症について、当事者発信の話を広く知っていただくために、私は書いています。

昔、他の患者さんのブログで、同じ脳脊髄液減少症の本であっても、当時、脳脊髄液減少症の存在や、治療法に否定的考えを持った医師が書い本が、患者さんのブログで「脳脊髄液減少症の本」としてリンクが貼られ、紹介されていたことがあって、危機感を覚えました。

患者歴が浅く、医療界の情報をあまり持たないまま脳脊髄液減少症の病名をつけられてしまってブログを始めたような患者さんたちは、

脳脊髄液減少症の本を書く医師にも、いろいろなタイプがいることを知らないようです。

本当に患者を数多く診ている臨床経験豊富な医師が書く本ならいいのですが、

そうではない、実は、脳脊髄液減少症患者をあまり診察していないにもかかわらず、内心、脳脊髄液減少症や治療に懐疑的、否定的意見である医師が、

本の題名に「脳脊髄液減少症」と入れてしまうので、素人の患者は、「脳脊髄液減少症」という文字が書かれた本ならば、何でも正しいと思い込んでしまいがちだと思うのですが、実は違います。

そういった事情を何も知らないまま、脳脊髄液減少症に対して懐疑的な医師や脳脊髄液減少症患者の診察や治療の臨床経験がほとんどない医師の書いた本をブログ記事で紹介してしまっているような患者ブログも昔、見ました。

患者を多く診ていないような人の、本も出回っていたりしますので、

本選びには、

脳脊髄液減少症の患者を数多く実際に数多く診察し、治療し続けている医師の書いた本や

脳脊髄液減少症の抱える問題点を暴き、患者救済目線で書かれた本、

あるいは、

脳脊髄液減少症の当事者の書いた体験本の方が、読むにふさわしと私は思います。

私がいいと思った本などを紹介していけたらと思います。

Amazonの本を紹介するにあたって、Amazonの規約により、以下の文言をここに書いておきます。

 

このブログ

[脳脊髄液減少症患者のつぶやき とりあえず生きてみよか~]は、

Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、

Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。

ともあれ、

goo blogは、今年から、楽天の商品も紹介できるようになったようです。

goo blog も時代とともに進化していきますね。驚きです。

私も少し、進化しなければなりませんが、それは、年とともにとても難しくなってきています。

しかし、多くの医師に誤診され続けていた私たち患者たちを救っているのにもかかわらず、

今まで、無理解な医学界にバッシングされ続けてきた、脳脊髄液減少症のパイオニアの医師たちを、せめて患者として応援したい気持ちもあります。

私たち患者のために、さまざまなバッシングや嫌がらせに負けず、治療に取り組み続けてくださった、数少ない脳脊髄液減少症に取り組む医師たちの本を紹介することが、ささやかな私のできる応援かな?とも思っています。

あと、脳脊髄液減少症の当事者さんたちの書いた本も多少紹介します。読んでみると、多少誤解を招く表現もあったりしますが、当事者が書いた本は、貴重だと思うので。

 

 

 

 

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終活

2020年12月06日 | 日記

人生終了活動、つまり「終活」に取り組み出してはや数年。

一向に終活が進まない。

片付けが、脳脊髄液減少症の高次脳機能障害の遂行機能障害と思われる症状で、なかなか手がつけられない。

このブログももう役目は終わったかもと去年は一時閉じようかと思っていたけど、結局、また書き始めてしまった。

ただ、最近散歩中、近くに偶然知らなかった墓地を見つけた。

日あたりがいい墓地で、なんだかそこにいるだけで穏やかな気持ちになり、

ここにお墓たてて入りたいな、なんて思った。
即、その場で電話して問い合わせてみたら、まだ募集しており、無理ではなさそうな事がわかった。

なんか終活が一歩前進した気がした。

あとは、私が皆に、
友達もいない孤独な人、
仕事もせず社会に貢献しなかった人
片付けられず、だらしがない人、
いっつも不定愁訴を訴える神経質な人、
支援を受けようとしない頑固者、

と、家族や周囲や医師から誤解されたまま死んでいくのは悲しすぎるから、

私という人間に、脳脊髄液減少症が何をしたのかを、すべて文字にしてからでないと、
安心して死ねないと思ってる。

ここにはずいぶん書いてきたけど、

まだ、ここにも書けていない事がたくさんある。

それだけが心残り。

戦争で、その人だけが見た光景、体験した事は、書き残さないでその人が亡くなったら、

戦争がない、時代の人には何もわからなくなるように、

脳脊髄液減少症の病名さえなかった時代の脳脊髄液減少症の人たちの経験は、書き残さないと、
最近の患者ばかりの言葉だけが残り、

脳脊髄液減少液の病名さえなかった時代の患者の声などなかったことになってしまうから。
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お久しぶりです、ゆめです。

2020年06月12日 | 日記

ご無沙汰いたしました。

皆さんお元気ですか?

なんと!5年ぶりの更新です。

なにかと忙しくてね~。

私は再発とかいろいろありましたが、生きていますよ。

 

 

 

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新年を迎えて

2008年01月01日 | 日記
 あけましておめでとうございます。 

大晦日に油断したせいか、
ちょっとしたハプニングがありましたが、

無事、新年を迎えることができました。

ただ、それだけで幸せです。

今年も、あたりまえの日常の中の幸せを見つけながら、
日々をすごし、
前に進んで生きたいと思っています。

今年もよろしくお願いします。  


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暑中お見舞い申し上げます。

2007年07月27日 | 日記
皆さんお元気ですか・・

私は、苦しい波がありますが、なんとかやっています。

今日は夏らしい暑い一日でした。

こんな日はプールに行ったら気持ちいいだろうなぁ・・
と思いつつ、エアコンのきいた室内に一日いました。

昨年は、脳脊髄液減少症の
目のまぶしさと、頻尿と、喉の異常な渇き
体を起こしていられない症状と、
現れては消える不思議な半身マヒ症状、両手両足の脱力で、ほとんど家にいました。

今年はそれらの症状もかなり改善し、
苦しいながらも動けるので、いろいろできる範囲で、夏を満喫したいと思っています。

、旅、スイカ

花火、祭  

、川、

などなど、夏の行事は一通り味わいたいです。

思うように出かけられない方も、ぜひ身近な夏   を、楽しんでみてください。

私も庭で、
コンビニで買った花火5本セット、そのうちやって楽しむ予定です。

皆さんも、夏バテなどされませんよう、食べて、飲んで、しっかり睡眠をとって、
お体に気をつけて、お過ごしください。

それでは、また・・・・
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七夕

2007年07月07日 | 日記
今日は2007年の7月7日、
ラッキーセブンのたなばたの日です。

6年前、
苦しい症状を抱えながらも、
なんとか働けていた、たなばたの日を思い出します。

毎年、「たまばたさま」の
「笹の葉さらさら~」の歌を、自宅で1度は弾き語りで歌ったものですが、
今年は歌いませんでした。

これから、気が向いたら、7月中に歌ってみます。

いつもは、苦しくても、
せめて季節感を味わいたいと思い、
折り紙で前もって、たなばた飾りを作るのですが、

今日は、当日まで忘れていました。

庭の笹を抜いてきて、ペットボトルにさして、
折り紙のたんざく下げて
小さな七夕かざり作りました。

短冊に願いごとを書きました。
「開運」
「減量」
「健康回復」(もちろん、脳脊髄液減少症の回復)
「お金が稼げますように。」などなど・・・

宝くじ、当たりませんでした。
200円しか・・・

もう、宝くじには頼りません。
なんでもいいから、自分の治療費ぐらい稼げる手段を見つけたいです。

家にいて、できる仕事ないかなぁ・・・

健康とスタイルと筋力と、仕事とお金と幸せがほしいなんて、
やはり私よくばりかなぁ・・・


ところで、
織姫と彦星

曇り空で、遭えなかったのかなぁ・・・・・



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散歩再開 !

2007年01月25日 | 日記
きょうはいいお天気で、体調も回復してきたので、
気温が上がったころ、久しぶりに散歩に行ってきました。

約1ヶ月ぶりの公園散歩リハビリです。
これでやっと30回目。

この1ヶ月、不調続きでした。
(もしかして、
12月のインフルエンザの予防接種も影響したのかもしれません。)

ここのところの呼吸と心臓の苦しさには
本当にまいりました。

どうしてこんなに苦しいのに、
現代医学で楽にしてもらえず、耐えるしかないのかと、
非常に疑問を感じました。

今日は歩き始めてまもなく、呼吸が苦しい感じがしたので、
いつもより小回りのコースに歩き、20分程度できりあげました。

その後、近くのスーパーで短時間、少しだけ買い物してみました。

しかし、家を出て戻るまで、時間との戦いです。
今日は、家を出てから、
散歩も買い物も移動時間もすべて含め、
2時間ほどでもどってくるのが安全圏と判断し、
大急ぎで、無事戻ってきました。

一見普通の私が、
まるで、タイマーの時間を気にするようにして
起きて活動している時間を気にしながら、行動しなければならない不自由さなど、
外見からでは想像もできないことでしょう。

いつ、電池が切れたようになって、動けなくなるかもしれない不安。
手足の脱力や呼吸困難が出現すると、
運転して帰ってくるのは、危険を伴うためなおさら不安です。

「行きはヨイヨイ、帰りは怖い~。」状態にならないうちに
家に帰り着かなければなりません。

これは決して「パニック障害」ではありません。

外出中、苦しくて立っていられない症状を、
「パニック障害」と診断されている方の中に、
きっと「脳脊髄液減少症」の方がいるはずです。

少しずつ、自力で外出できるようになった今も、
外出先で、苦しくなって帰ってこれなくなる不安があり、
自分の運転での外出の時は、早めに帰ってくるようにしています。

誰かに連れて出てほしくても、平日はいつも一人です。
公園散歩は体調がいい時に、自力でいくしかありません。

いつになったら、
朝起きてから、夜寝るまで、苦しくなることなく
一日を通して、安心してあたりまえに行動できるようになるのでしょうか?

この病のリハビリは、安静と運動の調整が非常に難しいと感じます。

安静ばかりでは、心肺機能も筋力も衰えます。

しかし、
運動時間や活動運動が長すぎたりすると、症状が悪化します。

それでも、
自分の体が発するメッセージを、よく読み取りながら、
これからも、ぼちぼちと散歩リハビリを続けたいと思います。

もうすぐ春
春の木々の、芽吹きの一部始終を、
この目で見たいと思っています。  


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あれから12年・・・

2007年01月17日 | 日記
今日は阪神淡路大震災が
朝の6時前に起きた日だったのですね。

朝起きてみると、テレビに信じられない光景が映っていたのを
今も思い出します。

当時私には、微々たる義援金を送ることしかできませんでした。

今日、テレビで、
我が子を失ったご両親の姿が映しだされていました。

愛する人を失った方がたの、苦しみ悲しみや、
もうすぐ目覚めるはずだったのに、
安心して眠っているところを、
急な地震で、命も未来も、突然奪われてしまった方がたの無念を思うと、

私の、抱える苦しみなんて、ちっぽけなものだと気づかされます。

また、
あの震災から、立ち上がった方がたの苦労や努力を思うと、
これくらいの病の苦しみは、私も耐え抜かなければと思います。

生きていることに感謝して、
命を大切に、自分を大切にして、
自分に与えられた人生を、真剣に生きて全うしなければと
また、改めて思いました。

人は亡くなってもなお、
こうして無言で、人に生きる勇気を与えてくれたり、
命の大切さを教えてくれたりするのですね。

これからも病気に負けず、困難に耐え抜いて
強く、生きたいと思います。

亡くなった方がたの、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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迎春

2007年01月03日 | 日記
あけましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。

昨年の
ブラッドパッチ治療してくださった医師や
優しく支えてくださった医療スタッフの皆様はじめ、

同じ病と闘う皆様や
心ある報道をしてくださったマスコミの皆様との、
多くの出会いは

長年、周囲や医師の無理解にさらされ、
孤独に多彩な症状を抱えて生きてきた私にとって
暗闇の出口の、光を見るようでした。

本当にありがとうございました。

今年もさらに回復できるよう、努力したいと思います。

ことしもよろしくお願いします。


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目標達成

2006年11月08日 | 日記
今日で、ブログをはじめて、3ヶ月になりました。
当初の「ブログは3ヶ月は続ける。」目標は達成できました。

これも、はげましていただいた皆様のおかげです。
ありがとうございました。

何をやっても続かない私にしては、よく続いたと思っています。

しかし、あまりに多い私の「脳脊髄液減少症」の症状は、
この3ヶ月ではすべて書けませんでした。

苦しい最中には、普通の文章以上になかなか書けないものです。

苦しさのピークが過ぎてしばらくして、初めて、
その苦しかった症状が冷静に振り返られるようです。

昨日は、低気圧が日本列島を北上したようで、
こちらも午後から暴風でした。

昨日は気圧のせいか、だるくて、呼吸が苦しく、
朝から不調で、午後から眠気とだるさでずっと眠ってしまいました。

風の音がすごくて昼寝から覚めました。

北海道で竜巻発生とは驚きました。
お亡くなりになった方も、一瞬の事で
何が起こったのかわからなかったのではないでしょうか?

つくづく誰しも、明日の命の保障はないのだと思いました。

時々、あまりの試練の多さ、つらさに、人生を投げ出したくなりますが、
与えられた命は大切に生きないといけないと
改めて思います。

今日は、天気もいいせいか気分もよく、
午前中は、公園に散歩に行ってきました。

昨日の暴風で、
木の葉や松ぼっくりがたくさん落ちていました。
もみじも赤くなってきました。

おとといも散歩に行ったので、今日で15回めです。
前回と今日、なんと、杖なしで歩いてきました。

杖もなにも支えなしで、こんなに長距離歩くのは
約1年半ぶりです。

今まで、途中で疲れたり、脱力が起きたり、
上り坂や下り坂が不安で、杖を持って歩いていましたが、

11月6日(月)に初めて、杖を車に置いて
公園一周歩いてきました。

一度できると自信がついて、今日も杖なしで歩いてこれました。

この病気には、走ることがいいのかわかりませんが、
今日は、念願の「走ること」を少しだけ(100メートル位)
ゆっくりとやってみました。

なんとか走れました。
「走る」という動作が久しぶりで、新鮮な感じがしました。

いつか、公園をランニングしている人みたいに
公園1周走れるようになりたいと思います。

公園の自然だけでなく、
公園を歩く人、走っている人にもいい影響を受けています。

心も体も波はありますが、くじけないで、
これからも
少しずつでも、前進していきたいと思っています。


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元気な脳になる!

2006年11月05日 | 日記
東京電力の「Graph TEPCO 11月号」に
「元気な脳になる!」という特集記事を見つけました。

脳年齢診断テストは、めんどうなのと、
結果に落ち込みそうなのとで、やりませんでしたが、
「元気な脳になる!4つのメソッド」という記事は
とても参考になりました。

「おいしく楽しく食べる、運動する、休養する、感動する。」ことが
脳を元気にするそうです。

特に、「恋」は脳にいいようです。
しかも、片思いのほうがホルモンが多くでるという説もあるとか・・・。」
試すのは勇気がいります。

「脳脊髄液減少症」のダメージが長い私の脳。
なんとか少しでも「元気な脳」に近づきたいです。
やはり、恋をするしかないか・・・。

興味のある方は、下記でどうぞ。
字が小さく目がチカチカしますが、
読みたいとこだけプリントアウトすると、読みやすいかな?。

↓Graph TEPCO 11月号「元気な脳になる!」
 リンク先の「Graph TEPCO」の表紙をクリックして、スクロールすると
 内容が読めます。
 
http://www.tepco-switch.com/life/g-tepco/index-j.html

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長野 智子さん、ありがとう!

2006年10月26日 | 日記
今日はお天気だったのに、
私は、一日眠り続けていました。

半身がシビレて、手足に脱力が出ています。
呼吸も苦しい。
こんな日もあります。

患者の回復は簡単には進みません。
ブラッドパッチ後の療養生活こそが大変なのです。

長野智子さん、
取材と放送、そして
ブログに「脳脊髄液減少症」について、
いろいろ書いてくださりありがとうございます。
患者の味方ができたようで、すごくうれしいです。
長野 智子さんのブログ↓
http://yaplog.jp/nagano/
(10月18日、25日の記事をご参照ください。)

苦しい症状の最中に取材に応じてくださった患者さん方にも、
深く感謝申し上げます。


実は、報道ステーションの患者さんを見て
私が抱いた感想は なんと、

「うらやましい。」というものでした。

予想外?。
まさか、ああいう映像を見て、そんな嫉妬に似た感情を抱くとは・・・。

私って・・・・

「靴下をはかせてくれる母がいて、うらやましい。」

「事故から1年以内とか数年で、病名が判明して、うらやましい。」

これが、長年放置されて、
症状の思考力低下や判断力低下、記憶障害で
何度も事故死しそうになっても必死で生き残ってきた、
私が抱いた正直な感想でした。

こんな私の気持ちをここに書くのは
非情な人間に思われそうで、ためらいました。

でも、本当のことなので、
これも
長年苦しんだ患者の気持ちとして、ありのままに
社会に伝えたいと思います。

今、衣食住は満たされていますが、

悪化した時も、退院後も
自分の身の回りのことは、ほとんど自分でこなしてきました。
こなさなければならない状態でした。

悪化でほとんど寝ていた時も、
はいつくばっても、自力でトイレに行かなければなりませんでした。

トイレまで、間に合わなかったら、
自分で洗濯しなければなりませんでした。

干すのも、たたむのも苦しい。
でもなんとか休み休みやらざるをえなかった。
誰もやってくれる人がいないから・・・。

食事もすべて自力で用意し、かたづけなければなりませんでした。

「だれかに助けてほしい。」
「ヘルパーさんが毎日きてくれたら」と何度も涙がでました。

日中一人ぼっちで寝ていると、
電話やら、ドアのチャイムやらが鳴っても
起きて出るのがまた大変で、苦痛でした。

だから、電話もドアチャイムも音がなると、
ドキッとして、
すべての外部からの接触が嫌いになりました。

「だれかがいつも、そばにいてくれたら・・・。」
「代わりに誰かが出てくれたら・・・。」そう何度も思いました。
自宅では安静療養は、意外に難しいのです。

ブラッドパッチ前も後も、毎日毎日が本当につらかった。
ブラッドパッチは数ヶ月かかって、改善していく治療法です。
その後の療養も、
医療や家族の支援のない状態では患者にとって本当につらいものです。

確かに、ブラッドパッチ後急激に改善した経験がありますが
すぐもとに戻り、本当の回復はその後数ヶ月かかって
少しずつ治っていくのです。

その、ブラッドパッチ後の数ヶ月の療養がまた苦しいのです。

ある日のひとりぼっちの日中
天井を見ながら、呼吸困難にひたすら耐えていたとき、

「どうして、こんな動けないほどの重症な状態なのに入院できず、
自宅療養を強いられるのか?。
なぜ、私より元気に動ける成人病の方がたが、長期入院できるのか?。」
と思いました。

これが、病名が認知されているか、いないか、
病気の苦しさ深刻さが認知されているか、いないか、の違いなのだと思いました。

理解がある病院が近所にあるなら、ブラッドパッチをした病院から
近所に紹介してもらい、もう少し入院していたかった。
それくらい、苦しかったのです。

けっこうがまん強い私が言うのです。
ウソではありません。本当につらかった。

でも、重症感は自分が感じるだけで、
周りや、無理解な近所の病院には、「病人」としてさえ認められないのです。

一人暮らしの患者さんや
周りの支援が充分に受けられない境遇の患者さんが
私以外にもたくさんいると思います。

私以上につらい状況に追いやられて
病名もわからないまま何年も人知れず苦しんでいる患者さんも
たくさんいると思います。

私は働いていませんが、こんなに悪化する前は働いていました。
働かざるを得なかったのです。

テレビに出てくださった方のような症状を抱えても、なお、
一家の働き手として、無理に無理を重ねて
生活のために働かざるを得ない
お父さんやお母さんがいるはずです。

たとえ、働かなくても家事や育児だけでも、
この病気を抱えての家事育児は、
ものすごく重労働のはずです。

あまりのつらさ悲しさに、
生きることを放棄したくなる気持ちは、よくわかります。

あの報道の影にいる
病名発見以前の、
もっともっと、長い年月苦しみぬいた患者たちの存在。

「病名」がなかったため、
医師の言葉でさらに深く深く、何度も何年も傷つけられた
「気の遠くなるような苦痛の年月」を
生き延び、または死んでいった、
多くの患者の存在も、報道してもらいたい

本来、人を治療する場で、この病を知らなかったとはいえ
医療関係者がどんな「ひどいこと」をして、
患者を何年もさらに苦しめてきたか、取材して報道してほしい。
そう、思いました。

多くの視聴者の皆さんが
テレビで苦しむ患者さんたちをみて、純粋に
悲しい思いや、つらさを共感しているときに、

冷めた目で、「うらやましい」という感情を抱き、
複雑な思いまでも抱いた私。

この感情は、
この病気で誤解されたり、放置されたりして死んでいった方がたや、
人生を棒に振った多くの生き残り患者たちの
本音かもしれません。

こんな感情を抱くのは、もしかしたら私だけかもしれません。

でも、
「一刻も早く、この病気で苦しむ多くの方がたに、病名に気づいてもらいたい。」
「一刻も早く、社会に理解され、暖かく支援してもらいたい。」
という気持ちに変わりはありません。

そのために、このブログもはじめたのですから・・・。

この病気で苦しむすべての患者さんが、
一日も早く、笑顔と自由な人生をとりもどしますように・・・・



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近況

2006年09月16日 | 日記
ごぶさたしました。
皆様、お元気ですか?

私は、このところ、不調でした。

どうも、最近具合が悪いと思ったら、
台風が近づいているのですか?

外出をほとんどしないので、天気予報はあまり必要なく、
関心を持って見ないのですが・・・。

11日ごろから、体の痛みや心臓の締め付け感、
呼吸の苦しさが出てきましたが
やはり、お天気が崩れてきていたせいだったのでしょうか?

同じ「脳脊髄液減少症」の患者の皆さんも、今週不調でしたか?

梅雨どきや猛暑、そして、天気の崩れる前など、悪化しますか?
私は、今年の梅雨時と夏は本当に苦しかった。

なぜなんでしょうね?

暑い夏は、脱水のせいも考えられますが・・・。

やはり、言われているように、気圧のせいなのでしょうか?

だとしたら、まだあんなに台風が離れていたのに、
11日ごろから反応している私の体の気圧のセンサーは、

最新の気象レーダーにも負けない
     かなり精巧なしろもの?です。
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残暑の1日

2006年09月10日 | 日記
今日は残暑が厳しくて、一日クーラーのお世話になりました。

暑いと体がきついです。
のどが渇いてしかたがなく、水分多めに摂取してしのぎました。

自分のための、特性ドリンクはいろいろあるのですが
また改めて書こうと思います。

バテバテでしたが、うなぎのえさ代稼ぎ?の
ミミズ取りの仕事だけはしました。

庭で落ち葉をどかしたら
10匹くらいミミズを捕獲して、大漁気分をひさしぶりに味わいました。
しかも直径7ミリくらいの太さで、20センチもあるようなミミズばかり。

うなぎにやったら、あっというまにミミズの中央からかぶりつき
二つ折にしてカプ、カプ、カプと何度かに分けて
丸呑みしました。

うなぎが飲み込む姿は壮観ですが、
ミミズの気持ちになると、なんだか切ないです。

今、パソコンでこれを打っていたら、
足元になにやら、小さな生き物の気配が・・・。
小さな黒いかたまり・・・?。

良く見たら、ちっちゃな緑のカエルでした。
いったいどこから入ったんでしょう?

昔の私なら「ぎゃ~」モノですが、

今の私は静かに手に包めるので、外に逃がしてあげました。

小さな命が、切ないほどに大切に感じてしまう私です。

今日も、脳脊髄液減少症の症状を抱えて、孤独に過ごす私ですが、
 小さなお見舞い客が、「ビックリ」や「にっこり」を届けてくれました。

では皆様おやすみなさい。
明日もいい1日でありますように・・・。





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ほんね。

2006年09月09日 | 日記
今日はくもりでしたが、ムシムシして暑い1日でした。

用事があり、体を起こしていた時間が長かったせいか、
夜になって体のあちこちがチクチクと
まるで神経痛?のように痛みます。

疲れたせいか、
本音が書きたくなりました。

自分の人生を、ささやかでも「幸せ」だと思おうとしても、

正直なところ、やはり、どうしてもそう思えない私がいます。
今後もリベンジ人生はありそうにないし・・・。

いっそ、「不幸」を認めてしまったほうが
気が楽かもしれないと思う、このごろです。



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