脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

涙が出る幸せ。

2007年02月28日 | ブラッドパッチ後の変化
今日は晴れです。
こちらは風が強いです。
花粉がひどそうなので、外出はやめておきます。

昨日は肉親とちょっとあって、
家を飛び出し、泣きながら運転して、(危険・・)公園に行って、

泣きながらちょこっと10分くらい歩いてきました。
それでも一応35回目の公園散歩です。

それから、涙涙の一日でした。

私は、今まで、たとえ泣いてもほとんど涙が出ませんでした。

ところが、この2~3日、気分障害で涙もろくなって泣くと
ポロポロ涙が出るではありませんか・・・・?

顔をぬらすくらいの涙の量は、ここ何十年と体験がありません。
忘れていましたが、
これが普通の人間の涙の量なのでしょう。

泣きながら、「おおっ涙が出るぅ。」と感動してしまいました。

でも、1月に唾液も出なくなり、口が渇いてしゃべりづらくなったり、
飲み込みにくくなったりしましたから、症状の波で
また涙も出なくなるのかもしれません。

でも、とにかくこの2~3日の感情障害、感情崩壊に
周囲に迷惑もかけ、自分でもどうすることもできず、まいりつつも、

「泣くと、涙が出る。」というこの当たり前の生理現象に、感動し、
幸せと回復を感じました。

これも、たぶん、ブラッドパッチの効果だと思います。

たった1度のブラッドパッチして、約1年が経過しました。

今日は泣かずに過ごしたいと思います。
(水分出ちゃうのもったいないから・・・)

もしかして、2月は今日で終わりですか?
明日から3月?

おおっ、春ですね~ウキウキします。
辛いことや悩みも多いけど、
前向きに生きるぞぉ~


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見えるケガ、見えないケガ 2

2007年02月26日 | つぶやき
「脳脊髄液減少症」はまさに「見えないケガ」だと思います。

私は、交通事故で、確かに「見えないケガ」をしました。

停車中に激突され、
激しい衝撃を体に受け、首も前後に激しく振られ、
その結果、脊髄硬膜にケガを負いました。
今そう確信しています。

それは、当時の検査ではわからない「見えないケガ」でした。

何ヶ月たっても、
何年たっても、自然治癒がなかなか成立しない、難しいケガでした。

交通事故以来、じわじわと次々襲う不思議な症状に何十年も苦しみながらも、
なんとか生き残り、
ついに症状の正体らしき「病名」を昨年いただきました。

治療がなされず、放置されれば、
その症状のつらさや進行、周囲の無理解や、記憶障害などの思考力低下から、
自殺や事故で命も奪いかねない、重いケガにもかかわらず、

目に見えないケガによる症状のために、
今まで「気のせい」「異常なし」「仮病」「軽症」「ストレスのせい」
「事故のショック」「心因性」「うつ病」などと、
突き放されてきました。

ケガは見た目で
派手なケガが・・・・重症。
地味なケガが・・・・軽症。と判断されがちです。

医師という第三者が見た目と検査結果だけで決めるから
そうなってしまうのでしょう。

そういう背景には、
「本人のいうことは当てにならない。
第三者の医師が見た目と検査結果から判断した方がすべて正しい。」
という考え方があるとしか思えません。

本来、ケガの痛みは本人にしかわからないことです。

なのに、本人の訴えを無視して、軽症に診断する背景には

「仮病を使って利益を得ようとする人間」に対する、
医師や保険会社の過剰なまでの「警戒心」があるように思います。

「仮病」を見抜く目も、医師として大切だと思います。

病気でない人に注射、投薬してしまうのも危険ですし、

「仮病」を使って何か利益を得ようとする不届き者は、
断じて許すわけにはいきません。

でも、ウソをいう一部の人間を排除するための、
「過剰な警戒心」のせいで、

何の罪もない、ウソではない症状を訴える善良な被害者まで、疑われ、
医師に冷笑され、治療を受ける機会さえ、奪われるようなことが、
決してあってはならないと思います。

傷口が裂け、血がダラダラ出ている、見えるケガは、
医療機関を受診しても、一目瞭然で、医師の理解が得られやすく、
手厚い医療も受けやすいでしょう。

大事をとって、入院治療も受けられるでしょう。
きちんと、入院保険金も支払われるでしょう。

しかし、見えないケガはそうはいきません。
「軽症」とか「異常なし」とか言われて、
貼布剤を渡されるだけで、満足な治療も受けられず、自宅に帰されます。
(経験あり→軽症のはずが、後に手術と1ヶ月の入院)

検査機器が発達した現在でも、
たとえば「ねんざ」や「軟骨骨折」は、X線にも異常が映りません。
MRIでも、精度によっては映らないケガもあります。(これも体験あり)

ましてや、
意識不明や、なんらかの障害や、幼児などで、
「本人が感じる異常」をうまく伝達する手段を奪われていれば、
なおさら、他覚的にわかる傷だけに治療が集中するでしょう。

つまり、見えないケガは、
本人がどんなに苦痛を抱えていても、
医師や他の人には「その痛みや深刻さ」が伝わりにくいのです。

「脳脊髄液減少症」はその典型的な例だと思います。

自分には、なんの落ち度もない交通事故後遺症の
「見えないケガ」のために、延々と苦しみ、
「ドクターショッピング」をせざるを得なかった私は、

医師からも、助けてもらうどころか、
言葉や態度で、さらに心までも傷つけられました。

本当に許せません。

助けてもらえるはずの医療の現場で、
ケガが見えないために、
こういう扱いをうける患者の絶望感は、計り知れません。

病名がマスコミで取り上げられはじめた今でさえ、
「交通事故との因果関係はない。」とのご意見の医師には
怒りを通りこして、軽蔑さえ感じます。

自分が実際に交通事故にあってこの症状を体験してみれば、
因果関係についてはすぐわかることです。

否定する医師は、
患者の苦しみを、想像することができないのではないでしょうか?

患者の訴えを「まず真摯に耳を傾けて聞く」という、
医師としての基本さえ、忘れているように思います。

そういう医師には、私はもう二度と近づきたくありません。

今回の玄関先で転んでケガして、
ケガの様子や治り方を観察してみて、
いろいろと考えさせられました。

(何かを学びとれば、転んでも、タダでは起きなかった私?かも。

今回の体験で改めて、
ケガは見た目で「軽症」「重症」
まして第三者が「全治○○週間」は決められないのではないか?と
思いました。

誰かが治る時間の予想をしなければ、
さまざまな社会保険上の手続きができないのはわかります。

でも、重い怪我を「軽く」診断するのだけは
やめていただきたいと思います。

見た目なんともないけれど
見えない傷を体に負っている人を
どうか見逃さないでください。

「脳脊髄液減少症」という病名もないころ、
「見えない怪我」のために、私のように、軽症に診断されて、
事故との因果関係に、世界の誰も気づいてくれないまま、治療を打ち切られ、

以後延々何十年も、
その得たいのしれない、複雑怪奇な症状に苦しみ続け、
人生を台無しにされる人間は、
もうこれ以上、出さないでいただきたいのです。

「脳脊髄液減少症」というケガこそ、

人生に多大な悪影響を与える
「目にみえない、見逃されやすい、重いケガ」だと
私は感じています。







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見えるケガ、見えないケガ 1

2007年02月24日 | つぶやき
最近、花粉症がひどいです。
でも日が延びてきて、夕方5時でも明るくて、
「春だなぁ。」と感じてうれしいです。

でも、今日は朝からブルーで、涙もろくなっていました。
たぶん生理周期のせいです。
この病気になってから、生理に伴う気分障害もひどくなりました。

さて、ケガの観察の話の続きです。

ケガにも傷が目で見てわかる「見えるケガ」と
目で見ても、X線のような検査でも「見えないケガ」があります。

今回の私のささいなケガでも
「見えるケガ」と「見えないケガ」の
2つに分けられることに気づきました。

打撲も・・・・・内出血で色が変わって「見えるケガ。」
すり傷は・・・・血が出て皮膚が破けて、「見えるケガ。」
ねんざは・・・・少し腫れたけど、一見してわからない「見えないケガ。」

傷の見た目の重症度と、「痛みのひどさ」が必ずしも一致するとは限らず、

さらに、
「見た目痛そうで、実際はそんなに痛くない傷」(打撲)、
「見た目痛そうで、実際見た目どうりの痛さの傷」(すり傷)
「見た目痛そうでないのに、実際はとても痛い傷」(ねんざ)と
分類できることに気づきました。
(自己流の分類です。)

まず打撲です。
打撲は直後に腫れ、内出血で青黒くなっていました。

見るからに痛そうで、本人も家族の目にもそこに怪我があることが
一目瞭然です。

しかし、本人は見た目よりそれほど痛くはありません。
内出血を目で確認してはじめて、そこを打ったのだなぁと
知るほどです。

腫れて、内出血して痛そうなわりに、
一番回復が早いのです。
翌日には腫れが引いて、内出血も吸収されて色が薄くなりはじめ、
3日めにはほとんど消えてしまいました。ビックリです。

次に擦り傷です。

この傷はズボンの上からすったにもかかわらず、
けっこう深めのすり傷でした。

ケガしたその夜だけ、ティシュとガムテープで傷を密封して
お風呂に入りました。がお湯が入ってきて、しみて痛かった。

軽度のやけどのような「ヒリヒリした痛み」でこの痛みは、
脳脊髄液減少症の痛みと違っていて、 新鮮に感じました。

その痛みに慣れていない私は、
その晩さすがに痛み止めに手が伸びそうになりました。
(すり傷で「痛みどめ」って・・・?

なんとか薬を飲まずに寝たものの
痛みで眠りが浅くなるほどでした。

毎晩消毒しましたが、傷がなかなか乾かず痛みました。

たかが擦り傷とはいえ、あなどれない痛みです。

しかし、この痛みは最初どんなに痛くても、
「日に日に和らいでいく痛み」です。

「脳脊髄液減少症」痛みは「日に日に和らぐ痛み」ではありません。
出たり消えたり移動したり、痛みの種類が変化したりと非常に複雑な痛みです。
ここが徹底的に違うと感じています。

普通、人が体験する「傷の回復の仕方」は
「日に日に傷も癒え、痛みがうすれていく」というものです。

でも、
「脳脊髄液減少症」の痛みや、ブラッドパッチ後の回復は
普通の傷の痛みや回復の仕方とは、
あきらかに違うものに、私は感じます。

複雑で多彩で波のある痛みと
「悪化と改善を繰り返しながら除々に症状が消えていく。」という
不思議な、とても長い時間を要する回復の仕方です。

この痛みと回復の仕方は
今までの傷の回復の過程や、痛みの概念、病気治癒の概念だけでは
とうてい理解できないでしょう。

最後にひねった捻挫です。

倒れた時にひねった足首の捻挫は、傷が見えないために、
本人さえもその「痛み」で
そこをケガしたことに気づきました。

すこし腫れていましたが、見た目ではわかりづらく、
「痛み」が「ここひねったよ、怪我したよ。」と
私に教えてくれなければ、本人でもそこをケガしたことに気づきません。

「痛み」は貴重な生体からのメッセージだと思いました。
そう考えると、痛みでさえ、ありがたい信号だと思えました。

でも、「ねんざの痛み」は「すり傷」のように常に連続して痛いわけではなく、
立ちあがろうとするとき、動かした時に断続的に
グキっとくる痛みです。

ねんざの痛さは、
痛さの質としては、「脳脊髄液減少症」の「内部が痛む時の痛み」のひとつに
似ている気がしました。

ねんざは日にちがたっても、なかなか痛みが消えません。
今も痛いままです。

この「ねんざ」とすり傷で、正座するのもつらい状態で、
寝るのも、立ち上がるのもひと苦労でした。

ねんざは、見た目なんともなさそうでありながら、
すり傷より痛みが長引き、
しかも、
他人には、そこがケガで痛めていることが見えません。

ケガが目に見えないと
いくら、本人が痛いと言っても、周囲に相手にしてもらえません。
見た目の派手なすり傷のほうが、「痛そう」と相手にしてもらえます。

一見痛そうな、内出血した「打撲」と、
血が出て皮膚もむけた「すり傷」より、

見た目、なんともなさそうな「ねんざ」が
一番治りが遅くいつまでも痛かったという
今回の体験から学び得た結論は・・・・

血が出る「派手なケガ」より、
血も出ず、腫れも少しの「地味なケガ」の方が
治癒に時間がかかることもある、ということ。

つまり
「見えるケガ」  より
「見えないケガ」 の方が
重症の場合もあるということです。

   (つづく)
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全治2週間

2007年02月23日 | つぶやき
玄関外の段差で転んで足を怪我して、
今日で2週間がたちました。

おかげさまで、だいぶ回復し、
昨日、13日ぶりに公園に散歩に行ってこれました。
34回目です。

ご心配いただきました皆様には、心から感謝申し上げます。

杖をついての、短時間、短距離でしたが、
桃や梅の花の咲き具合を見ることができました。
梅はまだまだこれからのようで、ほっとしました。

すりむいた傷はやっと乾いて、かさぶたとなりました。

これがほんとの「全治2週間だと思いました。

転んで深めにすりむいた傷が、
かさぶたとなって皮膚が張り治るのにかかった時間が2週間。

つまり、
「全治2週間」とは「すり傷程度だ」
という事に気づいてしまいました。

転んだだけの、すりきず、ねんざ、打撲、程度でも、
完全に治るのは意外に時間がかかるものなのですね。

ねんざはまだ治っていないので、
正確には完治はもう少し先になりそうです。

私が治りが遅いのか?病気のせいで免疫力が落ちているのか?わかりません。
健康な人の治るスピードと、
もしかしたら違うのかもしれません。

でも、思いがけず、違う種類のケガをしたために、

それぞれの、痛み、傷、治り方、の違いを観察することができ、
いろいろと考えさせられました。

これがホントの「転んでもタダでは起きない。」かも。

「脳脊髄液減少症」の痛みには慣れていましたが、

ケガは久しぶりで、
その「脳脊髄液減少症」とはまったく質の違う「傷の痛み」が

とっても「新鮮」に感じました。

内出血の「打撲」と
血が出た「擦り傷」
少し腫れただけの「捻挫」

この三種類のケガを同時に体験し、
治っていく過程を観察して感じたことを
後日、書いてみたいと思っています。



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小さな訪問者

2007年02月19日 | 小さな幸せ
金曜日、
ひとりぼっちの日中。

もう慣れたはずなのに、
週末の平日最後の日は
孤独に押しつぶされそうな時がある。

誰も声をかけてくれない、
誰も来てくれない。

それを望んでいたはずなのに、

それが楽なはずなのに、

気を使わない誰かが、
時々来てくれたら、とも思う。

なかなか回復しない、
過酷な「脳脊髄液減少症」の
波のある苦しさつらさの、愚痴や泣き言
だまって聞いてくれる、
誰かが、時々来てくれたら・・・

思いきり泣いて、怒って、嘆いて、
怒りも悔しさもぶつけられる相手が
いつもそばにいてくれたら・・・

掃除や、洗濯干し、洗濯物たたみ、
食器洗い・・・
家の仕事も満足にできない時、
いつでも、なんでも気兼ねなく頼める人が
近くにいてくれたら・・・。

電話が鳴っても、集金がきても、
宅配便がきても、
私に代わって、出てくれる人が
いつもいてくれたら、と思う。

いつも日中はひとりぼっち。

どこへも行けない日は、
毎日ずっと家の中でひとりぼっち・・・。

苦しくて動けない時は、
トイレに行くのも、自分の昼食の世話も、
本当に大変でつらかった。


そんな、苦痛と孤独が限界に近づきそうな時、

いつもタイミングよく来てくれる、小さな訪問者。

そのおかげで、
張り詰めた糸が、ふっとゆるむ。

窓の外から、
「にゃあ」・・・・・・・(具合はどう?)って声かけて、

時々訪ねてきてくれる、近所の飼い猫たち。

ブラッドパッチ前の入院待ちや
退院後の、思うように起きていられない苦しい時期に
いつも、お見舞いに来てくれたのは、
近所のオス猫。

いつもケンカで傷だらけの黒猫。

何度ひどい怪我を負っても、
自力でなめて治す黒猫。

最近、
その黒猫と同じ家でチビ猫が飼われはじめて、
妹分ができたらしく、
最近よく、そのチビ猫つれて遊びにくるようになった。

金曜日、気配を感じてサッシを開けたら、
まだ幼さの残る、妹分のチビ猫が
「手みやげ」くわえて、
庭で私をじっと見ていた。

「そのねずみ、もしかして、私へのプレゼント?」
(お見舞い?)


目と目が合ったら、くわえたまま
ゆっくりと歩みよってくる、チビ猫。

私はあわてて

「いい。いい。ありがたいけど、
気持ちだけいただいとくね。」っていったら、

がっかりしたのか、
すごすご、庭の端にいって、
モグモグ、獲物、食べちゃた。

せっかくのミーちゃんの気持ち、
受け取れなくてごめんね。

でもね、
その気持ち本当にうれしかったよ。

寂しく孤独だった心が、
なんだか、ほんわかあったかくなったよ。
ありがとね。ミーちゃん。

にゃんこたちが時々来て、声かけてくれるから
私は本当に、いつも救われてる。

また、時々遊びにきてね。

いつも、昼間はひとりぼっちだから・・・。

土日が終わって、

ちょっとホッとして、
ちょっと寂しい
ひとりぼっちの昼間の5日間が

またはじまる・・・・・。


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「愛」という薬

2007年02月14日 | つぶやき
今日がバレンタインデーだって、忘れてました。

今年はケーキ焼けなかったけど、

あわてて、ショコラのスポンジに、チョコクリームの
「想像のケーキ」、焼きました。


「愛は薬」だと、私は思っています。

人に愛されることも、
人を愛すことも、

心に感じる愛は、
不思議に、苦しさを癒す、魔法の薬。


愛は・・・「痛み止め」
愛は・・・「睡眠薬」
愛は・・・「抗うつ剤」
愛は・・・「抗不安薬」

だから・・・
「愛」があれば、
薬がなくても、私は耐えられる。
生きていられる。


家族でも、

恋人でも、

夫婦でも、

親子でも、

知人でも・・・

ペットでも?・・・

愛情を通わせることができる、「生きた存在」がいてくれれば、

苦しくても、
なんとか生きていけそうな気がします。

「脳脊髄液減少症」の、
理解されない、激しくつらい症状があっても、

どんな重い病気や、障害を負っていても、

深刻な人生の試練を抱えていても、

「自分を大切な存在」だと、思ってくれる人がいたり、

「誰かを大切な存在」だと、思うことができれば、

なんとか、乗り越えられる気がします。

いくつになっても、
どんなに年老いても、

誰かを愛し、
誰かに愛されたいと、

こころ密かに、思っています。・・・

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生きていられる幸せ

2007年02月09日 | 小さな幸せ


今日はちょっと寒いです。
心臓が苦しいので、公園はやめました。

代わりに、近くに車で買い物に出かけてみましたが、
苦しくて苦しくて、早々にやっとの思いで運転して帰ってきました。


昨日はあたたかでした。

おととい、きのうと公園を2周ずつ歩いてきました。
ちょっと苦しくても、歩けてしまいました。
きのうで33回目です。

午後は体が苦しくなりダウンしました。

やっぱり2周はきついのかもしれません。
でも、昨年、「春になったら2周ずつ歩くんだ。」と決めいたので
やってみましたが、自分の体に聞きながら、散歩リハビリ続けます。

おとといの夜、苦しくなっては横になり、
横になっては起きだして、動き、を繰り返していて、

何度目か横になった時、

急に、
「私が草食動物だったら、こんなに寝たり起きたりしていて,
動けない時間が長くては、スキだらけで、肉食獣にねらわれやすく、
殺されてしまうのでは?」という思いが
突然頭に浮かびました。

思わず、
「私がもし、草食動物だったら、こんな風に動けない時、
すぐ、肉食獣に襲われて、食べられちゃうのかなぁ。」と
言葉に出して言ってみたら、

「弱肉強食だから、一発で食べられちゃうね。
人間でよかったねぇ。」と言われました。

それを聞いて
「ああ、人間でよかった。」と思ってしまいました。

脳脊髄液減少症で、電池切れのようになって
動けなくなって、横になっている時でも、
肉食獣に「急に襲われて、食べられない」だけ

「良かった。」と
心から「ほっ」としてしまいました。

そう、思ったら、苦しくて横になっていても

なんだかとても、
安心な、幸せな気持ちになりました。

草食動物さん、ごめんね。

見下げてるわけじゃないから・・
肉食獣から必死で命つないで、種を守ってるのもわかってるから・・・

肉食獣も生きるためだっていうのもわかっているから・・・

動物たちが必死で、
厳しい自然界で生きてるの想像して、

医師も薬もないのに、
動物たちは、自分で怪我を癒して生きてるの想像して、

私も必死で生きるよ。

苦しくてたまらないけど、必死で自分の命守るから。

苦しみは、なかなか医師にも周囲の人にも理解されないけれど、
歯をくいしばって耐えるから。

種は違うけど、動物たちは
みんな必死で生きているんだものね・・・・。

動物も、人間も、
病人も、健康な人も、
どんな命も、明日の命は、誰も保障されないんだもの。

だから、与えられた今日を精一杯生きようと思います。

襲われて食べられ、殺されることなく、
生きていられる人間の私。

生かしてもらっていることに、感謝しながら、
今日一日を生きようと思いました。



と書いた矢先、
夕方、玄関の外の段差で転んで、
両足を怪我(打撲、擦り傷、捻挫)しました。

当分公園は行けなくなりそうです。

ホント一瞬先は、何が起こるかわかりません。

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家庭用プラネタリウム

2007年02月06日 | 闘病の工夫
今日は暖かです。
外では、なんとウグイスが鳴いています。ビックリ

昨夜はプラネタリウムを眺めながら、眠りにつきました。

最近使っていなかった、家庭用プラネタリウム「ホームスター」を
また、引っ張り出して、
夜寝るとき、セットして、
見ながら寝ています。

繊維筋痛症と診断されたとしてもおかしくない、
「脳背髄液減少症」の痛み苦しみで
ブラッドパッチ治療待ちと退院後の数ヶ月の
寝るに寝れない時期に、

飲む薬が大嫌いな私は、
睡眠薬も痛み止めも使わないで眠るために、
さまざまな工夫をしていました。

まず、寝る2時間以上前に、ぬるめのお風呂に入り、
寝る数時間前から、蛍光灯を白色灯にかえて照明を落とした部屋ですごし、
寝る前にホットミルクなどを飲み、

布団に入る直前に
スースーする塗る痛みどめを背中と首に塗り、
呼吸が苦しい時には、胸にも塗り、

ラベンダーエッセンスを枕元にたらし、

家庭用プラネタリウムを見ながら、気をまぎらわして寝ていました。

最近は、回復してきて、苦しさが軽減し、
なにも使わず自然に眠れるようになったのと、
プラネタリウムに飽きたので、使っていませんでした。

でも、冬の天体観測で、また思い出して引っ張りだしてみました。

この家庭用プラネタリウムを買って使った感想は、
ちょっとおもちゃっぽい、安っぽい感じです。

日周運動が、ちょっとモーター音がうるさいです。
だから、いつもとめたまま使ってます。
(好きな音楽でモーター音を消せば、けっこういいかもしれません。
でも、眠りにつくときはやっぱり静かがいいです。)

流れ星機能もちょっと、わざとらしい感じです。
もう少し自然な感じに工夫できないかなぁ・・・・。

星はリアルにすばらしく再現されていると思います。
うちは白い天井なので、よく映ります。

改良型、ホームスタープロも出たようですが、
モーター音も改善されたのかな?

昨夜は体がすごく痛かったので、
塗り薬とラベンダーエッセンスと、天井の星、の3点セットで、
眠りにつきました。

すぐ、寝付いて、気づいたら朝でした。
ぐっすりです。

薬なしで、うまく自然に睡眠導入できる特技
身につけました。

これだけは、自慢できます。
誰もほめてくれないけど、
薬に頼らず、よくできましたってほめてもらいたいなぁ・・。

皆さんもよかったら、「ホームスター」のぞいてみてください。
↓動画の商品説明でメガスターⅡを作った
プラネタリウムクリエーター大平 貴之さんが語っています。

家庭用プラネタリウム ホームスター

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見えない障害 2

2007年02月02日 | 心の葛藤
今日は、お天気です。

2月2日はフーフの日?(勝手に決めたい。)

きのうは意外に寒くて、公園にはいけませんでした。
今日は、朝から呼吸が苦しくて・・・・いけるかどうか・・・。

最近地域のさまざまな役員決めの時期に入ってきて、ちょっと悩んでいます。

先日、町内の方から電話がありました。
今度役員をお願いできないかって・・・。

早くも、4月からの役員決めがはじまるようです。

地域に生きていると、たとえ仕事をしていなくても、
地域のさまざまな役員に誘われます。

いえ、仕事をしていないからこそと、頼まれやすいのです。

昨年は横断歩道の立ち当番は辞退しました。
立っていられないからです。

ごみ収集場の清掃は、家族に代わりに行ってもらいました。

炎天下の草刈りは家族に行ってもらいました。
冷房の部屋にいても、まぶしく、喉が渇いて、起きていられなかったから。

地域の道路清掃のごみ拾いは許してもらいました。

でも、今まで、こんなに悪化して動けなくなるまでは
症状を抱えながらもいろいろな役を、私は必死で何でも辞退することなく、
こなしてきました。

○○委員、○○係、
暑い日の草刈りだって、やりました。
横断歩道の立ち当番だってやりました。

原因不明の症状で体調不良でも、悪化前の立って歩けた時は
なんでも積極的に、逃げずにやってきました。

もともと病気を理由に、めんどうなことから逃げる人間ではありません。
むしろ、無理してもこなしてきました。
「やりたくないから」と思われるのが悔しかったから、
必死に、社会についていこうと努力してきました。

でも、悪化で、起きているのが苦しくなったり、
呼吸が苦しくなって、立っていられなくなる症状がひどくなってからは
とても、お役に立てる状態ではなかったのです。

今回もまだ、体調が万全ではなく、
申し訳ないと思いながら、その役員をお断りしました。

まだ、家事をやっとこなす毎日で、リハビリ散歩さえできないこともしばしば。

取り込んだ洗濯物を、たたむところまで体力が持たず、そのまま放置の毎日。
思考力も、記憶力も、言葉によるコミュニケーション力もリハビリ途中。

体調に激しい波があり、
会合の日の、決まった日時に、
出かけられる状態である保障はどこにもない。

そんな状態で役員をやれば
かえって、皆さんに迷惑をかけてしまう気がします。

昨年も、治療前で身動きも取れないほどの体調の時、
違う役員決めの会合に欠席しました。

でも、
わざわざ自宅に電話がかかってきて、やっと電話に出ると
「役員をお願いできないか。」と言われました。

「病気のためできない」と断ったら、
「以前の役員決めの時もご病気でしたよね。
ずっとご病気で大変ですねぇ。」と言われました。

事情を全く知らない人が、
悪気はなく、なにげなく出た励ましの言葉だったのかもしれませんが、

私は、
「そんなに何年も病気が長引くなんて、役員やりたくないから、仮病でしょ?」と言われているように感じてしまいました。

症状が重く、苦しい時期だっただけに、
苦しさを理解されない中、誤解されつつ「断る」ということが、
本当につらく、心にも体にもこたえて落ち込みました。

これが認知された「重病名」を言えば、
その病状の深刻さ、闘病の過酷さが周囲に一瞬で伝わるのでしょうが

「脳脊髄液減少症で」と言っても、この例えようのないだるさや痺れや
痛さや、自殺を考えるほどの、
肉体的、精神的つらさが、ほとんど全く、人に伝わりません。

伝わらないということは、理解されないことですから、
さらなる誤解にさらされることになります。

診断がついて病名をもらった今ですら、こうです。

「脳脊髄液減少症」という病名すらなかった時代の
患者の置かれた状態を、どうか想像してみてください。
どれだけ、社会の無理解がひどかったか。
どれだけつらかったか。

今年は、病名を告げてお断りしてみましたが、
理解していただけたかわかりません。

いろいろな場面で、
「あの人は、いつも、病気を理由に役員を逃げている。」と思われても
しかたがないとあきらめています。  

本人は窒息しそうなほどに息が苦しい
心臓が苦しい、体が痛い、、だるくて動けない症状が
今だ続いていても、

周囲の人にしてみれば、見た目には、そうは見えないという、この不思議な病。
本当の闘病中であっても、仮病と疑われてしまう悲しさ。

でも、健康な人でも「仮病を使って、役員逃れをしている」方が
実際にきっといるのでしょう。

医師にも認知が広がっていない、
見た目に健常者の「脳脊髄液減少症」

まして、昨年秋から、
体調がいい時は、時間制限があるもののリハビリ外出している私。

そのわずかな時間の外出中の私を見た人は、
なおさら、苦しい病気であることは信じられなくなるでしょう。

元気に動けるのは体調のいい日のわずかな時間のことで、
ほとんどの時間は、今も
から自力でなかなか出られない状態であることは、
想像もできないでしょう。

呼吸困難で家の中でさえ、動けずうずくまっているような状態は
外の人目に触れることはないのですから・・・・。

見かけるのは、元気な時の私だけ。

これがこの病気の回復中の「新たな誤解」を産む、
試練であると最近気づきました。

短時間、短距離ながら、自力で行動できるようになると、
身近で見ている家族でさえ、疑いの目で見ているのを感じることがあります。

元気な時と苦しんでいる時のあまりのギャップに
まるで、
「都合の悪い時だけ、具合が悪くなる。」かのように、
疑いの目で私を見ているように感じます。

演技なんかじゃないのに、本当に体調に波があるのに・・・

私を見るその冷たい目は何?
身近な人ですら、こうです。

事情や病気をよく知らない他人なら、
なおさら疑いの目で見るでしょう。

大人が、認知度の低い病気になり、働かず家にいて、
しかも、地域の人々のお役にもたてなければ、
ますます誤解されて、
さらに周囲から、孤立するのを感じます。

このくらいのことも引き受けられない私は
甘えているのでしょうか・・・?

無理しても、なにか、役員を引き受けるべきなのでしょうか・・・?
それも社会復帰のリハビリになるのでしょうか?

心は葛藤していますが、
今はまだ、自分のことで精一杯でゆとりがないのです。

自分の世話がもっと楽にできて、他人のお役に立てる余裕が出るまで、
もう少し、どうか、許してほしい・・・。
甘えかもしれないけど、周囲の人々に助けてほしい。
支えてほしい。

昔は積極的で、行動的だった私。
本来の自分が完全に戻ってくる日を、信じたい。

それまで、誰もわかってくれなくても、誤解されても、
なんと批判されても、しかたがありません。

本人の体調は、本人にしかわからないのですから。

自分にできそうか、できそうでないか、は自分にしかわからないのですから。





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